第31話

 顔を合わせれば、逃げられない。そんな生易しい話ではなかった。

 まずもって、俺と御影には教室での交流がない。御影は頑として東との会話を止めることもなく、俺の付け入る隙を与えなかった。休み時間をそうやって潰されてしまうと、時間割がある分身動きが取れない。

 御影はこちらをちらとも見やしない。教室ではそんなものだったから、日常通りと言えばそれまでだ。

 けれど、今日のそれは意味合いが違う。それを感じないほど鈍感になったつもりもないし、感じられないほど緩い軋轢でもなかった。

 東が圧倒的に御影のそばについていることも、またその溝を深くしているかもしれない。事情を知っているのか。味方をしているのか。その辺りは分からない。敵対意識が剥き出しになっているわけではないが、気まずさはある。

 いくら外側から見たら日常通りだとしても、さすがに普段からの知り合いには筒抜けらしい。俺のテンションがぎこちないのだから、そりゃバレて当然だろう。俺は隠し事に向かない。

 ……ハルキとして偽ってきたものが言うべきことではないが、元来なら向かないのだ。不調をあっさり見抜かれる程度には。

 この場合、徹平が鋭いだけなのかもしれない。ハーレム状態を保てる手腕の持ち主だからこその技術だろうか。与りたくない恩恵だった。


「お前って分かりやすいよなぁ。本格的なハルキちゃん身バレか?」


 二条よりも会話の前置きもない。一直線に貫いてくる槍の角度は鋭角だった。


「完膚なきまでに」

「言葉の使い所間違ってるぞ」

「わざとだよ」

「そんなに打ちのめされてるって?」

「そういうこと」

「やっぱり、相手はいい女だったんだろ?」


 へこむ理由が一方向に偏っている。他の可能性なんていくらだってあるだろうに。

 それともこれは、徹平が徹平として振る舞うには必要な手続きなのだろうか。らしくはあった。馬鹿らしくもあるが、らしくあるから、俺はちょっとばかり気を抜いてしまうのだろう。


「……そうだな」

「うっわ、やべぇじゃん。どうしたんだよ」


 自分から振っておきながら同意したらドン引きするとは、どういうつもりだよ。


「だから、徹平が言った通りのことがあっただけ」

「それだけで、そんなへこんでんの? 相手はどうしたって? 嫌われたわけか?」

「嫌われたかどうかすら不明。音信不通」

「どんなバレ方したらそんな状況になるんだよ。仲良くしてたじゃん」

「仲良くしてたからだろ」


 その交流に問題があるのだから、反作用があるのは当然だ。俺にも、御影にも。苦虫を噛み潰した俺を見れば、答えは決まっているようなものだ。

 徹平も苦々しい顔になる。


「人タラシだなぁ」

「たらしてなんかない。むしろ、向こうが人タラシというか」

「ダメージ負うほど相手に懐かれておいて、たらしてないは道理が通らないぞ。男じゃなくても、その辺は責任持たないと」

「お前に責任の有無を言われてもなぁ」

「関わったからにはちゃんと責任取ってるよ、俺は」

「……」


 白眼視を潜めることは難しい。

 完全なる無責任ではないだろう。人付き合いを放棄することはない。だが、それが円滑かどうか。その辺りには、疑問が残る。修羅場を迎えている場も知っているのだ。真に受けられるものではない。

 徹平だって、それは分かっているのか。肩を竦めてみせる。


「俺は自然消滅はしない。たとえ殴られることになろうと罵倒し合うことになろうと、ちゃんと向き合ってるつもりだから」

「俺だって、そのつもりはある」

「でも、手をこまねいているってことだ」

「そりゃ、音信不通だからな」

「他の手段はないのか? 身バレしたってことは、本人と会ってるんだろ?」

「……あるにはある」


 たった今ここで根性を出すか。放課後に根性を出すか。くらいの違いしかない手段がはっきりと眼前に据え置かれている。


「渋ってるのか」

「渋っているわけじゃなくて、それで解決するかどうかも正直分かんないなって。許してもらえるとは思えないから」

「そうか?」


 身分を偽るというのは、業が深い。

 徹平は二条より詳細を知っているわけじゃなかった。相手が御影だとは知らない。だから、こうも軽いのか。ここで首を傾げられる理由が分からなかった。

 けれど、徹平はけろっとした顔をしている。自信があるかのような凪いだ態度には、こちらが疑問を呈してしまいそうだった。


「別に、お前は人を変に口説いたりしないし、付き合いはいいほうだし、ちゃんと交流していたんだったら、話も聞いてもらえないってことはないんじゃないか」


 やたらめったら口説いたりしないのは、徹平以外の人間は大抵身につけているものだ。


「他人事だから言えるだけだ」

「俺はお前のことは知ってる。相手は他人だけど」


 徹平は御影に粉をかけたりはしていない。どういう基準なのかは知らないし、知ろうとも思っていなかった。既に何かがあった後ということもありえるので、掘らないほうが身のためだ。

 ……御影と何かあった、なんて事実は少しでも触れたくはなかった。独占欲にも似た感情に、心の靄が濃くなる。

 自分がどれだけ御影に執着しているのか。十二分に承知していたが、それが想像以上であることを痛感している。


「だからって、あまりにも楽観的過ぎる」

「何をそんなに恐れてるんだよ」


 徹平は肩肘張っていない。懸念事項を射抜いてしまうのは、だからなのだろう。


「……離れることを」

「やっぱり、口説いたほうがいいんじゃないか」

「うるさい」


 否定しなかったことを、徹平は特殊な察知力で看破しているようだった。平淡な顔色がにやりと弛んだ。それが徹平のスタンダードだと分かっているとはいえ、こうあからさまだと気持ちが引く。面倒な絡みが目に見えていた。案の定、それを補強するかのように、肩に腕を回される。


「口説くなら、教えてやるぞ」

「やめろ。お前の手練手管はいらん」

「え~、何でだよ。せっかく、力になれると思ったのに」


 からかい半分でもあるだろうが、徹平にとっては厚意だろう。それくらいは分かるが、だからといって頼りたいかどうかは別だ。

 しっしっと手のひらで払うように腕から逃げると、徹平は唇を尖らせて不貞腐れた。御影なら、きっと可愛かったはずだ。


「まだ誰も口説くとは言ってないだろ」

「まだ、ね」


 揚げ足を取るようにニヤけられて、目を逸らす。

 いや、そういうわけでは、と否定している心の威勢のなさはどうしようもない。本当に、そうした感情があるのか。その確証はない。御影と離れたくないのは事実だが、そもそも友人関係が歪だ。別の関係なんて、考えられる余地がない。


「まぁ、一途で本気な晴明くんには俺のやり方は合わないからしょうがないな。彼女を大切にしろよ」

「なんかハードル上がってんだよなぁ」


 彼女、が名詞として使われているか、どうか。曖昧な物言いをしているのが分かっているのが、気苦労になる。


「潜るなよ」

「上げといて大層な文句だな」

「俺はそれくらい晴明くんに期待してんだよ」

「……都合が良い」


 俺にそんな力がないことは、徹平だって知っているだろう。期待されるほどの成果を出した覚えもない。

 あるとすれば、フィンのコスプレの完成度くらいのものだ。それがこの関係性の構築に影響を及ぼすことはない。むしろ、足を引っ張りかねない要素だった。本当に、期待できる箇所がない。

 励ましにしては雑で、けれども、徹平はそれでよしとしているようだ。とんとんと肩を叩いて笑う。過剰でないのは、感謝すべきところなのだろう。期待と言いながら、過度な態度を取られれば、俺は足下をいくらでも掬われるタイプだ。

 徹平は見透かしているわけではない。男同士に精力を割くつもりがないだけだ。それでよかった。俺たちには、これくらいの距離感が身の丈に合っている。適切でいられていた。

 御影とは違う。

 ……違うと思いたくはない。交流の距離感は適切であったと、思いたい気持ちはある。だが、初手を間違ったことは間違いなく、その上に構築されたものが整っているとは言い難い。

 徹平のことを素直に捉えられるように、御影とも認め合えるものになりたかった。だとすると、徹平が上げたハードルを跳び越えるくらいの気骨はいるのだろう。

 俺は息を整えて、徹平に肩を竦めた。それだけで答えになっていたのかは分からない。徹平は満足げに笑って、去っていった。

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