第3話 消えた日常

はぁっ……はあ…………っは……はぁ



暗く沈んだ部屋の中に自分の荒い吐息だけが聞こえる。


ガシャンッ



ぶるぶると震える手から薔薇色の剣が抜け落ちて大きな音を立てた。



「……エリック」


「大丈夫ですか、エリック様」



大丈夫な訳がない。


俺はこの手で、自分自身の手で、大切な弟を……



「……リアムはどこに行ったんですか?」


「王国令39条に即して、東の森へ追放しました」



東の森って……王道から少し離れたところにある立ち入り禁止区域じゃないか。


あそこには猛獣が潜んでいるから気をつけろと、父様に何度も言われてきた。



そんな場所にリアム1人で?


今は12月、きっと寒さと恐怖に震えてる。

もしも狼や獰猛な熊に襲われて怪我させられていたら、



「連れ戻しましょう。きっと話せば理解できるはず、!」


「お言葉を返すようですが……!


彼はもう吸血鬼です。私達にはとても危ない存在なのです。先程の争いをご覧になられましたよね?それにエリック様だって、一度攻撃を受けた。

私の作戦で、貴方に治癒魔法を掛けていたから今無事なのですよ?!


彼は、既にこの国に眠る吸血鬼の魂と同化している。彼らが持っていた力を使い、誰かを殺すことなど容易なのです!」



きっぱりと言い放ったロドリックさんの言葉に力が抜け、力無く床にしゃがみ込んだ。


父様は一人静かに、割れた写真立てを拾い集めていた。



勿論、さっきの戦いはこの目でちゃんと見た。


リアムの形をした何かが俺たちの家を壊して、母様の写真立てを割り、俺を喰らおうと攻撃してきたこと。



でも、あれはリアムじゃない。


リアムの形をした吸血鬼なだけだ。



「(どうして、リアムが……いや、俺達の幸せが崩れてしまったんだ)」



俺にもっと、リアムを守れるくらいの力があったなら。


ロドリックさんから剣を貰った時、首元にかけられたペンダント。


吸血鬼が持っているという悪の祝福を全て跳ね除け、光の呪いの効果を強めてくれると言っていた。



……あの時は気が動転していたけれど、これを受け取らなければ。



ロドリックさんの言う通り俺は傷を負っていただろう。


でも、リアムをこの家に留めて、こともできたかもしれない。



リュクシーの血をリアムも継いでいれば。


というか、リアムはどうしてリュクシーの要素が無いんだ。



……父様が、吸血鬼、?



チラリと視線の先の父様を見ても、ただ母様に祈っているだけで、吸血鬼化した様子はどこにもない。


もしも、父様が吸血鬼だったとしたら、アイツと同じように俺の血の匂いを嗅いで襲ってきたに違いない。



じゃあどうして。


どうして、リアムだけがあんなことに。



……そもそも、あんな検査なんてなければ。


100年前に、人間と吸血鬼が争っていなければ。



『兄様!』


俺を呼ぶリアムの元気な声と、弾けんばかりの笑顔が脳裏にこびりついて離れない。



でも、どれだけ後悔しても、もうリアムは戻ってこないんだ……


もう会いにいくことも、探しに行くこともできないなんて、あまりにも酷すぎる。




「…………エリック様、彼に会いに行きたいお気持ちもわかります。ですが、」



がっくりと落ちる俺の肩にロドリックさんの手が乗せられる。


その温度が暖かくて、本当に俺のことを心配してくれているのが分かるから、なお苦しい。



「あのね、ロドリックさん」



そっと、ロドリックさんの方へ体を向き直せば、その顔は苦しそうに歪められていた。


彼だってきっと、この手でたくさんの死や別れと出逢ってきたんだ。



……俺の気持ちが全くわからない訳じゃない。



「なんでしょう、エリック様」


「……俺がゼアライト家で過ごした12年間は間違いなく幸せなものだったんです。


弟のリアムは、いつも『兄様、兄様!」と懐いてくれました。

2人でサッカーをしたり、雨の日はボードゲームをして……そうそう。リアムはチェスが強くて。いつも負けてました。



リアムは俺が作るポタージュが好きで、寒い日はよく作ってあげてたんです。

……あぁ、今日も外はきっと寒い。


お腹、空かせてないでしょうか。

リアムは身体が弱いから、風邪を引かないか心配だなぁ……



あんなふうに傷つけられてもリアムと過ごしてきた時間を思い出せば、こう、やって、なみだがっ……止まらないんですよッ…………」



グイッと目元を強く擦っても、透明なは止まることを知らない。



それは、俺たちが家族だから。


どんな形になってしまっても、ずっと家族だから。



「……だから、リアムは誰がなんというと俺の弟です。

そして俺は誰になんと言われようとリアムの兄です。


それは永遠に変わりません」



例えもう二度と会えない、会ってはならないと言われたって、諦めるわけにはいかないんだ。


俺の思いを込めた言葉にロドリックさんが少し残念そうに呟いた。




「……エリック様は、もうゼアライト家にはいられません」




「は?」



いきなり何を言ってるのだろうか。



父様は小さく「まさか」と呟いている。何がどうなっているんだ。


また、俺だけが何もわかってない。



コツコツコツ……



ガラス戸の割れた柱時計からいつもより大きな音が聞こえる。




ドクッドクッドクッ


それに合わせるように俺の鼓動も早くなっていく。



息が詰まって、上手く吸えない。



「……っ、どういうことか、説明してもらってもいいですか」



震えないように少しだけ張り上げた声でロドリックさんに詰め寄る。


でも、そんな俺に気圧されることなく、ロドリックさんは話を続けた。



「国王陛下がご病気なのです。

大切に思われていた妹君のレイア様……つまり貴方のお母様が7年前に急死されて以来、陛下は大層弱ってしまわれました。


しかし、レイア様にご子息がいると分かってからは死ぬまでに一度だけ会ってみたいとしきりに仰られているのです。

今どこで何をしているのか、安全に暮らしているのか、どんな大人になったのか。


ご自身がご病気で苦しんでいるときでも、ご公務に出られているときでも、エリック様のことを気にかけておられました」


「どうして、そこまで俺のことを?」



一度も会ったことのない、どこにいるかもわからない俺のことを心配するなんて、よくわからない。



「国王ご夫妻に跡継ぎがおりません。ですので、」


「……まさか、僕に王位が?」



小さく口に出せば、キーンさんは今までよりさらに寂しさを滲ませながら笑いかけてくれる。



「聡明なお方ですね。レイア様にそっくりだ。


仰る通り、国王陛下は貴方を次期国王にと家臣へ告げておられます。そして自分が亡くなる前に様々なことを教えておきたいとも。


ですから、どうか我々のところへ……陛下のところへいらして下さい」



どうか、お願いします。


そう言って俺に深々と頭を下げるロドリックさん。



いよいよ頭が痛くなってきた。


母様はリュクシーという選ばれし一族で、国王陛下の妹。


そして、僕はその血をより濃く継いでいて……



あぁ、だめだ。もうよくわからない。



「……母様のことを教えてください」



母様がどんな人生を歩んできたのかを知らなきゃ。


それからじゃないと、これからのことを決断できないから。



キーンさんは一瞬驚いた顔を見せたけれど、すぐに柔らかく昔を懐かしむように微笑んでくれた。


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