第11話『そうなったら、君は幸せか?』
「でも行くってどこへ?」
俺はコウを見上げた。コウはとぼけるみたいに眉を上げる。
「行くとこなんか、一つしかねぇだろ」
やっぱり、あの池なのか。理由も原因も方法もわからないけど、キヨの意識を奪ったあの黒い霧が、唯一の手がかり。
コウは路地を歩きながら近くを見回して、壁に立てかけてあった箒を取った。それから小さく「すみません」と謝って箒を分解すると、長い柄の部分だけにしてからくるりと回した。棍の代わりってことか。そう言えば、コウの棍だけは腕を縛られるために奪われちゃったんだよな。
「ホントは、その前に出会えるといいんだけど」
歩きながらハヤが言う。出会うって誰に?
「まぁそれは、どんだけヤバいかによるんじゃね」
シマがそう答えたところで、俺たちは広場に辿り着いた。一ブロックしか離れてないから、あっという間だ。
「あれが」
コウがそう言って池を見やる。真っ黒い水面を湛えた池。
俺とレツは、わからないままとりあえず剣を抜いた。
「バトルになるなら、俺は用無しだな」
シマはそう言って首をかいた。そうか、エルフの街の中にモンスターはいない。鞭ならあるけど、相手がわからないんじゃ危険は冒せない。
「そしたらシマさん、ちょっと離れてた方がいいかも」
棍代わりの棒を構えたコウは、シマを見ないでそう言った。
シマはチラリと俺たちを見て、それから頷いた。俺たちはめいめい離れて、囲むようにゆっくり池に近づいた。
あの黒い霧が、キヨを襲った時みたいに滝になって飛び出してくるかもしれない。霧に襲われたら、どうやって戦えばいいんだ?
みんな慎重にじりじりと池に近づく。
「会いに来てくれたの?」
小さな声が聞こえて、俺を思わず上を見た。
まるで風に乗ってるかのように、あの子がふわりと一回転して、俺たちの目の前に降り立った。ミント色のワンピース。どこから見てもエルフの少女。
そのチョーカーからは、緑色に光る紐があの池に繋がっている。
俺は驚いて剣を下ろした。
「君に会いに来たわけじゃないけど」
俺はそう言ってレツを見た。レツはちょっと怪訝な顔で俺を見て、この子? というように頭で指した。俺は黙って頷く。
「見習い」
声に顔を上げると、コウは顔をしかめて耳を塞いでいた。え、どうしたの?
「これの言葉がわかるのか」
! コウにはわからないのか?! 思わずハヤを振り返ってみたら、ハヤも耳を塞いで不快そうな顔をしている。
うそ、こんなに普通に聞こえるのに。俺は彼女に向き直った。
「みんな君の言葉がわからないみたいなんだ」
そう言うと彼女は、ちょっと拗ねたように俯いた。
「大人にはわからないの。だからいつもわかる子を連れてくるの」
……わかる子を、連れてくる? それってどういう意味なんだ?
「おいっ!」
一番遠くにいたはずのコウが俺と彼女を引き離すように、彼女との間に棒を差し入れ振り上げた。
ぎりぎり彼女に当たらないようにしていたけど、そんなことをしなくても彼女はふわりと後方に舞って一回転して地面に降りた。コウは軽く棒を回転させて握り直す。いくらなんでもまた子どもなのに!
「コウ! 彼女はまだ敵と決まったわけじゃ」
「それがこれかよ」
コウは顔をゆがめてぎりぎりと歯を食いしばっている。もしかして、コウにはわからない言葉が、何か違う風に聞こえてるのか?
「あなたはわかるけど、違うからだめなの」
彼女はぼんやりした、昨日と同じ焦点の定まらないような目で俺を見た。違うって、何のことだ。彼女は俺を見たまま、一歩近づいた。
「うあああっ」
「コウちゃん!」
コウが唐突に頭を押さえて片膝をつく。ちょ、誰も何もしてないのに!
視界の右端に、ハヤが何か魔法を発動させたのがわかった。でもハヤは白魔術師だから攻撃魔法じゃない。それじゃ回復? 結界?
コウの上に結界の魔法陣を描く光の線が走る。少しだけ、音が遠のいたような感覚。これって音を遠ざける結界?
でも彼女は虚ろな目でチラリとハヤを見ると、軽く左手を挙げた。
「!!」
たったそれだけの動きでハヤの魔法は陣を結ぶ前に光の粒になって消え、弾かれた魔法がハヤを襲った。
魔法の途中で弾かれたら、その力は魔術師に反動となって戻る。ハヤはどさりとその場に倒れた。
「ハヤ!」
コウは顔をしかめたまま棒を握り直して彼女に向いた。
その瞬間、彼女が軽く右手を挙げるとコウが思いっきり吹っ飛ばされた。一撃で?!
俺は吹っ飛ばされたコウを見たけど、倒れたコウが起きあがることはなかった。
こんなエルフの圧倒的な力があったら、魔法や武術じゃ太刀打ちできない。俺は片手の剣を構えることさえできなかった。たぶん、怖かったからだ。
彼女はやっぱり虚ろな目で、俺を見ながらもう一歩近づいた。
「でもこの頃はもう誰もいなくなって、だからあなたでもいいのかな?」
そう言って俺に手を伸ばす。俺でもいい……?
俺はなんだか近づく彼女の手から目を離せないでいた。彼女が俺に触れる直前、唐突に引っ張られて俺は誰かの背中に回された。シマ!
「なんだか知らんが、逆ナンとか、その年からするもんじゃなくねー?」
え、シマには彼女の言葉がわかるのか? でも大人にはわからないんじゃ? シマは背後の俺を肩越しに見た。
「さぁな、言葉っていうのかわからんけど」
彼女がキヨを襲ったのかわからない、だから彼女に手を出して解決するのかわからない。それに相手はエルフ。あんな圧倒的な力があったら、ただバトルを仕掛けても意味はない。
それでも彼女は言葉が通じてる風の大人に驚いているみたいだった。いや俺が驚いてるような気がしただけだ、彼女の瞳には何も映ってない。
「あなたは、誰?」
「君が落とした俺の友達を、返してもらいにきた」
彼女は首を左右に傾げた。
「あの人……だって気付いたんだもの。きっとわかる子たちを減らしちゃう」
キヨは彼女の目的に気付いたっていうのか? それじゃ、あれはやっぱりこの子の仕業なのか?
「そうやって自分のわがままに他人を合わせてたら、一人になるぞ」
彼女は何も映さない目でシマを見上げた。
「ずっと、一人だよ」
「そのままでいいのか」
シマは彼女に触れるようにゆっくりと手を差し出した。
ちょ、あんな力を見たってのに、危ないよ! 俺はシマの背後から上着を引っ張った。でもシマは俺のサインも無視して彼女に近づいた。
「その子がいる」
彼女はそっと俺に目を向けた。
え、俺? 彼女は俺を見たまま視線を外さない。俺はなんだかドキドキしてきた。いくら仲間を攻撃した子だとしても、見た目はエルフの美少女なのだ。
するとシマは小さく指先を二回鳴らした。音に引かれて彼女はシマを見る。
「そいつも、同じようにいなくなる。また一人だぞ。それでいいのか?」
シマの声は穏やかだった。彼女のあんな攻撃を見たってのに、まるで心が凪いでいくようだ。
「……それじゃ、だめなの?」
「だめだから、連れてくるんじゃねぇの?」
彼女は虚ろに首を左右に傾げる。それでも視線はシマを見たままだ。
シマと話す彼女は落ち着いているけど、何がきっかけになって攻撃してくるかわからない。俺はシマの上着を握って逃げ出したいのを堪えていた。
「連れてこないと一人なんだろ」
シマは言いながら少し屈んで彼女の頬に触れた。
「一人が、イヤなんだろ」
「一人が……イヤ……?」
言いながら彼女は、自分が言っていることがわかってないみたいだった。彼女の言葉の通じる子を連れてきていながら、連れてくる理由がわかっていない。
「連れてくるんじゃなくて、君が会いに行ければいい」
すると彼女はゆるゆると首を振った。
「……ここにいなきゃならないの」
それは昨夜も言ってた。ここにいなきゃならない。この街にいなきゃならないって意味だと思ったけど。今度はシマがそっと首を傾げた。
「いなくてもよかったらどうする?」
彼女はぼんやりと瞳をシマに向けた。
「自由に会いに行けるようになるなら、どうする」
シマはそう言って、彼女に視線を合わせるように座る。俺はシマの肩越しから彼女を見た。彼女はシマを見ていたけど、目が合っているようには思えなかった。
「わかんない」
彼女は表情を変えないまま答えた。ずっと話をしているのに、彼女には感情が無いみたいだ。
「わかんない、そんなのずっとなかったもの」
「じゃあ昔はあったのか?」
シマの言葉に、彼女は小さく「むかし」と呟いた。
……昔は、あったのかな。でも結局彼女の目が虚ろ過ぎて、何かを思い出しているようにも見えなかった。
「俺は友達を返してほしいんだ。でも君は一人になりたくなくて、わかる子を連れてこようとしてて、俺の友達を邪魔だと思って捕まえてる。だったら君が一人にならないように、俺がここから自由にしてやる。自由になれば、わかる子を連れてこなくてもいい。そしたら友達を返してもらえるだろ」
「一人にならない……ここから自由になる……連れてこなくてもいい……」
彼女はシマの言葉を、ゆっくりと考えるみたいに反芻した。シマはそんな彼女の頬を両手で包んだ。えっ?!
「それは、嬉しいことか?」
「……うれしい、こと?」
「そうなったら、君は幸せか?」
彼女は虚ろなままシマを見た。何度か何か言おうとして小さく口を動かしたけど、上手く言葉にならないみたいだった。
さっきまでとは明らかに違う、何かを吐き出そうとしてる。彼女の中の何か。
「そうなったら、いい……」
やっとそう言った彼女に、シマは満面の笑みを見せた。それから彼女の背後にちょっとだけ頷く。
「はああああああ!」
俺は声に驚いてシマの背後から飛び出した。レツ?! レツは池の縁近くに立って、剣を振り上げていた。あの子に気付かれたら攻撃されちゃう!
渾身の力で振り下ろした剣は、彼女を繋ぐ緑色の光る紐を捉えた。彼女は頬を包むシマの手に自分の手を添えて、ゆっくりと振り返った。
レツの剣は緑色の光の紐に触れると真っ白に輝いた。
あれは光属性? ハヤがいないのに?
光る紐はしばらく耐えていたけど、ついに耐えきれずに断ち切れた。切れた紐が宙に舞うのが、まるでスローモーションみたいに見えた。
途端に池から真っ黒い霧が立ち上った。レツは霧の勢いに吹っ飛ばされて転がった。ごうごうと音を立てて逆流する滝のように空へ舞い上がる。真っ黒い霧のせいで夜空の星が見えなくなったくらいだ。あれは、何?
俺たちは空へ消えていく霧を、首が痛くなるほど見上げて眺めていた。
完全に霧が空へ消え、星がまた見えるようになってから視線を池に戻すと、彼女の姿はどこにもなかった。
「そうだ、ハヤ!」
俺はハヤに駆け寄った。ハヤが呪文を使うほどだったんだから強い魔法だったに違いない。エルフ相手だから、同じ魔法でも強力にする必要があったはず。それが跳ね返ったんだからダメージだって多い。
霧にびっくりして転がったまま空を見上げていたレツも駆けつけた。ハヤは倒れたまま動かない。レツはハヤを抱えて揺すった。
「団長、しっかりして!」
回復魔法をかけられないから、そんなに簡単に意識が戻るわけじゃない。魔法薬もない魔術師のいない今のパーティーじゃ傷ついた仲間を癒すことはできないんだ。
あの部屋に運ぶにしても、体の大きいハヤを運べるのはコウくらいだし、そのコウだって攻撃されて気を失ってる。
レツはなんとかハヤを抱き上げようとしたけど、レツ一人じゃハヤの体は一瞬しか浮かなかった。一人ずつレツとシマ二人で運ぶしかないかな。完全に気を失ってる人を簡単には運べないだろうけど。
キヨがいてくれたら、少しは回復できるのに……
「ちょっとどけ」
声がして顔を上げるとキヨがいた。
「キヨ!」
キヨは俺になんか目もくれず、ハヤの傍らに座って集中した。ふわりと温かそうな光がハヤを照らす。
「レクパラシオ」
キヨが呪文を唱えると、集まった光がハヤに降り注ぐ。しばらくして、少し身じろぎしたハヤは目を開けた。
よかった、気がついた。安堵の息をついた俺たちをよそに、唐突に起きあがったハヤはキヨに抱きついた。え、めちゃめちゃ元気?!
「ちょっ、お前!」
「よかった……よかった……」
キヨに抱きついたハヤは首元に顔を埋めたまま小さく呟いていた。
ハヤ、自分で体調を診たこともあるけど、相当心配してたんだな。
俺とレツは顔を見合わせて笑う。キヨもそっと腕を回すと、安心させるようにハヤの背中をぽんぽんと叩いた。それからハヤを離そうとしたけど、ハヤはがっちり腕を回していて離れなかった。ん?
「おい、もういいだろ」
ハヤはその言葉を無視して更に強く抱きつく。あれ、なんかあるの?
「王子、役得なのはわかったからそろそろ返してもらえる」
「ハルさん!」
声に顔を上げると、ハルさんがハヤの頭を指先で突いていた。背後にはコウとシマもいる。ハルさんが回復魔法かけてくれたんだ!
ハヤは恨めしそうに視線だけでハルさんを見てから、パッとキヨを離した。
「もー、ちょっとくらいサービスしてくれても」
「そういうサービス提供はないんです」
ハルさんはそう言ってキヨを立たせた。キヨはちょっとだけふらつきながら立ち上がる。もしかしてまだ本調子じゃないのに、慣れない白魔術使ってハヤをたくさん回復させちゃったんだろうか。明らかにハヤのが元気そうだ。
立ち上がったキヨは、がらんどうになったあの池を眺めていた。
「そしたら、戻ろ」
レツがそう言って立ち上がったので、俺たちはキヨの寝ていたゲストの家に向かった。
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