第17話 名前のない想い

「はい、どうぞ。熱いから気をつけて飲みなさいね」


「……うん、ありがとう。お祖母様」



パチパチッと薪が燃える暖炉の前に座っていれば、

ホコホコと湯気の立つマグカップを持ったお祖母様が戻ってきた。


マグの中でとろりと揺れるホットミルクに、ふぅふぅと息をかけ、一口飲めばじんわりと心から温まっていく。


足先には暖炉の火が当たって、冷えた私の身体をゆっくり温めてくれる。



「ほら、ブランケットも」


…………あぁ、お祖母様の匂いだ。



 「っぐ、っ……、ぅ……おばあ、さま……っ」


「!ティア、急に泣き出してどうしたんだい。


今日はお友達に会いに行く日だったろう?……喧嘩でもしちゃったのかい?」


落ち着いてからでいいから、ゆっくり。ね?と節くれだったお祖母様の手がゆっくり背中を撫でてくれた。



喧嘩、じゃない。


でも、なんて言えば良いのかな。



心配をかけないようにするには、喧嘩って言えば良い。


でも、膝に怪我をしてるのもバレてる。


それに私の大切なリアムが怒りに任せて誰かを傷つける人だとは思ってほしくない。


ブラウスの袖を伸ばして、目尻をグリグリと拭う。



「あぁ、そんなに擦ったら赤くなっちゃうよ」


「……ねぇ、お祖母様」



優しく微笑んでくれるお祖母様へ向き直って一つ深い息を吐く。


全部話さなきゃ。


本当は彼と私だけの秘密だったけど、私は弱虫だから今日のことを1人で抱えることはできそうにない。


……リアムにはちゃんと謝らなきゃいけないな。



「怒らないから、ちゃんと話してちょうだい」



部屋の空気が少しだけピリッとする。


グッと手を握ってから、お祖母様の目を見つめた。



「実はね、私の秘密のお友達は吸血鬼、なの。


前にきれいな野花を摘んできたときがあったでしょ?あの時に出会って……」


「その膝の怪我は。もしかして……!」


あぁ、やっぱり。吸血鬼のイメージはそうよね。


でも彼が違うことをちゃんと話すのよ。



「ちがうの!これは、帰り道に転んでしまっただけなの」


「転んだだけ?じゃあどうして、あんなに泣いて帰ってきたんだい?


さっきのティアは様子が変だったよ」



そりゃあこういう反応になるよね。


いつもは見たことがないような真剣なお祖母様の顔。


誤魔化しちゃいけない。



「……私の手から流れた血に、彼が反応して吸血鬼の姿に変わったの。


でもね、彼が私を傷つけることはなかったのよ。

必死に自分の腕を噛んだりして、耐えてくれてた。


それだけじゃなくて、少しでも私に触れそうになれば彼から距離を取ってくれて……

絶対に私のことを守ろうとしてくれるの。



わたしが泣いてたのはね……っ、怖かっただけなの。

さっきまでっ………楽しくお喋りしてたのに、私が怪我をしてしまったせいで、彼を苦しめた。


それがすごく怖くて、もう二度とリアムに、会えないんじゃないかって……ぅっく」



……あぁ、言ってしまった。


お祖母様どんな顔してるのかしら。なんだか怖くて見れないわ。



ガーゼをつけた膝の上でギュッと手を握る。



「でもねっ……ぜったいにリアムは私のことを傷つけたりはしないわ。絶対よ。


だから……ね、これからも、彼に会いに行きたいの……っ」



その時、私の顔に影が落ちて、お祖母様の優しい手が頭に乗せられた。



「顔をお上げ、ティア」


「……!」



見上げたお祖母様はふわりと笑い返してくれて。



「いいかい?どこに行っても、誰と会っても、ティアが無事に私のところへ帰ってきてくれるなら、私はそれで十分だよ」


「おばあさま……」



ふふ、仕方ない子ねぇ……と、お祖母様はしわの入った暖かい手で私の頭を撫でてくれる。


そして、そのまま暖かい腕の中に引き込まれた。



「前も話したけれど、東の森は危ないところなの。


覚えてるかい?ニ年くらい前に私が負傷した騎士の方々を治癒しに行ったこと」



……たしか、ニ年前、森で倒れてる王国の騎士を見つけた私は、急いでお祖母様を呼びに行ったのを思い出した。


そこで、お祖母様が"リュクシー"という希少な血を持っていることを知って、吸血鬼に襲われた騎士たちを自分の血をもって治していたのを見た。



「あの森にはずっと吸血鬼がいると言われているの。


だから、ティアがそこに遊びに行ってると知った時は本当に驚いたし、心配したわ。

彼らみたいにティアが襲われたらどうしようって。


でも、ティアはいつも無傷で帰ってきてた。

今日の怪我だって、道で転んだだけ、そうなんでしょう?」



「……えぇ」


「ふふ。だからね、私わかってたの。

ティアのお友達は、きっととても優しくてあなたを守ってくれる子なんだってね」



「!」



ふふっと笑うお祖母様に図星をつかれて、なんだか恥ずかしくて私はもぞもぞと腕の中から離れた。


お祖母様もさっきとは違って、いつもの柔らかい穏やかな微笑みを浮かべていて、肩の力がフッと抜けていく。



「そうだ。おばあ様にその子のことを教えておくれ」


「……ええ。


彼の名前はリアム。髪色は夜空のように真っ黒で、瞳はガーネットのような綺麗な紅色よ。冬が好きで、1日中寝て過ごしてるって言ってたわ


好きな食べ物はないって言ってたけれど、一緒に作ったピーナッツバターサンドを

美味しいって言ってくれたの!」


「おや、ティアが作ったやつかい?良かったねぇ」



「リアムったら、お祖母様が作った方がどう見ても綺麗で美味しそうなのに、わざわざ私が作った不恰好な方を選ぶのよ?不思議でしょう?」



だけど、嬉しかったなぁ……


美味しいって食べてくれたリアムを思い出した途端、胸がキュッと締まるのを感じた。



「あらあら、もしかしてその子に恋してるのかい?」


「えっ⁈ち、違うわ!」


「そう?でも、頬が薔薇みたいにピンク色だよ」



これが、恋というものなの……?



恋って、御伽話の主人公たちが知ってる甘くて美しいものよね。


それと、私が抱いてるこの気持ちが同じものかは分からない。



「……彼が私を友人と思って、歪なサンドイッチを食べてくれたこと。


それに吸血鬼になろうとしていても、必死に自分を抑えて、態と怖がらせて、私が逃げれるように、

傷一つつけないようにしてくれたこと。


それがとても嬉しくて、心がキュってなるの」



この気持ちにまだ名前は付けられない。


だって、私とリアムの気持ちが同じだとは思えないから。



それに、こんな気持ち、きっと迷惑だわ。



「そう。……きっと、その子にとってもティアは、大切なお友達なのね」


「そうだと嬉しい、な」


「いいえ、絶対にそうよ。じゃなきゃ、暴走しかけた吸血鬼が自分を押さえ込もうとするなんてあり得ないもの」



……お祖母様、吸血鬼に詳しいのかしら。


前から気になっていたのよね、お祖母様の血のこともそうだけど、何故か吸血鬼の歴史に詳しいこと。


私が学園で吸血鬼のことを習ったときも、何を聞いても学園の先生よりも詳しく答えてくれた。



気になったらすぐに解決したくなるのが私の悪いところ。


チラリとお祖母様を見れば、パチリと紫色の瞳と目があった。



「ねぇ、ティア。その子、光の下は歩けるの?」


「……?いいえ、歩けないって言ってたわ。どうして?」



私の返事に何かを確信したのだろう。


隣で私の頭をもう一度ゆっくり撫でたお祖母様が少しトーンを落とした声で話し始めた。



「一つ昔話をしてあげる」


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