第56話『……僕がそんな能なしだと思う?』

 翌日、俺はやることがなかった。

 朝練も、コウと一緒にいるわけにいかなかったから何もできてない。

 もともと広い場所のあまりない街だし、運河沿いに見つけた小さなスペースで効果的な練習をするには、先生のコウがいないとただの素振りを繰り返すだけになる。そりゃ素振りも大事だけど。


 朝ご飯は何か甘いソースがかかったパンだった。それからやたら苦い珈琲。

 この街の人は朝からあんまり食べないんだな。俺は育ち盛りだからもっと食べたいんだけど。


「昨日って結局、何時頃帰ってきたの?」

 俺は昨日、キヨとハヤが帰ってくる前に寝てしまった。そうは言っても、カジノだからそんなに遅くまで帰ってこなかったわけじゃないだろうけど。

「んー、どうだろ。真夜中までには帰ってきてたかな」

 ハヤは珈琲を飲む。真夜中! 遅いじゃん!

「お子様はそういうとこお子様だよねぇ」

 ハヤは面白そうに俺の頭を撫でた。子ども扱いヤメロ!


「そんな遅くまで出歩いて、情報は掴めたのかよ」

 ハヤは途端に深いため息をついた。

「……僕がそんな能なしだと思う?」

 う、いやそれはない、と思うけども。昨日はキヨも一緒だったんだし、タダで帰ってくるとは思えない。俺はテーブル越しに顔を近づけた。

「いっぱい稼いだの?」

 俺が小声でそう聞くと、ハヤは頬杖をついたままにっこりと笑った。これは……稼いでるな。


「実を言うと、手持ち資金を増やした後は、魔法使わないでちゃんと稼いだんだ。それから元手分を負ける。一応これだと借金してカジノで勝って借金を返した形だから、そこまで悪いことしてないでしょ」


 あ、そしたらハヤのお金は増えたけど、まるっきり盗んできたような勝ち方じゃなかったのか。

「もちろん、それとは別に今回用の資金は稼いだけどね。そっちはちゃんと返します」

 なるほど。盗みをさせられるほどの借金をなんとかするには、普通にカジノで勝った程度じゃ追いつかないのかも。俺たちが話してるところにキヨがやっと起きて来た。明らかにまだ寝足りない顔。


「おはよ、今日はどうすんの?」

 キヨは何だか口の中でもごもご言った。もしかして「おはよう」だったのかな。

 それから熱々の苦い珈琲と甘いパンを出されて、ぼんやり眺めた。目の前の物が食べ物だって認識するまでに時間がかかってるみたい。


「そう言えばコウちゃんは」

「出掛けたよ。朝練も一緒にできなかったんだけど。何か、ちょっと街を見ておくとか言って」


 早めに街を巡ってから、あの二人に会うのかな。

 コウは昨日俺を助けた時みたいに、髪と顔半分を隠す布と見慣れないマントを用意して出て行った。その扮装はキヨに言われたらしい。見た人の意識がそこに行くから、脱いだ時にバレにくくなるヤツだ。

 コウの場合髪色がプラチナだから、黒い布で覆ってるだけで全然違う人みたいだもんな。ハヤはなんだか面白そうに「ふーん」と言った。


 シマとレツも、実は出掛けてしまっている。シマがフィーリョギャラリーの竜のガラス像の話をしたらレツが見たがったからだ。

 レツが「ソッコーで行ってきて、戻ったらちゃんと勉強の続きするから!」と俺に約束してくれちゃったので、俺は何だかついてくって言いそびれてしまった。俺もちょっと見たかったんだけど。そんなこんなで、ソッコーで出掛けて行った。


「ソッコーはいいけど、この時間からギャラリーは開いてないと思うけどね」

 ハヤはそう言って笑った。そうなの!?

「たぶん。レツが急かして、シマが時間まで見てなかったってことかな」

 開店時間を知ってたら、そう言ってゆっくりできたと。なーんだ、そしたら俺も一緒に行けたのに。


 っていうか、ホントに俺一人だけ何もすることがないんだな。

 ……いやいつもだって俺には、お告げクリアのためにできるこれと言った役割があるわけじゃないけど。まだ文字もちゃんと書けないし。


 ハヤは珈琲を飲みながら、ちょっとだけ伺うように首を傾げた。

「どうかした? 何考えちゃってんの」

 いや、別に。本があれば、俺もみんなの足を引っ張らないで勉強してるんだけどな……

「……レツを待たなくても、一人で図書館に行ってこようかな」

「それはやめとけ」

 珈琲に口を付けながら、キヨがそう言った。あ、起きたのかな。って言うかなんでだよ。

「昨日の二人が青の暗号を取りに行くかもしれないだろ。そこで鉢合わせしたいのか」

 あ、そっか。昨日のうちに暗号を解いて、取りに行ってるとは限らないのか。そしたら勉強もできないじゃん……なんだかものすごく、役立たずになった気分。


「そしたら、お子様も諜報活動しようか」

「えっ、俺が?」


 ハヤはにっこり笑って頷いた。

 いやでも俺は下男役でついてくだけだろ。情報収集してるわけじゃないし。そしたらまたハヤがお金持ち役で潜入するのかな。

「んー、まぁ調査するのはキヨリンかな」

「俺は下男を連れた金持ちになるつもりはねーよ」

 キヨは言いながら、結局手をつけてない甘いパンの皿を俺の方に押した。やった! 俺は遠慮しないでパンを取った。

 金持ち役ならクルスダールではやってたけどね。


「潜入なら一人のがやりやすいし」

「金持ちの家に? どうやって狙いの部屋まで行くつもりなの。これ利用した方が良さそうじゃない?」

 これって俺のことだよな。俺はパンにかぶりつきながら会話の行方を見守った。何がどうなってるんだか、ここの二人の会話は全部聞いてもわからない。


 キヨは少しだけ面倒くさそうな顔をして頭をかいた。

「繋ぎは、取れてるんだっけ?」

「口約束だけね。でも僕が行っちゃうと、その辺の造詣が深くないのバレちゃうし、かと言ってキヨリンが僕の連れとして乗り込むとかおかしな感じだしー……」

 ハヤはそう言って首を傾げてキヨを見た。キヨはちょっとだけ考えるように視線を上げて、それからため息をついた。


「……じゃあ、支度しないと」

「任せて!」


 ハヤはなぜかすごく楽しそうな顔をして、キヨは何だか嫌そうに見た。

 何をするつもりなのかわからないけど、思いっきり楽しそうなハヤに不安がよぎる気持ちは、わかる気がする。





 俺とキヨは路地を歩いていた。

 俺はチラリとキヨを見た。なんとなく落ち着かなくて、キヨを伺ってしまう。

「見るな」

 キヨは無表情のままそう言った。だって……


「そんなに召使いの顔色伺う主なんているわけないだろ」


 う……そうかもしれないけど。

 キヨの格好は白いシャツに黒いジレ、黒のズボン。黒いクロスタイまでつけてて、髪をオールバックにしている。どこから見ても、厳格そうな召使いだ。


 逆に俺は、白いシャツブラウスにサスペンダー付きの半ズボン。きちんとした紺の長靴下に革靴で、髪もきちんと梳かしている。鏡に映った自分を見た時は、ちょっとびっくりした。そりゃ服装だけなんだけど、どう見ても、


「お坊ちゃまの完成でーす」


 ハヤは楽しそうに言った。それから「ちょっとだけね」と言って、俺の髪の色を明るい赤毛に変えた。え、そんな魔法あるの?!

 そのあとで、着替えてきたキヨのぼさぼさの髪をオールバックにしたのだ。

「絶対この方が召使いっぽいしね、あとこれ」

 ハヤはそう言って丸い眼鏡を渡した。それってシマのかな。キヨは怪訝そうな顔で眼鏡をかけた。

 シマがかけると精悍さを柔らかくする印象だった丸眼鏡が、キヨがかけると切れ長の目を逆に強調して厳格さが増した。怖い。でもハヤは満足そうに頷いて俺たちを送り出した。


 まさか、潜入するのに俺がメインのお坊ちゃまになるなんて。それって何かあったら俺に話振られちゃったりしないんだろうか。

「お前のポジションはやんちゃボンボンだから、努めて大人しくしてる必要はねーよ」

 やんちゃボンボン。まったく知らないキャラですね。俺に務まるのかな。

 するとキヨはちょっとだけ笑った。


「その年で家を飛び出して来といて、どこが知らないキャラだよ」


 いや……それはやんちゃかもしれないけど、ボンボンの行動パターンとは違うような……でもキヨはそれ以上何も言わなかった。


 俺たちは歩いて目的の家まで行った。お金持ちなのにてくてく歩いていくなんてって思ったけど、ホントの金持ちなら運河を小舟で行くんだよな。

 そうは言っても別に荷物らしい荷物は無いし、一応鞄はキヨが大事に持っている。俺の荷物っていうていで。


 目的の家は、俺とレツが迷い込んだ辺りにあった。高層の建物の二階分をぶち抜いた大きな門をくぐったと思ったら中庭みたいなスペースで、その奥に壮麗な玄関があった。


 ……これは金持ちだ。俺はいつものように周りを見回していて、キヨの冷たい視線とぶつかった。

 あ、俺も金持ちなんだから、こんな風に圧倒されてちゃダメってことだな。俺はちょっと顔をしかめてキヨに応えた。


 キヨは玄関につくと厳かにノッカーを鳴らした。俺は隣で立っていたけど、なんだか手持ちぶさただった。いつもながら何をすればいいのか聞いてない。

 玄関の扉は二メートル以上の高さがあって、どんなモンスターならそのサイズの扉が必要なんだろとか考えていた。


「はい」

 扉が開いて、メイドの女性が顔を出した。キヨは軽く会釈する。

「失礼します、昨日さくじつ当方の主人とツィエク様との会談にて、こちらのコレクションを坊ちゃまが閲覧できるよう取り計らいいただけるとのことでしたので、本日参上いたしました」

「少々お待ちください」

 メイドはちらりと俺を見てからそう言って扉を閉めた。

 っつか、坊ちゃまって俺の事だよな……慣れない。キヨは小さく「メイドが取り次ぐか……」と呟いた。


「キヨ、昨日キヨはここの人と会ってないの?」

 一緒にカジノに行ってたんじゃ、キヨだって面が割れてたりしないんだろうか。キヨはまったくこっちを見ないで真っ直ぐ立っていた。

「……一緒にいたら、勝ちすぎた時に怪しまれるだろ」

 なるほど、そう言えばそういう目的もあったんだった。それに派手に金持ちネットワークに入り込むのがハヤなら、キヨは人に紛れて聞き耳立てて情報だけ集めてきてそうだよな。

 しばらくすると扉が開いた。


「どうぞお入りください」

 メイドはそう言って、俺たちを中へ通すように扉を開いた。キヨは会釈して俺を促す。俺は何も考えないで中へ入って、メイドがでっかい扉を閉めている間玄関ホールを見上げていた。

 ぼんやりしていたらキヨがさっとコートを脱がしにかかったので、ホールを見上げたまま渡す。


 玄関ホールは入るとすぐにカーブして二階に続く階段があった。

 吹き抜けの広い壁にはバカでかい絵画が掛けられている。馬に乗った肖像画だけど、あんまりイケメンとは言えないおじさんだった。他にもサイズの違う色んな絵が掛けられていたけど、たぶん先祖や家族とかの肖像画なのかも。

 あんまりパッとしない見た目だと、絵になっても様にはならないんだな。ハヤとかだったら映えそうなのに。


「坊ちゃま失礼ですよ、そのように見ては」

 キヨが背後からちょっと顔を寄せて小声で言った。

 ヤバ、あんまり感銘受けてない感出ちゃってたかな。メイドは少し笑って俺たちを通り過ぎて、ついてくるように促した。俺が金持ちで、あの程度の玄関ホールじゃビビらないって勘違いしてもらえたならいいんだけど。


 メイドは部屋の前で俺たちを待たせて扉をノックした。

「お連れしました」

「入れ」

 メイドは扉を開けて俺たちを中へ促した。キヨは目礼して俺を促すから、何となく軽い気持ちで部屋に入った。あ、俺、何すればいいのか聞いてないんだった。


「ああ、よく来たね。こんな格好ですまない。そんなに熱心だとは思わなくて、昨日の今日だから」


 そこにいたのは部屋着にガウンを羽織ったあまり体の大きくない、しかもそんな格好なのに金持ち感が溢れ出ている男性だった。

 あれだ、ガウンの模様に金糸が使われてるからだ。でも結構な年だな。俺の親よりもずっと年上っぽい。


 部屋は俺が見たこともないような豪華な調度品が並び、壁紙もカーテンも別世界の代物だった。

 なんか、お城の談話室だってここまできらびやかじゃなかったぞ……でも俺はそんなのには興味ない顔をして肩をすくめて見せた。昨日の今日ってのは、昨日カジノで遅かったのに、今日昼には現れたって意味かな。


「叔父さんもまだそんな格好だったよ。夜、遊びすぎて朝が遅いんだ」

「坊ちゃま」


 キヨが背後から静かに諫める声を出す。

 一応俺はハヤの甥って事になっている。ハヤが昨夜、このツィエク様に会った時に個人蔵としては大層なコレクションを持っていることを自慢されて、それなら自分よりもっと見たがるのが居ると話したらしい。

 狙いのツィエクがカジノに居たのは偶然だろうけど、しっかりコネを作ってくるあたりプロのお仕事ハンパない。


「旅先ではすぐカジノに出掛けるんだよ。そんな事をしなくても金はあるんだから、もっと文化的なことに使えばいいのに。それで、こちらのコレクションは一見の価値があるって」


 たぶんその時にはキヨを想定してたかもしれないけど、同じ年頃すぎてハヤの家族としては不自然ってことになった。金持ちの友達にすることはできるけど、そうなると架空の金持ちを二つ成立させないとならなくてリスクが上がるらしい。

 加えてハヤの召使いにして二人で来ると、コレクションに造詣が深いと思われているハヤがツィエクとの会話担当になって化けの皮がはがれてしまう。その点、俺ならまだ子どもだから、興味と好奇心だけで押せるってわけだ。

 子どもだからってのが引っかかるけど。


 ツィエクは豪快に笑った。

「ハヤもそうだが君も結構剛胆だな。いや、似たものということか。でもそのカジノで私と知り合い、君もコレクションを堪能できるのだから、社交界というのもバカにできんのだよ」

 君にはまだ早いかなと言って、ツィエクは華奢なカップからお茶を飲んだ。俺は肩をすくめて応えた。

 そりゃ俺のこのキャラはハヤの真似だから、似るのは当然だけどね。

「図書室は二階にある。好きに見るといい」


 キヨは丁寧に一礼し、俺はメイドに促されて部屋を出た。

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