第五章 さよならの代わりに

第38話 鋭い血の匂い

「陛下の弟君のリアム様。吸血鬼になってまで生き永らえているのはどんな気分?」


「王妃様、⁉」


「…………貴女、最後の最後で漸く役に立ってくれたようで嬉しいわ」



いきなり声がしたかと思えば、僕とアリスティアの間に剣が入り込む。


顔をあげれば真っ赤なルージュが映える口元を歪に曲げた女の姿。

……これが、兄様の選んだ王妃か?随分、らしくないな。


それに、アリスティアに向かって役に立った、だと?

何を言っている。



「王妃様、ここは危険ですよ。貴女が来るような場所じゃない、早くお逃げになったほうが良いのでは?」


「許可なく発言することをあれほど辞めさせたのに、まだ分かってなかったのね。

私は今、この吸血鬼と話をしてるの。


…………あぁ、でも先に貴女から消すべきかしら?」


「ティア、‼」


王妃の合図で、近衛兵達が剣を抜く。


間一髪ティアを突き飛ばす。

途中で険しい顔をしているように見えたけれど、何か当たったのか。


怪我をさせないように優しく飛ばしたはずなのに、倒れている男の方まで飛んでいってしまう。


彼女は男に支えられていて、その姿は幼い時に見た劇の恋人同士のようだ。



いつの間にか吸血鬼になっている僕。

その姿は今も解けていない。



鋭い爪があるままでは、僕は彼女を傷つけることしかできない。



二人を見て、きっとあれが普通の幸せなんだと

嫌悪感に苛まれていれば王妃がさらに近づいてくる。



「王妃である私に向かってだんまりを決め込むつもり?全く吸血鬼様というのはいいご身分ね。


……でも、それも今日で終わりよ」



刹那、王妃は短剣で自分の指を切って血を流していて。



「っあああ……!!!」



その赤が目に入った瞬間、僕は頭の奥で心臓が鳴り響いているような感覚に襲われる。



「ふふっ……ほら、貴方のだーいすきな血よ。それも王妃の血。身分が高い女の血はとても美味しいんですって。本に書いてあったわ」



さぁ早く襲いなさい、と言わんばかりに僕の目の前に指をチラつかせる。


あぁ……もうさっさと喰らってしまおうか。

誰も殺したくないとか、人間でい続けたいとか、そんなのどうだっていい。


ティアを傷つけるのだけは許さない。

僕じゃない誰かが、ティアを幸せにするなんて許さない。



「いいよ、そっちがその気なら、僕だって」


『リアム、ダメだ』


「……サーシャ」


『誰かを傷つけたって、何も変わらない。頑張って、抑えるんだ』



矛盾、している。


あんなに僕のことを復讐に付き合わせるとか、器だとか、物騒なことを言っていたクセに。



『このままじゃ、お前、死ぬぞ』


「…………今まで僕の身体で好き勝手してさぁ、今更何なんだよ」


『とにかく。今は影から出ないほうがいい』



こんなにもはっきり姿形が認識できるということは更に吸血鬼の方に意識が持って行かれていることだ。


まずい



僕は必死に血の匂いと”赤”から逃げるように顔を下げて身を捩る。


しかし、呪いのせいで馬車の影から出ることができない僕には至難の業だ。



「あら、いいの?彼女のことを喰べられなくてお腹が空いてるんじゃなくて?」


「なぜそれを……」




「私が考えたのよ、この作戦。貴方がアリスティアを襲うように仕向けて、そこへ偶然を装ってロドリックを向かわせる。


そして、私がトドメを刺すの」



まぁロドリックがあんなにも負傷しているのは想定外だったけど、とため息を漏らす王妃


彼の後ろにいるアリスティアも目を大きく見開いて僕たちを見つめている。



「……なぜこんなことを」



何かを考えていないと意識が持っていかれそうだから、必死に頭を回転させる。


アリスティアのことはよく知っているはずなのに、どうしてこんな真似をさせたのだろう。



「……愛しているから」


「は?…………グァッッ!」



今までのような王妃然とした声から、細く切ない声を漏らす王妃。


どうやら同時に王妃がもう一本傷を増やしたようで、周囲に溢れる血の匂いが更に濃くなった。



「愛しているの。国王陛下である彼を。ただそれだけ」


「もう少し……っは、意味がわか…るよう、にッお話してく…ださいますか、?

王妃様」



クソッ、血の匂いが濃すぎる。

頭回んない、


「…………弟の貴方がいると陛下の心からの優しい言葉は私には向かないの。


王妃である私は陛下の心には入れないのに、吸血鬼になった貴方はいつまでも陛下の心にいる。


それに、突然現れたあの小娘は、私よりもずっと劣っているのに陛下に選ばれて王宮に来た。



私を選んだのは陛下じゃないのに。


いつまでも瞳の奥を覗かせてはくれないし、嘘でも愛の言葉を囁いてもくれない。



私だって愛されたいの、大切にされたいのよ……!」



毅然としていた態度も消え去り、少女のように泣きながら声を張り上げる王妃。


彼女を視界に入れる度に、腕を染める鮮血が僕の思考回路を絡め取っていく。



「だからといって、誰かを傷つけていい理由にはならない……!!


早くその血を拭え、話は、それから、だ……っ!」



「嫌よ!

私達の物語の中で貴方は悪役。ハッピーエンドに悪役はいらないもの。


分かったらさっさと死んで……!」



それに僕の敵は、王妃よりもロドリックだ。

僕にまた攻撃して、僕からこの眩いまでの人生を取り上げようとしている。



そんなの、絶対に許さない。



僕から隠すようにされたアリスティアが今どんな顔をしているのか僕にはわからないけど、今はっきりした。



僕が、アリスティアを愛していること。


守ろうと、絶対に傷つけまいと、していたのは全部彼女のことが大切で愛おしいからだ。



あぁ、気づくのがこんなに遅くなってしまうなんて。



『リアム、ダメだ!!』


『やめろ、オレはお前を失いたくないッ』


『リアムさん!!!』



どうしてかな。サーシャたちがすごく焦っているようだ。


それに、さっきよりも辺りの血の匂いが一層濃くなっていくのを感じる。



グッッと頭が重くなって、いよいよ意識が覚束ない。



ドクンッ



触れられなくても、話せなくても、愛されなくてもいい。


だけど、一度だけ、このたった一瞬だけ、彼女との未来を想像したい。



ドクンッ



……だけど僕は吸血鬼で、彼女は可愛いただの女の子。


真っ暗闇よりも陽の光の方がよく似合う。



だから、これで最後だ。


視界に映るのは、どんどん鋭さを増していく爪

霞んでいく思考回路は、ただ血を欲している



ドクンッ



「ティア、愛してるよ」



戯言のように呟いた瞬間、僕の周りに大きな黒い渦が巻き起こる。



「【ミロワール・ド・メモワール】」



……ハッピーエンドに悪役はいらない?



そりゃあそうか。吸血鬼は彼らの物語に必要ない。



でも、僕のハッピーエンドにはお前達がいらない。



バンッッッッ



僕の前に広がっていた闇が大きな音を立てて王妃達の方へ向かっていく



「【クレール・ド・リュミエール】」



その時あの夜の大嫌いな声がして、僕の闇を晴らすほどの光が現れた。



「っあ"あ"!!!」



僕を守っていた陰がどんどん無くなっていって、僕は月光の下に晒される。


次第に身体が締められるような焼かれるような痛みに襲われて、僕は思わず地にしゃがみ込んだ。



その時鋭い刃物が首元に当てられる。



「おま、えっ……!また僕に呪いをかけたな」



「そのままくたばれ、吸血鬼ッ!」


「くっ、あ"ぁ"‼︎」



細く伸びる月光に照らされて、僕の腕についた痣はさらに色濃くなっていく。



『リアム、まずい。今は女のことは忘れろ。じゃないとお前が殺すことになるぞ』


「うるっさい!!そんなことはわかってる!!」



『お前にかけられたのは、昔のと同じじゃねぇ!

100年前と同じだ、そのままだとお前が嬢ちゃんを喰っちまう!』



ライルと話している間も振られてくる剣を避けながら、好機を狙う。



『ダメよ、リアム!!君もあの戦争を知ってるでしょ!このままじゃ本当にあの子を!』


ロドリックの剣を受けてくれたベラさえも避けて進み、降ってくる剣を強く握った。





「……これが吸血鬼にできる愛し方なんだよ、これしかできないんだ、!」




そして奥で倒れているアリスティアの姿が僕の目に映った瞬間、僕の心の"愛したい"という気持ちが"喰べたい"に変わるのを感じた。



その時だった。



「…………【ロゼ・エトワール】」




どこからともなく懐かしい声が響いて、僕の身体はそのまま前に倒れた。

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