第50話『で、お前は何しに来たんだ?』
図書館は庁舎から大通りを進んだ先にあった。
図書館っていうより、何かすごい劇場みたいだった。入口だって円柱が何本も並んでいたし、ファサードの向こうに見える屋根がドーム型だったからだ。俺たちは建物を見上げた。
ここ、前にも通ったけど、まさかアレが図書館だとは思わなかった。
っていうか図書館とか初めて来たけど、どこもこういう感じなのかな。ヴェルレーメン城の図書室はチャペルを改造したのだったけど外から見たわけじゃないし。
「いやー、そんな事ねーよ。サフラエルのは普通の建物だし」
じゃあやっぱ、クダホルドが栄えた街だからってことなのかな。それとも他に理由があるのか。
「とりあえず入ってみようぜ」
ものすごく場違いな気がしてちょっと足がすくんでいたけど、シマがそう言うので俺たちはシマにくっついて図書館に入った。
広い入口を入ると重厚なカウンターがしつらえてあって、でも入る人を止めるわけでもなかった。ただその奥には警備員っぽい制服の人が廊下の両側に立っていて、鋭い眼光で入る俺たちを見送っていた。
たぶん本を盗むやつから守ってるんだろう。カウンターを過ぎてしばらく廊下を進むと、途端に広いホールに出た。
そこは数階分をぶち抜いた高い天井の円形ホールだった。
三階分に分かれた回廊の壁一面が本棚で、ホール内にもずらりと本棚が並ぶ圧倒される空間。各回廊の本棚も梯子が取り付けられていて、人の倍以上の高さがあった。
乳白色のドームの天井は薄い石でできているのか、日の光を柔らかく通している。濃い茶色の本棚は柔らかい光を艶やかに反射していた。
天井の明かり取りのお陰でホール内は暗く感じないけど、一階の閲覧机の辺りは小さなランタンが灯っていて薄暗く感じる。
革張りの書物は落ち着いた色合いの背表紙が多く、見渡す限りぎっちり詰まっていた。
「う……わ……」
俺が思わず声を上げそうになったら、シマがソッコーで俺の口を塞いだ。
びっくりして見ると、その向こうに図書館員っぽい人が口の前に人差し指を立てて厳しい目でこっちを見ていた。
そう言えば館内はしんと静まりかえっている。聞こえるのは抑えた足音と、時折小さく咳き込む声くらいだ。お城の図書室の時は忍び込んだと同時にお昼だったから、人が居るのにこの感じは初めてだった。
俺はシマの上着を引っ張った。シマは俺の口元に耳を寄せる。
「コレだけ広いと、キヨ探せないね」
こんなにデカい図書館だと思わなかったし、それに本棚は入り組んでいる。
ホールの真ん中には本を読む用の閲覧机が並んでいたけど、パッと見キヨがいる感じはなかった。
俺たちだって街にいる時は革の胸当てを着けた冒険者の格好はしてないけど、キヨの服はいつだって真っ黒だからすぐわかるのに。それでも俺たちは足音を気にしながらホールを進んだ。
本棚の間には何冊も本を抜き出している人や、立ったまま本を読んでいる人もいた。本棚には本が詰まっていて、通りすがりには何の本があるのかわからなかった。
俺は何だか気持ちがしぼんでいくのを感じた。……こんなにたくさんの本があったら、何から始めればいいのかわからない。読みたい本だって探せないや。
俺が俯きながら歩いていると、肩を軽くつつかれたので顔を上げた。シマが指さす先にキヨがいた。
間近に小さなランタンを置いて、閲覧用の机に本を何冊も積み上げている。両脇に積み上げた本には細長いしおりがいくつも挟まっていて、何冊もの本を開いて比較しては熱心に書き写していた。
「すご……」
レツが小さく呟いた。うん、すごい。なんというか、これぞ勉強って感じの画だ。
なんとなく、キヨの勉強を邪魔するのは気が引けた。あんな風に真剣にやってるところを、読み書きも満足にできない俺が邪魔していいんだろうか。
俺はキヨに近づこうとしたシマを、上着を引っ張って止めた。シマは不思議そうな顔で俺を振り返る。
でも俺は上手く言えなくてただシマの上着を掴んでいた。シマはちょっとだけ笑うと、俺の頭に手を載せた。それから俺の手を外して、普通にキヨのところへ近づいて行く。
レツは少し俺を見て、それからそっと促した。それでも俺は机の近くまでは行けなかった。
シマはキヨの向こう隣に椅子を近づけて座ると、机に肘をついて頭を支えそっと手を伸ばして指先でキヨの髪に触れた。
そこで初めてキヨはシマに気付いて顔を上げた。何だか驚いた顔をしている。
「どうかしたか?」
「今何やってんの?」
二人は囁きじゃないけどまったく響かない小声を使っていた。キヨは少し眉を上げると、ペンを置いて手のひらのインク汚れを擦った。
「魔力錬成の分離と拡散。魔法陣の攻撃用改良のための術式省略」
……全然意味わかんねぇ。
「また高度な……それ、本にしたら売れるんじゃね?」
キヨは小さく肩をすくめて手元の紙を指先で叩いた。
「まだ構築できてないし、形ができても実践できないとだから。でもこないだの件で魔法陣の形成が結構掴めたから、ちょっとやれそうな感じはあるんだけど」
こないだの件って星読みの里のことかな。あの魔力の奔流の中で、キヨは呪文も使わずに魔法陣を出現させていた。あの経験が活きてるってことなのか。
シマはそれを聞いて応えるように眉を上げた。
「で、お前は何しに来たんだ?」
「見習いが勉強する気になったんだ。何から始めたらいい?」
シマはそう言ってキヨを越えて俺を指さした。キヨは振り返って、やっぱり初めて俺たちに気付いたようだった。
……めっちゃ集中してたってことか。キヨはしばらく俺を見ていた。それからちょっとだけ視線を落とす。
「文字を読むのがギリギリだったな、何を学ぶにしても読めないのは致命的だ。プライドが邪魔するだろうが絵本から始めるのがいいだろ。本文を読んで、書けるようにしろ。語彙はあるから上達は早いはずだ」
俺はそれを聞いて、一瞬戸惑ったけど頷いた。シマは弾かれたように立ち上がると、俺を促して歩き出す。俺はレツと一緒にシマについて行った。
『プライドが邪魔するだろうが』
キヨは、俺がこの年で絵本を読むのに、いや、この年で初めて勉強を始めるのに、プライドが邪魔するってわかってた。
俺だって村じゃ一人前に働いてたし、冒険に出てからは剣士としてレベルもゴールドも稼いでる。この年でこれだけのレベルを稼いでるヤツなんてそんなにいないはずだ。
でも俺は、自分で本を読んだことはない。紙に書いてある文字と俺が話す言葉は繋がっていないんだ。
そこを埋めるのに必要な勉強だけど、なまじ話せるだけに、片方があまりにも……レベルが低いテキストだから、プライドが邪魔をする。
それをキヨはわかってて、先に言ってくれた。きっと今までの旅の中で俺が読めなかったりした瞬間に、俺がどの程度なのかわかってたんだ。
ああそうだ、俺家族に稼いだお金を送ってたけど、手紙を書くように言われた時に拒否ったんだった。恥ずかしいからって言ったのは両方の意味だったの、きっとわかってたんだな。
でも突っ込まなかったし笑わなかった。何も言わなかったけど、ちゃんと見てくれてたんだ。
シマは途中で思い付いたように唐突に立ち止まると、俺たちを待たせ図書館員らしき人に何か話しかけに行った。しばらく話してからカウンターで何かを受け取り、指先で俺たちを呼んでホールとは別の方向へと促した。
「すげーなここ、無い前提で聞いたけど絵本も一応置いてるらしいぞ」
無い前提。そりゃそうだよな、絵本まで図書館に置いておく必要はない。しかも扱うのは子どもなんだから、あっという間に本をダメにしちゃいそうだ。
俺たちはシマについて廊下を進んだ。緩やかにカーブしている廊下の片側は庭に面していて、どうやら円形のホールをぐるっと巡っているようだった。石畳がつるつるしていて人が歩いた跡が感じられた。
シマは廊下沿いの部屋の番号を確かめてから扉を開ける。
部屋には誰もいなかった。思ったより小さな部屋で壁一面の本棚と低い本棚が二つ。閲覧用の机も二つきりだ。それで部屋はいっぱいになってる。
窓はないから本棚の間と閲覧用の机に置いてあるランタンの灯りだけで薄暗い。魔法道具のランタンの中には、夜光虫みたいな小さな丸い灯りがフワフワ浮いている。
「テキトーに何か選ぶか。絵が好みのヤツ」
シマは笑ってそう言うと俺を低い本棚に促した。これ、絵本の棚だったんだ。
俺は一冊を抜き出した。山の風景と動物が描いてある。山か……もっと違うところの話が良いな。
俺は本を戻して背表紙を指で辿ると、背表紙に小さな赤い丸が書いてある本に気がついた。俺はその本を抜き出した。
「あんまり使われてる感じはないね」
小さく言ったレツの言葉に俺は顔を上げた。レツは机に息を吹きかけて、舞った埃を扇いでいる。シマは本棚の背表紙を見ていた。
「図書館員もそう言ってた。ホールにあるような本を書いた作家が子ども向けに書いた本とかもあるらしくて、その辺を分けるために一部屋作ったのがきっかけだけど、長らく利用する子どもはいないんだと」
「こんなにたくさんあるのに?」
シマはちょっとだけ眉を上げた。
「静かに閲覧できる子どもばっかりじゃないから、注意しまくってたら寄りつかなくなったそうだ。それからは知名度が無いらしくて」
なるほど、それならありそう。俺だって同じ年頃の友達や兄弟と一緒に来たら、騒いじゃうかもしれない。
俺は手に取った本に目を落とした。海の風景と竜の絵が描いてある。
「あ、それモンレアルの冒険だね」
肩越しに覗き込んでレツはそう言った。有名なのかな。海の冒険か。うん、これにする。俺は絵本を持って机についた。
シマは鞄から小さな紙と携帯用のペンとインクを出した。すごい、そんなの持ち歩いてたんだ。
「ほとんど使わないけど、たまーにな。珍しいモンスターが居た時用に」
あ、時々シマが立ったまま腿を台にして何か書いてる風だったのって、それか!
俺は紙を用意してから本を広げて、それから恐る恐るインクを付けたペンを受け取った。まず本の文字を、一文字ずつ指で辿る。
「お、き、を、め……ざ…………」
「し、て」
俺の読みが止まったところで、レツが指差しながら続きを読んでくれた。おきをめざして。
「……沖を目指して」
「そうそう」
沖を目指して! そっか、これ船を出すところなんだ。
それからシマのペンを握ると、読んだところまで同じように紙に写す。おきをめざして。俺は書いた文字を眺めた。なんだかちょっと曲がってるけど、だいたい同じ。
「上手い上手い。その調子」
レツはそう言って、続きの文字を指さした。一緒に読みながら少しずつ進む。
俺はチラッとレツを見た。このレベルだったら、別にキヨじゃなくてもレツにだって教えることはできるんだもんな。それにキヨだとこんなに面倒見良く教えてくれなさそう。
二人で進めていたらシマが「ちょっと出てくるわ、すぐ戻る」と言って部屋を出て行った。俺たちは首を傾げて顔を見合わせたけど、すぐ戻るって言ってたからそのまま勉強に戻った。
読んでは書き、また読む。
俺が読み間違えると、レツは何も言わずに文字を辿る指を動かさないでいたから、俺は何度も読み直した。書いた文字は紙を本に載せて比較して、正しく書けているかチェックする。
文章は難しくないから一度読んでしまえばお話は簡単なものだとわかるけど、簡単なのに、文字を見てもすんなり頭に入らない。
「始めたばっかりなんだから、そんなに焦らなくて大丈夫だよ。慣れたら話すのと同じように読めるようになるって」
レツは根気よく俺に付き合ってくれた。
「りゅう、は、ふねを、ひと……のみ、に、しよ、う、と、おおき、な、くち、を、あけて、」
物語の山場なのか、そこでページをめくることになっていたから、俺は書く前にページをめくってしまった。
「あれ、何か落ちたよ」
レツがそう言って机の下へ潜る。うん、俺もなんか挟まってたなって思った。
レツはそれから何かを拾ってぽいっと机に載せた。二つ折りになった紙切れだった。レツは俺を見てから紙を開く。
そこには文字と数字が等間隔に書かれていた。
「何て書いてあるんだ?」
俺の言葉に、レツは眉間に皺を寄せた。
「全然読めない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます