第21話『何なら引き留められる?』

 俺はもう一度、酒の壜を抱き直した。

 何だか丸くて平たいボトル。ハルさんに聞いた酒は、街の東側の店にようやく見つけられた。つまり下町じゃない方だ。酒場でグイグイ飲むのに売られてるのとは違ってそれなりに値の張る酒だったけど、必要経費としてシマに買ってもらえた。

 看板を見上げてから、意を決して店に入る。


「あらー、ちっちゃいお客さん、こんにちは」

 やけに化粧の派手な美人のお姉さんが、入ったすぐ近くに居て声を掛けてきた。

「こ、こんにちは……」

「こんなところに、どうしたの?」

 ちょっとだけ腰を折って、俺を覗き込む。ふわりと甘い香りがした。

「あの、俺ご主人様に、酒を……」


 そう言えばハヤってまだここにいるのか? 店じゃないところに移動してたらどうしよう、名前言える訳じゃないし。俺の焦燥をよそに彼女は「あーー」と言って両手を合わせた。


「エインスレイ様のね、はいはい。上に居るんじゃないかな」

「あ、ありがとう……ございます」


 上ってことはたぶん昨日と同じ部屋だよな。俺は彼女に素早く一礼して階段を上がった。

 昨日より早い時間だからか、なんだか気だるげな空気が漂っている。なんというか、起き抜けのキヨみたいな動きが鈍い感じ。すれ違う人たちもなんだかぼんやりしていた。


 昨日の部屋の前まで来ると、とりあえず扉をノックした。起きてる……よな?

「入れ」

 男性の声。ハヤじゃないな。俺はちょっとだけ扉を開けると「失礼します」と小さく言って体を滑り込ませた。


「ああ、戻ったのか」


 ハヤは薄手の引きずるほど長い紫色のガウンを着ていた。ハヤが引きずるってどんだけ長いんだ。やたら派手な花の模様が入っていて、一目でこういう店のそういう人の服って感じがした。風呂上がりなのかな。

 毛足の長いカーペットだからか、靴も履かずに裸足で俺のところまで歩いてくる。よかった、とりあえずハヤは無事。しかもキャラ変えてないってことは上手く潜入できてるってことだ。


「これは?」

「なんだ、ここの酒じゃないか」


 エインスレイがハヤの背後から覗いて言った。彼もガウン姿だ。

 やっぱ一緒にいるよな。ついでのように、ハヤの腰に腕を回す。


「あの、いつもの酒がなくて、それで似たのを探して、」

 俺はシマに言い含められた言い訳を言った。もしかしたら地元の酒だと突っ込まれるかもって言われてたのだ。

「それでこの時間か、まぁそれはいいが。うちの者に俺がここにいると伝えたのか?」

 ハヤは視線だけで俺を見た。


 う、うちの者?!

 えーとハヤがここに来たのを知らないはずなのは……それってキヨが知ってるかってこと、か? 俺は無言で何度も頷く。


「だろうな、お前の所持金じゃ足りないだろうし」

 ハヤは俺が差し出したボトルを取り上げて眺めた。正解、だったのかな。

「それは甘いぞ」

 エインスレイはそう言うとハヤの肩に口付ける。ハヤはちょっと笑って「甘いのは好きだよ」と言った。

 俺は目のやり場に困って俯いた。っていうか、彼がいたら大っぴらに必要なことが聞けないじゃないか。


「昨夜はこの酒、出してくれなかったな」

 ハヤはするりと彼の腕から逃れるとグラスを取りに行った。俺はしょうがないからまた衝立の脇に立つ。

「甘いのが好みとは言わなかっただろう」

「この辺の交易にも顔が利くとか言ってたくせに。いい酒を出してくれと言っただろう」

 ハヤは小さく鼻で笑うと、ショートグラスに酒を注いで香りを嗅いだ。エインスレイはハヤを追い、ハヤの持ったグラスを取った。


「客でもないのにか」

 ハヤは面白そうに笑う。俺のいるところからはエインスレイの表情は見えない。

「だからだろ、俺は換金できるサービス程度じゃ引き留められないぞ」

「何なら引き留められる?」


 そう言うのって、エインスレイはハヤを引き留めたいってことなのかな。ハヤはちょっと考えるように視線を動かした。

「面白いこと、かな」


 正直、いい感じの二人は俺のことは完全に眼中にないみたいだ。ま、召使いですしね。エインスレイもハヤくらいのいい体格で、片や金髪碧眼のイケメン、片や黒髪精悍なイケメンでお似合いと言えばお似合いだし。

 でもハヤのは潜入用の芝居なんだよね。そう思うとエインスレイは不憫だけど。


「何か面白いこと、あるか?」


 ハヤはそう言ってグラスを取り返すと、彼を見たままグラスに口を付けた。エインスレイはハヤの顎に触れる。唇についた酒を舐めるハヤの仕草が艶めかしい。

 俺はまた視線を外して俯いた。顔が熱くなる。

 うっかりハヤをそんな風に思うとか俺のばか! あれはあのハヤだっての!


 でもこの感じだと、ハヤが俺にメッセージを託して解放ってわけにはいかないみたいだ。なんとかエインスレイを別室に追いやれないかな……


 そう思っていたら、扉に遠慮がちなノックの音がした。エインスレイは少しだけ不満そうに振り返って「入れ」と言った。

 女性が扉を開けて、ちょっとだけ顔を出す。

「エインスレイ様、お客様が見えてるんですが」

「客?」

 女性はなんだか不安そうに頷く。


「こっちの客じゃないみたい。荷運びの方の話とか言ってて。男性が二人」


 チャンス! これでエインスレイが別室に行けば、ハヤが情報を俺に託してみんなのところに運べる。もしかしたらハヤも帰るかもしれない。

 エインスレイはしばらく考えていたが、何だか思い付いたようにニヤリと笑った。


「お前たち、手の空いてるのをこの部屋に集めろ。それからその客を通せ」


 え、別室で仕事の話すんじゃねえの? 女性は了解したのか、小さく肩をすくめて出て行った。


 部屋の外で女性が他の人たちを呼ぶ声がして、部屋に女性も男性も十人ばかりが入ってきた。ベッドと背もたれだけのソファを遠めに囲んで座る。

 彼らはなんだか楽しそうにさざめき合っていて、面白いことが始まるのを待ってるみたいだ。あとちらちらハヤの方へ視線を送っている。

 ハヤはすでに酒を片手に天蓋つきのベッドに座っていた。ベッドに背をしてエインスレイが客を迎えるように座る。何を始めるつもりなんだ?


 それから部屋の外で「どうぞ」と声がして扉が開いた。入ってきたのはキヨだった。ええ?


 キヨは扉を開けて中を見たところでぎょっとした。そりゃ荷運びの話しにきたら、主があの格好で女性も男性もはべらせてたらぎょっとするよな。


 でもぎょっとした演技だったのかもしれない。エインスレイがそれを見て満足げだったからだ。キヨはいつもより魔術師っぽさのない格好をしていた。

 黒くないからきっとレツとか服を借りてるんだろう。きちんと着こなした格好だからか、どことなくお金持ってそう感がある。


「何か話があるということだったな」


 彼はそう言って、自分の前へ促した。

 キヨは少しだけ周りを気にしながら入ってきて、エインスレイの前に座った。その後ろから黒い服上下のコウが入ってくる。

 二人とも俺の方を見たはずなのに、気付いた素振りも見せない。コウは立ったままなのでキヨに近づかず、扉の近くにいた。


「そっちは?」

「ただの護衛だ、気にしないでくれ」

「気になるね。この部屋で突っ立って邪魔にならないサイズでない限り。そこの、その後ろに座れ」


 エインスレイはそう言ってキヨの後ろに座るよう指示した。ちょっと待て、それって俺が小さいってことか?

 コウはちらりとキヨを見、キヨが頷いてからそっと近づいて斜め後ろに立て膝で座った。


「それで、話とは? こういう店で野暮な話のようだが」

 キヨはちょっとだけ逡巡し、それから意を決するみたいな感じで口を開いた。


「荷運びの、交易のルートを教えていただきたい」


 交易のルート? 一体何の話だ? 俺たちはお告げの刺繍を手がかりにこの店に潜入してるけど、荷運びとかどこからも聞いてないぞ。


「どこの運び屋も口を閉ざすんだが……今結構な運び屋が危険な目に合っているらしく、荷を別の街に送る手だてがないんだ。このままではどうにもならない。ただあなたのところだけは動いていると聞いて、こうしてお願いにきた」


 キヨの話し方は何というか、頑張ってる二代目感があるな。家業を盛り立てようとしてるのだけど、微妙に上手くいってないやつ。

 あと言われてから気になっちゃうんだけど、演技なのに今回もどこにもウソはついてない。キヨってこういうところホント徹底してる。


「その荷を、自ら届けるのか?」

 エインスレイは少し面白そうに言った。

「運び屋を雇うこともできる。ただルートに関しては、動いているあなたのところのを参考にするのが最善と」


 エインスレイは苦笑して背もたれに寄りかかり、グラスを上げた。すぐに傍らの女性が酒を注ぐ。


「確かに、うちのルートは生きている。うちだけが動いているといっても過言ではないな。だがうちを雇うわけでもなく、ルートだけ知りたいと。そこに何が払えるんだ?」


 そりゃそうだよな、安全なルートなのかわからんけど、教えてくださいだけじゃ商売にならない。でもキヨは本当のところ何が目的なんだろう。

「金なら、」

「金ならうちにもある。それでは面白くないな」

 なぁとエインスレイは背後のハヤに声を掛けた。周りの女性たちがさざめくように笑う。ハヤは黙ってグラスに口を付けていた。あんまり面白そうにはしていない。


 するとエインスレイは体を起こして真っ直ぐキヨの後ろのコウを見、グラスを持った手で指差した。


「そこの、お前そいつを抱け」

 はい?! こいつ何言ってんの?? キヨは驚いて彼を見た。

「何を、」

「金で払われても面白くない、余興で楽しめれば考えてもいい」

「しかし、彼は護衛でそんなことをする関係では」

「余興と言っただろう」


 エインスレイはそう言って背もたれに寄りかかる。

 これ全然引く気ないけど、どうやってくぐり抜けるんだ……ドン引きして帰る? 暴れる? でもまだルートを聞く前だ。エインスレイも取り巻く彼らも、面白そうに笑っている。


「私は……」

 するとコウが唐突にキヨに近づいた。キヨが気付いて振り返った瞬間、簡単にキヨを押し倒した。えええええええ!!

「お前、何を!」

 暴れるキヨの腕を、コウは簡単に捕まえて押しつけた。いやいやいやコウが??

「この話、必ずまとめてくるようにと」

「だからって、」

 キヨの声は悲痛だ。俺はどうしようもなくなって周りを見たけど、その場にいる全員がくすくす笑って、隣と囁き合ったりしながら面白そうに見ているだけだった。


 コウはキヨに馬乗りになって腕を離すと、一度体を起こしてシャツを脱ぎ去った。

 コウの鍛え上げた上半身がさらけ出されると、周囲から嬌声に似たさざめきが起こった。うん、筋肉はモテる。キヨは片手で顔を隠すようにしているけど、明らかに真っ赤だ。それからコウはゆっくりと体を折った。うああああ……


「なぁ」

 声に顔を上げると、ハヤがエインスレイの背後から顔を寄せていた。

「もういいだろ、当てつけてんのか」

 ハヤはそう言って、わざとエインスレイに触れるように背後から腕を伸ばして彼の持つグラスを取った。エインスレイは満足げに微笑んだ。


「……余興は終わりだ、お前たちもういいぞ」


 そう言って腕を振ると、店の男女たちはちょっとだけ不満そうにしながらもすぐに立ち上がって、それぞれキヨに手を振ったり、通りすがりにコウに触れたりしながら部屋を出て行った。

 キヨは明らかに不機嫌そうに、コウを突き飛ばすように押しやって体を起こす。俺は脱ぎ捨てられたシャツを拾ってコウに渡した。コウは小さく会釈してシャツを着た。


「ルートは教えてやる、手紙を届ける先を下に伝えていけ」


 エインスレイはそれだけ言うと、ハヤのいるベッドに潜り込んだ。ハヤは俺に向かって小さくグラスを振る。たぶん俺も出て行けってことなんだろう。

 俺は先に出て行ったキヨとコウに続いて部屋を出た。

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