第77話『それだと俺の範疇だから、面倒とは言わない』

 声に振り返るとキヨが立っていた。コウがすかさず立ち上がって席を空ける。

 だいぶ顔色は良くなってるけど、さっきまで吐かずにいるだけで奇跡みたいな状態だったんだもんな。

 キヨは小さく笑ってコウに礼を言うとベンチに座った。少し大変そうに机に寄りかかっている。


 っていうか、この船で輸送してるって隠してたのか。だから勇者一行の存在もほぼスルーみたいな地味な出航だったんだ。


「……やっぱそっち?」

 シマは嫌そうに顔をしかめてキヨを見た。キヨは少しだけ首を傾げる。

「団長が助けるのまで読んでるハズはないけど、どっちにしろ魔導士が欠けて補充が必要ってのが、狙いだったらそうだろうな」


 あれ、キヨってさっきまで寝てたのに、ハヤが魔導士を助けられたとかなんで知ってんだ。

「船員が叫んだのは聞こえてた。その上で、団長が面倒って言うんじゃ看護が必要で、まだ死んでないだろ」

「死んでたから面倒って言ったとかは?」

「それだと俺の範疇だから、面倒とは言わない」

 キヨはしゃべるだけで疲れたみたいに、目を閉じて机に寄りかかって斜めになっていた。なるほど、そう言われるとそういう部分はキヨの範疇って気がする。


「一番近い港は?」

 キヨが目を閉じて斜めになったまま言うと、シマは海図に向き直る。

「ここからならグースドゥアールだな。小さい街は他にもあるが、このサイズの船が着ける港で魔導士を探すとなるとそこくらいだ。二日以内に着ける」

 エメリはシマが見ている海図を指さしてそう言った。


 俺たちがクダホルドを出て二日目、それから二日以内に着けるってことはちょうどラトゥスプラジャとの真ん中辺りにある街ってことなのかな。

「タイミング的にそうだとは思うけど、二日か……」

「二日だとなんかあるの?」

 レツがキヨを伺いながら言う。キヨは目を閉じているから見えてないだろうけど。

「二日を魔導士一人で航行させるのは無理があるだろ」


 俺とレツは顔を見合わせた。

 丸二日も魔導士がたった一人で、休まず寝ないで結界を維持できるとは思えない。つまりグースドゥアールに誘い込むのが目的だったとしても、もっと近くなってからじゃないと危険が伴ってしまう……

 え、あれ、っていうかそれだともしかして、


「魔導士って、誰かに殺されかけたってこと……!?」


 シマの言ったそっちって、そういう意味のそっちか!

 そしたらあの魔導士は、本を狙うヤツらが船をグースドゥアールに向かわせるために危害を加えられたってことなのか。ハヤがチートレベルの白魔術師だったから助かったけど、そうじゃなかったら今頃……俺は何だか背中がぞくりとした。

 危害を加えた犯人が、まだこの船に乗ってる。


「魔導士を診てくる」

 ハヤは小さく言って立ち上がった。机を回って外へ行こうとする。

「団長」

 通り過ぎる時、キヨが声を掛けた。ハヤは立ち止まってキヨを見た。

「なに? 体、大変?」


 ハヤはふわっと腕を開いてキヨに回復魔法をかけた。俺たちには見慣れた風景だけど、視界の端で航海士が呪文無しの魔法発動に驚いて目を見開いた。

 でも回復魔法で気持ち悪いのは取れないんじゃなかったっけ。なんで今更かけたんだろ。

 キヨは目を閉じて斜めになったまま、腕を上げてハヤの上着を掴んで引っ張った。


「……根拠は?」

 キヨがそう言うと、ハヤは小さくため息をついた。それからそっとキヨの手を外す。

「とりあえず、先診てくる」

 ハヤはそう言って船長室を出て行った。キヨはそのまま机に突っ伏した。

 うん、ここの二人の会話はちゃんと聞いてもいつもわからない。


「船長がここに航海士一人だけ呼んでる意味」


 っていうか航海士? と、突っ伏した顔だけ横に向けてキヨは言った。それ誰に聞いてんの。

 冷静に考えるとキヨのこの態度って失礼極まりないな。普段は初対面の人にはきちんとしてるのに、船酔いがキヨの体面をぶっ壊しちゃったみたいだ。

 シマはキヨの言葉に、話を振るように無言でエメリを見た。エメリは少しだけ難しい顔をして、傍らの男性を航海士のカソルラと紹介した。


「意味は……特には無かった。が、今の話で意味を持ってしまったな。カソルラは儂が一番信頼する航海士だ。若いが航海術に長けておるし、水夫までこいつの言葉をちゃんと聞く。ちょうど今後の航路の話をしていてここに居たから、騒ぎの状況を見に行かせたのだ。それであんたたちを連れてきた」

 そう言えば礼がまだだったと言ってエメリは座ったまま頭を下げ、「魔導士を助けてくれて感謝している」と言った。助けた本人は今いないけどね。


「船乗りって隔離された空間に同じメンツで長く生活するから、ちょっとしたことで同調圧力も疑心暗鬼も起きそうだけど、とりあえず何か漏れたら船長責任でいいってことですね」


 キヨは大儀そうに体を起こした。それってどういう意味だ。

 カソルラがムッとした顔でキヨを見る。

「俺はここでのことは口外しません」

「ここでのことじゃなくて、俺たちの話すことすべて口外しないで」

 カソルラの言葉に、シマは重ねて言った。エメリは小さくため息をつく。

「……捜すのか」


 短くそう言ったエメリに、キヨはチラッとシマを見た。

 捜して……欲しくないのかな。乗っている船員は全員、船長が見てるって言ってた。つまり見知った人間の中に犯人がいて、それを暴かなきゃならない。リストを提出するのだって不本意みたいだったもんな。


「捜しませんよ、別に。依頼にないし」

「犯人捜さないの!?」


 そう言った俺を、キヨは面倒くさそうに見た。

 そりゃ俺たちの仕事は魔術書の護送で、魔術書を狙う人たちの検挙ではないけども!

 でも普通に考えて、人殺そうとした犯人は捜すべきでは? 逃げられないし、絶対船にいるんだし。他に何か危害を加えるようなことがあったらどうするんだ。


「グースドゥアールに誘い込むのが目的なら、グースドゥアールに向かえばこれ以上の事件は起こさないだろ」

 行けばいいんじゃね? と、キヨは無責任にそう言った。

 いや、行けばっていうか、行かないと魔導士不足は解消できないんだけど。

「グースドゥアールで何が待ってるかは知らないけど、犯人はそこで船を降りるだろうから航海は安泰だし、魔導士も補充できるだろうし」


 なんで犯人はそこで降りるんだ?

 俺が難しい顔をしていたら、コウが「この件の稼ぎも入るだろうし、疑われる危険冒して残る必要はないわな」と言った。


 でもなんか……殺人未遂の犯人を野放しって、それはよくないことのような……

 レツをチラリと見てみたら何だか悲しそうな顔をしていて、俺の視線に気付いてちょっとだけ笑った。それから意を決したように小さく息を吸った。


「……犯人捜したら和を乱すけど、あとからあいつが犯人だったと知っても、結局信頼は崩れるんじゃないのかな」


 レツはそう言って、エメリを見た。

「隔離された空間だから船内の和が重要なのはわかるけど、ここで野放しにしてなおかつ悪いことでお金を儲けて無罪放免にしたとわかったら、他の船員はどう思うかな。たぶん船の人は探せない、だったら俺たちがやればいい。人を傷つけた人は、ちゃんと反省しないとダメだよ」

 シマはちょっとだけ眉を上げて、「だから口外すんなっつっただろ」とカソルラに言った。レツはちゃんと体ごとエメリに向き直った。


「断罪するつもりはないです。ただ、悪いことをしていい思いはできないってことだけは、ちゃんとわからせないと」

 バレてお金がもらえないだけでも、充分ってことなのかな。

 エメリはしばらく黙ってレツを見ていたけど、小さく息をついて両手を机に置いた。


「申し訳ない、君の言う通りだ。船員の中には長く儂と船に乗っている者も、紹介されて最近乗った者もいる。だが信じて選んだ者たちだから、自分とカソルラを差し置いて他の者を疑うことはできん。船員や他の誰が疑おうと自由だが、儂がまず疑ってはいかんのだ。だから頼めるのなら、捜査をお願いしたい」


 エメリはそう言って頭を下げた。

 船員同士の疑心暗鬼は船員同士の小競り合いだけど、船長が船員を疑ってるところを見せたら、それは船長に対する蜂起に繋がる。船は一人では動かせないのだ。

 レツはそれを見てキヨに振り返った。


「捜すの手伝ってくれる?」

 キヨは軽く目を閉じてため息をついた。

「……お前が善人だからって、世の中全員善人のつもりでいるなよな」

 殺人未遂を起こすような人が、バレてお金が入らなかったら反省してくれるかっていうと、ちょっと疑問はあるよな。

 まぁ、でもそれがレツだけどね。


「キヨくんが勇者のお願い聞かないはずないでしょ」


 コウがそう言うと、キヨは無言でガンくれて、レツは楽しそうに笑った。

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