第76話『僕にキスされると思った?』

 真っ先に走り出したのはハヤだった。


 俺たちは彼に続いて走り出した。

 魔導士は船全体を結界で覆わなきゃならないから、なるべく真ん中の、マストの下辺りの下層に部屋を持っている。


「どいて!」

 ハヤは甲板から下層へ降りる狭い階段を、船員を押しのけて降りていった。あまりの勢いに船員たちはハヤに道を空ける。俺たちはそのあとを船員を避けながら何とか追った。


「なんだ、お前!」

「うるさい、下がれ」


 ただ呆然と倒れる魔導士を囲んでいた船員は、駆けつけたハヤにドスの利いた声で凄んだけど一言でスルーされた。

 ハヤは船員を無視して魔導士の傍らに座り込むと、彼の体に手を翳した。途端にハヤの体から温かく感じるような光が溢れる。でも逆に目を閉じたハヤの表情は硬く、ものすごく真剣な表情だった。口の中で呪文を唱えている。


「おいてめぇ、何して、」

 ハヤに腕を伸ばそうとした船員の手を、コウが握って止めた。あれ、ここにいたんだ。

「黙ってろ」


 更に凄もうとした船員は、無表情で握っているコウの手を振り払おうとして振り払えなかった。見た目よりずっと力あるしね。

 この状況、船員たちには、ハヤが何とか命を取り留めようとしているのがわからないのか?


「……ああ、くそっ」

 目を閉じたままのハヤが珍しく悪態をついた。俺は思わず、隣にいたレツの袖を掴んでいた。どうなんだろう、何とかなるのかな……

 ハヤは時々小さく首を傾げて、それからまた口の中で呪文を唱える。その度に、ハヤの周りの光の粒は動きを変えたり色を変えたりする。これって、魔法の処方が変わってるとかなのかな。


 次第に光が落ち着いて、最後の一粒までがふわりと消えた。ハヤはゆっくりと手を降ろす。

「とりあえず、大丈夫。予断を許さないけど」

 そう言ったハヤの表情は、明らかに悔しそうだった。それってハヤ、この人生き返らせたってこと?

「ばか、違うよ。元から死んでない。死にかけてたけど」

 ハヤは俺の頭を軽く叩き、その場にいた船員に魔導士をどこか安静にできるところへ寝かすよう指示した。船員たちは顔を見合わせている。


「お前たちの船を安全に航行させるための魔導士だろ! さっさと運ぶ!」


 動かない船員に業を煮やしたハヤが強く言うと、船員たちは慌てて魔導士に取りつき、恐る恐る持ち上げて運んだ。ハヤはちょっとだけ不満そうな顔で息をついた。


 ……死んでるって聞いたのに、ハヤはまだ命がある可能性に賭けて走り出したんだ。それって何か、すごいな。


「今、結界を敷いてるのは、もう一人の方?」

 ハヤは傍らにいた船員に声を掛けた。

「あ、ああ。交替で今の魔導士が飯食って来たところだったんだ。そんで唐突に苦しんで倒れて動かなくなって……」


 そしたら今結界を敷いてる方の魔導士は、交替しないでぶっ通しで働くことになるのか。そんなにぶっ通しで魔法使って大丈夫なのかな。


 集まっていた船員たちがそれぞれ散っていくと、何となくちょっと位の違いそうな船員が近づいてきた。服装は他の船員と変わらないけど、他の船員が下がる時にちょっとだけ目礼したからだ。

 立てた短髪によく日に焼けた褐色の肌、ハヤくらいの身長だけど筋肉の付き方はコウ並みだ。

「あんたたち、船長が話を聞きたいって」

 俺たちは顔を見合わせた。ハヤだけが真っ直ぐその船員を見て何も言わずに歩きだした。俺たちは慌てて後を追う。


 何となく、すれ違う船員たちが俺たちを見る感じが変わった気がした。

 今まではどっちかって言うと、何も知らないお客さんって感じで、『勇者一行かもしれないけど船の上では何にもならないから邪魔しないようにしてくれよ』みたいな雰囲気だったのに、今の彼らは何というか、得体の知れないものを見るような、畏怖にも見える視線を送ってきている。

 死んだ人を生き返らせたみたいに思われてんのかな。


 俺たちが降りた階段とは別の船尾側の階段を上ると、すぐ船長室の前だった。すぐ脇がキヨが寝ている船室だ。

 ハヤは船員についていたけど、くるっと反転してキヨの部屋をノックした。


「キヨリン、起きてる?」


 返事を待たずに扉を開けて中を伺う。俺はハヤの脇の下から船室を覗いた。入るとすぐ右側に机と椅子。ほぼ椅子を引くだけみたいなスペースが空いていて、左側は荷物を入れるキャビネットだ。

 奥の壁際に箱みたいなベッドがあって、そこでキヨが青白い顔して起きあがっていた。明らかにまだ大丈夫そうじゃない。


「ごめん、こういうのあんまりしない方がいいんだけど、」

 ハヤは部屋に入ると、ベッドの傍らについてキヨの顔を両手で包んで自分の方へ向けた。えっ? ちょ、ハヤ何してんの??

「何だよ、おい」

 キヨは怪訝な顔をして手を外そうとする。

「ごめん、少し動かないで」


 真剣な声色で二度も謝罪されたので、キヨは怪訝な顔のまま動かずにいた。

 キヨの顔をと思ったけど、よく見るとハヤは耳元を両手で支えるように包んでいた。目を閉じて口の中で何か呪文を唱えると、指先がボンヤリと光る。つまり何か、魔法を発動してるんだよな。

 それから術が終わったのか、光が収まると同時にゆっくり目を開ける。ハヤはちょっとだけいたずらっぽく笑った。


「僕にキスされると思った?」

「お前、これ……」

 キヨの顔色は明らかに良くなってる。一体何したんだろう。

「あんまり良くない方法。キヨリンに強制的に鈍感になってもらった。ちょっと面倒が起きて」

 立てる? と聞きながらハヤは立ち上がってキヨを促した。キヨは小さく息をついてから、ゆっくり体を慣らすようにベッドに腰掛けた。

 俺たちはそれを見て船室を出ると、船長室の外で待っているみんなと合流した。


 船長室に入ると、船長は先程の机についていて、その脇にさっきの男性が立っていた。航海士とかそういう人なのかな、船長の右腕的な。

 ハヤはずかずかと奥まで入って船長の前の椅子にどっかと座った。俺たちはむしろハヤの態度に驚いたけど、何となく全員奥まで進んだ。シマがもう一つの椅子に座り、俺たちはその手前の会議机のところのベンチに座った。


「うちの策士が使い物にならないうちからこういう展開とか、マジ勘弁なんだけど」

 ハヤは憤慨したように言って先程の男性を見た。男性はチラッと驚いた表情をした。自分だってそのつもりはないって感じ。

「魔導士の様子は」

「とりあえず命は取り留めたよ。でももう大丈夫ですとは言えない」

 定期的に僕が診ないと、とハヤは続けた。


「魔導士がいないと、安全に航行できないんだよね?」

 コウにそっと聞くと、コウは小さく眉を上げた。

 モンスターが避けていく倦厭の結界を敷いてられるのは、今の魔導士が休むまでだ。二人の魔導士が交替で結界をキープしていたんだから、一人欠けたら結界を敷き続けるわけにはいかない。どこかで魔導士を休ませないとならない。

 船長は難しい表情でため息をついた。


「今まで、長い航海の中で魔導士が離脱したこととか、無かったんですか」

 シマがそう聞くと、エメリは少しだけ顔をゆがめた。

「航海が長い時は魔導士の数を増やすんだ。それで万が一が起きても何とか回せる。だが今回長くても二週間だったからな」


 航海が長い時は交替が増えるのって、やっぱ5レクス越えたりすると結界も強くしないとってことなのかな。って、あれ?

「航海って、5レクス越えちゃったりするの?」

 海でも5レクス越えたら強いモンスターもいるってシマは言ってた。ってことは、船で5レクス越える旅をした人がいるんだ。でもそれだと冒険者の印が壊れちゃうはず。


「そりゃ海の上には街道がないからな」

 エメリは当たり前のように言った。つまり、船乗りってギルド登録してないんだ。絶対登録してそうな仕事なのに!

「港から港なら、陸路より海を行く方が速いからな。ギルドで冒険者登録しなくても、特殊な職種だから仕事はあるだろ」

 コウは小さくそう説明した。


 うーん、荷運びだと思えばそんなに珍しいことじゃないのかな。街から街へ荷物を運んだり人を運ぶ乗合馬車だって、ギルド登録している職業じゃない。


 でもそしたら逆に、海の魔導士って特殊なんじゃん……普通の魔導士だったらギルド登録してるもんな。でもギルド登録してたら船には乗れない。陸の荷運びよりもうっかり5レクス越えちゃうから、印を壊してしまう。

 それってつまり、海の魔導士ってそんなに多くないんじゃないのかな。


 俺の懸念に気付いたのか、エメリは小さくため息をついた。

「そうだな、船に乗る魔導士で腕のいいのは、そう滅多にいない。ギルド登録してもそっちのメリットが無いから、印が無くてもいいってのがほとんどだ。交替で回さなきゃならない分、数でまかなってるようなもんだな」

 エメリは言いながら、ハヤをチラリと見た。さっきの話からハヤが一行の白魔術師だってわかってるんだろう。ハヤは何だか難しい顔をしていた。


 ってことはつまり、今回の海の魔導士はあんまりレベルが高い魔導士じゃなかったのかな。印が無いからレベル表示もないし実力はわからないけど、倦厭の結界が敷けて、それをキープできれば合格ってことなのかも。


「そうは言っても、魔導士一人で航海中ずっと結界を維持するのは無理でしょう。寄港して魔導士を探しますか?」

 シマは立ち上がると机に近づいてエメリの手元を指さした。

 きっとシマは海図を示してる。大陸をぐるっと回って行くのだから、クダホルドからラトゥスプラジャの間にだって港町はあるはず。

「……それなりの港町なら海の魔導士も見つかるのでは」

 エメリは傍らの航海士と視線を交わした。

「あんた、聞いてないのか」

 シマはそう言われて少し首を傾げた。


「港に寄らないのは航海が短いからだけじゃない。そういう依頼だからだ」


 それって、もしかしてあの本の護送があるから? あの本が狙われる危険を避けるために、できる限り輸送中に関わる人を制限してるってこと?

 そりゃもともと陸路輸送を海路にしたのだって、本が狙われるのを防ぐ目的だったけども。


「モンスターが大挙して押し寄せたら、本が海の藻屑になっちゃうかもしれないじゃん」

 レツが小さくそう言った。ホントだよ。勇者一行がどれだけ強くたって、船を攻撃されたらどうしようもないのに。

「依頼をきちんと遂行するのは大事ですけど、乗組員の危険を顧みないのは違うと思いますよ」


 誰かが怪我したから港に寄りたい程度の話じゃない、魔導士が一人になったら船丸ごと危険にさらされちゃうんだから、ここは依頼内容を無視しちゃった方がいいんじゃないのかな。っていうか、

「寄港したらバレるのかな」

 俺はこっそりコウに言った。コウは口を開こうとして、ふと視線を上げた。


「そりゃバレるだろ。いくら隠してたって狙ってるヤツらはこの船が護送してるのを知ってるから、輸送ルート上の港に現れるのを待ってるだろうな」

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