第75話『なるほど、賓客ではないと言うわけか』

「今跳ねた!」

「どこ!?」

 俺はレツが指さした先に目を凝らす。うー……ん、何もいない、かなぁ。

 と、思ったら小さく水面をジャンプする影が見えた。

「いた! すげー!」

「でしょ!」


 俺たちは舷縁から離れられずにいた。まだ少し冷たい空気の中、波が日差しをキラキラと反射していた。見渡す限りの海の上を、船はぐんぐん進んでいく。

「お前ら、飽きないなー」

 シマが苦笑して声を掛けた。俺とレツは同時に振り返った。


 飽きるなんてとんでもない。港から眺めていたのとは違う、まるで生きてるみたいに表情を変える波や、波間を渡る鳥、時折跳ねる見たことのない魚もモンスターもすべて、いつまでも見ていられる。

「ま、それも最初だけだって」

 ハヤも笑って風に吹かれている。そうかなあ、もう二日もこうして眺めてるけど、飽きるとか全然そんな気しないのに。


 俺たちは帆船に乗っていた。なんと仲間全員初めての船旅だ。はしゃいでるのは俺とレツくらいだけども。

 でも見渡す限りの海の景色も、波と風に揺れながら甲板を歩くのも、ハンモックで寝る夜も全部刺激的だ。


 キヨが頼まれたあの本を輸送する手段は、なんと船便だったのだ。

 もともと陸路での輸送のつもりだったのだけど、どうやら貴重な本が数十年ぶりに発見されたニュースは思った以上に広まっていたらしく、旅自体は危険を伴うけど人為的な盗難の危険性は少ない海路での輸送になったらしい。

 キヨが言ってた足代って、馬じゃなくて船賃だったんだな。


「でもそしたら、勇者一行の護衛なんて要らなくね?」

 チート級の強さのうちのパーティーなら、確かに輸送時の危険の排除はできるだろうけど、船便なら泥棒だって忍びこめないんだし、そこまでする必要ってあるのか?

「対人ならそうかもしれないけど、逆にモンスターの脅威は増すんじゃないかな」

 ハヤはちょっと首を傾げてそう言った。


 そうだった、街道は陸地の際にあるとは言え、そこから5レクスしか安全な範囲じゃない。いや5レクス圏内だって、まったくモンスターがいないわけじゃないんだ。

 船には専属の魔導士がいてモンスター避けの結界を張っているんだけど、それだってどれくらい効果あるのかわかんないし。それに魔導士に何かあったら、あっという間に集まってきそう。


 結構大きな帆船だった。あちこちで作業にあたる船員はたくさんいるし、そこら中でロープを巻いたり緩めたり結んだり忙しく働いている。航海士の指示を繰り返して確認する声。俺には何の作業をしているのか全然わからない。


 船尾の船長室に続く一等の船室にあの本とキヨが詰めていて、俺たちはさらに下の階層の船室だった。

 ハヤはキヨだけずるいと言っていたけど、一等の船室にはそれでなくても狭い部屋に小さな机が付いている分、箱みたいなベッドが更に狭い。まだハンモックで寝られる下層の方が寝るにはマシだよな。

 二等の船室も船首の方にあるのだけど、やっぱり箱みたいな二段ベッドが三つで既に使ってる人がいて、つまり誰かがあぶれるからみんなでハンモックになったのだ。


「キヨはまだ寝てるの?」

 ハヤは俺の言葉に少しだけ笑って応えた。


 キヨは案の定というか、おっそろしく船酔いするタイプだった。だいたい港を出てまだ港が見えている内から酔うって繊細すぎないか。

 船旅二日目だけど、未だにまともに起きあがれない。キヨ、最近そんなんばっかだな。


「なんか船員さんに聞いたんだけど、酔う前に、船に乗って最初の一時間を寝て過ごせば酔わなくなるらしいよ」

 レツはにこにこ笑ってそう言った。

 それ、酔う前に教えてあげるべきだったんじゃないのか。凪いでるうちからあれじゃ、海が荒れたらどうすんだろ。

「まぁ、道中俺たちがやるのはモンスターの対処くらいだろうし、キヨがあの本をしっかり守ってくれてれば寝てても問題ないんじゃね?」

 確かにキヨなら抱いて寝てそう。


「そう言えばシマ、海のモンスターが手懐けられるか、試せるね」

 港を出た昨日はまだ陸も近くて街道付近だったから全然モンスターに遭わなかったけど、そろそろ海のモンスターだって出てくるかもしれない。

 シマはちょっと苦笑しながら頭をかいた。

「海のモンスターは海中にいるからなぁ。攻撃時だけ顔を出すんじゃ、手懐けられるかわかんねぇな」

「でも仲良くなっても、俺たちが海から離れたら寂しくなっちゃうから、あんまり友達にならない方がいいのかも」

 レツの言葉にシマは笑ってレツの頭をぼふぼふ撫でた。

 一応相手はモンスターなんだけどね。でもシマが仲良くなるとホントに友達みたいだから、気持ちはわかるかな。


「シマさん、すみません。船長がお呼びです」

「ああ、うん今行くよ」

 船員の一人が声を掛けてきて、シマは軽く応えた。シマ、船長室行くの!?

「何だお前、見たいのか」

 シマは付いてこいって風に頭で促した。やった! チラッとレツを伺ってみたけど、少しだけ複雑そうな顔しながら小さく手を振った。一緒に来ないのかな。

 俺はそのまま一人シマについて船尾のキャビンに入った。


 実は昨日のうちに船長に会うんだろうと思っていたのだけど、船を出したところで何か忙しそうだったのもあって挨拶みたいのは何にもしてない。遠目に年老いた船長を見かけただけだ。

 俺たちは当たり前のように自分たちで荷物を運び込んで、当たり前のように船室に落ち着いて、当たり前のように出航するのを甲板から見ていただけだった。

 もうちょっとこう……勇者一行として国家財産の護衛してる感じとか、あるかと思ったのに。


 キヨが寝ている一等の船室を過ぎて、一番奥の突き当たりが船長室だ。

 このキャビンは船の両側に船室があるから、廊下はすれ違うのがやっとの幅しかない。なるほど、レツがついてこなかったのは、狭いところに意味もなく押しかけないようにしたのか。

 船長室の前は開けていて、下層へ降りる階段がある。でもここも階段の所為で廊下は狭い。


 船長室の扉をノックすると、中から「入れ」と声がした。シマは扉を開けて中へ入る。俺も続いて中に入った。


 船長室には手前に五、六人がつけそうな会議用の机とベンチがあって、さらに奥にこちらに向いて机が置いてあった。

 インク壜やたくさんの用紙が入った箱、それから冊子や表紙の付いた記録が置いてある。その向こうに重厚な椅子に座っている船長がいた。

 年配で白髪交じりの長い髪を一つに結んでいる。日に焼けて皺の多い顔は柔和にも鋭くも見えた。こんなに年配の人で大丈夫なのかな。船長は海図を広げていて、持っていたコンパスを置いた。


「ああ、君が新しい雇い主かね」

 船長はエメリと名乗って、手で向かいの椅子を示した。シマは俺をチラッと見てから椅子に座る。俺もその隣の椅子に腰掛けた。


 船長の背後には四角い窓が並んでいて結構明るく感じる。天井はシマの頭が届きそうなくらい低いし部屋は広いとは言えないけど、彫刻が施された濃い茶色の棚やキャビネットが揃っていて、何となく居心地はいい感じがした。


「いえ、俺は直接の雇い主じゃないですよ。今回の航海はラトゥスプラジャまでの護送に関してはクダホルド領主からの依頼で、それ以外はエインスレイのところの仕事です。俺はその調整係です」


 今回のこの船便は、もともとツィエクの動かしていた交易ルートだったんだな。

 彼が交易事業を剥奪されたことで予定されていた荷運びが止められてしまうと困るから、シマはエインスレイの事業として今動いている荷運びが円滑に動くように調整していたんだ。

 海路も陸路も、お金の出所が変わるだけで問題なさそうな気もしたのだけど、いろいろそう簡単ではないらしい。俺にはよくわかんねーんだけど。


「なるほど、賓客ではないと言うわけか」

「船室だって下層のハンモックですって。例の荷物の管理者以外は」


 シマが笑ってそう言うと、エメリは机の引き出しからベスメルのボトルを取り出した。傍らの二つの錫のカップにベスメルを注いで、片方を軽く押し出す。

 シマは体を伸ばして受け取ると、小さく掲げてから口を付けた。


「領主の依頼は聞いている。国の財産である魔術書を無事届けろとな。そしてそれに勇者一行が同行すると」

「あんまりそれっぽくない一行ですけど」

 シマの言葉に船長は俺を見た。え、それってどういう意味ですか。俺はちょっとだけ唇を尖らせた。俺だってちゃんと勇者見習いだし。

「儂もこれまで勇者一行を見かけたことはあるが、船に乗せたことはないな」


 そうなんだ、俺たちだってあんまり巡り会ったことないのに。

 あ、でも俺たちもそうだけど、勇者一行ですってわかるように旅してないもんな。もしかしたらどこかですれ違ってるのかも。


「自分の裁量で動けなくなるのは困りますしね。お告げがそう求めるならしょうがないですけど、基本的に俺たちはお告げにのみ従って動きますから」


 シマは手の中のカップを眺めながら言った。

 お告げが来ちゃっても、船に乗ってたらわがまま言って止めてもらうとかできないもんな。それなら普通に陸を旅した方が、いくらでも好きに動ける。エメリはちょっとだけ眉を上げた。


「それで、あんたの依頼だが、」

 船長は一枚の紙をシマの方へ滑らせた。シマが手を伸ばすと、取り上げる前にもう一度手を置いた。

「……儂の船に乗る人間は、全員儂が見ている。客として乗っているあんたたち以外に、儂の知らん人間はいない」

「わかってます。船員を疑うようじゃ船には乗れない。ただ今回、あまりにも反響が大きくなってしまっているので、こちらでも把握しておきたいだけです」


 シマがそう言うと、船長はそっと手を退かした。あの紙、何が書いてあるんだろう。シマはチラッと内容を見て、それから畳んで胸元にしまった。

「運がよければ一週間。悪けりゃ十日から二週間てとこだな」

「途中、補給に寄る港は?」

「いや、寄港はしない。食料と酒は足りるだけ積んでいる。ま、お客様の舌を満足できるかわからんが」


 ご飯は正直、味が薄かった。クダホルドの宿もご飯が美味しいところだったから、アレに比べちゃったら満足とはいかないかも。

 まぁでも満足できなかったら、コウが何とかしちゃうんじゃないかな。あの時の軍隊のキャンプみたいに。


「常駐の魔導士がいても、モンスターってそんなに遭遇するもんなの?」

 俺がそう言うと、エメリはニヤリとした。いや、怖いからこの話のここで笑わないでください。

「ああ、そういうのを読んで航行しないとならないから、ちょっとやそっとじゃ船乗りにはなれないんだ」

 モンスターを読む……? ってどういうことだろ。

「国の財産ですから、百戦錬磨のエメリ船長がちょうど戻ってきてくれていて助かりました」

 シマはそう言ってにっこり笑う。

 たぶん信用のおける船長をあの本の護送のために探さなきゃならなかったんだろうな。つまりこの老船長はすごい船長ってことなのか。

 エメリは小さく肩をすくめた。まんざらでもない顔。


「船のことは儂が責任持とう。だがそれ以外は知らん。それ以上のわがままは聞かんぞ」

「充分です」

 シマはベスメルを飲み干すと立ち上がった。エメリも立ち上がって、差し伸べたシマの手を握る。それから俺たちは船長室をあとにした。


「シマ、さっきのって」

 シマは俺を見てちょっとだけ笑うと、さりげなく口元に人差し指を立てた。あ、まだ聞いちゃダメってことか。

 俺たちはそのまま甲板に戻る。マストの近くで立ち働く人たちから少し離れて、舷縁に立った。レツとハヤも近づいてくる。

「ここだと悪巧みはできないね」

 レツがそう言って笑った。船室は筒抜けだし、キヨの部屋は狭すぎる。甲板には人が溢れていて、いつ誰が聞いてるとも限らない。

「悪いことなんていつもしてないじゃーん」

 ハヤは舷縁に寄りかかった。堂々としたもんだな……


「そんで、もらえたの?」

「ああ、ちゃんとリストにしてあった。たぶん思った以上にちゃんとしてるな」

 ハヤはふーんと言って海の方を見た。俺が二人の顔を見比べていると、シマが苦笑して俺に顔を寄せた。

「船員のリストだよ。もし何かあった時にな」


 あ、なるほど。もし万が一あの本を狙う人が居たとして、それって船に乗ってる人に限られるわけだから、そこを把握しておく必要があったのか。

「キヨが肌身離さず本を持ってれば、問題ないんじゃないの?」

 シマは笑って「まぁな」と言った。

 キヨなら頼まれなくてもずっと身につけていそうだけどな。ずっと読みたかったすごい本なら余計に。


「でも今回、護送を頼まれたけど、基本的に俺たちもモンスターの対処だけだと思うと気が楽だね」

 レツはそう言ってふにゃーって笑った。

 お告げじゃないから謎とか無いしね。クダホルドのお告げをクリアしたばっかりだから、いくらなんでもまだ次のお告げは来ないだろう。……たぶん。


「しかも魔導士が詰めてるんだから、モンスターだってそこまでぶつかるわけじゃないんだろ?」

 俺がハヤを見ると、ハヤは舷縁に頬杖ついたまま俺を見た。

「ま、今ここまでの移動で何もないことを考えると、きちんと利いてる感じだね。たぶん魔道士の結界は小物から中級の倦厭かな」

 ハヤは空中の何かに触れるように指先でつついた。ハヤが触れると、何かきらきらした線が見えた気がした。

「ただ、ちょっと……うーん」

 ハヤは言いながらちょっとだけ難しい顔をした。何か問題あるのかな。

「まぁ、今のところ問題ないし、大丈夫かな……」


 ハヤは首を傾げて呟いた。ハヤがそういうなら大丈夫なんだろうけど。

 あ、でも小物から中級って、そしたら大物が来たらどうなっちゃうんだ。大物には利かないってこと?


「大物クラスまで何とかできる結界を敷き続けたら、いくらなんでも保たないよ。この船に詰めてる魔道士って二人って話だから交替で結界をキープしてるんだろうけど、大物まで面倒見るなら倍の人数いないと」


 旅の時もハヤの結界は基本目くらましで、万が一モンスターに気付かれた時のために見張りを立てている。それはより強い倦厭や完全防御の結界を敷いていたら、小さな魔法道具で一晩中固定することができないからだ。

 もし強めの結界にするならハヤが何度も起きて敷き直さなきゃならないけど、白魔術師に無理をさせるとバトルの時に自分たちに跳ね返ってくるもんな。


 航行中じゃ、目くらまししてても避けるつもりのないモンスターにぶち当たったら困るし、だから自然と避けてくれる倦厭の結界なんだろう。

 っていうか大物来たら大変じゃん!


「そのための熟練の船長なんだ。船を意のままに操るために風を読むだけでなく、本当にすごい船長になるとモンスターの出現も読んで航行するんだ」

「えっ、そんなことってできるの?」

 レツが驚いてシマを見た。

 シマやコウだってモンスターが出現する直前に気配を察知したりするけど、海の中のどこかで、船がこのスピードで近づくのに回避するとか無理っぽいし。

「きっと生来そういう才能があるのかもね、感知の魔術に長けてたみたいな」

 なるほど、魔術師として勉強したりしてなくても、何らかの才能が備わってることはあるもんな。


 そしたらエメリ船長はそういうのに長けた船長で、百戦錬磨で、だから俺たちは安全にラトゥスプラジャに行けるってわけだ。めちゃめちゃ楽勝じゃん。


「そう言えばコウってどこに行ったんだ?」

 船に乗ってから何か一人でうろうろしてたけど、あれってキヨに何か言われて探ってたとかなのかな。

「まだ何もないのに何を探るんだよ」

 シマはそう言って笑う。いや、キヨなら何かあるかもだし。本人は船酔いしてるだけだけど。


「っていうか、シマだって『まだ』とか言っちゃうとこ、毒されてるよね」

 ハヤに言われてシマも苦笑した。

「コウちゃん、船上だと鍛錬する場がないから、何か筋トレに繋がる仕事をさせてもらうって言ってたよ」


 マジか。ストイックさもここまで来ると異常だな。でもそれがチート級の三人に並ぶ戦闘力を維持するために必要なんだもんな、俺もなんかやった方がいいのかな。

 でもそう言ったらシマに「邪魔になるからやめとけ」と諭された。

 む、俺だってちょっとは戦力になるし……でも俺も、手のひらがまわらなくて掴めない太さのロープを引っ張ったりとかはちょっと無理かなって思った。


 じゃあ本当に、今回は海の旅を優雅に楽しめばいいってことなんだ。

 モンスターは出るかもだけど、船員が冒険者じゃないことを考えれば、普段は戦わず回避で航行してるはず。だとしたらバトルもあんまり無いかもしれない。俺はリラックスして舷縁に凭れて海を眺めた。

 キラキラ光る波、気持ちのいい潮風。


「大変だ! 誰か来てくれ!」


 俺たちは唐突な叫び声に顔を上げた。えっ?


「魔導士が……魔導士が死んでる!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る