第18話『私は売り物ではない』

「俺連れてってどうすんの?」


 俺はのんびり歩くハヤを見上げた。そう言えばハヤ、今日はあんまり魔術師っぽい服じゃないんだな。あからさまに魔術師っぽいと情報収集に向かないのかも。

 ラフに着た麻のシャツにグレーのスリムパンツ、今日は白くて長いローブっぽい上着を、前を開けたままベルトで留めずに羽織っているから、ちょっとだけ休日のお金持ちっぽい感じがする。


「見習いは俺の召使い。ご主人様って呼ぶんだよ」


 ハヤは楽しそうに俺に顔を近づけて言うと、自分の鞄を俺に渡した。

 またか……俺ってそんなに下男っぽいのかな。チラッと自分の格好を見てみる。まぁ、ハヤの横に並んだら、大抵の人は下僕っぽい気がしなくもない。


「別にその……店に行くのに誰でも召使い連れてるわけじゃないだろ」

 俺はちょっとだけ俯いて言った。

「んーどうだろ。上客として乗り込むには、それなりに見せないと」


 召使いがいれば、金を持ってるって説明不要ってことか。っていうか、そういう店に上客として見せるように行くってことは、

「ハヤ、あの……ハヤはその……」

 口籠もる俺をハヤはチラッと見て、それから笑った。

「うーん僕としては、そこにお金払うのは主義じゃないんだよねー」

 それってモテないのがやることでしょ? と、ハヤは当たり前のように言った。


 ……そのセリフ、ハヤじゃないと言えないけどね。じゃ、じゃあ買う……わけじゃないのかな。だったら上客とは言えないんじゃ? 俺がついてく必要あるのか? 

 俺はなんだか納得いかないまま、ハヤの後について行った。


「さて」

 ハヤは店に着くと、あの模様を見上げて確認してから俺を見、一度軽く俺の頭に手を載せてから店に入っていった。

 いつものごとく、俺が何をすればいいかは全然言ってくれない。俺はちょっと遅れて店に入った。


「いらっしゃいませ」

 ちょっとしたざわめきと共に、愛想笑いが顔に張り付いたような年の多い男性が俺たちを迎えた。ハヤは店内を見回している。


 入口を入ったところはがらんと広く、いくつものテーブルと椅子が置いてあり、左手の壁際にバーカウンターがあった。反対側の壁沿いに階段がしつらえてあり、バルコニーになっている二階に上がれるようだ。パッと見はいつもの飲み屋と変わらないけど、二階分あるから天井が高くて開放感がある。


 テーブルにはすでに何人かのちょっと着飾った女性と男性がいた。でも客っぽくはない。ハヤの登場に好意的なざわめきを送ったのが彼らだ。ですよねー。


「今日は、」

「この街は初めてなんだけど、どんな感じかなと思って」


 ハヤは男性の言葉を遮って言った。ちょっとだけ、いつもより低めの声色。

「でしたらどうぞこちらへ、うちにはいい子が揃ってますよ。まず酒を」

 男性が言うと、数人が我先にと酒を取りに立ち上がった。別の女性はハヤを促したテーブルにゆったりと近づいてくる。

 今他に客がいないからってわけでもなさそうだな。色っぽさ全面押し。でも当のハヤはテーブルに近づく素振りも見せなかった。


「いや、他人と同じところで選ぶつもりはない。ここの主はいるかい?」


 ハヤに言われて男性はちょっとだけ困った顔をした。

 相手を選ぶ前に主を出せって言う客なんていないだろうし。でもハヤ当たり前のような顔をして男性の返事を待っている。


「エインスレイ様ですか、ええ……と、少々お待ちを」

 男性はそう言うと奥へ引っ込んだ。ハヤはぐるっと見回して、

「部屋は上?」

と身近の女性に聞く。彼らも困惑の表情のまま頷いた。

 ハヤはにっこり笑って応えると、唐突に階段を上っていってしまう。ちょっと待って! 俺は慌ててハヤを追った。勝手に上がっちゃっていいもんなのか?


 ハヤはバルコニーから離れて廊下の奥へずんずん進んで行く。

 廊下沿いには扉が開いている部屋があって、ちらりと覗いてもまだ誰もいなかった。下にも客はいなかったしね。するとハヤは一つの扉の前で立ち止まり、勝手に扉を開けてその部屋に入った。

 扉の前にはカーテンが下がっており、ハヤはためらいなくカーテンをめくった。


「ふぅん、この地方ってこういう文化なんだ」


 天蓋の付いた奥のベッドは低く、分厚いマットレスだけの高さだった。俺たちの宿のベッドみたいな木の箱みたいな高さはない。

 そして床に敷いてあるカーペットには毛足の長い毛皮が使われていてフワフワだ。ソファの背もたれだけみたいなものと、クッションがいくつか置いてある。床に座る文化ってことなのかな。


 壁一面に厚手のカーテンが掛かっていて、壁から離れたところにも衝立があったりカーテンが下がっていたりする。俺が途中で覗いた部屋よりも全然広い。明らかにこの部屋のが高級な感じだ。もしかしてハヤ、一番広い部屋を探してたとか。


 ハヤは勝手にクッションを取ると、背もたれに寄りかかってあぐらをかいて座った。俺はどうすれば……

「ハヤ!」

 ハヤはチラッと俺を見て、「酒もらってくればよかったな」と言った。そうでなくて!


「ああ、お付きは黙って見てればいいの」

「でも、」

「さて、どんなのがオーナーなのかなー」


 ハヤはなんだか楽しそうにそう呟いた。

 そりゃハヤならどんな人が出てきても対処できるとは思うけど。相手がずっと年上だとしても、とりあえずハヤは金持ちの上客なんだから上手に出られるんだろうし。


 俺がどうしようもなくて、でも召使いなのにハヤと同等でいるわけにはいかないから、脇に立とうと離れたところで扉が開いた音がした。


「お待たせしましたか」


 現れたのはハヤたちより年上くらいの男性だった。

 さっき俺たちを出迎えた店の男性よりずっっっと若い。ハルさんくらいかな、こういう店の主にしては若すぎる気がするけど。


 長い黒髪をいくつかに分けてゆったりとまとめている。シャツの上に前開きのあの民族衣装を羽織っていて意外と体格もいいし、何よりちょっと濃いめの精悍な顔つきで、つまりイケメンだった。


「君が主?」

「ああ、この店を仕切っている」


 彼は言いながらハヤの向かいに座った。この人がエインスレイなのかな。

 彼の後ろから女性がついてきていて、ハヤと主にグラスを渡し酒を注ぐ。それからハヤの隣に座ろうとしたけど、ハヤは彼女を見ないで片手を振って追い払った。

 女性は面食らったけどエインスレイを見て、彼が頷くとそっと立ち上がって出て行った。


「もてなしは気に入らなかったか」

「俺は店の一番しか興味がない。だからよけいな時間を使う気はないんだ」


 ハヤは上着を脱ぐと俺につき出した。俺は慌てて受け取り、部屋を見回してとりあえず衝立に掛けた。これだけで俺が召使いだって説明になってる。

 衝立の後ろには猫足つきのバスタブがあった。俺はそのまま衝立の脇に立っていた。ハヤはゆったりと背もたれに寄りかかる。


「それで、君が試したこの店の一番は?」

 ハヤがそう言うと、意外にも彼は驚いた顔をした。

「試してないのか?」


 エインスレイは少しだけ苦笑して視線を外した。

 いきなり来て主を呼び出して、勝手に部屋に上がってこの言いぐさって怪しすぎるけど、あまりに堂々としていてお金だけは持ってて遊んでる人っぽい。実際お金を持っているかどうかの確認すらされてないのに。ハヤお金あるのかな。

 エインスレイは少し面白そうに笑っていた。


「いや、店のものに手をつけるのは主義に反する」

「主なのに誰がいいかわからないのか」

「申し訳ないな」


 エインスレイの対応は丁寧だ。ハヤの失礼な質問にも態度を崩さない。でも高圧的ではないけど、やっぱりこういう店の主をやるくらいだからか、言葉は断定的で威圧感がある。


 それにしても、ハヤは一体何をしようとしてるんだろう。ハヤはちょっとだけ考えるように視線を上げ、それから顎を撫でた。


「じゃあ、わかるものにしよう。君はどうだ?」


 は?! 俺は驚きすぎて口をあんぐり開けた。やばっ、召使いはこんな顔しない。慌てて口を閉じる。エインスレイは怪訝な顔でハヤを見た。


「何を、」

「自分のことならわかるだろう、君はいいのかい?」

「私は売り物ではない」

「だろうね、じゃあ俺が一番最初になる」


 そっちの一番でもいいかと、ハヤは言って立ち上がると、彼の前に移動して追いつめるように背もたれに手を置いた。エインスレイは驚いたようにハヤを見上げている。


 こんな失礼は前代未聞だろうけど、簡単に突っぱねないのはハヤが上客だと思っているからなのか、他になんかあるのか。

 見た目だけならハヤは、口説かれたら嫌な気はしないイケメンだけど。


「どうした? 楽しみを売るのがこの店だろう」

「それは店の」

「店にあれば売り物だろ、買うと言っているのに。売る気がないのなら奪うけどいいのか?」


 それからハヤは彼の耳元に近づき「楽しめばいいだろう」と囁いた。

 ハヤが体を寄せると、さっきの女性がお盆のまま置いていったボトルが倒れて毛皮に染みを作った。俺はどうしようもなくなって俯いて視線を外した。


「ああ、酒がこぼれたな、お前」


 俺は声を掛けられて顔を上げた。クッションにもたれ掛かって半分くらい寝そべっている二人を見て、顔が熱くなるのを感じた。ちょ、マジで何やってんだよ!


「いつもの酒を買ってこい。時間が、かかってもいいぞ」


 ハヤはそう言って、少し笑いながらエインスレイの首元に顔を埋めた。

 ダッシュでカーテンをかき分けて扉に取りつく。背後で「大丈夫なのか」「子どもだからな」と話す声が聞こえた。くそっ!


 俺は部屋を出ると、声をかけてくる女性たちを無視して走って店を出た。

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