第20話

「美味しい~」


 へにゃりと笑う御影が、舌で唇を舐める。極めて、健全だ。……だったにもかかわらずに意識している自分にうんざりした。

 馬鹿か、とこめかみを揉む。


「キーンってきた?」

「まぁ、うん。ちょっと。美味しいね」


 アイスでもかき氷頭痛になるんだっけか。考えながらも、馬鹿正直に答えられることはないので、俺はそのまま頷いた。

 御影は、ふふっと楽しそうに笑っている。箸が転がっても面白い年頃。おじさんか、俺は。

 御影の輝かしさに焼かれていた。それを長閑に眺めていたら、御影がアイスを傾けてこちら側へ差し出してくる。


「食べる?」


 かちんと硬直した。

 今、俺たちは女の子同士だ。シェアしようとするのに、意味など付随しないだろう。仲がよければ、と条件はあるかもしれないが、男に提案するのとは別のはずだ。

 ハルキでなければこんなことを言うこともなかっただろう。御影は気になる人が言っていたはずだし、東に背を押されていた。そういえば、夏休みに俺と遊んでいて……と巡り出した思考を止める。

 俺は、女としてここにいるのだ。女友達と遊ぶのと、好きな男にアプローチをかけるのは両立するだろう。話が違う。

 待て、何の話だ。連想ゲームのように遠ざかる思考の尾を引っ張って、御影の言葉へと立ち返った。


「美味しいよ? 遠慮はしないでいいから!」


 そのきりっとした誘いは、奢りのライン上にあるものなのだろうと察する。引かないような気がした。御影の一途さは、十分に思い知らされている。勘が外れているとは思えなかった。


「遠慮しているわけじゃないんだけど……いいの?」

「うん」


 こくんと頷く顔には、何ひとつ疑念を持っていない。きらりと光るつぶらな瞳が俺に注がれていた。

 覚悟を決めるしかない。

 少しだけ。小さな一口で。それで何が回避されるわけでもないけれど、わずかでも精神の安寧を得たかった。ならば、避けろというものだが。

 本当に小鳥のような一口。普段なら、ちっせぇと思っただろうし、そんなちびちび食べなくても、と呆れたくらいだろう。だが、今はそんなことを言っている場合でもなかった。

 ストロベリーの甘酸っぱさが広がるが、それが美味いのかどうかいまいちピンとこない。味がしている。ただ、それだけだった。


「どう?」

「美味いよ……いる?」


 聞かれて、我に返るように答えて、返った意識が手元と連動する。手元にあったカップを持ち上げたのは、少しだけだった。

 たった数センチ。けれどもそれは、何かの一線を飛び越えるほどにでかい。


「いいの? あーん」


 マジか。

 飛び越えたのは俺だ。馬鹿さ加減に頭痛がしていた。だというのに、御影はすべてのハードルをぶっ飛ばしててやってくる。

 女同士なら構わないのか? と一度でも性差を意識してしまったら、飛ばされた段階を無視するしかない。少しでも不信な心証を与えたくなかった。

 後になれば、いくらだって白を切れるものだったと分かる。それは御影の分をもらうことについてもだ。それこそ、潔癖症とでも言ってしまえばいい。だが、突発的に動けるほど、俺は沈着ではいられなかった。

 口を半開きにして待っている御影に、俺はスプーンで掬った一口を差し出す。


「はい」


 さすがに、あーん。というのは気恥ずかしさが勝った。ただ、無言で差し出すのも気まずく、端的な合いの手みたいになる。ノリが悪い。

 御影は躊躇なく、ぱくりと頬張って、とろりと頬を溶かす。


「やっぱり、バニラ味は定番で美味しいね」

「ああ」


 合いの手どころか、どもっているだけに過ぎないのではなかろうか。感想の共有すらできない。

 差し出す分には勢いでいけたが、この後自分でスプーンを使うことには心臓が破裂しそうだった。

 御影が微塵も気にした様子を見せないから、足並みを合わせてやり過ごす。指標は御影の態度しかなかった。内心を探りようがないので、手探り感がひどい。綱渡りをしている事実が、強烈に湧いてくる。

 御影は俺が女だと思って、仲良くしてくれているのだ。後ろ暗さが膨れ上がって、心臓が痛くなる。申し訳ない。

 友情。

 御影にはそれがあるはずだ。俺だって、夏影のことを友人だと思っている。長時間の通話を介して仲を深めて、こうして遊びに来ているのだ。そこに情はある。徹平や二条と同じように。

 別格なほどに。

 だからこそ、罪悪感に押し潰されそうになる。言うべきだった。こんなふうに近付いてしまう前に。勝手に性差に翻弄されていることすらも後ろめたい。

 もっと純粋に近付いていきたかった。なんてもったいないことをしているのだろう。

 御影のこの表情のすべては俺へ向けられたものではない。アホくさいことだ。

 ハルキだって俺の一部で、性格ごとすり替わっているわけじゃないのだから、大袈裟に捉えることでもないのかもしれない。

 けれど、性差ってのはあるだろう。俺が男なら、付き合い方も距離の詰め方も変わってくるはずだ。それは所詮誤差かもしれないし、信頼度に違いが出るというわけでもない。

 それでも、ないわけがないのだ。いずれ外れるにしても、同性と異性では、許せる接触の範囲設定と時機に差がある。そのタイミングを、偽った姿ですっ飛ばしていた。

 ダメだろ、これは。

 胸が潰れるような気持ちになりながらも、御影のご満悦な横顔を見ていた。眩しくて、可愛い。これをもっと無垢に、微笑ましいものとして見られていたら。忸怩たる思いがずっしりと肩にめり込む。

 その消沈を気取ったわけでもないのだろう。俺が凝視しているから気がついただけだ。御影がこちらを向いて、へらりと笑う。屈託がない。それがまた、気持ちを混ぜっ返す。

 友情なのか。

 浮かんだことのある疑義が、でかでかと掲げられる。その隣に徹平の顔が浮かんで、より最悪な口説くという文言が輝きを放っていた。頭を抱えそうになるのは根性で耐え、御影の笑顔に答える。

 外側だけ見れば、女子二人の楽しいお出かけに見えているのだろう。普通に。

 自分でも、順調だと思う。ハルキでいることにも、何の心配もいらない。それくらいに、和やかで楽しくて胸がいっぱいだった。だからこそ、苦しい。

 なんでこんなことに、と今まで以上に切実に思う。

 そんなふうに考えていた中で、


「なぁ」


 と言う声を耳が拾ったのは奇跡か何かだった。現実逃避先を探していただけなのかもしれない。

 肘打ちをしあう男二人。その視線がこちらを探っているのが分かる。

 御影は美味しそうにアイスを完食して、ウェットティッシュで手を拭いていた。如才ない。俺も一気に食べ終えて、ゴミを捨てようという段になる。

 男たちも声をかけるには潮時だったのだろう。その足がこちらに向こうとしていた。


「行こう、ナツ」


 物事を先んじるように、御影の手を取る。ぎょっと見上げてくるのを横目に、俺はそのまま手を引いた。目線をそっと後ろへ逃がすと、御影も状況に気がついてくれたようだ。

 すぐに自然な雰囲気で腕にじゃれついてきた。女同士のじゃれあいとしては、気にならないものなんだろう。自分からやったこととはいえ、胸の柔らかさに意識が刈り取られそうになって、息を潜めた。


「ハルさんったら、だいたーん」

「いいでしょ」


 それっぽいことを言う。それくらいのことは、俺にも引き出しがあった。創作物から、という目も当てられないものだが、匂わせるくらいならばこなせる。

 これで何か気障な仕草を求められるサンプルしかなければ、実行に移す気勢はなかっただろう。手を繋げただけでも、俺の中では最大限やらかしていた。あーん、については自分発信でないので、ノーカンにしておいて欲しい。


「急にどうしたの?」

「美味しそうに食べてて可愛かったから」


 背中側で男たちが二の足を踏んでいるのが分かる。

 向こうがどれくらい本気で凸してくるつもりだったのか。それは読めないが、女子同士が絡んでいるところをナンパするのに躊躇うものは多い。

 それは注目度の話もあるし、嫌な話だがレズとも取れる姿に腰が引けているのもあるだろう。……これが偏見なのか。脈がないから諦念しているのかは、定かではないが。

 とにかく、今の男たちもそこまで無謀ではなかったらしい。偽装に重ねた偽装に混ぜ込んだ本音は、効力を発揮したようだった。

 御影まで照れくさそうに笑う効果が出てしまって、こっちまで気恥ずかしい。


「ハルさんに言われると、普通に照れるんだけど」

「人を限定することある?」

「だって、大好きですもん」


 意図が通じているからこそ、手を焼くことはある。牽制に使っていると分かるから、ファンという言い回しも使われない。

 口説く。

 可愛いから気になっている。

 徹平の言葉など右から左に受け流しているものだと思っていた。それが今更になって、ぐるぐると脳内を駆け巡っている。そんなつもりはない、と豪語できるだろうか。こうしてじゃれてくれる御影を前にして。

 気が合う。楽しい。目顔だけで意思疎通ができる。

 今、この肉体接触だけで落ちているわけじゃない。重ねたものがあるからこそ、こんなにも簡単に胸が高鳴ってしまう。卑怯だ。


「ありがとう」

「ふふっ、感謝してくれるなら、また一緒に出かけよう?」


 これ、どっちだよ。

 男たちの視線はまだ背中にある。とはいえ、移動しているこちらの声はもう聞こえていないだろうし、会話まで取り繕わずともよい。けれど、御影は嬉しそうな顔でしおらしく首を傾げてくる。

 それに了承することがどれだけ不誠実で、不具合のあることなのか。そんなものは重々以上に承知していた。

 そのくせ、御影に引き寄せられる心が自分の手綱をあっけなく手放す。


「そうだね」

「やった!」


 牽制でも演技でも何でもない。本心からの歓喜を上げた御影が、腕に抱きついてくる。


「約束だよ、ハルさん」

「反故にしたことないでしょ」


 半分逃げだ。分かりきっていた。けれど、腕にしがみついた御影はどこまでも嬉しそうに笑う。

 純真な顔が胸を蝕んでいた。

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