第25話

 次に向かうブース内の人影には、心当たりしかなかった。列の中ほどで気がついたのは、サークル主も同じだっただろう。

 目が合った瞬間に、大きく瞠目された。逃げようにも逃げられないし、俺は渋面になる。御影はそわそわと前方を確認していて、俺の表情には気がついていないようで助かった。

 サークル主の二条は、半眼で俺を見ている。その視線がどこを探っているのか。いくらリーゼのコスプレをしているとしても、御影が御影であることは分かる。

 どうして二人なのか、という疑念だろうか。その疑念だけであってくれ、と思う反面、それをぶつけられるのも非常にまずい。

 二条は他人の関係性に、非常識に越権してくるほど過干渉な人間ではなかった。だが、好奇心はそれなりにあるし、俺には忌憚がないところがある。突っ込まれたら終わりだ。

 背筋に冷や汗がたまる。マントが異様に暑く感じた。今のうちに、違うブースに俺だけでも逃げるか。

 一瞬掠めた発想は、すぐに却下した。自分のあずかり知らぬところで、二人が接触するほうがよっぽど怖い。場を支配できるとも言えないが、それでも引っ掻き回したり邪魔したりすることはできる。御影を一人にするなんて分が悪い賭けでしかない。そんなものにベットできる強靱な精神があれば、もっと早くに伏せ札をオープンしている。

 ここは静観するしかない。俺は音を立てずに深呼吸して、腹を括った。

 二条にメッセージを送ったとしても、今まさに購入者を捌いている。見ている時間的余裕はないはずだ。そんな手間を取らせるわけにはいかない。

 万策は尽きている。ハルキ先生の次回作にはご期待できない。


「新刊ください」

「ありがとうございます」


 人が馬鹿みたいな現実逃避をふわふわしていたところに、御影のハツラツとした声が響く。手慣れた調子で捌いている二条と目が合った。


「珍しいじゃん」


 そりゃ、黙っておいてくれないよな、と肩が落ちる。まるで計らったように俺たちの後ろには列がない。

 新刊を胸に抱いた御影が、ぱちくりと目を瞬いてこちらを向いた。


「……イベントに来るのはいつものことでしょ」

「連れがいるのが珍しいって言ってんの」

「初めてのコスプレに付き添ってんの。ナツ、こちらは作者のカンね」

「カンさん、ご本人様……って、あれ?」


 ほわぁと夢心地な顔をする。リーゼでやられると、普段よりも何かのツボを押されるので勘弁して欲しい。

 しかし、すぐに表情が落ち着いた。同級生の顔くらい見覚えがあったようだ。そして、そんな反応をされれば、二条だって無反応ってことはない。

 凝視して


「もしかして、御影さん?」


 と、声が落ちる。こくんと御影が頷いてから、唇を震わせた。


「そう! ビックリした~。同級生だよね。カンさん。私は、夏影ってネームでやってるよ……ハルさんには、イベントで出会ってから相手をしてもらうようになって」

「へぇ」


 探られている意味深な相槌があからさまに過ぎる。御影だって、不思議そうな顔になった。頬が引き攣りそうになる。


「でも、世間って狭いね。ハルさんとカンさんが知り合いだなんてビックリ」


 ははは、とから笑いが零れた。御影が感じているよりも、世間はもっとずっと狭いことになっている。


「同じジャンルだからね。どこかで繋がっているってことはよくあるよ。ねぇ、ハルキ」

「ああ……うん。そうだね。そういうことも多いと思う」


 御影を真正面に捉えておくことは難しい。二条の言葉に相槌を打ってそちらを見たが、こっちも探ろうという目つきでたまったものではなかった。

 結局、二条からも視線を逸らすことになり、挙動不審極まりない。御影が二条と出会えたことにテンション上がっていたことが、せめてもの慰めだっただろう。


「そっかぁ。私もこれから、こういう経験いっぱいするのかな。楽しみ。じゃあ、邪魔しちゃ駄目だし、そろそろ行くね。カンさん、ありがとうございます」

「こちらこそ、ありがとう」


 御影が常識人であったことに感謝した。

 どれだけ言っても交流のない同級生であるということもある、だろう。多分。いや、御影がどれほど同級生に遠慮するのかは分からない。図書室で俺に声をかけてくることはないままに夏休みに突入したので、その辺りの距離感は不明なままだ。

 とにかく、今は一時撤退が確定して肩の荷が下りた。別れの際に、二条にアイコンタクトを食らったことは致し方がないことだろう。

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