第32話
いつも教室で昼ご飯を食べている。だから、昼休みには捕まえられると思ったが、御影は見事に東と姿を消していた。廊下の曲がり角までは追えたが、その先は行方知らずだ。そのまま五・六時間目も過ぎ去って、放課後になる。
ここしかない。俺は速やかに御影を追うつもりでいたけれど、ここでも見事な足捌きが炸裂した。というよりも、これは計られていたのだろう。
「河辺くん」
御影を追おうとした背中から、声をかけられて止まった。振り返った先の東が、こちらをじろりと見つめている。俺は去って行く御影に何もかもを引かれていて、苛立った。
「何だよ」
「わっちゃんならバイトだから、話せないって」
「……そうか」
報告なのだろうか。それとも、東のお世話なのだろうか。どちらにしても、タイミングを逸してしまったことに違いはない。バイトと言われると、俺には動きようがなかった。図書委員というアドバンテージも取るに足りない。
「あれ、何だったの?」
「御影に聞いてないのか?」
「話してくれないから。っていうか、何でもかんでも話すワケでもないっていうか。憔悴しきっていて、話もできないっていうか」
ぐっと気が塞ぐ。
罪悪感に火が付いて、今すぐ追いつきたいところもあった。けれど、モデルの仕事に支障をきたすわけにはいかない。ただでさえ、印象は駄々下がりしているというのに、これ以上御影を煩わせたくはなかった。
「だから、河辺くんに聞いてもいいかなって」
「……御影が言わないことを、俺が言ってもいいの?」
「河辺くんのことでもあるでしょ? 河辺くんの話を聞くんだよ、あたしは」
屁理屈だ。でも、間違ってもいない。俺は大きく息を吐くしかなかった。
放り出したっていいのだろう。けれど、東に御影の様子を聞きたい。それ以外に、俺が御影と繋がっておける方法が今はなかった。
「分かったよ」
「じゃ、こっち」
そう言って、東が先導する。淡々と進んでいく先は、屋上だ。うちの学校は屋上が開放されていないので、屋上前の踊り場へ向かっているのだろう。
人がいなくて、会話を聞かれることもない。そういうスポットになりがちではあるが、人が来ればすぐに分かる。
辿り着いてから、俺はここまでの経緯を洗いざらい話した。……本心の底の底までは、触れずに置いてある。これは、自分でもまだ未来図が描けていないものだ。それを零すつもりはなかった。
もしも、口走ることがあるとしても、その相手は東ではない。いくら人付き合いが苦手であったとしても、それくらいの想像と覚悟くらいはできる。
「なるほどね~」
すべてを聞き終えた第一声は、重くもなく軽くもない。東の反応がどの辺りなのか。まったく分からなかった。
この数ヶ月で御影の姿を見るときに、視界に入れていた程度の相手だ。感覚が掴めなくて、黙って続きを待つしかない。
二条のときも思ったが、まとめてしまうとあっという間で笑ってしまいそうになる。中身がないわけじゃないけれど、東にオタク話は割愛した。
「めっちゃ仲良しじゃん」
「……大事なのはそこじゃないだろ」
それでも、少しほっとした。
俺たちの間に、第三者はいない。自分たちがどれほど仲がいいのか。比較対象がなかった。俺は他に女性関係がない。二条がいるが、あれとはドライなほうだろう。御影とのほうが濃い日々を送っているのは明らかだった。
だが、仲の良さを保障できるものではない。それを東が請け負ってくれるのだから、安心はできる。御影のことをよく知っているはずだ。
「んー? そうかなぁ。でも、ちゃんと仲良くしてんじゃん?」
「今の状況を見て言ってくれよ。昨日の御影の様子も見ただろ? 幻滅したんじゃねぇかな」
そりゃ、女装コスプレで出会ったのは不可抗力だった。
けれど、その後もそれを貫き通したのは、紛れもない俺の失策だ。騙して近付いて、距離を縮めた。何か悪辣な企みを疑われても、文句も言えない。詐欺と言われれば、それまでだ。
ブチ切れられても幻滅されても、俺には反駁できようはずもない。
「それよりショックとかパニックとかじゃない? 逃げたし」
「それってつまり、嫌だったってことだろ」
「そんな短絡的なことじゃないと思うけど」
「短絡的」
そうだろうか。
どれだけ考えてみても、最終地点に変化はなかった。
多少は温情をかけてもらえるかもしれない。それでも、俺の挙動は全面的に容認できることだとは思えなかった。
「だって、そうじゃん? 仲良くしてた子の性別が違うって自分が今までどんな行動してたかとかも振り返って焦るし、何かやらかしてないかって思うし。混乱するじゃん。一緒に遊んだことは楽しかったし、仲良くなっちゃったことはなっちゃったことだし。相性は悪くないんだろうから、迷うよ」
「御影と、俺が?」
「わっちゃんはそんなに人付き合いに明るくないよ」
「そうなの?」
御影の知らない面も多い。
ナツとして付き合っていた。あっちのほうが、俺よりも区分は甘かったはずだ。それでも、ナツとしての距離感は、御影そのものとはやっぱり違う。性格を知るよりも、性癖を知るほうが多かった。
「だって、河辺くんに押せ押せだったのって、あたしのせいだし」
「はい?」
東が間に挟まっていたなんてのは、初耳だ。直接的ではないだろう。それでも、陰の立て役者がいるとは知らなかった。
「気になっている人がいるっていうから。押さないと落ちないよって」
「俺、そういうんじゃないんだけど」
徹平からの尻叩きのようなことを東もやっていたらしい。そういえば、教室でそんな話をしているのを聞いた。御影に好きな男の子がいるものだと思っていたが、どうやらそれがハルキのことだったらしい。
意識してアプローチされていたと知ると、何とも尻こそばゆい気持ちになった。
「結果的には同じことじゃない?」
「違うだろ。友人だし」
「ほだされないってことはないと思うんだけど」
「ほだされるのと好意はイコールで結ばれない」
「わっちゃん、可愛いじゃん」
「……」
友人なら、答えられるものなのか。異性の友人との距離が分からなかった。本人に告げたこともあるというのに、何の躊躇なのか。外部に関係を持ち出す気恥ずかしさか。自意識過剰以外の何物でもなかった。
黙った俺に、東さんが笑みを深める。精神性は徹平とさしたる変わりがないらしい。彼氏一筋とハーレム性癖の差くらいで、恋愛事に興味津々なのは同列のようだ。
つまり、俺にとって厄介極まりない。
「ふーん?」
「分かってるよ、そんなことは。御影の外見の話は今はいいだろ。そうじゃなくて、俺に怒ってるだろって話」
「へこんでいるってのが正しいと思うよ。色々。逃げたのを気にするタイプだと思うし」
御影は気遣いができる。それをハルキだから、の一言に集約するつもりはない。そこまで捻くれているつもりはなかった。
言われると、納得はできる。だからって、自分が許されるのとは別問題だろうが。
「今日だって、仕事がなかったら、もう少し取り付く島があったと思うよ。後ろ髪引かれてたと思うし」
「逃げまくられてる気がするけど」
シャットアウトされている。昼だっていい例だし、今日の行動は東だって知っているはずだ。
「そりゃ、ちょーっと勇気がでないってことはあるでしょ。元々、押せ押せタイプじゃないんだし」
「……なるほど」
俺だって、なりふり構っていないわけじゃない。逃亡していないだけだ。
もっとやけっぱちになれば、捕まえることができないわけではない。同じ教室にいるのだから。迷惑をかける、という言い訳を盾にしているようなものだ。
迷惑をかけていいわけではないので、言い訳だけの産物でもないが。
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