第4章 運河の街

第49話『たまには、そういうとこ覗くのも悪くねーな』

 キラキラと水面が光を反射する。海は青く澄んでいて、俺たちが立つ広場の際にひたひたと波が打ち寄せていた。


 運河の街クダホルドは、大きな湾に面した街だ。街中に運河が走っているから、海と完全に分離してる感じはない。面したっていうよりも、むしろ海の中に街が建ってるみたいだ。

 庁舎や広場の近くにはそこそこの大通りはあるけど街の中はほとんどが路地で、どっちかっていうと運河の方が広い道路みたいに使われている。街中では馬車が使えない分、手漕ぎの小舟が多い。


 二度目の滞在には、もう少し街中の宿に泊まることになった。

 ハヤがどうしても、運河沿いのテラスでご飯の食べられるところに泊まりたいと言い張ったからだ。


「こんなキレイな街そうそう来ないんだから、たまにはいい思いしたいじゃん!」


 ハヤはそう言って譲らなかったから、キヨも渋々了承した。

 でもそれならご飯だけどこか運河沿いの店で食べればいいんじゃないのかなって思ったけど、たぶんハヤのあれは、みんながもうちょっと良い宿に泊まる口実だったのかも。おサイフはみんなのだしね。


 それでも少しでも安くなるように、屋根裏みたいなぶち抜き六人部屋だ。

 エストフェルモーセンで泊まったみたいな天井が斜めで低いやつ。でも屋根窓から美しい街並みを眺めることができたから、ハヤもレツもご満悦だった。


 クダホルドに着いて二日目、俺たちはのんびりと観光していた。

 今日はシマとレツと一緒に街中の散策だ。庁舎の前がだだっ広く空いていて、一応広場っぽくなっている。そのまま海に近い大きな河口に面しているから、波が来たら広場が水浸しになりそうだ。


「その辺はちゃんと考えられてるらしいぞ。もともと凪いでる内海だけど、この高さが満潮の高さだからな。干潮の時はもっと水位が下がるから、その辺から階段が出てくるらしい」


 シマはそう言って指さした。なるほど、まんちょう……それが何かわからんのだけども。

 俺が首を傾げていると、シマはちょっとだけ苦笑して「そうか、山育ちだったな」と言った。……山育ちで学校も行ったことありませんが。


「月までの距離に左右されて、海の高さが変わるんだよ。一番高いのが満潮、一番低いのが干潮」

 月までの距離?! 俺は驚いて空を見上げた。

 昼間も見える二つの月、ヴェステルとフェルト。ヴェステルの印が一周回るのが一ヶ月てのは俺だって知ってるけど、距離なんて考えたこともなかった。シマはちょっとだけ笑う。

「まぁ、広場が波に飲まれたりしないってことだ」

 そういってシマは俺の頭を乱暴に撫でた。


「でもこの街、海に面してるけど港はそんなに大きくないね」

 レツの言葉に、俺は広場から運河の向こうに見える、穏やかな海を行く小舟を眺めた。運河を走るのと同じ小舟だ。その行く先には大きな帆船が泊まっているけど、マレナクロンの港みたいな感じはない。せいぜい三艘くらいか。

 シマも手を庇にしてちょっと遠い帆船を眺めた。


「クダホルドが結構キレイな街にしてるのは、冬場にどうしても行き来が減るのを観光でまかなおうとした感じなのかもな」


 ウタラゼプよりは南にあるけど、一週間の距離でしかないしね。

 この街は海からの暖かい風とノチェカンザ山脈のお陰でほとんど雪は積もらないらしい。それでも俺たちが通ってきた内陸からの街道は雪に閉ざされるから、冬場には行き来が海沿いに南へ向かう街道と海路だけになる。そこを観光客でまかなおうとして街をキレイにしたと。


 でもそうは言っても、普通は気軽に観光なんてできない。旅自体に危険が伴うんだから、よほど裕福な人でなければ万全を期した旅行なんて不可能だ。

 ……いや、お金持ちってのはどこにでもいるんだから、そういう事が出来る人もいるのか。俺の知り合いには居ないだけで。でなきゃあんな帆船だって存在するのが不思議だもんな。

 それか一生に一度って感じにお金を貯めて、上手く冒険者に同行して少しずつ旅を進めてここまで来るとか。


「俺は街から出るのは命賭けるようなもんだと思ってたけど、そうでもないのかな」

「まぁ、護りの外へ出るのが大丈夫ってわけじゃねぇけど、冒険者に同行できればそこまでじゃないかもな。雇うとしっかり守らないとならないんで高くつくけど、同行だけなら俺が自分の身を守るだけでいいんで気楽だし、それで良ければ安いからな」


 そう言えばクルスダールの祭りだってあんなに人を集めていた。

 近隣の街や村からっつってもそれだって簡単なことじゃないんだから、あの祭りを楽しみにお金を貯めている人だっていそう。


「海って、モンスター居ないのかな……」

 レツの呟きにシマがチラッと見た。

「いや、いるぞ。5レクス越えたら結構ヤバいのも」

 えっ、マジで! そしたら船とか危険なんじゃね? 逃げ場無いし。5レクスの結界は街道に沿ってるから、陸から離れたらあっという間に5レクス越えちゃいそうだし。


「だから帆船には常駐の魔導士がいるんだそうだ。そういうのが護りの結界張ったまま運行するんだと。魔法道具じゃ効かないデカさだからなー」

 魔導士何人も詰めてるなんて、お金持ちじゃなきゃできないな……

「シマって海のモンスターも使役できる?」

 シマはちょっとだけ苦笑した。

「俺は海に出た事ねーからなぁ。できるヤツもいるかもしれねぇが、試したことはねーな」

「海の生き物のモンスターだと、あんまり可愛くなさそうだなぁ」

 レツは面白そうに笑った。


「キヨとかハヤとかは、海に出るような冒険の仕事に参加したことあるのかな?」

 広場の際から離れて歩き出す二人を追って俺がそう言うと、シマはうーんと唸って腕を組んだ。

「逐一聞いてる訳じゃねーけど、ウタラゼプからだとそんなに海のある街って近くないから、たぶん行ったことねーんじゃないかな」


 そっか。キヨたちも海の旅には出たことないのか。

 その割りに今日も図書館詰めだよな。俺だったら海とか見に行きたくなるけど。って、キヨもハヤも一応港町出身だからその辺は珍しくないのかな。


 俺たちはのんびり観光してるけど、キヨはやっぱり図書館に通っているし、コウは朝練以外にも目を離すとどこかに鍛錬に出掛けてしまう。ハヤも今日は朝から出掛けてしまっていた。もしかすると、またモグリの医者をやってるのかもしれない。

 でも旅の間は毎日顔を突き合わせてるわけだし、こうやって街での時間はそれぞれ勝手に過ごしてるのは、長く一緒にやっていくのにいいのかもしれないな。


 広場の向こうに建つ庁舎は、正面に太い円柱が並んでいて何だか神殿みたいだ。そう言えばクダホルドには教会じゃなくて神殿があるって言ってたっけ。

 その奥に、数段の階段を上って入口へと入るようになっていた。せわしなく働く人たちが出たり入ったりしている。冒険者だとあんまり庁舎とかって関係ないから行くことはないけど、近くのギルドには冒険者っぽい人がたむろっていた。


 クダホルドは規模は大きな街ではないけど、ウタラゼプに繋がる海の玄関口ではあるから、それなりに力のある街だとシマは話していた。

 ウタラゼプは冬場に雪に閉ざされてしまうけど、夏場は気候がいいから一大農業産地なんだそうだ。だだっ広く平野なのを考えるとわかる気はする。農産物は南への街道と、この港から出荷される。

 街に力があるとかって、よくわかんないんだけど。


「金がある街が強いってのは、何となくわかるだろ」

 シマはそう言って俺を見る。うーん、いろいろ買えるから、街がいい感じになるみたいな?

「ああ、そうなるとそこに住みたがる人が増え、人が増えればまた金が落ちる。そうやって街が力をつけてくると、他所の街への影響力も強くなる」

 なるほど。いろいろわがまま言えるみたいな感じなのかな。


「でも権力とかわかんないけど、各地の領主があんまり力付けちゃうと、王国としてヤバくないの?」

 レツがちょっとだけ周りを気にしながら言った。ツェルダカルテは王国だから、トップはシャマク王だ。でも各地の領主が勢力を付け過ぎたら……国の政治にわがままが言えるようになっちゃうんだろうか。

 シマはそれを聞くと、ちょっとだけいたずらっぽくニヤリとした。


「そこがこの国の上手いところでな。5レクスの結界、あれはこの国の王家と妖精王家との契約だっただろ」


 この国の王家と妖精国の王家が問題なく存続すれば、5レクスの結界魔法は壊れることはない。それがエルフの魔法の契約だからだ。

 だからこの国の人間は妖精国を脅かすことはないし、そのお陰で国民はとんでもなく強いモンスターからは護られている。


「なるほど、いくら個々の街が勢力つけたとしても、王国を転覆させようとしたら5レクスの結界も壊してしまう」

 そうか、つまりどんなに領主が勢力を付けても、この国では内戦だけは起こらないんだ。万が一そんな事になったとしても、王国から外されてしまえば結界は街を護らなくなる。それじゃ戦う前から自滅が見えてる。


「欲を出しすぎるタイプが街の権力者にならない限り、問題はないんだね」

「そうは言っても、王政がちゃんとしてなきゃ不満は出るだろうがな。まぁうちの王様は悪い人じゃねーから、その辺は大丈夫だろうけど」


 シマがそう言うと、レツは嬉しそうに笑った。しかも家族の中にエルフがいるんだから、もし政治の中枢に悪意を持つ人がいてもソッコーでバレちゃうぞ。


 でも5レクスの外にだって、普通に世界は存在するんだよな?

 それってつまりツェルダカルテ以外は、5レクス外のモンスターが普通に存在する国ってことなんだろうか。あんなモンスターが普通にいたら、それこそ平和な生活なんて営むことはできない。

 それとも外の国はみんなめちゃくちゃ強くて、凶暴なモンスターがいても大丈夫なのか? 俺がそう言うと、シマは難しい顔をした。


「そのへんは、この国を出た事がないからわからないな……5レクスの外だって普通に国は存在する。この国では結界があるから、逆に5レクスを越えたところに強いモンスターがいる感じがするけど、もしかしたら結界に追いやられてるからそう感じるだけで、広い範囲にあのレベルのモンスターが点在してるんだったら普通なのかもしれない。それにそういうモンスターに当たるのが不運だと割り切れるんだったら、人も生活できるのかもしれないし」

 それか街だけ強力な魔法で護っているか。

「街から街へ旅するのだって大変なのに、他国へ行こうとする余裕は無いか」


 俺の集落は貧しかったから王都へ行く事だって、いや、村から出る事だって一生無かったハズだった。

 そんな生活がイヤで飛び出したけど、そうでもしなかったら村から出ないで一生を終えても何も不思議はなかったんだ。

 だから王都は遠い存在だったし、俺たちがこの国の国民って事もなんだか遠い話みたいだった。それが当たり前だったことを考えれば、他国がどうとか言われても他人事にしか思えないのは普通だよな。


「この国は王様が妖精王と契約してくれたからいいけど、他の国がそうじゃなかったらきっと大変だよね……」

 レツはぼんやりとそう言った。でもレツが言うと、何となく他国の人も助けたいって思ってるんじゃないかって気がした。何となくだけど。


「妖精国がツェルダカルテ内にあるのは偶然で、エルフ自身はどこにでも存在するんだろうから、もしかしたらそっちはそっちで何か契約してるのかもしれないぞ」


 そっか、ノチェカンザの山中で偶然出会ったあの魔導師も北を旅して来たって言ってただけで、ツェルダカルテ内だけとは言ってなかったもんな。

 あれだけの魔法の力があるんだったらどこへ行っても大丈夫だろうから、他国にもそういう契約があるのかもしれない。


「ヴィトとの通信とか手紙にもあったけど、俺たちも結構国の色んなところへ行ってるけど、やっぱりヴィトのがいろいろ見てるなぁって思ったんだよね」


 通信魔術師って、キヨとハルさんも使ってる魔法道具で特定の街と繋いで連絡を届けて貰うサービスだっけ。レツ、ヴィトとそんな風にやり取りしてたんだ。

 ヴィトはこの国をいろいろ見たって言ってたけど、俺たちの旅より広範囲なのか。


「だから俺も、もっと色んなトコを見たいなぁ。色んなトコを見て、いろいろ知りたい」

 レツがそう言うと、シマは笑ってレツの頭に手を載せた。

「それが今の俺たちの仕事なんだから、どこへでも行けるさ」


 レツはちょっとだけ笑って、それから「あ! ルコット!」と言って走っていった。走っていった後になって、やっと少しだけ甘い香りが俺たちに届いた。気付くの早っ。甘い物レーダーハンパ無い。

 シマは苦笑して「買いすぎるなよー」と背中に声を掛けた。


 ……そう言えば俺、この国がどんな形をしているのかも知らないな。

 旅に出て行く先はいつだって初めて訪れる街や村だし、その全てがツェルダカルテなんだけど、そうやっていくつもの街が一つの国になったのだってきっと歴史があるんだろう。


 でも俺の村ではそういうの知らなくても生きていけたから、勉強するって考えたこともなかった。むしろそういう勉強するヒマがあるなら、畑を耕したり家畜の世話をすべきだったし。

 俺はレツを見送って笑っているシマを見た。


 俺が知らない事がある度にみんなサラッと教えてくれるけど、知らないことを突っ込んだりしないよな。俺には学がないけど、みんなにそういう風にバカにされた事ってないんだ。それだって、きっとものすごく恵まれてる。

 それに、俺の事をとやかく言わないだけじゃなくて、キヨなんか更に勉強してるんだし。俺は町並みを見回した。美しく栄えた街。


 ……俺も、ちょっとちゃんと勉強したいな。何から勉強すればいいのかわかんないけど。


「ねぇ、図書館ってどこにあるの?」

 俺がシマに聞くと、ルコットを持って帰ってきたレツも驚いた顔で振り返った。

「図書館、か? んーたぶん、この近くにあると思うけど」

「だいたい街の中心にあるよね、みんなが使うし」


 レツはルコットを半分ちぎって俺に渡すと、自分の分を頬張った。

 じゃあ今から行くとか出来るかも。きっとまだキヨは図書館にいるはず。キヨがいないと、勉強したいっつっても何からやればいいかわかんないからな。

 でもきっと二人はまだ観光したいだろうし、一人で行ける、かな……シマはそんな俺をチラリと見た。


「たまには、そういうとこ覗くのも悪くねーな」

 シマがそう言うと、レツも笑って頷いた。

「栄えた街だから、結構ちゃんとしてるかもしれないしね」

 レツの言葉にシマは「ちょっと聞いてくる」と言って離れていった。

 俺はレツにもらったルコットを頬張った。果物がこぼれそうなほど載っている。レツはニコニコしながら俺を見ていた。


「自分から勉強しようとか、えらいなぁ」


 ……やっぱバレてるか。そりゃ見習い剣士の俺が図書館に行こうとしたら、調べ物とは思わないよな。

「別に、そんなんじゃねぇよ。俺は……みんなと違って学校も行ってないし」

「ふふ、きっとキヨが考えてくれるよ」

 レツはいつものふにゃーって顔で笑った。


 ……こういう時のレツは苦手だ。いつだって優しげな笑顔で、何でも認めてくれるみたいな顔で、拙い俺の考えだって真っ正面から支えてくれる。それがものすごく……くすぐったい。

 俺は誤魔化すみたいにルコットに集中してかぶりついた。


「わかったぞ、図書館。やっぱデカいのが近くにあるっぽい」

 シマは俺たちに近づきながらそう言った。やっぱり、栄えてる街はそういうのって充実してるんだ。

 レツは嬉しそうな顔で俺を見て頷いて、それからシマについて歩きだした。


「キヨもまだそこにいるだろ」


 シマは何でも無いようにそう言ったけど、それってつまり俺の意図がわかっちゃってるってことだよな。チラリとレツを見ると、いたずらっぽく笑っていた。

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