第23話
御影はつらっと棚を見ているが、時々自分の好みのものに釣られて停止している。多分、さっき俺に当てていたのも、御影の好みだ。それを横目にチェックしながら、深い青色のアクアマリンに見えるピアスを見つけた。
目移りの多い御影より、他に興味がない俺のほうが見つけやすかったらしい。
「ナツ。これがいいんじゃない?」
声をかければ、当たり前に寄り添ってくる。これが女子同士の距離なのか。御影のパーソナルスペースがブレているのか。どっちにしても、いつだって動揺を誘われる。
「本当だ。リーゼのに似てる。さすが、ハルさん」
「どういう意味だよ」
「推し?」
「なるほど。じゃあ、これでいいね」
そう言って、一歩を踏み出すとシャツの裾がきゅっと握られる。
「え、何」
「なんで、ハルさんがお会計しようとしてんの。私の買い物なんですけど」
「ブーツ、結構してたでしょ。これくらいなら、先輩としてのお手伝いってことで」
罪悪感の補填ってことで、とは、言えるはずもなかった。
本当なら、さっき見ていたやつを買ってやりたい。けれど、そんなもの渡そうとしたところで、御影には意味不明だろう。俺だって、そこまで変則的なことをしたくはなかった。物で誤魔化そうとすれば、罪悪感が膨れ上がるのも分かっている。
だから、この辺りが落とし所だ。勇気のない自分と中途半端な自分への、都合の良い言い訳でしかないけれど。
「付き合ってくれてるうえにそんな手助けされたら大盤振る舞い過ぎて怖いんだけど」
「気にしない気にしない。最初の出費が大変なのは、経験して分かっているから。こういうのは先輩に甘えとくんだよ。フィンのときに、従姉に助けてもらったこともあるし。でも、変な子に引っ掛からないように」
変な子ってのは、男女変わりなく存在する。それは偏執的な同性愛という場合もあるし、嫌がらせ目的なこともある。異性の場合は、目的はもっと分かりやすい。
そういう人だっているという話で、多くの人がそうあるわけではない。ただ、慣れない人ほど引き当てる確率は上がる。
御影は純粋過ぎて不安だ。今は俺を軸にしているが、この関係はいつ破綻したっておかしくない。
「私、そんなに騙されそうかな? そこまで警戒心なくないけど」
「……そのわりには、打ち解けるのが早すぎたんじゃない?」
「だって、ハルさんは知名度もある人だし、馬鹿じゃないでしょ?」
「だから?」
「リスクは犯さないかなって。それに、こんなに付き合ってくれるんだから、今更じゃん」
「そんなの結果論でしょ。気をつけなきゃダメだよ」
言いながら、さっさとレジへと向かう。
背中には、ちょっと。待って。と声が続いていたが無視した。せめて。自己満過ぎるせめてを、荒っぽく押し進める。悪いことじゃないということが、自我を強くしていた。どっちにしろ我が儘でしかないことに変わりはないというのに。自分がこんなにも自己中だとは知らなかった。
……いや、十分傲慢で卑怯でどうしようもない。せめてもの足掻きをしたところで、何の足掻きにもなっていなかった。それは熟知したうえで、手早く会計を済ませて、御影へ振り返って差し出す。
「……ありがとう」
「どう致しまして」
友人同士にしては、少し畏まっている、だろう。分からない。自分たちがどの距離にいるのか。ただでさえ、曖昧な同士だ。そこに俺は色んなものを噛ませてしまっている。関係性は深めるほどあやふやになっていた。
「ハルさんって思ったより強引なんだ」
「悪い?」
「ふふっ、嬉しい。大切にしますね」
敬語とタメ口を意識してスイッチしているわけではないだろう。けれども、こういう瞬間があって、関係値が掴みづらかった。いや、これは後付けでしかないのかもしれない。
卵が先か、鶏が先か。そういうものだ。
「リーゼとして存分に使って」
「うんっ」
弾むような相槌は、こちらの心まで胸を弾ませた。自己満足の所業を満足以上の気持ちへさせてくれる。御影には足を向けて寝られない。その感謝に浸りながら、無事に買い物を終えた。
その後のファミレスで、勉強を教える役に立ったので、一応は報いることができただろう。
……御影はそんなことひとつも気にしていないので、すべて俺の独り相撲でしかなかったが。
リーゼのお披露目は、夏の大きなイベントということになった。
思いきりがいいのが、いかにも御影らしい。俺はいくつか心配事を並べ立てたが、躊躇っていたら勇気をなくしそうだと押し切られた。
そもそも、俺が御影を抑え込んでおける筋合いはどこにもない。ほだされている。そのうえ、引け目があるのだ。自分にとって危ない橋だとしても、御影の好奇心や経験をぶち壊すことはできなかった。
待ち合わせは駅前。三度目ともなれば、対面してもそれなりに慣れる。……正式には、三度目でも何でもないわけだが。
「本日はよろしくお願いします」
きりっとした顔つきは気合い十分。心配事は消え去らないが、俺も礼儀正しく挨拶を返した。それから、電車に乗って人混みの中を移動する。
端から女装して、会場で更にコスプレするなんて、何かのバグに遭ったみたいだ。女装して移動することに慣れたとは言いたくない。だが、いくらかコツは掴めてくる。御影が受け入れてくれるものだから、尚のことだ。
それでも、人混みの中で、御影を守る壁になろうとする心意気は死んでいなかった。俺がそんな配慮を持っていたのかは疑問だが、御影相手には機能している。
とはいえ、こっちも女装なので、居心地が悪いし、ちゃんと壁として機能しているかどうかは怪しい。こういうときは、男のほうが都合が良いのだと思い知る。
……御影のために盾になる晴明は、この場に現れることはできない。何をやっているんだか。懊悩も罪悪感も明朗と存在して、一人で七転八倒している。
御影は楽しみに意識を傾けて、瞳を輝かせていた。これを見られるのならば、それでいいかと思えるのだから、俺も大概イカれている。人はやらかすと現実が見えなくなるものらしい。通常バイアスというのはこういうものだろうか。
会場へ着くと、背筋が伸びた。楽しみでないわけではない。ただ、純然たる気持ちでいられないのは確かだ。御影にバレる可能性が、いくらだってその辺に転がっている。
二人で遊びに出かけているのは、いくら外向きの用件でも、二人で済んだ閉じた世界だ。だが、イベントとなるとそうはいかないだろう。
そりゃ、必ずしもコミュニケーションを取らなきゃいけないってわけじゃない。けれど、ただ同人誌を見に来ているだけじゃないのだ。コスプレしていて、完全に誰とも交流を持たないというのは不可能に近かった。
俺にはいくらか知り合いがいるし、挨拶しないってわけにはいかない。そうなれば、夏影も紹介することになるだろう。中には俺が男だと知っているものもいる。何かがあれば一発で即バレだ。楽観視できる面なんて、欠片もない。
なんで了承できたのか。こんなもの過ぎ去らずとも分かりきっている後悔だ。
「ナツ」
「どうしたの?」
「ちょっとトイレ行ってくるから、ナツは先にロッカールームは行って着替えておいて。後で広場で合流しよう」
「え」
「じゃあね」
「あ、うん」
勢いで頷かせて踵を返した。先日とは違って、嫌な強引さだろう。
けれど、どうしたって一緒に着替えるってことはできない。今までは、せいぜいトイレに気をつけるくらいでよかったが、今日はそういうわけにもいかなかった。
俺は慎重に御影の姿を確認してから、男性側のロッカールームに逃げ込んだ。
はぁと息を吐いて、フィンの衣装へ着替えていく。ただの女装よりもずっと肌に馴染んでいて、自分のテリトリーに戻ってきたような安堵感があった。
外見の認識が狂ってきている気がする。さすがに自我を失うようなことはないが、御影の前にいるときはズレているかもしれない。自分でいれないことに、もったいなさを抱く回数も増えてきていた。
もしも、という想像を巡らすことがある。徹平の言うような行為をしたいわけではない。けれども、もしもという仮定は消えていかなかった。
何より、これは妄言ではないのだ。俺が男であることは真実で、秘密を抱えた関係をどうにかしなければという実直な問題と繋がっている。
こんなものネカマとして近付くやべぇ男のようなものだ。そうして要素だけ抜き出すと、本当に気が滅入る。馬鹿とか阿呆とか、そういうのとは別の邪悪だ。
それだけ気持ちをめげさせていても、手はさくさくと手際よく動く。慣れというのは恐ろしい。それに、フィンでいる間はハルキとしていることに違和感はない……が、御影はイレギュラー過ぎて、その一致にもズレが生じる。どうにもならない。
やはり、徹平の明かせというアドバイスに躊躇している場合ではなかったのだろう。どれだけ言ったところで、そこに執着する自業自得だ。
フィンへの変身を終えて、思考はひとまず棚に上げた。どれだけ懊悩したって、目前のことを潰すしかない。御影にバレないように、というのはいつものことだ。
開き直って楽しもうというのも、途中から持つようになった思考だった。それだけに意識を集中させて、ロッカールームを後にする。広場へ移動していると、コスプレイヤーの数が増えてカラフルになっていく。
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