第2話 華麗なる解明
「つかぬことをお伺いしますが、これ、あなたのスマホではありませんかね?」
賀川にそう声をかけてきた者がいた。緑ヶ丘公園のベンチの下と舗道の間に首を突っ込んで、それを探している最中である。唐突なことに驚いて、首を上げて、賀川は男の手渡したスマホを眺めて、確かめると、丁重にお礼を述べた。
「ありがとうございます。さっきから、探していたんです。まさか、落としていたなんてね。助かりました」
「今は、こいつがないと、不便なものですね。僕にも分かりますよ」
男は、鏑木健一郎という名であった。出会った二人は、仲良くベンチに腰かけてしばらくの間、取り留めもない世間話で時間を潰していた。しばらくして、鏑木が急にこんなことを言い出した。
「人間って不思議なものですね。ともすれば、時間が経つと、あとになってあんなところに、こんなものを忘れてきたな、こんなことをし忘れたなってね。迂闊なものです。まあ、命取りになるってことは、滅多にはないでしょうがねえ?」
その言葉が、賀川には妙に引っ掛かった。何かが彼の脳裏をよぎる。でも、何か漠然として明瞭な言葉として浮上しなかった。何だろうか?
「鏑木さん、あなた、お仕事は?」
すると、鏑木は妙に人懐っこい笑顔を浮かべて、モジャモジャ髪をかき回しながら、
「恥ずかしながら、僕は世間で言うところの遊民って奴でしてね。ブラブラと、その日暮らしで過ごしてますよ。売れないもの書きもしてはいるんですがね。まあ、一種の時間潰しですな」
「そうでしたか‥‥‥‥」
話していると、この鏑木には妙に人を引き付ける魅力のような雰囲気があった。賀川は、急速に、彼に好意を持った。何やら、このまま別れてしまうのが惜しいような気がしてならないのである。
そこで賀川は、鏑木に、居住している住所を無理を承知で訊いてみた。すると、案外とすんなりと、鏑木は、N区にあるマンションの名前らしきところを教えてくれた。一人暮らしで気ままに暮らしているらしい。
「ねえ、鏑木さん。もし、お邪魔でなかったら、今度、お宅へお伺いしても構いませんか?何だか、あなたと、このまま、別れてしまうのが惜しいような気がしてならないのですよ」
すると、鏑木は笑って、
「大いに歓迎しますよ、ぜひ、いらしてくださいな」
と、寛容に承諾してくれたのである。
それで、挨拶もそこそこに、二人が別れると、ベンチに残された賀川は、しばらく考え込んでいたが、やがて軽く頭を振り払って、返されたスマホを大切にポケットに、しまい込むと、家路についた。
ぼろアパートの布団に寝転んで、コンビニの焼き肉弁当を喰い終わると、衝動的に彼の強烈な性欲が、突き上げてきて、どうしようもなくなった。女を抱きたくなって堪らなくなったのである。それで、とうとう仕方なく、彼は、出張ヘルスに電話を掛けると、可愛い娘を頼むとお願いして、しばらくしてやって来た、小柄でポッチャリした女の子と一戦を交えた。ツンと上を向いた乳房が印象的なキュートな娘であった。
しかしである。その娘の上目遣いの恍惚とした眼差しを眺めているうちに、次第に、あの順子の死に際の視線と重なって見えてくる。あれは、じっとこちらを睨むような視線だった。これには賀川も驚愕した。またもやの、順子の亡霊である。だんだんと、賀川は、内心で恐ろしくなってきた。
順子に取り憑かれているのか?
そこで、金を渡して、女には早々に引き払ってもらって、ひとりで賀川は考えていた。
その時、急に何故か今日の昼間の鏑木の言葉が思い浮かんだのである。
「命取りになる忘れ物がね」
そうなのだ。あの殺害現場に残した監視カメラや電磁石の類いが、頭に残ってしようがない。それに、何かの気づかぬ忘れ物をしでかしている可能性だってある。気が気ではなかった。それで、悶々とした気持ちで寝床についた賀川であったが、なかなかに寝つけない。そして、眠れぬままに白々とした朝をそのままに迎えた。
そこそこに、粗末な朝食を済ませると、早速に、賀川は、例の一軒家に向かった。以前のように鍵開け器具で、扉から忍び込み、急いで全ての部屋に取り付けた仕掛け器具を取り外してから、改めて、迂闊なわすれものがないか、も、確かめてから、道具を大型の紙袋に詰め込んで持ち帰るようにして、現場を後にした。
それからの幾日かは、賀川は順子殺しを忘れてしまおうと懸命に女遊びに興じた。しかし、その、しばしばに、順子の面影を見出だしては畏れ怯のくことばかりで、どうも仕方なかった。
そんな、ある日である。
昼御飯をファミレスで満腹させて、賀川が帰宅すると、アパートの扉を開き、中を覗き込んで、思わずギョッとして驚いた。
部屋のテーブルに、キチンと腰かけて、あの鏑木がニコニコ顔で座って、賀川を迎えたのである。自分の部屋に鏑木がいた。
「これは驚いた。鏑木さん。また、何でここへ?」
「どうも、言い訳も出来ませんね。実は、またあなたと楽しくお話ししたくなりましてね。あなたの部屋へ忍び込みましたよ、こいつでね」
そう言って、鏑木は片手にした1本の金属棒を差し出して賀川に見せた。
「奇術用の鍵開け道具なんですよ。悪い趣味でしょう。僕、奇術の研究が趣味でしてね。‥‥‥‥‥‥、どうですか、あれから、その後は?」
賀川は、鍵開け道具のことで、内心、気が気でなかった。あの殺害に使った道具と鏑木のものとでは、果たして偶然の一致なのだろうか?それとも、鏑木が意図的に?しかし、そんなことは、到底に、あり得ないことであった。どうも、隅におけない男だな、この鏑木は、と思いつつも、いつの間にか、二人がテーブルを向かい合っての話題が、鏑木の奇術のことになってくると、流石の賀川も、幼子のように時を忘れて、彼の興味深い話に耳を傾けているのであった。生首がテーブルの上で、喋り出すという「ストデア大佐の首」、椅子に腰かけた女性が身体を包んだ布をめくると消えているという「貴婦人の消失」、脱出王ハリー·フーディニーと、枚挙に暇がない。そうこうしているうちに、時間も過ぎ、慌てて、鏑木が上着のポケットから、1枚のチケットを出してくると、賀川に差し出して言った。
「来週の月曜から、都内のS美術館で現代アート展を開催するっていうんですがね、どうです?御一緒に見てみませんか?面白いですよ、現代美術のシュールっていうのはね。意味の分からんものに値打ちがつくんですからね」
「はははは、面白いですね。ぜひ、行きましょう。お連れくださいな。月曜ですね、承知しました」
鏑木が暇乞いをして、別れ、やがて月曜の午後となった。二人は美術館の館内を、順に拝観して回っていた。どれもこれも、意味のつかない、まるでからくり細工のような代物ばかりで、賀川にはチンプンカンプンだった。大きな腕に、真っ赤な骨が乗っかっていたり、針金細工の猫を、透明な球体が包んでいたり、意味不明である。
そんな、あるところで、ふと、賀川は、あるモチーフの前で足を止めた。衝撃的な出会いであった。
白い石膏細工で出来た少女の像である。それならいいのだが、その石膏の少女は、まるで、透明人間に首を絞められているかのように、ペタリと座り込んだまま、後ろに身体をのけ反らせて、首の辺りを両手でかきむしって、もがいているようである。それは、どう見ても、あの日の順子の亡き瞬間のポーズを連想させずにはいられないのだ。賀川は、あまりの恐怖に総毛立った。そこへ、いつの間にか、彼の背後に忍び寄った鏑木が、賀川の耳もとで小さく囁いた。
「実にリアルですね。犯罪の瞬間って奴ですかね。でも、たぶん、透明人間っていうのがこの作品の重要なノイエスなんでしょうねえ」
恐ろしい。心底、この鏑木が恐ろしい。そう、賀川は感じてしばらく唖然としているばかりであった。
その後、しばらくの間は、鏑木とは会わぬ日々が続いた。
そして、ある日に、賀川が、歌舞伎町のソープランドで好色そうなソープ嬢とマットレスの上で、濃厚なセックスを楽しんでいた時である。突如、賀川が暴発した。事を終えてオーガズムに浸っていたソープ嬢の首を突然に締め上げ、「死ね、順子、死ね、順子」と連呼して、もがき逃れたソープ嬢の連絡で店内がちょっとした騒ぎになったが、正気に返った賀川の必死の弁明で何とか事なきを得て、済んだのであった。
それから数日は、事亡く過ぎたが、ある日に、鏑木から連絡が来て、今日の午後に都内の喫茶「モランボン」でどうしても、お話ししたいことがある、というのである。いったい、何の用件だろう、と思ったが、好奇心が誘って、彼は言われるがままに、指定された喫茶店まで赴いた。
喫茶「モランボン」の店内は照明を落としてある。囁くようなボリュームで、クラシック音楽が静かに流れていた。
賀川が着くと、目当ての鏑木は、店の隅にある壁に囲まれたボックス席で、黒いコート姿がまるで一匹の蝙蝠のように黒くうずくまって腰かけていた。まるで獲物を捕える猛禽のようだ、と賀川は感じた。やがて鏑木は、賀川に気づくと、にこやかに笑顔を浮かべて、賀川に席を勧めた。
「お忙しいところを、どうも申し訳ありませんね。どうぞ。どうぞ」
「で、鏑木さん。用件と言いますと、何でしょうか?」
すると、鏑木は、鋭い視線で賀川を見つめて告げた。
「あなた、咲山順子を殺害しましたね、でしょう?」
「何の事ですか?突然に?」
思わず、賀川の指先が、椅子の肘掛けに深く突き刺さる。身体がこわばった。
鏑木は、安煙草に火をつけて吸った。旨そうである。
笑って、鏑木は言った。
「どうも、煙草は止められませんな。いけないものですよ。ははは」
賀川は黙っていた。鏑木が言った。
「そもそもは、あなたのスマホですよ。いけないとは知りつつも、中を見てしまいましてね。分かってますよ、あの監視カメラと盗聴機はね」
「いや、あれは」
「でも、それが何の事かは分からなかった。それで、あなたに言葉の罠を仕掛けたんです」
「言葉の罠?」
「僕はあのカメラの正体を知りたくなった。それで、あなたに、「命取りの忘れ物」って告げたんです。あなたは僕の罠にまんまと引っ掛かった。よく言うでしょう。「犯人は現場にまた足を運ぶ習性がある」ってね。それに、あなたがベンチに頭をいれて探し回っているところから見ても、かなりのせっかちだな、と思いましてね。翌朝に、あなたの家は追けて知りましたから、張り込んでいたら、案の定に、あなたは、現場に向かった。僕はあなたに気づかれぬように、後を追いました。そして、あの家を知ったんです。そして、あなたが帰るとすぐに、僕もあの家に忍び込んで確かめましたよ。この家だなってね。それから、近所の人たちに聞き込みをして、咲山順子がここ数日間、行方不明らしいことも確認しました。あなたの監視盗聴と、咲山順子の失踪。それで、どうも、何やら犯罪の匂いがしてきましてね」
若いウェイターが、洒落たカップに注いだ珈琲を二杯、運んできた。鏑木はちびりと珈琲を呑んだ。
「でも、決定的な証拠がないんです。それで、あなたには悪いが、強制的に家宅捜索させてもらいましたよ。ほら、あなたの部屋にいたでしょう、僕が。あなたの部屋の押し入れから、多量の血痕のついた2枚の白いバスタオルを見つけましたよ。いけませんね、あなたの致命的なミスですよ。それで、殺人の可能性は決定的でしたよ」
もう駄目だ、この男は知っているんだ、全てを。そう思って、賀川は、改めて、深々とソファに身を沈めて気を鎮めようとしていた。
「そこで僕は警察の鑑識の知り合いの助けを借りて、あの現場で、大量のルミノール反応液で血液反応を調べました。すると、ご存じでしょう?浴室から大規模なルミノール陽性反応が検出されましたよ。あの浴室で大量の血液が流れた。つまり、あなたはあの浴室で咲山順子を解体したんでしょうな」
鏑木は、ぐっと珈琲を飲み干した。賀川の珈琲は手つかずだ。それどころではないのだ。
「最後に残された問題は」
と、鏑木は2本目の煙草に火をつけて、ふうと、煙をはくと言いのけた。
「どうやって、順子の死骸を処分したのか?たぶん、手っ取り早く行ったに違いない。山に埋めたのか?それでは、穴を掘るところを人に見られる可能性がある。では、海か?近くにはないようだが、どうやら湖がいくつかある。そうに違いない。それで、僕は近くの湖を当たりましたよ。それで、何度目かに、あなたとそっくりの人物が貸しボートを頼んで、黒い大きなごみ袋を2つ積んで出ていったって言うじゃないですか?これで決まりましたよ。きっと、あなた、ご存じじゃなかったんですね。あの湖ね、思うほどには、底が浅いんですよ。2、3メートルもないんです、深いところでもね。今、現在、警察の捜査隊が、僕の話に納得してくれて湖の底を捜索中なんですよ。もう、時間の問題でしょう。あの順子の死体が上がるのもね」
賀川はもう、呆然自失の態であった。何やら、訳も分からずになった彼は、席を立つと、そのまま鏑木の言葉も耳に届かない様子で、フラフラと店を出た。喫茶店の前の通りをいく女性がいた。順子だった。間違いない。そう確信して、彼は彼女の後をつけていく。やがて、異変に気づいた警官が、彼を取り押さえたが、もう彼は正気ではなかった。何やら、ぶつぶつと呟いては、その場に座り込んで、いつまでも、動こうとはしなかった‥‥‥‥‥‥‥。
ストーカーの果てに かとうすすむ @susumukato
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