第83話『ちょっと俺のこと誘ってるっぽくなかった?』

「明日にはグースドゥアールに着くんだよね」

 風に吹かれて俺が言うと、キヨは遠くを見ながら頷いた。


 キヨはなんとか船室から出られるようになった。

 でも船室を出て上甲板に上がるだけが精一杯だ。冷たい風に吹かれていれば、何とかなるらしい。でもキャビン内や、まして下層なんかは全然ダメだ。ほとんど揺れに任せて倒れ込むみたいに進むだけで、まともに歩いてもいない。

 コウのスープだけは食べられるようになって、吐いてないだけマシって程度。


「ハヤの魔法、解いてもらったの?」

 キヨはチラッと俺を見た。それからぐったりと舷縁に突っ伏す。

「何かあったら困るからな……」


 戦力的に、キヨの魔法が無いのは致命的だ。海のモンスターは間近には来ない。

 昨日もあの後、船からちょっと離れたところに巨大なタコのお化けみたいなモンスターが出現したのを回避したのだ。タコっぽいけど、頭みたいなところはぎらぎらした鱗がついてて岩みたいだった。あれで当たったら船が粉砕されそう。

 中型のモンスターの相手をしていて足を振り回していたから、船の側面にちょっとだけ傷を付けられた。大物モンスターのちょっとだから船にとっては結構な損害だ。抉れた側面は内側からがっちり木を打ち付けて、応急処置としてタールを塗りたくってある。船員たちの働きがものすごく速くてびっくりした。

 水面よりずっと上だから良かったようなものの、あれが水の中だったら確実に沈没してたよな。


 だからキヨの魔法攻撃が無いのは致命的なんだけど、なんだけど……本人がこれじゃ結局致命的なんじゃないのかな。キヨは立ってるのが疲れたみたいに、舷縁に寄りかかってズルズルと座り込んだ。これで戦えるとは思えない。

「キヨ、たぶん、二日酔いってそんな感じだよ」

 あと割れるような頭痛もあるけど。そう言うとキヨは、ぐったりした顔で俺を見上げた。よかったね、一生経験しないハズの二日酔いを知ることができて。


「団長が今なら襲い放題っつってたけど、ホントだな」

 シマが面白そうにそう言って上甲板に上がってきた。キヨは不機嫌そうに睨む。

「この距離で、モンスターって呼べるもん?」

「うちのこ? まぁ、たぶんな。今は陸に向かってるし。ただここまで呼んでも、休ませることなく帰さなきゃならないだろうから用もなく呼べないし、どの辺にいるのかわからないから最悪の瞬間に間に合うかわかんねぇ」


 シマは張り巡らされたロープを指すように指をくるっと回した。

 大きな鳥モンスターが降り立つにはスペースが足りないってことか。キヨは小さく舌打ちした。頼みの綱のシマのモンスターが確実じゃなかったら、キヨの船酔いは続行ってことだもんな。


「もうシマが海のモンスターを手懐けるしかないね」

「あのタコかー……ちょっと仲良くなれるかわかんねーなぁ」


 シマはそう言って笑った。確かに可愛げはなかったな。

 でもエメリがホントに大物モンスターを回避する能力があるのは、あれで実証された気がする。帆船だから風に左右されてしまうけど、どの辺からどういう風に航路を取るかで、衝突するポイントを避けていく。

 今回はいい風が吹いていて脇をすり抜けていけてるけど、もし風の無いの時にあんなのに近づいてしまったら逃げようがない。


「そう言えば魔導士の結界ってどうなったんだ? 昨日やってたやつ」

 シマは言ってキヨの隣に座った。キヨはちょっとだけ深呼吸みたいに息を吸った。

「自然の魔法の流れを掴んだ上で、固定した魔法陣に魔力を流す形で練る。そんでそこから俺が退く」

 キヨは空中に図を書いて説明するみたいに、指先で描いた。

 えーと、つまり自然に存在する魔法の力を、直接魔法陣を維持する魔力に使うってこと?


「前にエルフの子が言ってただろ、もともとエルフが魔法使う時、『人間みたいにずっと集中とかしてなくても使える』ってのは、そういう形で使えるからなんだと思う。彼ら自身が自然の魔法の存在で、だから自然に存在する魔力をそのまま利用できるんだ。俺たちにはそこまでの固定は無理なんだけど、とりあえず魔法陣の方に抽出と固定の要素を足して、最初から自然の魔力メインで発動させたらできるんじゃないかなと」


 それ、魔導士も魔術師もいなくても魔法陣が使用できるってことじゃん! ものすごい発明な気がするんですが!

 シマも驚いた顔で見ている。だって完全実現できたら……

「キヨの魔法、エルフ並みってことじゃん」

「実現できたらな」

 キヨは不機嫌そうな顔でシマを見た。え、でも昨日できたんだよね?

「仮眠する時間くらいなら何とかなったけど……たぶん1日かそれ以上になると無理。魔力の流入が細るんだ。本にあった魔術を参考に構築したけど、そっちの錬り方が甘いのか、自然の魔力との結びつきが弱いのか」

 キヨは言いながら片膝を抱えて拗ねるような顔をした。


 でもキヨ、魔法陣まで敷けるようになってるから、何だかんだで白魔術もできてるってことだよな。

「魔法陣自体は白魔術じゃない。黒魔術師は攻撃に特化してるから、魔法陣の構築に時間を割くより呪文で直接叩きたがるんで使わないだけ」

 そっか、呪文発動のが確かに速いもんな。

 そう言えばキヨはクダホルドでも魔法陣について勉強してたし、星読みの里でも発動してたんだった。そしたら、もうちょっと万全の体制で勉強しながらやれたらよかったのにね。せっかく輸送中も読めるって言ってたのに、全然読めてなさそうだし。


「まぁ、体調も万全でないのにキヨもよくやったよ、あれで魔導士も仮眠取れたしな」

 シマはそう言ってキヨの頭を撫でて引き寄せた。キヨは不機嫌そうな顔のままだけど、何となく褒められて照れてるっぽかった。

「それで、別件だけど」

 シマはキヨの頭を引き寄せたまま耳元で小さく言った。キヨはチラッと視線だけでシマを見る。

「船は元々の交易で使われてた。船長は違う。ただ船員はその時もこの船に乗ってたのもいる」

 シマは口早にそう囁くと、キヨの頭をちょっと乱暴に撫でて離した。


「……兄ちゃん褒めるにしても、あんまり頭振ると吐く」

「悪ぃ」


 シマは立ち上がって、笑いながらそう言った。

「兄ちゃん、ついでに言っとくけど、あんまり船内探検すんなよ」

 キヨはシマを見上げてそう言った。船内を探検? それってシマがいろいろ聞き回ったりすることを指すのかな。でも情報収集は必要なのに。

 シマはチラッと笑って、それから俺にも手を挙げて上甲板を降りていった。


 さっきのってもしかして、船長室で話せないことだから……なのかな。一等船室だって聞かれる可能性はある。でも外のここなら、船員は立ち働いているけど、こんな片隅の耳打ちが誰かに聞こえるはずはない。


 でもどういう意味だったんだろう。エメリはこの船に乗るのは今回が初めてってことなのかな。それで何がわかるんだろ。

 キヨを見てみたら、ついに甲板にごろんと横になってしまった。

「ちょ、キヨ寝るのはやめて、俺じゃ運べない」

「じゃあコウ呼んできて」

 あくまで運んでもらうつもりかよ! 俺は無理を承知で腕を持って引っ張ってみたけど、脱力していて起きあがらせることもできなかった。


「あれ、美人さん、どうしたの。調子悪いなら運ぼうか?」

「ショラ!」

 ショラは俺が腕を取っているキヨの脇に座り込んだ。コウよりでかいし、ショラなら楽々運べそうだよな。でもキヨは怪訝な顔でチラッと彼を見ると、片腕をついて自分でゆっくり起きあがった。


「別に、平気です」

「平気だったらそんな無防備にしない方がいいよ。喜んで襲うヤツもいる」

 キヨはあからさまに嫌そうな顔をした。せっかく親切にしてくれてるってのに。ショラはにっこり笑った。

「ホントは誰かがツバ付けちゃうと一番安全なんだけどねー」

「そんなに弱くないんで」

 腕力的なとこしか見えてないとキヨは明らかに最弱なんだけど、ホントは違うしね。ショラはキヨの服に目を落とし、それから上着の裾に触れた。

「もしかして、黒魔術師?」

「まぁ、」


 キヨは何だか言葉少なだ。いつもこんなにガード高くしてたっけ? もしかして、コウといい感じの人だから緊張してるとかなのかな?

「イカレたヤツが襲いに来るなら、あんたもイカレてんの?」

「俺はまだ手を出してないでしょ」

 ショラはそう言って苦笑した。

 あー違うわこれ、緊張とかじゃなかった。ショラはぶっ倒れてるから助けてくれようとしただけだってのに。もう、少しはコウのために好印象持たれようとか思わないのか。でもキヨはやっぱり不機嫌そうな無表情で視線を外した。


「美人とか言う時点で充分イカレてる」


 やっぱそこか、そこが気に食わないのか。容姿を褒められるとだいたいアウトだよな。キヨのツボもいまいちわからない。

「美人だからそう言っただけだよ。間違ってないだろ」

 ショラは舷縁に手を着いてキヨを覗き込んだ。キヨはショラを見上げた。

「でもコウみたいのが好みなんだろ」

 ショラはその言葉に苦笑する。なんかその言い方だと、なんか……


「好みっていうか……でもコウはいいよね」

「どこが?」

 キヨはぼんやりとショラの肩に触れた。ショラは笑って「どこがって」とか言ってる。

「仲間なのに、そんな言い方するか?」

 ホントだよ、コウのいいとこなんていっぱいあるじゃんか。でもキヨはショラから手を離すと、ふいっと視線を外して「聞いただけだろ」と言った。


「もう、キヨそんなこと言ってないで、ホントに調子悪いんだったら船室戻って寝ないと」

 また魔導士が仮眠とることになったら、あの魔法を使わないとならないんだ。その時に使い物にならないキヨだと困る。やっぱりハヤにあの魔法かけてもらった方がいい気がするな。

 俺が腕を引っ張ると、キヨはちょっとだけふらつきながら立ち上がろうとした。


「そう思われてるなら、イカレついででもいいか」

 ショラはそう言って、立ち上がったキヨに腕を回すと軽々とキヨを抱き上げた。あ、これキヨの嫌いなお姫様抱っこですね。キヨは引きつった顔をしている。

「ちょ、降ろせ」

 キヨは腕を伸ばして逃げようとしたけど、ショラには全然通用してないみたいだ。いくらキヨでも、運ぼうとする善意の相手に攻撃魔法は発動しないみたいでよかった。今は寝惚けてないしね。


「少し協力してよ、これでコウがヤキモチ焼くかもしれないからさ」

「はぁ?」


 ショラは屈託なく笑うとそのまま歩き出した。キヨは暴れるのをやめたけど、周りの船員の視線を避けるように、なんだか怯えたみたいに視線を落としている。見送る船員は何だかニヤニヤ笑っていた。

 これ逆にキヨってこう、か弱いって他の船員に刷り込んでないか……いっそ攻撃魔法で撃退した方が、今後イカレたヤツに怯えずに済んだのかも。


 上甲板から階段を下りる時にショラが少しバランスを崩して、キヨは結局ショラにしがみついた。ショラはそれを見て少し微笑むと、キヨの体に回した手を探るように動かし、それから安定して階段を下り始めた。


「もういい、ここで」

 キヨは船室の前に来ると、そう言ってショラから離れようとした。

「寝るんだろ、ベッドまで運ぶよ」

「あの船室にこのまま入れるわけねーだろ、降ろせよ」


 キヨが腕を突っぱねて抵抗すると、ショラは渋々キヨを降ろした。でも立たされたキヨはそのまま船室の壁に凭れ掛る。うん、真っ直ぐ立ててない。

 風を感じられないキャビン内は屋外と違ってダメなんだよね。酔わない俺にはわからんのだけど。

「ほら、歩けないじゃん」

 ショラはキヨの肩に触れた。でも目の前が船室だし、そのくらいはなんとかなるんじゃないのかな。壁伝って歩くとか。


「キヨくん」

 振り返るとコウがいた。コウはすぐさまキヨに近づくと、有無を言わさずキヨの腕を取って肩に回し、腰を抱いてキヨを支えた。ショラはちょっとだけ体を引いた。

「……コウ、やっぱいい仲なんじゃ」

 コウはチラッとショラを見ると、やっぱり拗ねた表情で「仲間だっつってんだろ」と言った。コウはキヨを支えたまま船室の扉を開ける。


「美人さんの方はあんな言い方すんのにー?」


 コウは肩越しにショラを見た。それから何か言おうとしたみたいに口を開いたけど、結局何も言わずにキヨを支えて部屋に入った。その背後で船室の扉が閉まる。

 俺とショラは廊下に取り残されたけど、このまま狭い船室に入ろうとしても邪魔になるだけなので何もできなかった。二人が話してるような声が漏れ聞こえる。っつってもたぶんほぼコウの声だ。

 なんか、脱ぐとか言ってる気が……ショラは船室を指さした。


「……ホントに、」

「ないない。キヨとハルさんはすっごいラブラブで全然他に目が行かない感じです」


 俺は食い気味に答えた。事実だし。ショラはちょっと顔をしかめるみたいにして唇を尖らせた。

「でも美人さん、ちょっと俺のこと誘ってるっぽくなかった?」

 ……ちょっとそれっぽい感じあったけど、たぶん船酔いで弱ってるのが勘違いすると色っぽく見えるだけだよな。言ってること自体はまるっきり誘うセリフじゃないんだし。

 ショラは『あんな言い方』って言ったけど、キヨはいつだって誰にだってあんな言い方だ。俺は無言で肩をすくめて応えた。


「俺が誤解すんじゃ、コウも誤解してるとかは」

「それもないって。あと美人さんて言ってると、いつまでもキヨは不機嫌対応だと思うよ」


 ショラはちょっとだけきょとんとした顔をして、小さくため息をついた。ショラ的には軽い冗談のつもりなんだろうけどさ。俺はチラッとショラを見た。

 もしかしてコウが出てくるの待ってるのかな。コウ出てこない……な。キヨを寝かせたらすぐ出てくるかと思ったけど。

 なんかしてる……なら、ここで開けてショラに見せない方がいいかもだよな。でも俺が先にここを離れたら、ショラが開けて入っちゃう可能性もあるし、どうすれば……


「ショラ、仕事はいいの?」

 ショラは軽く首を傾げた。

「仕込みは一通り終わってて、食器も洗ったし、あとは時間に合わせてコウが調理すんのを手伝うとか」

 どっちにしろコウ待ちなのか。あー、他に何か話題は無いのか、頑張れ俺。


「あれ、何やってんの?」

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