第72話『俺がずっと読みたかった本』

 翌日の俺たちは、やっとテラスでの食事を満喫した。


 夜もロマンチックだろうけど、とにかくテラスでご飯が食べたかったからブランチのつもりで豪勢な遅い朝ご飯を注文したのだ。

 ふわっふわのパンケーキにシロップ、熟成されたベーコンと種類豊富なソーセージ、温野菜のサラダ、贅沢な果物、濃厚なスープにいつもの甘いパンもある。丸いテーブルにみんなついて、思い思いに豪勢なブランチを堪能した。


「美味しいって幸せ……」

 レツはいつもにも増して美味しそうにパンケーキを頬張った。甘い物レーダー付きのレツも満足のパンケーキは、何を入れたらこんなにってくらいふわふわだった。口に入れたら溶けて無くなっちゃうみたいだ。

 コウがちょっと考えながら食べてるから、もしかしたら今後の旅のパンがふわふわになるかもしれない。


「結局事件の真相って、どういうことだったの」

 たぶん何がどうなってるのかわかってないのは、俺とレツとコウだけって気がするけどね。向こう側半分はいろいろ準備してたんだし、きっとキヨから話は聞いてるんだろう。

「いや全部は聞いてねぇよ、指示はされてたけど」

 シマはベーコンにかぶりついた。えっ、聞いてないの!


「しかも最終日になって無理矢理みたいなとこあったからね、ホント、シマがおかしなレベルの獣使いでよかった」

 ハヤはとぼけるように言ってスープを飲む。

 シマレベルの獣使いじゃなかったらどうにもならなかったのか。っていうか、モンスターなんてどこで使われたんだ。もしかしてあの竜がモンスターだったとか!


「まさか。あれはモンスターじゃねぇよ」

 キヨはそう言ってタレンを飲んだ。

 朝から酒って何なんだと思ったけど、美味しい食事なら酒があってもおかしくないと言うので、みんな微妙に了承した。シマ曰く「ベーコンには確かに合う」らしい。


 黒髪に戻してしまったからいつものキヨだ。昨夜はハヤが戻すのを嫌がっていたけど。


「キヨリン、金髪だと美少年み増さない?! 一度ちょっと僕と間違い起こしてほしいんだけど」


 迫るハヤをキヨは全力で押し返しながら「俺のどこに美少年みがあるんだよ」と言った。梳かすとやたらサラサラになる髪、かな。

 俺がそう言うとレツはブフって吹き出した。だって年中酒ばっか飲んでるこの人に美少年さを求められても、イメージの方が逃げてくよ。


「キヨはパッと見イケメンだけど、必要以上に他人と関わらない基本姿勢が奏功してモテなかったからなー」

 シマはそう言って笑う。モテなかったのか。

「見た目と初対面の応対で惚れられても、結局あの態度だからな」

 そしてそういう噂は広がるのが早いと、シマは笑ってキヨを見やる。

 普通に接するにはむしろ礼儀正しい方だと思う。でもそれ以上の関係となると、必要があれば関わるけど必要無かったら一切興味を示さない。ルナルへの対応みたいなヤツか。そりゃモテないわ。

「モテるモテないとか言う頃にはハルさんが居たしね」

 レツも笑って言った。そしたらハルさんの余計な嫉妬心煽らないためにも、モテない方がよかったんだ。


 キヨは結局、何かハヤのお願いを聞くのに同意して黒髪に戻してもらっていた。金髪にするのもキヨの指示だったんだもんな。

 キヨにはそういう魔法使えないのかと思ったら、あれは人の体に作用する医療系の魔法を使ったものだから、かなり特殊で難しくハヤレベルでないと不可能だと言われた。逆に金髪から黒髪だったら、インクを被るとかでなんとかできたのかもだけど。


「モンスターじゃなかったら、何だったんだ?」

「だから、街の護りだろ」


 キヨはスルーするみたいにスープを口へ運ぶ。むー、何かまだ隠してる気がするんだけどー。

「キヨリンが気付いたところでとっとと進めてくれたら、最終日にあんなに忙しくならなかったかもしれないのに」

 高く付いたよと言って、ハヤはキヨが切ったベーコンを隣から取った。


「でもまさかツィエクも悪い人だったなんて」


 盗みのターゲットにされた被害者だと思ってたのに。

 俺たちだって、泥棒仲間の借金とその後の引き渡しを潰すために盗みはするけど、あとからちゃんとツィエクに返すんだと思っていた。

「それっていつから気付いてたんだ?」

 もぐもぐしながらそう言うと、コウの咎める視線と合った。俺は慌ててパンケーキを飲み込む。


「あの図書室に行った時」

「めっちゃ最初じゃん!」


 でもあの時、何もめぼしい物は見つけられなかったよな? 盗むターゲットだって知らなかったから、それっぽいものを探すだけだったし。

「適度に屋敷内を見て、盗みやすい環境ってのはわかってたんでしょ」

 ハヤは言いながら、キヨが小さく切ったベーコンを当たり前のように隣からフォークで奪う。キヨはチラッと見て視線だけで突っ込んだ。


「この街じゃしょうがないんだろうけど、屋敷が路地に面してるから忍び込むのは難しくない。外壁にとっかかりは無いけど窓の鍵だって普通のだ。その上で屋敷の規模に対して使用人が少ない。でもそれだけだったら、別に被害者側から外すつもりはなかった」

 素人泥棒でも盗みに入れそうなお屋敷。でもそういうお金持ちをフィーリョが狙ってただけじゃなかったのかな。

「図書室に、何があったの?」

 キヨはレツをチラッと見た。


「俺がずっと読みたかった本」


 キヨが読みたかった本? それがあのコレクションにあったのか。それがなんでツィエクを加害者側にする理由になるんだ?


「読めなかったんだ。それ、盗まれてたから」

「えっ!!」

 キヨはうーんと宙を仰いだ。


「ツェルダカルテにはいくつか有名な図書館がある。稀少なコレクションを有してるところもあって、そういうとこにはコピーの無い唯一の蔵書なんかも保管されてる。そんで昔、ある図書館からそういう貴重な蔵書が盗まれたんだ。かなり古い魔術書なんだけどエルフが書いたともされていて、その本を参考にした記述が別の本にあったりするんだけど、本物は失われているから確認のしようがない」


 ずっと読みたかったんだよねと、キヨは首を傾げて言った。

 あれだけ勉強家のキヨなら、旅の仕事のついでにそういう街の図書館で勉強しててもおかしくない。そういう街で気になった本ってことなのかな。


「その本が、あったの?」

 キヨはちょっとだけ眉を上げて肯定した。

 あのツィエクの貴重って言ってた魔術書って、そんなにすごい本だったのか。そう言えばキヨがすごい真剣に読んでる本があったっけ。

「見習いは若いから、盗難事件も知らないと思ったんだろうな。タイトルも無くて、内容からしか推し量れないからバレないと思ったんだろ」


 それでも自慢したかったんだ。貴重なコレクションを、盗品とバレないで賛美してほしかった。

 コレクション癖のある人には、誰にも見せずに満足する人と誰かに自慢したい人といるんだろう。あの社交的なツィエクじゃ、後者だったのかもしれない。でも盗品だからおいそれと自慢できない。だからわからないまま喜んで賛美する俺によくしてくれたのかな。


「いくら盗品の貴重な本があったっつっても、すぐ加害者側に置くか?」

 コウはそう言って温野菜に白っぽいソースをかけた。チーズの香りがする少し酸味のあるソース。

「盗品とは知らずに購入していた場合、とか?」

「価値を知らなくて金を払えるだけならありえるけど、コレクションするタイプだからそれは無いかな。まぁ最初は、とりあえず保留の位置ではあったけど。ただその上で素人に泥棒させてることを考えれば、何らかの意図がありそうだと思うだろ」

 キヨはコウから温野菜のソースを受け取った。


 成功させる気がないか、成功するようになってる泥棒。成功させる気がないのは、賭けの対象の場合だっけ。

「成功するようになってるってのは?」

「盗まれることが了承されている場合」

 俺とレツは目を見開いて同じ顔をした。


 そうか、ツィエク側が最初から盗まれるつもりでいるんだったら、いくら泥棒が素人でも問題なく盗ませてくれるのか。

 盗みに入って失敗して突き出される心配は無いってそういうことだったんだ。でも近所の人に見とがめられたら、盗みに入ろうとしているところを捕まる可能性はある。


「いやでもツィエクが盗ませるってなんで? お金払って集めたコレクションじゃないの?」

 レツは首を傾げながらベーコンを切った。

「そうだな、だから何で盗ませる必要があるのか調べてたんだ」


 そう言えばやたらツィエクの周辺調べたがってたっけ。メイドナンパしたり。俺がそう言うと、額の辺りに魔法のデコピンを感じた。いてぇ!

「でもキヨリン、結局ナンパしたメイドとデートはしたんじゃないのー?」

 えっ、いつ?! キヨは面倒くさそうにもたれ掛かるハヤを見る。

「コウちゃんに会う前、メイドと会ってたんでしょ」

 この浮気者! とハヤは面白そうに言って肩で押した。


 そうか、あの日はコウと泥棒仲間と会うためにオフ執事の格好だったけど、つまり同じ格好ならメイドの前に出ても問題なかったんだ。キヨはため息をついて「浮気はしてない」と言った。

「話を聞いただけだよ。俺が行った時にはもう盗まれたことになってたから。裏口で話しただけ」

 でもそれってシマがまたそのあとで確認してるんだよな。キヨが出掛けていったタイミングで既にわかっていたことだったのか。


「それでどこまで確認できたの」

「盗まれたことでやらなきゃならない手続きに忙殺されてる執事の状況」


 まぁ、高価なお宝が盗まれたんだったら、いろいろやることってあるのかもな。いろいろ……何をするんだ?


「衛兵に届け出るとか? 泥棒捕まえてもらわないとならないし」

「あとは保険の手続きとかだろ、あれだけのコレクションを持ってるんだからそういう保険をかけててもおかしくない」

 シマはそう言ってパンケーキを切った。

 ほけん? 俺が首を傾げてコウを見ると「事前に金を掛けておき、実害に遭った時に金銭で補償して貰うシステム」と言った。

 うーんと、つまり盗まれたりした時にお金で返ってくるように、先にお金を払ってるってこと? それって得なのか?


「こういうのは損得じゃないからな、忍び込むのに窓を壊されたら修理費が必要になるだろ? そのために備えておけば、少なくとも窓は直せる」

 シマはちょっと苦笑して説明した。

 そっか、盗まれた損害を完全には取り返せないだろうけど、ただ泣き寝入りはしないで済むのか。


「ただし、それは普通の場合な。保険対象が美術品とかになると、その価値は一概に言えなくなる。盗まれた『竜の爪』は、屋敷が買えるほどの金額で、そこに掛けられた保険は屋敷の半分が買える金額かもしれない」

「えっ!」

 そんなことあるの? そしたら、盗まれたら屋敷の半分が買えるお金が入るってこと?

「もちろんそうなれば掛け金もそれなりに上がる。でも掛け金をそこまで払う前に盗まれたら……」

 屋敷半分買える金額の掛け金を支払う前に盗まれたら、少ない掛け金で屋敷半分買える金額がもらえる!


「なるほど、保険金詐欺」

 コウはそう言って温野菜を頬張った。

 じゃあツィエクは保険金をもらうために、最初から『竜の爪』が盗まれることを了承してたってことなのか。盗まれさえすればいいから、素人でも大丈夫だったんだ。


「いくら保険金が目的でも、それだけの金額の保険をかけられる美術品を、泥棒にフリーで持っていかせるわけにいかない。そのための素人泥棒なんだ。盗みに入るハードルは低くできる。でも美術品を本当に持ち逃げされるのは困るから、それを返してくれる泥棒が必要になる」


 屋敷半分買える保険金がもらえても、屋敷が買える美術品が盗まれたのでは、圧倒的に損してる。

 そっか、素人には盗品を売るのは難しいって言ってたけど、それだけじゃなかったんだ。借金を肩代わりする取引で、彼らは単なる労力として盗みに入る。

 借金すら隠したい一般人だから、盗みに入ったなんてもちろん触れ回ったりしないし、売ることもできない盗品を持ち逃げすることもしないだろう。そして借金を何とかしたい人だから、ちゃんとフィーリョの元に盗品を持ってくる。


「じゃあ、なんで売ったフィーリョに引き渡してたの?」

 レツはみんなを見た。

 ツィエクはフィーリョから買って、盗まれて保険金を受け取る。あ、そっか。ツィエクはフィーリョから普通に買ってるんだから、保険金を受け取っても損してるんだ。


「フィーリョがもう一度ツィエクに渡すんだった、とか」

「それなら昨日、返してたんじゃ」

 コウは言いながら珈琲のカップを取る。

 そうだった、昨日フィーリョはツィエクを足蹴にする勢いだった。全然返す気なかったわ。

 俺が首を傾げると、レツも同じポーズをしていた。それから無言でキヨを見る。キヨはちょっとだけ笑った。


「順にわかったことを繋いでみればいい。美術品を買う。保険を掛ける。盗まれる。保険金を貰う。これがツィエク側」

 そしたら、フィーリョ側の動きは、

「美術品を売る。素人泥棒を仕立てる。盗む。美術品を手に入れる」

 レツは指を折って一つずつ挙げた。何かこれだと重なってるようで重なってないな。入り口は同じだけど、出口が違う。


「じゃあ何が重なってる?」

 俺とレツは顔を見合わせた。重なってるのは……

「美術品の売買……?」

「そこに金銭のやり取りが発生しなかったら?」

 !! ツィエクは保険金を手に入れ、フィーリョは美術品を手に入れてる!

 俺とレツは同時に、クラッとして背もたれにもたれかかった。あいつらめっちゃ悪人じゃん……

「マッチポンプか」

 コウが呟くと、「厳密には違うけどな」とキヨが応えた。


 じゃあ二人はそうやって稼いでいたのか。保険金と、美術品を売って……って、フィーリョはギャラリーをやってるんだから、美術品を売るのは普通なんじゃないか。なんでわざわざツィエクが保険金を得られるように、素人泥棒まで用意しないとならないんだ?


 それにキヨが見つけた盗品の蔵書。あれってどこにも絡んでこない。キヨに疑いの目を向けられるきっかけだったのに。

 キヨは珍しく朝からソーセージを食べながら、なんだか楽しそうに俺を見た。


「じゃあ昨日ツィエクもフィーリョも箱の中身を言えなかったのは、なんでだと思う?」


 えっ……それは……なんでだろ。盗まれたことは一昨日の時点でわかってたし、保険の手続きも始めようとしてた。つまり証書だってある美術品だったんだ。だったら、ツィエクだってどんなものか知ってたはず。

 それにフィーリョはそれを売った人で盗ませた人なんだから、もちろん中身はわかっていた。『竜の爪』。二人ともそれを描写すればよかったんだ。なのに何で言えなかったんだろう。


「降参!」


 ひとしきり首を捻って、これ以上曲がらないところまで曲げたところでびよんと戻ったレツが、元気よく手を挙げた。俺も一緒に手を挙げる。

 コウが「諦め早い」と言って笑った。でもコウだってわかってないじゃんかー。


「それは箱の中身が『明確にできない美術品のどれか』だったからだ」

「明確にできない美術品のどれか?」


 キヨは頷いてタレンを取った。

「盗まれるものは決まっていた。『竜の爪』。たぶん素人泥棒には知らされていないんだ。あまりにも高価な物だとわかってしまうと、持ち逃げの可能性を否定できないからな。だからあらかじめ決められたところに、決められたものが箱に入って置いてある。そのあらかじめ決められたところが『竜の爪』」

 え、それじゃ竜の爪って、

「盗む物の名前じゃないの!?」


 驚いてたのは俺とレツだけじゃない、これにはハヤたちも驚いた顔をしていた。キヨはとぼけるように肩をすくめた。


「盗む物だと思ってたんだ、最初は。でもこの街の人間なら誰でも知ってる伝説に出てくるだろ。そんなのを指定して地元の人間が盗んでこれるか?」


 いやそれは……そう、なのかも。俺もレツもあの話を読んで、竜の爪って盗んだらいけないものって思ったんだった。地元の人間だったら、よけいにそう感じてもおかしくない。

「そう思ってたら、お前らがツィエクの蔵書にあった同じ本を図書館で見たって言う。暗号が隠されてた同じ部屋で。お宝コレクションには向かない内容の私家版だ。それなら、それも暗号の可能性があるかと」

「そしたら『竜の爪』って、その本に隠された暗号だったの」


 ハヤは言いながらキヨに、キヨの皿からフォークで刺したベーコンを差し出した。キヨは珍しくパクッとベーコンを頬張る。


「海の竜の話の章番号と、竜の爪の記述が出てくるページ数で本棚と段数を出すだけだった」

 簡単すぎて捻りもないとキヨは付け加えた。

 そうか、盗まれるものが置いてあるところが決まってるなら、探さなくても盗まれたかどうかすぐ確認できるんだ。だからツィエクはあの後すぐ盗まれたと宣言できた。


 そしたらあの日図書室で最初にキヨがやったのって、盗むものを見つけることだったのか。

 真っ先に奥の本棚に向かったキヨ。あの後、異臭騒ぎのセッティングしてたけど、その前に盗みを完了してたんだな。


「いや、俺は盗んでない。俺がやったのは中身のすり替え」

 盗むのは素人泥棒がやらないとなと言って、キヨはタレンを飲んだ。

「つまり、用意された保険の証書にない美術品を、箱に入れたと」

 シマの言葉にキヨは正解と言う風に指さした。

「狙いが保険金ならその手続きする証書はすぐ出せるように用意されてる。だったら、違うものが盗まれてしまえば、もし手元に正しい証書を持ってても手こずるだろ」


 それで保険の手続きができなかったのか。キヨの狙い通り、ツィエクは盗まれたのが用意された書類のものだと思っていた。でも実際は違う。

 盗まれたと宣言しても、それがそのまま信じられるはずはない。きっとその保険の人が、盗まれた現場に立ち会ったりするのかも。でも中身をすり替えられているから、証書にある美術品は盗まれてなかった。そしたら保険金は手に入らない。

 でも誰も中身を知らないから、正しい証書を用意できない。


 でもキヨが盗んでないんだったら、一体誰が盗んだんだ?

 素人泥棒が盗まなきゃって言っても、ツィエクが荷物を確認したあの時彼は何も持ってなかった。


「何言ってんだ、ツィエクの屋敷から『竜の爪』を盗み出したのは、お前だよ」

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