第26話  

 その後、コスプレ広場でツーショットを撮らされた。

 ……撮らされたというのは、ちょっとばかり露悪的だろう。撮っているときは無抵抗に楽しんでいた。御影のテンションに当てられてただけではない。やはり、リーゼと一緒に撮れるというのはフィンとして面白いことだった。

 そうして、十分に楽しんでいた後にやってきた脱力感は並々ならない。一瞬で現実に引き戻される。いつまでこんなことをやっているのか。その問題が如実に浮上してくる。そりゃ、棚上げにしているだけなのだから、当然の帰結だった。


「ナツ。先にロッカールーム戻って着替えといて。ちょっと挨拶してくるから」

「え。また、一人?」

「ごめん。待たせちゃうけど、許して」

「今日まで付き合ってくれてるからそれはいいけどさぁ。せっかく、二人で来たのに」

「ごめん」


 謝ることしかできない。それに、本当ならこんな軽い謝罪じゃ足りないのだ。どれだけ謝ったって、ひとつも足りていない。楽しい反動ってのは恐ろしいものだ。

 その落胆が表に出ていたのか。苦笑した御影が、俺の手を正面から掴んで繋いでくる。触れることが、あまりにも自然になっていた。何も感じないわけではない。けれど、こうして触れ合っても、泡食って逃げ出したくなるほどではなかった。


「そんなマジになんないでよ、ハルさん。大丈夫。どうかした?」

「ううん。ちょっと迷惑かけてるなと思っただけだよ」

「私のほうがいっぱい迷惑かけてるから、気にしなくていいのに。じゃあ、着替えたら待ってるからね」

「ごめんね」


 こんなふうに触れ合って、歩み寄ってくれている。こうした態度に触れると、余計に謝罪しか口にできない。馬鹿らしいツケだ。


「もういいから。ほら、いってらっしゃい」


 手を離すと、ぐいっと身体をひっくり返されて背を押される。

 この離脱は、ロッカールームに並ぶことができないための逃亡だ。それを後押ししてくれる。なんてことをさせているのか。申し訳なさは膨らんでいくばかりだ。


「ありがとう。行ってきます」


 せめての平然を装って、俺は歩を進める。しれず、大股になっていたかもしれない。最近は、御影に並んで歩くことに慣れていた。こんなふうに大股で早足になるなんて、滅多にない。そんな生活になってしまっていたことを、つくづく思い知らされる。

 長く息を吐き出しながら、会場内を歩いた。即座にロッカールームに入らなかったのは、二条の目色が残っていたからだ。

 事情について話しておかないと。そう思いながら、どこかで胸の内を吐き出したいという感情があったかもしれない。


「ハールキちゃん」


 俺が向かってくるのを理解していたのか。やはり、あの目線はそういうアイコンタクトだったのか。かけられた声の響きが責められているように聞こえるのは、自意識過剰に他ならない。


「やめてくれ」

「自分がそうしてるんでしょ。一体何がどうしてああなったわけ? 御影さんは気付いてないの?」

「驚くほどまったく」


 まさしく、言葉通りに。

 俺だって、バレたときは仕方がないと、どこかで開き直るように腹を括っていた。そのわりに、何かと手を回していたけれど。それでも、近頃の態度はかなり砕けていたと思う。

 にもかかわらず、御影が俺を疑う気配はなかった。もちろん、御影の心中を見透かすことはできない。胸底では、違和感を覚えている可能性はある。

 だが、御影はそこまで隠し事が得意ではない。オタクであることも隠しているわけではないようだった。必要のないことを必要のない場面で話していない。ただ、それだけのことだ。

 だから、俺に……河辺に声をかけてみようかという選択肢も出てくるのだろう。そんな御影が疑問を持って、一切悟らせないということはないはずだ。疑問が大きくなれば、隠すことはできないだろう。だから、油断しているってわけでもない。

 だが、やはり何もかもができすぎていた。


「どういう出会いでどういう付き合いをすればそうなるわけ?」


 もっともな質問であり、俺だって突き詰めて答えを出して欲しい。

 二条が聞く気になっているのを良いことに、俺は今までの経緯を白状した。概ね、自分の愚挙を連ねるだけの時間だ。

 流されてここまでやってきた、という簡潔な事情しか出てこない。本当はもっと色々あったはずなのに、要約してしまえばたったのそれだけだ。

 御影と話した個人的な内容を省くと、そんなものだった。そして、御影との交流の中身を二条に伝える気にはなれない。

 ……こんなにも大切になっていたものを、どうしてこんなふうに取り扱っているのか。我に返る瞬間がくるのは分かっていたことだ。


「なるほどね~言い出せなくなっちゃったわけだ。自分で自分の首を絞めたわけか」

「分かってるよ。自業自得だし、御影に心底悪いと思ってる」


 御影、と口に出して呼ぶことには馴染めなかった。ナツとしか呼ばない。夏影としての関係しかないのだから当然だ。


「それに、そんな状態で本当に楽しめてるわけ?」

「楽しいのは楽しい。御影とすぐに色んなことを共有できるようになって、むしろ楽しくなった。めちゃくちゃ楽しい。手放しってわけにいかないことはもう分かってるから、楽しい」

「変なところで覚悟決めてんじゃないよ」


 そうか。バレることを割り切って、覚悟を決めたのが悪かったのか。変に開き直ったものだから、辞めどきを見失っているのだ。覚悟しているから、やけになってやれている。


「そうは言ってもな……御影、怒らないと思うか?」


 いや、怒るだろう。それはいい。すべてを許容して欲しいなんて甘えるつもりはない。

 けれど、嫌われたくはなかった。御影に幻滅されたくはない。

 日々、その気持ちが膨張して、二進も三進もいかなくなっているのだ。ほだされている。嫌われたくない。それは、はたして友情のみと言えるだろうか。脳内の徹平がうるさくがなり立てていた。


「うちに言われてもなぁ。御影さんのこと、ほとんど何も知らないし。怒る子なの?」

「……分かんね」


 素直に感情を爆発させる姿も想像できる。同時にあっけらかんとしているところも。呆然としながら受け止めてしまうところも。御影の性格を知ってしまったがゆえに、どれもありえそうな気さえしてくる。

 少なくとも、ハルキが明かすのであれば、話を聞いてくれないということはないはずだ。そのくらいには信頼している。その聞く、がただで済むかどうかが定かではないという話だった。


「あれだけ仲良さそうなのに?」

「だからこそ、反動で嫌がられそうなんだろ」

「そりゃあさぁ、ビックリはするし、怒りもするかもしれないけどさ、仲良くしてきたんでしょ? ハルキとして、とあんたは思ってるかもしれないけど、性格すげ替えているわけでもないのに、交流を疑い過ぎることないんじゃん? 反動に身構えんのも分かるけど。御影さんって、そんなに薄情なの?」

「そんなことはない」


 聖地巡礼したアニメは、学園ラブコメものだ。嫉妬の末にギスギスしつつも、仲直りをしていく話に、御影はぐすぐす泣きながらアニメを見ていた。通話を繋いだ状態で一緒に見た記憶は新しい。

 感激屋で、人情味がある。御影は多分、河辺晴明と分かったとしても、一刀両断することはできない。

 ……そう思うからこそ、言いづらさが増している面もあった。何にしたって、自己正当化でしかないことは重々承知している。


「だったら、言っちゃえばいいじゃん」


 さらっと言えるのは、他人事だからだろう。だが、真実正解だ。


「バレて怖いってことは、これからもっていうか、バレても仲良くしたいんでしょ? だったら、やり直すしかないじゃん。付き合いたいなら、いつまでもグダグダしててもしょうがないでしょ」


 そうだ。俺は、御影とこれからも付き合っていきたい。バレたとしても、離れたくないのだ。

 都合が良いことだろう。けれど、もう楽しさを知ってしまった。

 御影を知ってしまった。

 楽しい。重ねていく日々を手放しがたい。バレたくない。いっそ隅々までを晒して、それでも仲良くしたい。

 そのためにやれることは、やり直すしかないのだ。二条の言葉は至当かつ、ひたむきで、俺はそれ以上の答えを見つけられなかった。




 御影と合流して帰る。

 いつも通りを貫ける自分には、嫌気が差した。これには、御影が元気だったということが大きく起因しているだろう。

 それは、今日に限らず、今までだってそうだ。御影の勢いに飲まれてやってきてしまった。それだけのことだったのだ。

 それを痛感して、帰宅する。荷物を置いて、ジャージに着替えた瞬間にどっと疲れがきた。コスプレとは別の女装には、未だに慣れない。ベッドに大の字になって弛緩すると、気持ちが安らぐ。

 けれど、この安らぎは心地良い疲れでもあった。女装であることに緊張することも嘘ではないが、御影と楽しんでいるのだって本当だ。

 御影が楽しそうで、良かった。変な野郎に絡まれずに済んだことにも、ほっとしている。御影のリーゼは完成度が高過ぎた。だからこそ、変な声のかけられ方をしなかっただけだろう。

 あの子、日頃はどうしているんだろうか。そんな疑問が湧き上がるほどには、御影は美人だと痛切に感じた。

 いや、これはリーゼフィルターだ。そう思い込もうとしているところで、程度がしれるというものだった。

 可愛い。綺麗。言葉に言い表せない。瞼に焼きついている御影の姿を、何度も何度もなぞってしまう。

 それだけでは飽き足らず、スマホを手に取った。撮った写真は送ってもらっている。それを開くと、リーゼとフィンとして映った自分たちがいい雰囲気で映し出された。

 自分のコスプレも気に入っている。

 けれど、やっぱり御影は抜群だ。いい。すごくいい。リーゼとしても綺麗で、コスプレイヤーとしてファンになってしまいそうだ。

 飽きもせず見つめていると、スマホが震えてビビった。メッセの通知に夏影と表示されて、二重にビビる。


『ハルさん、今日は付き合ってくれてありがとう! ハルさんのおかげで安心して楽しくコスプレデビューできたよ。写真もいいやつがいっぱい撮れてとっても嬉しい。ハルさんのフィンちゃんと並んでリーゼでいられるなんて不思議な気持ちでいっぱい。とにかく、今日は本当に楽しかったよ。ありがとう。また、今度どこかに遊びに行こうね』


 音符やキラキラとした絵文字がたっぷり入ったメッセは眩しい。いつも同じようなものではあるが、今日はいつもよりもずっと煌びやかだ。

 楽しそうで、こちらまで満たされる。よかった。付き合えてよかった。そう思うけれど、ほのかに存在する影を消すことはできない。

 また、今度。

 今度。

 ふぅと息を吐いて、括っていた腹の方向性を整えた。二条に言われた言葉を、嚥下して吟味する。徹平の言葉がフラフラしているのも、まぁこの際飲み込むべきなのだろう。

 今度。

 今度は、ちゃんと。

 俺は再度深呼吸して、御影への返信を組み立てていった。

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