第2話 脱獄

 重力も、空気も、音も、光も、感触すらも感じられない空間で、俺はただただ浮かんでいる。


いや、本当は浮かんでいるという表現すらもあっているかわからない。


浮かんでいると考える割はそれに伴う浮遊感も感じられないからだ。


 勇者とその仲間たちに不意を付かれ、この”次元の狭間”と呼ばれるなにもない無空間に強制転移をさせられてから、一体どれだけのときが経過したのだろうか。


年換算で約3億年ほどの秒数を数えた辺りで、時を把握するのはアホらしくなって止めた。


そこまでやったら続けろよと思うかもしれないが、興味が失せるとやる気を無くすのは昔からの性分なのだ。


その昔というのも、感覚上ではかなり太古の昔のことなので、自分の性分が本当にそんなだったのかと聞かれればちょっと自信がない。


でも、かつての俺は知的好奇心の塊で、疑問に思ったことの答えを得るためであれば、どんなに汚いことでも、残酷なことでも、人間の通りに外れたことでも平気でやっていたと言う記憶は未だにある。


なぜなら、そんな俺の所業が原因で、こんな牢獄に閉じ込められているのだから、それを忘れることなどできるわけが無い。


それは俺自身への戒めとして記憶に、そのさらに深い場所である魂へと刻み込まれているのだ。


 ふと、俺の肉体と魂が、この次元の狭間に満ちる無限とも言える程に莫大な量の魔力を吸収している感覚がした。


どうやら、【魂魄新生ソル・リジェレイション】の自動発動周期がやってきたらしい。


この術式の開発当初は達成感に胸が踊り、大いなる全能感に打ちひしがれていたものだが、今となって不老という人類全ての希望が、俺にとっては絶望を与え続ける呪いへと成り代わっていた。


 どうりで今日は意識がはっきりと覚醒していたわけだ。


永き時を過ごせば人間に限らず生物のほとんどは肉体は朽ち果て魂は乾き干からびていく。


それは定められし運命であり、この世界における絶対のルールだ。


その世界のルールを超越した生命体が魔法生命体と言う連中であり、人々はそれを神とか精霊だとか銘打って崇め奉る。


俺に言わせれば人間含めるこの世の生物の思念と魔力に依存する、感情の薄い寄生虫みたいなものだと思っていた。


だが、今こうして奴らと同じ不老であり、死ぬこともできないという状況に陥ってからは、感情というものが極端に薄い奴らの存在が実に効率がいいことがわかる。


 不老不死と言う力に感情など不要だ。

意思などあっては永き時の退屈さに、絶望を味わい続けることになる。


何度も何度も意思を消し去り、思考を止めようと精神破壊の術式を俺自身に発動させてみても、結局は肉体と魂が再生を始める際に、精神までもが回復し、失われていた時間を取り戻すかのように、思考を止めていたときの記憶が一気に脳裏に駆け巡る。


俺の様に、じっとしているよりも研究に没頭し、実験に明け暮れるという人生を送ってきた人間にはその感覚は冗談抜きで地獄だった。


 何も起きない、何も出来ない。

そんな空間で意識を保ち続けたまま何億年もの悠久ときを過ごす。


もう、な悪さは二度としないと誓うから、この絶望から救い出してくれ。


何度目になるかもわからない祈りを捧げる。


神でも、精霊でも、悪魔でもいい。靴でもなんでも嘗めてやるから、俺をここから出してくれ。


もう、俺は十分に反省した。

もしこの空間から出してくれるのならば、これまで破壊してきた星々も、弄んできた生命も、全てを元に戻すよう努力するから。


勇者の代わりに世界だって救ってやるから。頼むからここから出してくれッ!!


 そんな俺の激しい渇望が、純粋なる願いがなにかに届いたのだろうか。


それまで、何も感じることの出来なかったこの『次元の狭間』という空間に、初めて微かにだが魔力の揺らぎを感じた。


それは、濃度が高く、粘り気のある液体の中に、小さな気泡が入り込んだ様な微かな気配である。


 俺はその初めて感じた空間の歪みに、必死で意識を向け、手をのばした。


実際には俺の手がそこに伸びていたのかも、その歪みが発生した場所にたどり着けていたのかもわからない。


だが、俺の願いを聞き届けるかのように、伸ばしたこの手を吸い上げるかの様な、不思議な感触がこの身を襲ったかと思った矢先、俺の五感は復活を果たしたのだった。



★☆★☆


 久々に感じる四肢の感覚。皮膚を包容する空気の気配。


バタバタと何かが動き回る足音に聴覚が反応し、まぶたに閉じられていた瞳をゆっくりと確かめるかのように開いてみる。


「────ッ!? ────??」


 何十億年ぶりに視界に写ったのは、透き通る銀髪をポニーテールにまとめた、赤い瞳をした美しい女性の姿だった。


聞いたこともない言語でこちらに何かを言ってきているようだが、残念ながら今の俺にはそれに意識を向けられるほどの余裕はない。


「──やったっ!! ついにやったぞっ!! 俺はようやく抜け出せたんだっ!!!!」


 空中へと腕を大きく広げて喜びを言葉に変える。


何十億年かぶりに発した言葉は、平時の俺なら自分でも驚いてしまうほどの声量であった。


だけど、今のこのハイテンションな状態ならば一切気にならない。


むしろ、こうして言葉を発するという行為自体に感動を覚えてしまうほどだ。


「ありがとうっ!! 本当にありがとうっ!!」


 俺は喜びのあまりに目の前で困惑した表情を浮かべている銀髪赤眼の美女の手を取り、お礼の言葉を述べる。


この子があの空間から俺を救い出してくれたとは全く思わないが、そんなことはどうでもいい。


今はとにかく何かにお礼を言いたい気分だった。


「──ッ!!?? ──ッ!!!!」


 俺に手を取られた女性は困惑した表情を驚愕の表情へと変えて、また聞いたことの無い言語で何か叫び声を上げた。


 脱出出来たことでの喜びで、周りを見ていなかったため、興奮する気持ちを抑え込んで美女から視線を周りへと向ける。


すると、随分と古臭く、何の魔術的加護も持たない、おおよそ太古と呼ばれる時代の兵士たちが装着するような、そんな鎧を身にまとった複数の男たちに囲まれていたことを認識した。


「──ッ!! ──ッ!!」


 彼らは俺に向けてこれまた随分と古臭いロングランスやらロングソードやらを構えて、執拗に叫び声を上げていた。


だが、生憎と俺が聞いたこともない言語であるため、向こうの意思を認識することが出来ない。


あまりの喜びに興奮しすぎてしまい、変な地雷を踏んでしまったようだ。


そもそも、脱出できたことに意識を集中しすぎていて、ここがどこなのか確認することを忘れていた。


 取り囲む兵士を無視して、この空間そのものに意識を向ける。


鼻につくカビ臭い匂いに、換気が不十分な埃っぽい空気。


床には俺が見たこともないほど拙く汚い術式が書き並べられた魔術陣が描かれている。


これらの情報から考慮するに、何かの建物の地下室か、どこかの古塔の一室だと思われる。


しかし、壁と使われている石材や、床に使われている木材を見る限り、かなり古い建造物である、ということは間違いないだろう。


『────ッ!!』


 俺を囲む兵士たちが怒り狂ったような表情を浮かべて、怒鳴り声を撒き散らす。


相変わらず何を言っているのかは分からないが、流石にいつまでもシカトをしておくわけにも行かないだろう。


何十億年ぶりかの復活だと言うのに、情緒の欠片もない連中だ。


(【思念盗取シークステイン】)


 俺は他者に発動したことが感知されないギリギリの魔力を練り上げ、無詠唱で対象の思念、つまりは考えている事を読み取る事ができるようになる魔術を使用する。


相手の言葉は分からなくとも、考えそのものを読み取れば何を伝えたいのかが分かる。


ただし、相手の知って欲しくない、秘密にしたいと言う余計な情報までもを読み取ってしまうことから、禁術扱いになっている。


まぁ、禁術とは言ってもある程度の魔術抵抗があれば意識しなくとも防げる種類の魔術なので、一般人が発動させたところで、意味の無い魔術ではあるのだが。


しかし、そこは大魔導士たる俺の魔術だ。


こと俺に限っては、大体の人間の魔術抵抗をぶち破ることができるので、失敗の可能性は考えなくてもいい。


〔こいつ!! 言葉が通じていないのか!? 早く姫から引き離さなければッ!!〕

〔いくら勇者と言えども姫の手を握るなど無礼にも程があるぞッ!!〕

〔早く姫から離れろッ!!〕

〔……この方、こちらの言葉が通じているようには見えないわ。やはり、召喚の失敗かしら? 本来は想定していない5人目の勇者……、なにかの手違いであった可能性は十分に考えられるわ。この状況、どうしようかしら……〕


 魔力の感知を防ぐため、魔術範囲をかなり絞ったのだが、どうやら問題もなく読み取れたようだ。


俺の脳内に、周りの兵士と眼前の銀髪美女の思念が入り込んでくる。


どうやら兵士たちは、俺の手が、目の前にいる姫と呼ばれる銀髪美女の手を握っていることに激怒しているらしい。


次元の狭間から出てきたばかりでいきなりの戦闘となっても面倒なので、彼らの要求通りに彼女の手を離す。


対応が遅すぎたのか、彼女から手を離しても兵士たちが武器を下ろす様子はない。


まぁ、突然襲いかかってくるということもなさそうだから、彼らについてはそこまで気にしなくてもいいだろう。


問題は姫と呼ばれていた女性の思考だ。


彼女からは”勇者”だとか、”召喚に失敗”だとかの重要そうな多くの情報を読み取ることが出来た。


悪の大魔道士とまで呼ばれた俺には、勇者などとてもじゃないが相応しくない称号だと思う。


だが、善人の塊のような存在である勇者と勘違いしてくれているのならば、それはそれでありがたい。


少なくとも、勇者という称号を与えられ、善行を積んでいるうちは、再び人類で結託して俺を次元の狭間に封じ込めるといった行動は取らないはずだからだ。


 俺は、もう二度とあんな空間には行きたくない。


だがら、本性を曝け出し、以前の様に好き勝手に行動するのはせめて、次元の狭間に閉じ込められてもすぐに帰還できる方法を見つけてからだ。


それまでの隠れ蓑になるのなら、俺は勇者にでも、聖者にでも、賢者にでもなってやろうと思う。


 彼女は”勇者”と言う言葉以外にも””召喚”という言葉も思考していた。


それにより、やたらと古臭い装備を身にまとう兵士たちや、世界遺産にでも登録されそうな、今いるこの建物についての説明もつく。


これは、おそらく多次元間召喚術式、もっとわかりやすく言えば、どこかの世界で発動された異世界召喚の術式に、俺がうまく干渉できたということだろう。


次元を超越して行う術式であるため、綻びが多く、召喚元の世界にも、召喚先の世界にも多大な影響が予想されるため、俺の世界では禁術扱いにされていたが、他の世界が俺の世界の人間を召喚してしまうという事例は多々報告されていた。


まさかその術式が次元の狭間にまで影響を与えているとは思いもしなかったが、よくよく考えて見れば、次元を超える召喚術を発動するのだから、その間に存在する空間次元の狭間に橋の様なものが出来てしまうのは仕方のないことだ。


今回は運良くその橋に俺が干渉して、召喚の被害者たちとともにこの世界に引き上げられたのだろう。


 なにはともあれ、ここが異世界であると分かったのは非常に助かった。


この俺の知識を持ってして、通じない言葉があるなどおかしいと思ったのだ。


ここが俺のいた世界とは異なるというのであれば、知らない言語であって当然だ。


だが、事情を察した今、彼らとの会話は急務だ。

これ以上に警戒されていては、厄介なことになるのは目に見えている。


 俺は武器を構えてこちらを未だに威嚇している兵士たちを無視して、何やら難しい顔で悩み続けている銀髪のお姫様へとにこやかに話しかけた。

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