最終章 嘘つきたちのアリア
第42話 誰が為の嘘--エリック/ミネルバ
これは、リアムが討伐する少し前の話。
エリックは、1人でミネルバの住む屋敷を訪ねていた。
「どうされたんです、陛下自ら我々のところに来られるなんて」
「…………記憶を、凍結する魔法はあるか?」
神妙な面持ちで語りだすエリックだったが、その声色は至って真剣だった。
もう既にこの時のエリックは、覚悟を決めていた。
というのも、あの新聞記事を見てからというもの、吸血鬼による被害が出ていることを匂わせる記事が多く出回るようになっていたのだ。
ロドリックはそれらを、吸血鬼の罠だと言って対策を講じていたが、エリックが覚悟を決めるには多すぎる材料となっていた。
自分が信じていた弟は、もう自分の知らない者になっている。
ならば、これ以上の被害を出す前に彼を自らの手で殺すことに決めたのだ。
そのためにできることはなんだってした。
ロドリックに頼み込み、鍛錬を積んだ。
そうすれば光の呪いの発現も早いと考えていたからだ。
国王になる以前の教育係であり、元軍令部所属の男をもう一度呼び寄せて、参謀本部として何度も何度もシミュレーションをした。
しかし、エリックには圧倒的な不足があった。
「……それが、彼に対する記憶である。ということですか?」
「あぁ。例え吸血鬼になったとはいえ、アイツが俺の弟であることはやはり変わらない事実だ。
それが、どうしても俺のあと一歩を踏み出せない足枷になっている。
戦場でいざ対峙した時にも、俺自身が手を下さるか自信はない。かといって、ロドリックや他の近衛騎士にトドメを任せたくはない。
これは、俺とリアムの問題で、引いては俺が過去と決別するためでもあるからな。
だから、もしも可能なら、俺がゼアライト家で過ごした記憶、主にリアムに関する記憶を凍結してほしいんだ。……できるか?」
「……可能です。しかし、本当に宜しいんですか。
凍結した記憶を元に戻せるかは分かりません、というよりほぼ不可能だと思います。
今までも、仲間の記憶を凍結したことはあります。
ただやはり元には戻せませんでした。
だから、もしこの後待ち受けている戦闘にて、弟君が死なずに捕縛という形になり、もしも元に戻せる方法が見つかったとしても、陛下には吸血鬼になった後の記憶しか残っていない、という状況になるんですよ」
「……それでいいんだ。もう二度と、リアムに誰かを傷つけてほしくない。そうなる前に俺が狩る」
エリックの強くまっすぐな瞳に気圧されて、ミネルバは渋々立ち上がり彼の頭へ手を伸ばした。
「わかりました……【ルトゥルレ・スヴニール】」
その途端、ミネルバの手の下から 淡いオレンジ色の光が溢れ出す。
それらを器用に纏めたミネルバは人差し指をスイッ
と動かし、凍結魔法を掛けたようだ。
そのまま部屋の奥の棚の方へ歩いて行く。
一つ手頃な瓶を取り出して、その中に光を納めた。
「……陛下、終わりましたよ。お身体に変わりは無いですか。頭がぼうっとするとか、重だるいとか、」
「いいや。全く無いよ、流石は魔族の長だな。助かった、感謝する」
エリックがあまりに普通の顔で笑うものだから、ミネルバの方がショックを受けたようだ。
自分に宿った魔力は人を守るためにあると、家族や先輩魔法士から教わってきた。
小さな頃から自分に大きな魔力があることにも気づいていた。
……まさか、この力をこんな酷いことに使うことになるとは、とでも言いたそうな顔を彼はしていた。
何しろ、この魔法を掛けたのは初めてでは無い。
ただ、頼んできた者は全員悲しい記憶や二度と思い出したく無いような記憶を取り出してほしくて、ミネルバに依頼をしに来たのだった。
まさか自分が一番幸せであっただろう時の記憶を取り戻すことになるとは思わなかったのだろう。
ミネルバは、エリックとは目を合わせず、瓶の中をぼんやりと見つめていた。
「それが、俺の中から取り出されたリアムに纏わる記憶なのか?」
「はい。
……綺麗な、オレンジ色ですね。陛下にとって彼がどれほど大切な存在であったのかよくわかります」
そう。
記憶の内容によって、瓶の中に溜まる色が変わっていく。
悲しい記憶なら青色、苦しい記憶なら禍々しい緑色、紫色の時もあった。
しかし目の前の瓶の中で、とぷんっと揺れる記憶は泣きたくなるほどに綺麗で暖かいオレンジ色。
どう考えても寂しい記憶でも、苦しい記憶でも無い。
大切で愛おしくて、暖かい記憶だったはずだ。
「そう、だったんだろうなぁ……なんとなくだが、心が軽くなってしまったような心地がするよ。
大切な何かを失ってしまった、そんな気持ちだ」
「ならば、こんなことしなくても……貴方は賢い人だ、他にも方法はッ」
「いいんだ。こうでもしないと、いつまでも立ち上がることができない。
これで彼奴らと真剣に対峙できるよ。
もうこれ以上、誰も辛い思いをすることが無いように、俺は強くならないといけないからな」
「……ご無理はなさらないでくださいね。
ですが、陛下がそのおつもりなら僕も助太刀に入ります。一切の遠慮は必要ありませんね?」
「あぁ、頼むよ」
そうしてエリックは彼の屋敷を後にしようとした。
「陛下!」
普段より数段大きいミネルバの声が無ければ、そのまま帰っていたことだろう。
「どうした。其方のそんな大声、初めて聞いたぞ」
「……この魔法は、術者が解かない限りずっと残り続けます。
僕は、陛下がこの記憶を取り戻しに来るまでずっと待っています。貴方にとってこれは簡単に手放せるものではないはずだ。
全てが終わった後、またここに来てください。
それまでずっと、ずっと、僕が残しておきますから、!」
「……あぁ、ありがとう」
扉を開けた先には大粒の雨が降っていた。
エリックは嘘をついた。
自分を強くするために。
誰かが大切な人を傷つけてしまうしかない、そんな未来を消すために。
悲しい想いをする人が自分で最後にするために。
ミネルバは嘘をついた。
尊敬するエリックが、これまでもエリック・クラメンティール国王陛下で居られるように。
二度と晴れることのない深い深い悲しみに苦しむことがないように。
…………二度と戻らない暖かい過去を、忘れられるように。
この嘘は自分を強くする為の嘘か、それとも。
実際にリアムは倒された。
実の兄であるエリックの手で、最期を迎えた。
その時彼らは何を思ったのだろうか。
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