第六章
第27話
珠莉に煽られたにしても、イレギュラーなことをしている自覚があった。というよりも、甘えている自覚があるといったほうが正しい。
ハルさんは、大半のことに頷いてくれる。考える素振りを見せることはあった。けれど、それが長続きすることはなく、無理だという判断を下すことはない。私はそれにあぐらを掻いているだろう。けれど、ハルさんはまったくもって、気にしている様子がなかった。
こんなに贅沢な時間をもらっていいのだろうか。
そりゃ、ハルさんが気遣いだけで付き合ってくれているなんて、無礼なことを考えているわけじゃない。しかし、心から楽しめているのだろうかと思う瞬間があった。
深刻なことではない。基本的には、楽しんでくれているはずだ。けれど、時々。本当に時々。何だか仕草が不自然になったり、距離を置かれたりする瞬間がある。同時に、守られていると思うことも。
ハルさんは、私を年下の女の子とでも思っているのか。これは私がハルさんに甘えているのも問題なのかもしれない。ハルさんはお姉さんのような態度を取ることがあった。
さりげなく、ナンパから目を逸らそうとしてくれたり。多分、電車でもいつも私をカバーしてくれていたり。憧れるような洗練さを持っていて、そのわりにふわふわしたファッションをしている。
可愛い人だけれど、何よりスマートだ。そして、私に優しい。何でこんなに優しいんだろう? と不思議に思うほどに、優しい。ように思う。
私がハルさんの行動に便宜を図り過ぎているのかもしれない。でも、それくらいに、ハルさんは私の活動に付き合ってくれている。何だったら勉強も見てくれるものだから、本当に頭が上がらなかった。
オタクの話も合う。同じ作品を好きでいるというのもあるだろうけれど、同時視聴すれば感性が近いのも分かった。だから、楽しくて仕方がない。
今度、と書いたメッセにも、また今度と衒いなく返ってきた。コスプレをしたら、関係が終わると思っていたわけではない。ハルさんはそんなふうに薄情ではないし、期限なんて切ってなかった。
しかし、何となく一区切りになるのかもしれない。そんな考えを持っていた。
急接近したのは夏休みのことであるし、休みの間がいいタイミングでしかなかったのではないか。夏休みが終わったこともまた、終わりを意識したのも理由かもしれない。
「ハルさん、二学期始まって忙しいんじゃないの?」
『それはナツも一緒でしょ? そりゃ、夏休みに比べたら忙しいけど、言うほどドタバタはしてないよ。ナツのほうがバイトとの両立大変なんじゃない?』
「ちょーっとだけね。おかげでハルさんと出かける予定がずれちゃうし」
『そこ?』
ふっと柔らかい笑みが零される。
ハルさんは、私がハルさんと一緒にいることをどれだけ待ち遠しく思っているのか。ちっとも分かっていないような気がする。
「そこでしょ? だって、ハルさんと会いたいもん」
当初は、ハルさんにこれほどまでに砕けられるとも思っていなかった。だから、未だに自分の口を疑う。我ながら驚くほどに、ハルさんを同志だと認識していた。
『ナツは大袈裟だなぁ。来週の日曜日には会えるでしょ』
湿度のない音には、無念さが過る。反比例するような自分の湿度には、苦笑が零れた。
自分は、いつも友だちと一緒でいないと気が済まない女子ではないと思っていた。ずっとそう思っていたし、今だってそう思っている。
そうだと言うのに、ハルさんを相手にすると真逆のようなことを口外するし、感じることも多い。
それでも、今回の約束にわくわくしているのには、それなりに理由がある。ハルさんはなんてことのないように言うけれど、私には特別なことだった。
「だって、ハルさんが誘ってくれたの初めてだもん」
『そうだけど……そんなに期待しないでよ。この前の打ち上げのつもりなんだから、派手にするつもりもないし』
「いいの。ハルさんと一緒ってのが大切なんだから」
『はいはい。じゃあ、今日はもう寝ようか』
「うーん」
『明日はバイトでしょ? ちゃんと寝なくちゃ響くよ』
ハルさんは、私の予定を覚えてくれている。他愛ないことなのかもしれない。珠莉だって、それくらいは把握している。
だから、ハルさんのそれに感銘を受けているのは、明らかに贔屓しているだけに過ぎない。それでも、覚えてくれていることは嬉しかった。
「うん。心配してくれてありがとう。じゃあ、おやすみなさい。ハルさん」
『おやすみ、ナツ』
穏やかな声は、週に四日以上は聞いている。癒やされるそれを胸に抱いて眠るのが習慣化していた。いじましいというか。ちょっと気持ちが悪い。こんなことになろうとは、到底思ってもみなかった。私にそんな執着めいた性質があったとは。
フィンちゃんへの感情は唯一無二だった。だから、その延長線上だろうかと考えてみたことはある。それにしても、懐いているとしか言いようがない。ハルさんだって、こんなにベタベタされたら困るだろうに。この自制心のなさは何なのか。
でも、だって、楽しいんだもん。
口実にしても拙い。でも、どうしても楽しくて仕方がなかった。初めてのことに挑戦して、趣味活動に専念できる。それも、独りじゃない。ハルさんという心強い仲間がいてくれて、一緒に楽しんでくれる。
通話だって、同時視聴だって、聖地巡礼だって、コスプレだって。何かも、ハルさんと一緒なことで、倍加して楽しかった。
もちろん、今までだって十分楽しかったけれど、今はその比ではない。だから、こんなにも浮かれ続けているのだろう。
こんなもの長く続くはずがない。そのうちに落ち着くだろうと希望的観測を抱いてもいる。それに付き合わせるのは非常に心苦しいけれど、それでも、一定の距離感を掴めるようになれるはずだ。ハルさんの重荷にならないようにしないと。
そう思いながらも、私はまだ、浮かれ気分から抜け出すことはできないままでいた。
待ち合わせ場所は、駅前のベンチ。ハルさんはいつも私より先に着いて待ってくれている。私だって、五分前や十分前行動をしているつもりなのに、ハルさんはいつも万全だ。
「おはよう。ナツ」
「おはようございます、ハルさん。今日も暑いね。ハルさん、暑くない?」
「まぁ、暑いけどしょうがないかなって」
「しょうがない?」
「うん。ナツは涼しそうで可愛いね。行こうか?」
あれ、と思ったのはそのときだった。
ハルさんは、自分のことを話したがる人ではない。私の話を興味深そうに聞いてくれている。
その時々で、フラルト及びリーゼへの愛が透ける感じだ。リーゼのことになると、語彙力が喪失する。やたらめったら可愛いとしか言わなくなる様子は微笑ましい。
自分のことを話はしないけれど、パーソナルな好みを口にしないわけでもなかった。会話が不可思議に断絶することは少ない。
オタクだから、知っているネタなどですれ違うことはある。ハルさんは結構どっぷりっぽい。だから、私が置いていかれることはあった。
けれど、ハルさんはマウントを取ったりすることも知らないことだと切り捨てたりすることもない。すぐに解説してくれるし、会話を切り上げられることもなかった。
まったくないと言うわけではないが、あからさまな復唱をスルーされることは珍しい。こちらを振り向かずに突き進んでいくようなことも。違和感がある。
だが、それは小さなものだった。隣に並べば、ハルさんはごく自然にこちらへ顔を向けて微笑んだ。
なんだろう。
「どこ行くの?」
「アニメショップに行ってから、喫茶店に行く予定。いい?」
「カフェとかファミレスじゃなくて、喫茶店? 単価、高くない?」
「マズい?」
「ううん。でも、ハルさん、イベントでお金大変だって言ってなかった?」
「バイト代入ったから大丈夫。たまには静かな場所もいいでしょ」
それは何となく、話があるのかもしれない、と思わされるものだった。
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