第8話 発芽

 俺とミーシャは部屋を出て、日が暮れて暗くなった廊下を二人で歩いていた。


 あの後部屋に運ばれてきた食事をミーシャと楽しみ――ミーシャは食事を一切口にしていなかった――俺を引き渡す時間になるまで時間を潰した。


それからしばらくして、約束の時間だと告げる彼女の言葉を合図に、俺は首に隷属の首輪を装着し直し、彼女の後ろを歩く形で廊下へと進む。


 そして冒頭に戻ると言うわけだ。


 ミーシャがどこを目指して歩いているのか、直接は聞いていない。


思考を盗んだ限りだと、なかなかに面倒な手順を踏んでこの城に務めている騎士の一人と合流する手筈になっている様だ。


「これだけ人目を忍んで面倒な手順を踏ませるなんて、君のとこのボスは慎重なのか馬鹿なのかどっちなんだ?」


 他者にバレるのがそんなに怖いのなら、最初からこんな計画立てなければいいのに。


まぁ、手順自体は洗礼されているし、もしかしたら元からある手段を応用しているだけなのかもしれないが。


こうした陰謀はいつの時代も存在してきたのだろうし、人間の十八番でもある。


文明も世界も関係なく、悪巧みする人間が多い事には呆れて物もいえなくなるな。


前の世界では散々悪事を働いてきた俺が言えたことでもないけど。


「……もう間もなく受け渡し場所に到着致しますので、静かにしていてください」


「分かってるさ。なんてたって、今の俺はだからね」


「……本当に、申し訳ございませんでした」


 本の冗談のつもりで言ったのだが、思いの外ミーシャの中にある罪悪感を刺激してしまったみたいだ。


これも少しずつ俺たちの仲が良くなっていることの兆候でもあるのだが、あんまりにも辛気臭いと面倒が臭い。

多少のフォローも必要かな。


「護るために行動しただけだろ? だから君は悪くない」


 人の心は複雑で、完全にコントロールするには中々手間のかかる解析が必要になる。


だが、それなりでいいのならばちょっとした魔術や、少しの言葉でこちらの意図した方向に操ることができる。


今回は罪悪感を少しだけ取り除き、家族を護ると言う目的を改めてミーシャに強く認識させた。


これにより、俺が彼女の望みを叶えてやった時に得られるであろう忠誠心を大いに高めることが出来る。


「ようやくご到着みたいだね。ここからは俺が進めるから、君は成り行きに身を任せておくといい」


 城の中での大移動も大詰めらしく、地下に配置された部屋の前でミーシャが立ち止まり、一定のリズムで木製の扉をノックする。


これが開閉の符号になっているのであろう、ノックを確認して数秒ほどで中から鍵の外れた音がして扉が開かれた。


 部屋の中は薄暗く、余計な家具も置かれていない。


正にこのような悪事にはもってこいの場所だった。


「──の勇者をお連れしました」


 部屋に入ってすぐにミーシャはそう言った。


それを受けるのは、騎士と呼ぶに相応しいがっしりとした体格の長身の男。


夜も更けたこんな時間であるためか、騎士を象徴する鎧は装着せず、顔を隠す様子もない。


「……まさか、こんな杜撰な計画が上手くいくとは思いもしなかった。何はともあれご苦労だったな。後はこちらで引き継ごう」


 俺を一瞥した男がミーシャに頷き、言外にここから早急に去るように伝える。


「……妹は、妹は無事なのでしょうか?」


 そんな男にミーシャは不安げな顔で家族の無事を確認するが、それを聞く男の顔は酷く面倒そうである。


「お前が立場を弁えてこちらの任務を遂行してさえいれば、殺されることは無いんじゃないか? 

さぁ、もういいか? 早くここから消えないと、お前が立場を分かっていないと報告せねばならなくなるのだが」


「も、申し訳ございません! それでは──あとはよろしくお願い致します」


 男の言葉に慌てた様子で頭を下げるミーシャ。


最後の言葉は俺の方を見つめて発言していたが、上手い言い方だ。俺にも目の前の大男にもその意図が伝わる。


男の方には言葉の通りに黒幕によろしくと。


そして、俺には妹を救ってくれという意味が。


 余計な音を立てない様、この場から器用に走り去るミーシャを尻目に男は声を出す。


「……全く、愚かな女だ。どうせ用済みになればどちらも殺されるだけだろうに。まぁ、任務は達せられたんだ、少なくとも、命拾いできるだろうさ」


 独り言でも呟く様にそんな物騒なことを口走る大男。


俺がこんなに近くにいると言うのに呑気なものだが、この男からすれば隷属の首輪を着けた今の俺は言葉通りの傀儡の身だ。


「……お前も情けないな。あんな女に不覚をとるなんてな。本当に勇者なのか?

そもそも、召喚されてきたのはどいつもこいつもただのガキだったか。

こんなのが人類の希望だなんて、全くもって泣けてくるぜ」


「全くもってその通りだな」


「──ッ!?」


 男の言う言葉には一部同意できる意見であったので思わず声を出してしまうと、それに反応した男が腰元に帯刀していた剣を引き抜き横凪に斬りかかってきた。


ミーシャと言い、この男と言い戦乱のさなかにある世界の住人であると言うだけの事はあり、咄嗟の出来事に対しての攻撃までの選択が異様に素早い。


「──【支配ドミネイト】」


 俺の首元を正確に狙った剣先がピタリと止まる。


分かっていた事ではあるが、相変わらずこの世界の人間の魔防は貧弱だな。


「お前の言う通り、あんなガキ共を勇者として頼ることしか出来ないこの世界の人間に呆れ果てていた。

その一点に関しては泣けると言うお前に同情するよ。

だが、俺をあんな雑魚共と同等に扱うのは気に食わないな」


 剣を振りかざした体勢のままピクリとも動かなくなった大男を見上げて、俺は言葉をかける。


「──も、申し訳ございませんでした! 貴方様にこの様な無礼を! 死を持って償います!」


 俺に向けていた剣を慌てた様子で腰の鞘へと引っ込め、てっぺんが見える程に深く頭を下げる男。


「別にここで死ぬ必要は無い。お前にはまだやる事があるからな。さぁ、俺を連れてこいとお前に命じた人間の元に案内しろ」


「はっ! 承知致しました! 王宮魔導士――ウェンリルの元へとご案内致します!」


 手の平を返した様な男の豹変ぶりもそうだが、何よりもあっさりと正体を明かされた黒幕に笑ってしまう。


「王宮魔導士ウェンリル……、名前を聞いても誰かわからないな。

面倒だが仕方ない。【記憶解析メモリーアナライズ

──あぁ、あの時の年寄りか」


 名前を聞いても誰かわからなかったため、この男の記憶を直接覗いて見た。


【記憶解析】は主に犯罪の調査の際に被疑者や被害者へと使われ、犯罪の証拠や関与の立証をするために使用される魔術である。


術を使用すると対象者の記憶を映像として見ることが出来るため、俺もよく他人の弱みを握るために活用していた。


俺の世界の人間であれば抵抗しようと思えば簡単に出来てしまう魔術であるため、こうも簡単に他人の記憶を覗き見ることなど出来ないのだが、この世界の人間の魔術耐性は紙よりも薄っぺらいので覗き見し放題である。


 そして記憶を覗いて分かった王宮魔導士ウェンリルの正体は、俺が国王に【肉体復原フィジ・リレイション】を掛けようとした際に声を荒らげて邪魔してきたローブ姿の老人であると分かった。


「さて、ミーシャ、もう出てきていいぞ。今から黒幕の元に向かう」


「……承知致しました」


 俺の言葉に呼応する様に先程去ったはずのミーシャが薄暗い廊下の先から現れる。


さて、準備は整った。


人質を盾に美女を操る悪者を懲らしめると言う大義名分の元、俺の力を見くびった馬鹿に分からせてやる。


そんな思いを胸に秘め、俺は騎士の大男に命じて廊下を歩き出す。


☆★☆★


 私たちを誘導する大男にはほんの少しだけ同情する。


彼は今、文字通りにマギア様のにいる。


マギア様の術で身も心も支配される。


あの感覚は一度味わった者しか分かりようがない。


自分の中にある虚しさや空虚、不安といった心にぽっかりと空いた穴。


その全てが満たされ、ただマギア様に尽くしたい、寧ろそれこそが私の生きている目的であるのだと、思考の全てが塗り替えられていくあの感覚。


それは恐怖でもあり、至高の極楽でもあり、最高の快楽でもあった。


「マギア様、もう間もなく到着致しますので、もう暫くご辛抱ください」


 あの時、私にもマギア様にも見下す様な視線を向けていた大男が、国王陛下──いや、神様を相手にするかの様な尊敬やら忠誠やらを全て込めた瞳で私の目の前のお方を振り返る。


そんな目を向けられたマギア様は、それを気に留めることも無くただ無言で頷き歩みを進めている。


 マギア・ブーティス。彼を隷属し、その摩訶不思議な魔法の力を支配下に置く。その為にいかなる手段を用いても『隷属の首輪』を彼の首に巻き付けろ。


そんな命令を下された時、私は冗談だろうと思った。


そもそもが彼は勇者として召喚された身である。


そして何より、国王陛下のご説明を聞き、この世界の危機を解決するため、最大限の協力を約束して頂いてもいた。


そんな人物をわざわざ隷属の首輪などと言う、人間の尊厳を踏みにじる為だけに開発された魔道具で支配するなど間違っている。


だが、私にはその理不尽な命令を拒否する権利も、勇気も持ち合わせていなかった。


 両親は私が10歳の時に魔物によって殺された。

そして、他の親族もまた、邪神の降臨によって凶暴化した魔物に殺されていた。


残された家族は5歳年下の妹のみ。


私はそのたった一人の家族を守る為になんでもやった。

10歳の身ではろくに稼ぐことも出来ず、当たり前のように盗みにも手を出した。


 小さな子供が生きる為に、悪事に手を染める。


盗んだ食事を奪い合い、人の居ない薄暗い路地裏で小さく丸まって眠りにつく。


それが今のこの世界ではありふれた光景であった。


 寧ろ、私は幸せな方であったのかもしれない。


たまたまスリに狙った女がこの城で働くメイドの長で、たまたま母譲りの容姿と悪事で鍛えられた手先の器用さを認められ、幼くしてこの城のメイド見習いとなることが出来た。


つまるところ、安全に睡眠できる環境と飢えのない生活を手にすることが出来たのだ。


 しかし、その安寧もそう長くは続かなかった。


ある日、私と共にメイド見習いとして働いていた妹が、消えてしまったのだ。


城の中を駆け回り、その姿を探しても妹は見つからなかった。


そして、たった一人の家族までもを失った絶望に呑み込まれそうになった時、とある騎士に声をかけられこう言われたのだ。


──お前の妹はとある御方が預かっている。また生きて会いたいのならばこれからは我々に忠誠を捧げ、その身が滅ぶまで尽くし続けろ。


 私には選択肢などなかった。


何処にいるのかも分からない、そもそも本当に無事でいるのかさえも分からない妹のため、私は彼らに課せられる厳しい訓練をこなし、時折下される任務を遂行した。


「……」


 妹が攫われてからの絶望と隣合わせの生活を思い出しながら、私はマギア様の背を見つめる。


服の上からでは魔法使いに相応しい線のか細い、弱々しい体型をした男の子にしか見えない。


だけど、私は知っている。

その服の下には先頭を歩く騎士にも引けを取らない、屈強な肉体が隠されていることを。


彼は確か、妹と同じ15歳だと言っていた。

それにも関わらず、『若返り』や『支配』などという、まるで神のごとき魔法をいとも簡単に操ってしまう。


それは、一体、どんな努力や苦悩の上に成り立つ結果なのだろうか。


どれだけの想像力を巡らせても、私なんかでは決して想像することも出来ない。


「この部屋で待っているんだな」


「はいマギア様。その通りでございます」


 案内の騎士の言葉に歩みを止める。


この中に妹を攫い、私に汚い仕事をさせ続けていた元凶がいる。


そう考えると、怒り、怨み、恐怖と言ったいくつもの負の感情が浮かび上がってきて、私は胸が締め付けられる様に苦しくなった。


 胸元を手で押さえ、苦しみを紛らわしていると、不意に右の肩に手を置かれる。


触れた掌の感触に俯いていた顔を上げれば、そこには天使と見間違えてしまうような優しい笑みを携えたマギア様がいた。


「ミーシャ、準備はできているね? 君の家族を救いに行くよ」


「……はい、マギア様。準備は整っております。いつ突入しても問題ありません」


 マギア様……本当に不思議なお方です。

少しお声を掛けていただいただけで不安も恐怖も全てが吹き飛び、胸の底から勇気が湧いてくる。


 もし、もしもこの先全てが上手くいって妹を無事に取り戻すことができたとしたら、私の残りの人生は、全てこの方に捧げよう。


そんな決意を胸に、騎士によって開かれる扉の先へと視線を向けた。

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