第5章 船の旅

第74話『勇者一行が善行に金取ってどうする。』

 コウとの練習から戻ると、ハヤがテラスで優雅にお茶していた。

 運河を渡る橋の上から手を振ると、気付いたハヤが振り返す。


「今日は診療所に行かないのか?」

 運河沿いの小径からテラスに入ると、ハヤはお茶のカップを俺の前に差し出した。少しだけ柑橘系の香りがする。俺は練習のあとってこともあって一気に飲み干してしまった。ハヤは笑っておかわりを注いだ。

「ん、ちょっとゆっくりしてたとこ」

 そっか。コウは「着替えてくる」と言って部屋へ戻っていった。

「みんなは? キヨは図書館?」

 俺がそう言うと、ハヤは苦笑して頷いた。聞くまでもなかったか。


 あの本を元あった図書館に返す前に、できるだけ閲覧できるようにしてもらったらしい。そりゃ、長らく盗まれていた重要な本を取り返した功労者なんだから、それくらいしてもらってもいいよな。

 だいたいタイトルもないあの本を、内容だけで判別できたキヨだから見つけられたようなもんなんだし。


「貴重な本だから写本を作るって計画もあるらしいよ。ただキヨリンは疑問みたいだったけど」

 え、なんでだろ。一冊しかなかったら、また盗まれた時に困っちゃうじゃん。そりゃ盗まれないのが一番いいけど、本がダメになるとかもあるし。

「でもエルフの手による一冊しかない魔術書だよ、なんか写本が作れない理由とかあるのかも」

 ハヤは面白そうに笑った。マジか。太古のコピーコントロールすげぇ。そしたらシマたちは?

「シマは今日も拠点の整備、レツはお手伝い」

「拠点の整備」

 何かそう言うとすごいな。


 ツィエクの事業はクダホルドが拠点になっていたけど、その事業を引き継いだエインスレイはウタラゼプの人だから、ここでの拠点をエインスレイの事業にしないとならない。

 シマはそんな仕事とかやったことないのに、エインスレイはその辺「任せる」と言ったらしい。


「シマってずっと獣使いだよね? こういう仕事とかってしたことあるの?」

 ハヤはちょっとだけ顎を引いて肩をすくめた。無いってことかな。そしたら、任せちゃって大丈夫なんだろうか。


「聞いたところによると、エインスレイは『そういうことなら、任せるからやってみろ』って返答だったっぽくて。事業自体はエインスレイが引き受けるけど、その整備はシマがやるってのが条件だったって感じかな」


 そしたら、ツィエクの密輸を止めるためにお金が足りないから、エインスレイに借金頼んだってのとは違うのか。

 ハヤは考えるように口を曲げた。

「カジノで用意したお金を使って事業を買い取ったとしても、僕たちが今後ここで事業を続けるわけにはいかないからね。誰か信用できる人を探して託さないとならないんじゃ、地元じゃない僕らには無理だし。ツィエク逮捕はいいけど、働いてる人たちを路頭に迷わすのは目的じゃないからエインスレイに頼むことになったんだけど」

 その条件が「シマに任せる」ってことなのか。


「え、でもそれってシマがここに残るとかじゃないよな?」

「そこは彼だってわかってるでしょ。だいたいウタラゼプに引き留めなかったのも、勇者一行だからなんだし」


 それはそうだけど、でももしかしたら実は家族のシマには留まってほしくて、今回ちょうどいいからそういう条件にしたとか、無いとは言えないじゃん。

 ハヤはちょっとだけ視線を落とした。……ハヤが知るエインスレイは、そういうことする感じじゃないのかな。


「あれだけ長く探してた家族だけど、でも彼は家族を縛り付けたり無理を言いたくて探してたんじゃないと思うよ」

 そう、なのかな……俺には、エインスレイのことはよくわかんないけど。

「それにじっくり話す時間が少なかったとは言え、シマのことがわかってないとは思えないし。きっとシマがやれると思ったから、そこを託したんでしょ、お兄ちゃんとして」


 ハヤが話しながら視線を上げたので振り返ったら、コウが着替えて戻ってきた。

 コウもお茶を頼んでいたらしく、テーブルにつくと同時にポットとカップが供された。俺の分のカップもある。コウは俺のカップにもお茶を注いだ。


「シマさんなら大丈夫でしょ。あれだけ周りに気が回る人だから、みんなが上手く動けるようにしてくれるよ」

 コウはそう言ってカップに口を付けた。

 そりゃその辺の信用は一番ある感じだけども。そう言えばシマ、あの山賊だってエインスレイを紹介してたんだよな。あの時の山賊に、ウタラゼプのお店に行った人とかいるのかな。


「あれ、そう言えばツィエクってウタラゼプ出身だよね?」

 確かもう独立してる家族はウタラゼプに住んでるってキヨが言ってた。

 そしたら……その家族はツィエクの事業を継げなくて、エインスレイを恨んだりするんじゃないのかな。俺が言うとハヤは「それね」と言った。


「キヨリンもそこ気になったらしくて調べてたみたい。ツィエクってここだと普通に金持ちだし、きっと独立した家族ってのもそれなりにお金があって、ウタラゼプでは上流で暮らしてるんだろうと。それだと独立したとは言え、キヨリンが家業ぶっ潰してお金の流入止めるのは致命的だから」


 うん、普通そう思うよな。お金持ちだからお金がある前提で成功してて、あくせく働かなくてもお金が入ってくるみたいな生活してるんだ。

 コウがお茶を飲みながら「優雅でいいねえ」と呟いた。


「でもどうやら独立した家族ってのが堅実なタイプで、親の金で遊んでるみたいのじゃなくて、きちんと働いて結婚して生活してって感じの子らしくて。普通に勤め人として働いてて、ツィエクの事業とは無縁だったって」

「無縁? 父親が交易事業で成功しててお金持ちなのに?」


 そんなことってあるのかな。普通、お金持ちならその事業は子どもが継いだりするんじゃないの?

 ハヤはわからないって風に肩をすくめて俺を見た。


「ま、そんな子だったからかな。交易の仕事を継げば、もれなく密輸や盗品売買もついてくる。事業に隠した裏家業を継げるタイプではなかったと」

 コウはちょっとだけ首を傾げた。

「もしかしたらツィエクは、意外と遅くなってから一山当てにクダホルドに出てきたとか。そんで実際成功してんだけどそれは裏家業もあったからで、すでに独立して家族も持ってる真面目な子どもを呼び寄せられなかったみたいな」

 ハヤはとぼけた顔で肩をすくめてカップに口を付けた。


「ツィエク自身お金持ちでいるのも、裏家業だって楽しんでやってたところはあるだろうけど、それでも子どもに継がせず明かさずにいたのは、そういう面は知られたくなかったのがあるのかもね」


 俺は堂々としていて愛想よく、豪快に笑い、俺にコレクションをいろいろ見せてくれたツィエクを思い出していた。

 なんだか俺を血縁の子みたいに扱ってくれて、実は意外と寂しかったのかもしれない。


「それにしても、シマさんのお仕事にとりあえず片が付かないと、ここを離れるわけにいかないよね」

「その辺はねー、エインスレイにその気はないのに、事業拡大させちゃった責任はあるし」

 ハヤはそう言って肩を落とす。事業拡大する気なかったのかな。娼館以外にも荷運び始めてたのに。ハヤは俺の額を指先でつついた。

「それは別の目的があったからじゃん」

 あ、そっか。名前を届けたかったんだった。


「それに彼自身あの娼館を大事にしていて、なんていうか、貧困から売られてきたりする子たちを、これ以上危険な目に遭わせないために雇ってるって感じだったんだよね。ヤバい客はお断りだし、ホントに気に入られたら身請けもすぐさせてあげるみたいな」

「そんな商売でよく儲けられてたな」


 コウはちょっとだけ驚いたような顔で言った。そうなの? ハヤは何となく嬉しそうに笑った。

「だから、だよ。店の子たちはみんなエインスレイが好きだし、守られてるからちゃんと店に尽くす。だから客も満足して、高くても他に行かない。あの店は安全だってわかってるしね。身請け目的じゃなくても払いのいい固定客がものすごく多くて。冗談抜きに、環境のいい娼館だった」


 そうなんだ、売ってるものは……あれだけど、そういうのってあるんだな。エインスレイ自身売られた身だから、そういう人たちを助けていたのかも知れない。

 俺はちょっとだけ俯いた。そういうの、何か汚いとか思ってひどい言い方しちゃった。そうならざるを得ない暮らしだってあるのに。


 俺は運がいい。母さんが貯金をはたいて俺を街に出させてくれたし、そこでレツに会って勇者一行に入れてもらえたし、仲間はみんな優しくて俺のことを訓練してくれたり勉強させてくれたり色々教えてくれたりする。

 俺一人じゃ絶対バトルでまともに稼げないけど、みんなが俺にもきちんと分け前をくれるから貯金もできてる。それで剣も買えたし、家にお金を送ることだってできた。

 俺は運がよかっただけなんだ。でも運がよくない人だって、世界中にたくさんいる。だからあんな風に言っちゃいけなかったんだ。


「店がいいから固定客に上流の方々もいて、そんで顔が売れてまた上手く仕事が回るみたいな。荷運びの例の件はあったけど、結局フォローまでしてるんでまた株が上がって儲かるっていうね」

「根っこに悪意がないと、上手く回るもんだな」

 コウはちょっとだけ呆れたように言った。ハヤは「やっぱ優しい世界でないと」とか言って笑う。


「俺は第一印象がアレなんだけどね」

 コウが言うと、ハヤは面白そうに笑った。そう言えば。

「あれね! たまにお客さんに合わせてやるらしいよ。ほら、強気に出ないといけない時ってあるみたいで。あの時は僕が振っちゃったからなんだけど」

 コウはわざとうんざりしたような顔をしてハヤを見やる。あー、やっぱあれハヤの所為だったんだ。っていうか、ハヤのためにやったのか。


「……あーそっか、それでこっちも手を出したのかも」

 何が? 俺が聞くとハヤはチラッと俺を見た。

「シマが振ったっていう山賊、たぶんちゃんとエインスレイのところに行ったのがいたんじゃないかな。それで、そういうのも庇護に入れる気になっちゃったんだと思う」

 そしたら、ちゃんと働きたいと思った山賊がエインスレイのところに来て、手が増えたから今回の事業拡大もちょうどよく乗れたってことなのか。

 もともとツィエクの下で働いていた人もいるだろうけど、荷運びなら人手が増えても困ることはないのかもしれない。


「ハヤはエインスレイと話したの?」

 ハヤはちらっと俺を見た。俺はお茶のカップを見ながら、ちょっとついでに聞いたみたいな振りをした。

「ううん、僕は通信のメッセージを受け取りに行っただけ。送ったのはシマだしね」


 そっか、通信自体は魔術師のやり取りだから、お互いの声が聞こえるわけじゃないんだった。ハヤなら自分で声を届けられるけど、受けるのはウタラゼプの通信魔術師だもんな。

 俺はちょっとだけ唇を尖らせた。ハヤは俺の意図に気付いているのか、少しだけ、何も言わずに笑みを浮かべていた。


「あれ、キヨくん」

 顔を上げるとキヨがテラスに出てくるところだった。どうしたんだろ。

「お早いお帰りで」

 まだ午後の早い時間だしね。キヨが図書館に詰めていたら、いつもなら閉館まで粘るもんな。

「いや、団長に魔法教えるって……忘れてて」

 それを聞いてハヤは吹き出した。それからお腹を抱えて笑う。

「いつの話だよそれー!」

 キヨは眉間に皺を寄せて視線をあっちの方へ向けた。その反応、結構前ってことか。コウも苦笑している。


「まぁ、キヨリンがどうしても僕とデートしたいって言うならしてあげてもいいけど、せっかくあの本と一緒に居られるんだから、そっち優先してくれていいよ」


 ハヤは笑いすぎて涙を拭きながらそう言った。

 あ、そっか、あの本はそのうち元の図書館に返されちゃうから、それでハヤは約束を反故にされてたけど何も言わなかったんだな。

「ああ、その件なんだけど……シマたちはまだ仕事の方?」

「なんかあった?」

 コウが言いながら、カップにお茶を注いでキヨの前に出した。キヨは「ありがとう」と言いながら座る。

「シマの仕事のこともあって、落ち着くまでここに居ないとならないから、まだ次の行き先とか考えてないだろ」


 俺たちは何となく顔を見合わせた。

 クダホルドにはなんだかんだで結構長く滞在してる感じだけど、シマの仕事が一段落つくまでって思ってるから、あんまり次の行き先とかも話し合ったりしてなかったな。

「まぁ、地味に懐は寂しくなってきてはいる」

 コウは胸の辺りをさすりながら言った。


 冒険者の俺たちはモンスターを倒さないと稼げないから、街に長居するとおサイフ具合も厳しくなってくる。一応みんな旅の間に稼いだお金を街で貯金するから手持ちのお金がすべてではないのだけど、それでも街で稼げるハヤとか以外は、旅に戻らないと懐が寂しくなる。

 だからそろそろ次の旅の行き先の話もすべきなんだけど、今回はシマのことがあるから何となく先送りになっていた。そろそろ街から外へモンスター退治の出稼ぎに出たい感じ。


「そうは言っても、この辺大したモンスターいないからな」

 ノチェカンザの山の中まで行けばそこそこ稼げそうだけど、街の近くは全然だった。たぶんクダホルドの護りが強いんだろう。

「コウちゃんそんな心配しなくていいよ、僕が払ってあげるから」

 コウは難しい顔で「それ、何の見返りに?」と言った。純然な好意だとは思ってないんだな。


「んー、一晩僕の抱き枕になるってのはどう?」

「遠慮申し上げます」


 コウは食い気味に言って深々と頭を下げた。ハヤは膨れて「安いもんじゃん!」と言っている。でもたぶん、出稼ぎに行く方がコウにとっては安いよな。

「そんでキヨくん、行き先に関する話って」

 言いながらコウは、手を挙げて店の人にカップをもう一つ頼んだ。


「実は、あの本を輸送する時に、同行して欲しいって頼まれたんだ」


 それって護衛的な意味で? でもキヨで護衛になるのか……って思ったけど、そう言えばこの人魔法使っていいんだったらチート級なんだった。対人だとハヤが止めるだろうけど。


「モノの価値知らんヤツらに任せると、危険も増えると思われてんのか」

 コウは言いながら店の人からカップを受け取った。

「まぁ、そんなとこ。今回数十年ぶりに見つかったことで話題にもなったし」


 確かにあの本が発見されたことは大々的に知れ渡っていた。

 こういうニュースがどれくらい他の街にも届くのかわからないけど、小さな集落と違って街だと荷運びの行き来も多いから結構あっという間に知れ渡ったりするのかも。だから話題だけが先行した分価値が高いと思われて、狙われる可能性も増えるのか。


「でもキヨリンは僕たちの旅の仲間でしょー? 単独出張も単身赴任も許してないけど」


 ハヤは唇を尖らせて言った。許されてなかったのか。もしかして、この前のハルさんのこととかあるから? キヨはチラッとハヤを見た。


「別に俺だけ行ってくるとは言ってねぇよ。一応、うちの仲間全員連れてく前提で、飯と足代は出してもらわないとって言ってある」

「安くない?」

 ソッコーで返したハヤをキヨは半眼で見た。

「冒険者ならな。勇者一行が善行に金取ってどうする。国家財産の護衛だぞ」


 ハヤはとぼけるような顔をして眉を上げた。

 でも確かに、何かお願いしたら「いくらで?」って返す勇者とか、ちょっと信用できないかも。それで飯と足代か。足代って馬とかのことかな。


「うわ……それって致命的じゃん、僕たちこれから誰かに依頼された対人作業のすべてが換金されないってこと……?」

 ハヤは大げさに天を仰いで「あーーー」と嘆いた。診療所では貧しい人からほとんどお金取ってないくせに。あ、でもお金持ちからはふんだくってるんだっけ。

「まぁ、すべてとまではいかないんじゃん? 今回は国の宝でもあるからしょうがないけど、余裕があればいくらか払ってくれるでしょ」

 コウは苦笑しながらそう言ってお茶を飲む。

 何でもかんでも無償でやると思われたら、それはそれで勇者じゃないもんな。キヨは小さく肩をすくめた。


「それに、それだと俺が輸送中も読めるからって言われて」

「なるほど、キヨリンがしつこく読んでたら、盗みようがないもんね」

 それに手を出したら命がないしな。まぁ、命知らずだけが手を出すんだろうけど。


 そうか、5レクス外まで冒険に出てるような勇者一行が護送するって触れ回れば、ちょっと盗賊程度のヤツらは手を出してこないっていう狙いもあるのかも。

「それで、あの本はどこまで行くの?」

 キヨはカップを置いた。


「ラトゥスプラジャ。ここから南へ、ぐるっと大陸を回った先の港町だよ」

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