幽刻時の鐘が鳴る
幽刻時の鐘が鳴る 〈い〉
季節は廻る。
相も変わらず今年も冬を迎えた。
そんな季節の移り変わりを他所に、骸井九はえんじ色をしたシックなソファーに腰を沈めて、先程出された出来立ての温かいお茶を一口貰っていた。
「……お茶美味しい?」
「あぁ。美味しい」
「それは良かった。あぁ……何か気になることがあったら何でも言って、ね?」
「そうか。じゃあ、早速一つ尋ねてもいいか」
「うん。なに?」
「お前はここで、いつもこういう風に過ごしているのか?」
「えーっと、放課後になったら大体、いつもここでこうやって過ごしてる……かな」
お茶を出してくれた女子生徒は、電気ケトルを持ったまま屈託のある笑顔でそう答えた。
そうか、と言ってもう一口お茶を口に運びながら文庫本を開き、骸井は思い返す。
この目の前の女子生徒との邂逅の瞬間を。
それは、放課後になってすぐのことだった。
どうせすぐ家に帰ってもやることがない骸井は、いつも完全下校時間まで図書室で過ごしていたので、いつも通り図書室に立ち寄ったのだが、入り口あたりで「あのー……」と呼び止められたのだった。
「はい」
骸井は開いていた文庫本を閉じた。
「あなたが骸井さんで、合ってま……すか」
「そうだが」
「……ちょっと話があるんだけど――いい、ですか?」
骸井は彼女のことを全く知らなかった。
では、よく知っている知り合いがいるのかと言われれば別段いるわけではなかったが、それでも一度も見かけた記憶がないというのは、全く知らないと言い切るに足る状況ではあった。
その女子生徒は、骸井と比べて十五センチぐらい背が低く、骸井の顎ぐらいに彼女の頭がくるぐらいの身長差であった。
太ぶち黒メガネに覆うような重い前髪が瞳を隠して、帳を下ろしている。
たどたどしい挙動と合わない視線、腕を組み唇をムニムニと動かしている。
それは言わずと知れた挙動不審そのものであった。額に「挙動不審」と書いてあってもおかしくないぐらいには。
「……今、忙しいのでまた今度にしてくれないか」
「いや、あの……ちょっとで終わるんで、す。一瞬だけ、お願い」
それでも諦めない様子の女子生徒。骸井はチラッと彼女の足元を見る。
学校指定のうち履きに骸井と同じ二年生の証である青の靴紐があしらわれているのに気づき、そこで初めて同級生であることを認識した。
「ちょっとそこ通ります」
突然、後ろから声がしたので骸井とその女子生徒が振り返ると、そこには、脇に課題のテキストを数冊挟んだ男子生徒が図書室に入りたそうに立っていた。
骸井は話しかけてきた女子生徒に目配せして、邪魔にならない廊下の端の方に寄ることにする。
「……はぁ、分かった。話を聞こう。だが、手短に頼むよ」
「うん。あ――はい。ありがとう」
その女子生徒はその言葉を聞いてぎこちなくお礼を言った。
「文芸部……知ってますか?」
「文芸部って言ったか」
「うん」
「君が……」
「白井、有栖でう。はぁっ!」
女子生徒は噛んでしまった事に対してかなり恥ずかしそうに顔をしかめた。
「……いや、今名前は聞いてない」
「有栖って呼んでいいですよ……」
「いや、すまない。……それと、申し訳ないが文芸部に興味はない」
「……そう、ですか」
白井有栖は目に見えるぐらい大きく落胆した。
それを見て、骸井は一瞬だけ逡巡した。
そして、白井有栖はすぐ切り替えようとしてしきれなかったのか、貼り付けたような笑顔を浮かべる。
その表情で話が終わったと判断した骸井は一礼をして文庫本を開き、そのまま図書室の入口へと振り返って――止まった。
骸井が振り返ると、ちょうど白井有栖が骸井の腕に触れるかどうかギリギリのところだった。
「なんだ」
「……小説書いてるでしょ」
「……」
骸井九はその問いに対しての答えを持っていなかった。ただ、「小説を書いているのか?」と聞かれたら「書いている」と答えるのが彼の中でのルールであり、そして。
……そして、そう言っておくのが一番穏便に済むのだと彼は知っていた。
「誰から聞いたんだ」
「え、いや、ずっと本を読んでるし、あとあの……後ろから何か文章を書いてるの見ちゃったの。だから、もしかしたらって思って」
骸井は考えを改めて、改めて考えた。
白井有栖は骸井が常時本を読んでいることを知っている。そして、ノートに文章を連ねていることを知っている。しかも、それを後ろから見たと言った。
このことを、骸井の席が窓際の一番後ろであるという事実と重ねてみると、必然的に考えられるであろう答えは一つ。
白井有栖が骸井九と同じクラスのクラスメイトかつ、骸井の後ろに来る。つまり、骸井の後ろにある生徒用のロッカーに用がある生徒ということになる。
「君と僕は同じクラスだったのか」
「え、嘘……?」
落ち込む白井有栖。
「……僕が文章を書いていたことは認めよう。それは見られたのだから言い訳できることじゃない。ただ、だからと言って文芸部に入るかと言われれば、「入らない」と答えるだろう」
「……どうして、得することはあっても損することはないんじゃ――」
「僕は馴れ合いがしたくてこの学校に来ているわけじゃないんでね」
骸井はきっぱりと言い放った。
「そうなんだ……そうですね。分かりました」
「あぁ……では」
「あ、ちょっと待ってください」
「……」
何も言わずに続きを待つ骸井。
「文芸部に入っていただけないのは残念です。ですが、今の話は前説みたいなもので……」
白井有栖は申し訳なさそうに視線を泳がせる。
「前説……じゃあ今から本題を話すのか? ははは舐めてもらっちゃ困るな。この骸井九の時間をいたずらに弄ぶなんて、君はどれだけ偉いんだ」
「聞いてくださいませんか……?」
涙ぐんだ表情で訴えかける白井有栖。
「……話せ」
「ありがとございます。……私の他にいた五人の部員が、ある日を境にして一斉に辞めていきました」
「なに?」
「そして、最終的には私一人になりました。あなたにはその原因を一緒に探ってほしいの」
「ほう……興が乗った。詳しく教えてくれ」
「あの、では、現場の文芸部の部室に行きますか?」
「あぁ、案内してくれ」
――――――………………
これが、白井有栖と骸井九の邂逅であり、これを思い返した骸井は自身の好奇心の衝動性に一抹の不安を覚えるのであった。
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