第46話『……選択したのはあなたですからね』

「キヨがどしたの?」

「何か唐突に苦しみだして、そんで……ちょっとヤな感じがするんだよね」


 それってもしかして闇魔法?

 でも勝手に苦しくなるとかあるのかな。それに闇魔法だったら、ハヤが何とか出来るわけでもないような。


 部屋に入ると、何となく鳥肌が立つような気持ちの悪さを感じた。コウもシマもキヨのベッドから微妙な距離を空けて見守っている。

 キヨは寝ながら胸を押さえて体を丸めていた。昨日倒れた時くらい具合悪そうだ。

「団長……」

 おどおどとシマが振り返ってハヤを見た。

 ハヤはちょっとだけ唇を尖らせて見、それからずかずかとキヨのベッドに近づくと、ほとんどキヨの顔に触れるくらい顔を寄せた。


「キヨリン、大丈夫?」

 キヨはちょっとだけ身じろぎして、視線だけでハヤを見る。

 辛そうに目を伏せて「近づくな」と掠れた声で言った。キヨの胸の辺りに何だか黒い影が見える。あれって……

 でもハヤはその距離のままにっこりと笑った。それから体を起こすとキヨの上に手をかざす。ハヤがものすごく集中しているのが、そっと集まる光でわかった。


「……フォスオーヴィチェ」


 ハヤが呪文を唱えると唐突にキヨの上に光の魔法陣が敷かれ、きらきら光る魔法陣はそのままキヨの体に下りて通り過ぎた。

 魔法陣がキヨの体をすり抜けると、キヨが明らかに脱力したのがわかった。ハヤはもう一度キヨに触れるくらい顔を近づけた。


「もう大丈夫でしょ、僕って天才だから」

 そう言って、額をこつんとキヨの額に当てる。キヨはまだちょっとぐったりしていたけど、片手でハヤを押し返そうとした。ハヤは唇を尖らせて抵抗する。

「お礼が先だと思いますー」

「わかったからやめろ」

 ハヤはちょっと膨れて体を起こすと、キヨが起きあがるのを腕を取って手伝った。


「光属性の結界。キヨリン、それで前みんなを隔離したでしょ」

 キヨは自分の体を見回しながら頷いた。やっぱりあれって闇魔法だったのかな。だからキヨは近づくなって言ったんだ。俺たちはキヨのベッドに近づいた。

「ハヤ、よくキヨに近づけたね」


 あの胸がざわざわする気持ちの悪い感覚。それなのにハヤはまったく躊躇いなくキヨに至近距離まで近づいたのだ。

 ハヤはくるっと体を反転させると、キヨの隣に座って寄りかかった。

「病人を一人にするとか僕がするはずないでしょ。いつだって心細いもんなんだから」

 そう言ってキヨにべったりくっついたけど、当のキヨうんざりした顔でまったく違う方向を見ていた。言いたいことはわかるけど、あんまり説得力があるとは言えない絵だな。


「それで、突然そんななっちゃったのって、何でなの」

 隣のベッドに座りながらシマが言った。キヨはちょっとだけ肩をすくめる。わかんないのかな。

「それよりこの里のこと、何かわかったか?」

 ハヤはちょっとだけ探るようにキヨを見たけど、小さくため息をついて体を起こした。


「これと言って珍しいことは何も。星読み様はセアド含め六人。移住者は星読みの勉強目的が大半。出て行く住民も居たようだけどケンカ別れはなさそう。辺鄙なところだから星読み研究以外が目的の移住者はいないし、基本的なことは足りてる。元冒険者もいるようだけど特筆するほどの人はいない。街へ下りるのは星読み様とお付きの計四名。星読み様以外は買い出し係」


 ハヤはすらすらと言って、何か期待するようにキヨを見た。キヨはチラッとハヤを見る。

「……で?」

 しばらく間があってそう言ったキヨに、ハヤは途端に唇を尖らせた。

「もう、キヨリン、そこは」

 ハヤは唐突にレツに振った。


「『焦らさないで教えてくれよ……』」


「でしょ!!」

 シマとコウは吹き出した。キヨはまったく興味なさそうにめ息をつく。

 っつかあのタイミングで振られて答えられるレツもレツだな。微妙に低い声でキヨっぽさ出してるし。でもキヨが言うかっつーと、言わないセリフだけど。


「どうでもいいから、早く言えよ」

 ハヤはわざとらしく顔をしかめてキヨに見せてから、やっぱりちょっと楽しそうにニヤリとした。


「この里、モンスターがまったく出ないんだって」

「えっ、マジで」

「こんな5レクスの際なのに?」


 以前に訪れた5レクスの際の村は、モンスターから隠れるように不思議な木の家に住んでいた。

 普通はそうなんだ、護りの結界の中心から離れれば離れるほど、モンスターは入り込みやすくなる。5レクスの結界はモンスターを完全に遮断するものではないからだ。なおかつ街道が通っていない村や集落は独自の護りの魔法を敷いているだけだから、集落の中だってモンスターが現れないことはない。

 それがこんな5レクスの際にあってまったく出ないなんてことは、いくら護りの魔法を敷いていたとしてもあり得ない。


「モンスターが出ないことは、里の外にも知れてる感じだったか?」

「いや、そんなことはないね。おばさんも、ちょっと特殊だけどそういう環境で運がいいくらいの感じだったし」


 ちょっとどころじゃない特殊っぷりなんだけどな。もしウタラゼプみたいなしっかりした大きな街に生まれて街から一度も出たことなかったら、街の中は安全なのが普通になったりするかもだけど、おばさんはそういう所出身じゃないって言ってたし特殊なのはわかってたんだ。


 キヨはやっぱり眉間に皺を寄せて考えていた。

「キヨくん」

 コウがキヨをせっついた。キヨはたぶん何か掴んでる。これって証拠はどこにもない気がするし、実際何も事件は起きてないんだけど。


「……里を探るのに、医者とそれ以外の家に入った事があるのは、見習いだけか」


 え、俺? 確かにマフレズとセアドの家に入ったけど。

「部屋の中に、何か違いがあったか?」

 部屋の中に? いや、両方とも玄関入るといきなり居間っぽい部屋で、ソファとか暖炉とか本棚とかがあって、居心地のいい感じだったよ?

「マフレズの部屋は診療所でもあるんだけど、患者にリラックスしてほしいからって普通の居間っぽい感じだったね」

 レツはそう言ってシマに同意を求める。シマはチラッとレツを見たけど何も言わなかった。

「セアドの部屋も、別に普通だったけど……キヨリンなんかあるの?」


 キヨは何も言わずに俺を見ていた。

 部屋に違い……どっちも似たような雰囲気で、住む人がそれなりに頭良さそうな感じがしたんだよな……あ、そうだ本がいっぱいあったからだ、セアドの部屋には絵も飾られてたし。……でも何か違和感がある。なんだろ、これ。


「あ、」

「どうした」

 コウは声を上げた俺を見た。

「セアドの部屋の本棚、何か少なかった。壁の絵も、足りないみたいな感じがした」

 ハヤはそれを聞いて首を傾げた。


「いやだって、ちょっと前に山賊に襲われたんだから強奪されたんでしょ。僕は普通にそう思ったけど」

 じゃあハヤもあの空白に気付いていたけど、むしろ自然だと思ったんだ。そっかそう言えば山賊に襲われてたんじゃん。キヨはちらりとハヤを見る。


「団長、もしこの結界切れたら直せる?」

 ハヤは眉間に皺を寄せて苦笑した。

「そういうこと、してほしくないんだけどーーー無理なの、それキープしたままってのは」

 ハヤに言われてキヨは首を傾げた。でもなんだかキヨも乗り気じゃないみたいな顔をしてる。


「話し合って何とかなるならそれでいいんだけど、こうなっちゃった経緯がわかんねぇんだよな……」

 キヨは言いながら頭をがしがしとかいた。それから顔を上げる。

「ちょっと、医者に会いに行ってくる」


 え、いやそれ唐突すぎねえ? マフレズに会って何するつもりなんだ。っていうかキヨ、広場横切って医者のところまで行けるのか?


「マフレズを呼んでくるんじゃダメなの?」

 レツの言葉にキヨは小さく肩をすくめた。それから「なるべく早くがいい」と言って立ち上がる。

 でもなんだかちょっとふらついてるから、コウが肩を貸してゆっくりと歩き出した。昨日気絶までしたことを考えれば、だいぶ回復してるんだろうけど。俺たちは何だか心配で、見守りながらついて行く。


 部屋の扉を開けたところで、キヨの歩みが止まった。顔を覗き込むと、蒼白で微妙に冷や汗をかいてる感じ。ほらやっぱダメなんじゃん!

「キヨくん、無理はしない方が」

「でも、たぶん今行く方がいいんだ」

 それから、「ちょっと肩貸してて」と言ってコウに寄りかかり、逆の片手をふわりと上げた。何か集中してる感じ?

 しばらくすると、少しだけ顔色がよくなってきた。え、何したんだろう。キヨは白魔術はまだそんなに使えないから、呪文も無しに回復とかじゃないはず。キヨはコウから少し体を起こして、また歩き出した。

 でも部屋を出て広場の脇まで来たら、コウに寄りかかったままずるずるとぐったり座り込んでしまった。あー……キヨ、もう諦めた方がいいんじゃないか……


「キヨリンがそこまですんならしょうがない、コウちゃん、運んであげてよ」

 コウはチラッとハヤを見、それから座り込むキヨを脇から腕を入れてひょいと持ち上げた。

「!! ちょ、待っ!」

「何今更照れてんの、昨日だって姫抱きで運ばれてたのに」


 まぁ、昨日は気を失ってたけどね。

 でもまともに歩けないのにどうしてもマフレズのところに行きたいんだったら、ちょっとくらい恥ずかしいのは諦めるしかないよな。っつか恥ずかしいんだったら、ちゃんと鍛えて運ばれないようにすればいいのに。


「キヨくん、ちゃんと捕まってくれる方が運びやすいんだけど」

 コウに言われてキヨは何だか赤くなったまま、コウの肩に捕まるようにして顔を押しつけて隠していた。コウはやっぱり何でもないようにそのまま歩き出した。

「少なくとも、キヨの調子が悪いから医者に診せるって体は取れるな」


 シマはそう言って二人の後について行く。

 マフレズの家は俺たちの泊まっているところからちょうと広場の反対側だから、広場を突っ切るのが一番近い。だからたぶん着くまでに、それが本当のことになっちゃうんだろうな。


 マフレズの家に付いて、レツがノックしてから扉を開けた。キヨを抱いたコウは開けられた扉から入ると、近くのソファにキヨを降ろした。

「横になった方がいい?」

 ハヤに問われてキヨは小さく首を振った。明らかにさっきより調子悪そうだけど、今日は気絶まではしなかっただけマシか。


「すみません、どうしました?」

 奥の部屋からマフレズが出てきた。何だかちょっと慌てて出てきた感じ。そう言えばノックしたけど答えがなかったんだっけ。

「こちらこそすみません、勝手に入っちゃって。連れが調子悪くなって」


 シマがそう言うと、マフレズは急いでキヨの隣に座った。

 患者を診るようにキヨの顎を持ち上げてこちらに向かせた時、キヨはまるで押しとどめるように片手を上げてマフレズの胸に触れた。マフレズはわけがわからずキヨの手と顔を見比べた。

 キヨはしばらくそのまま何かに集中していて、それから眉間に皺を寄せた。


「……それ、二度と使わないでくれます?」


 マフレズは怪訝な顔でキヨから手を離した。キヨはマフレズの胸に置いた手を握った。

「今まだ残ってるんで。山賊は二度と来ません。俺たちが壊滅させたから。だから今後売り物にはならない」

「……君は、何を」

 マフレズは少しだけ体を引いて、それから俺たちを見回した。


 いや、なんでここで山賊? っつか売り物? 俺もみんなを見てみたけど、話が見えてる感じはなかった。そりゃそうだ、キヨが言い出したとは言え医者に診せに来たよなもんだし。


「何を言ってるんだ、君は。体調が優れないんじゃないのかい? 顔色は悪いようだけど、医療の必要がないんだったら帰ってくれないか。遊んでるヒマはないんだよ」

 でもキヨはそのままの体勢でマフレズを見ていた。


「約束してくれるなら、このまま去ります。でもそうじゃないなら、」

「……どうするんだ」

 キヨはそれを聞いてため息をついて俯いた。

「……そういう返しは期待してなかったんだけど」

 それからチラリとハヤを伺う。ハヤはしょうがないって顔で小さく肩をすくめた。キヨは顔を上げてマフレズを見た。


「きっかけがどうあれ、あなたは悪いことのためにやってるんじゃないと思う。だけど、方法が悪い。だからもう一度聞きます。二度とやらないと約束してください」


 マフレズは眉間に皺を寄せて胡散臭そうにキヨを見ていたけど、やがてゆっくりと、躊躇うように首を振った。キヨは小さく息をつく。


「……選択したのはあなたですからね」


 そう言うと、ふわりと力が集まる感覚がしてキヨが一気に集中したのがわかった。いや俺、魔法適性皆無なのに、こういうのわかるのって何? 明らかに普段の魔法よりも強い。

 何かが千切れるみたいにキヨの周りで光の粒が弾けて飛んだ。

「下がれ」

 コウが小さく言ってみんなを下がらせた。ざわりと嫌な感覚が走る。マフレズは驚いた顔をしていたけど、なぜか動かなかった。もしかして動けないのか?

 更に集中したキヨはマフレズの胸に置いた拳を強く握り直す。握り直したキヨの腕には、あの黒い影がまとわりついていた。


「シャティクファハムイフジオ」


 低い声の呪文と共に、キヨは握っていた手を思いっきり引いた。途端にマフレズの体から黒い霧のようなものがずるりと引っ張り出され、そのままキヨの手に吸い込まれていく。マフレズは痙攣するように体を震わせていた。


 あれ、どうみても闇魔法だけど?!

 俺たちが思わず後ずさっている間に、マフレズの体から引き出された黒い霧は全てキヨの手に吸い込まれて消えた。

 マフレズはがっくりと膝をつくと、両手をついて荒い息をしている。キヨ、もしかしてマフレズの闇魔法、吸収しちゃったのか?


「とりあえず」

 ハヤはまた光の魔法陣をキヨにかけた。キヨはチラリと見て笑う。ハヤはそれに顔をしかめて応えた。

「レツ、」

 レツはきょとんとしてキヨを見た。

「たぶん奥に……闇魔法の残骸があるから、処分して」


 え、どういうこと? レツはちょっとだけ真剣な面持ちで頷くと、奥の部屋へと入っていった。マフレズはぼんやりと見送る。それからキヨはハヤにマフレズを診るように言った。


「普通の力には触れてないつもりだけど」

「保障はできないんだね、はいはい」

 ハヤはぞんざいに答えて回復魔法をかける。マフレズは呪文も使わずに魔法をかけるハヤを驚いた顔で見上げた。

「ん、一応普通のは残ってるね、体にも異常はなし」

「処理かんりょー、何か途中だったっぽい」

 レツがにこやかに戻ってきた。

「じゃ引き上げるか」


 シマがそう言うと、キヨは立ち上がろうとしてやっぱりふらついた。

 慌ててコウが支える。マフレズは何だか情けない顔で見上げていた。キヨはしばらく黙って彼を見ていた。


「……この事は誰にも言わないし。ここの仕事まで奪わないよ」

「人生二度目の挑戦って大事だからな」

 シマがキヨを見ると、キヨは小さく笑った。


「引き上げるっつっても、キヨリンはコウちゃんに抱かれないと帰れないでしょ」

 ハヤの言葉にシマとレツはにやにやと笑う。コウは「抱く、とか」と小さく呟いた。キヨは拗ねるような顔で見る。まぁ、否定はできないもんな。


「帰れるかもじゃん、今魔力蓄えたし」

 キヨの言葉をハヤは片手を振って簡単に否定した。説得力はまったくない。それからニヤリと笑ってコウを見た。


「コウちゃん、広場の真ん中でキヨリン降ろしちゃいなよ。据え膳だよ」

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