第19話

 御影は一通り周囲を撮影し終えて、俺の元へ戻ってきた。ほくほくした顔を見れば、満足な写真が撮れたことは明白だ。スマホ画面に夢中な御影は、周囲の状態が見えていないようだった。そして、足下も怪しい。心配は間違っていなかったようだ。

 御影は自分の足に引っ掛かって、こちらへ倒れ込んできた。大きく見開かれた瞳が、茶色っぽいんだなと気がつく。別のタイミングで気がつきたかったものだ。

 俺は咄嗟に手を出して、御影の脇の下に手を滑り込ませるように抱き留めた。肩口に顎が乗る。呼吸音が耳元に届いて、ひゅっと喉が鳴った。

 近い。バレる。いい匂いする。まずい。可愛い。

 ぐるんと頭蓋骨の中身が撹拌される。


「だ、いじょうぶ?」


 捻り出すと声が低くなりかねない。意識して音を保とうとすると、不器用さはかさましされていた。


「うん。ごめん。ビックリした。ありがとう」


 すぐに離れてくれて、肩の荷が下りる。ばくばくとした余波がまだ心臓を奏でていた。これはきっと、人が倒れたことに対するものだ。


「どう致しまして。はしゃぎ過ぎないようにね」

「うっ……気をつけまーす」


 唇を尖らせて、そっぽを向く。無邪気だとは思っていたが、ここまで幼いとは知らなかった。

 グロスかリップか。良い色だなぁとふざけた感想が思いついたのは、視線を集中させている言い訳だったかもしれない。

 拗ねたような顔で、ベンチに座った御影がスマホを確認していく。撮影したものを見返すのはよく分かるし、画面ばっかり見なくても、などと胡散臭い注意をするつもりはなかった。

 そうしている横顔がにたにたと崩れている。うーわ。やべぇ女子高生になっている自覚がなさそうだ。

 変だとは思わないし、自分が同じような性質を持っているのも分かっているし、引いているわけではない。

 だが、客観視はできていなさそうだった。その顔が持ち上がって、それからぐりんとこちらを向く。横顔をガン見していたことに気がついて、びくんっと肩が震えた。馬鹿か。

 しかし、御影は何かに気がついたようで、そのことに猪突猛進だった。


「ハルさん、首筋にほくろあるんだね。色気~……でも、フィンちゃんのときはなかった……?」

「コンシーラーを使っているからね」


 言いながら、視線が向けられている首筋に触れる。手のひらで隠すようにしたのは、首元ほど見られてまずい箇所もないからだ。

 他の部分は、衣服や見せ方でどうにかすることはできる。隠すことが簡単だから。だが、喉仏だけはどうにもならない。いくら中性的な声だろうが、男にしてみれば線が細かろうが、凹凸だけはどうにもできない。胸は絶壁でもいいが、喉仏が隆起していれば逃げられない。


「フィンちゃん、完璧だもんね」

「それは豪語」

「でも、相当高クオリティだよ。少なくとも、私はとっても好き」


 目を細めて目尻を蕩けさせる。角砂糖のように溶けてしまいそうな好きは、胸の中を甘さで満たした。

 変じゃない。

 だって、俺はハルキで、フィンのコスプレイヤーだ。

 似合ってるだ可愛いだ好きだ。そんなものは言われ慣れている。オタクは褒めるとなれば、気持ち悪いほど愛の言葉が出てくるものだ。安直だろうと工夫されていようと、その好意はどこまでもあけすけだった。

 SNSともなれば、その箍は更に緩くなる。故に気色悪い暴走コメントもあるが、今それはいい。とにかく、慣れているつもりでいた。

 だが、知り合い。クラスメイト。御影。

 その破壊力は、他の追随を許さない。

 心臓がバグって、脳の機能が著しく落ちる。取り戻すには、バグを取り除かなければならなくて、その容量はなかった。


「……ハルさん?」

「ごめん。いや、なんか。照れくさくて」


 それだけと言うには、心中は荒れ狂っていた。取り繕うことが身についていなければ、切り返すこともできなかっただろう。それほどまでのどんちゃん騒ぎだった。


「え。言われ慣れてるんじゃないですか?」


 ここで敬語になることに、ちょっと笑ってしまった。これが御影のハルキ仕様なんだろう。俺が取り繕うことを夏影仕様にしているのと同じように。


「面と向かって言われると照れるもんだよ」

「そーう?」

「そうなの」


 深く掘り下げられても、他に言いようもない。これがハルキとしての感情だけでもそうだったのか。俺には分離のしようがない。答えられることはなかった。

 御影は、そっかぁと良いとも悪いとも取れない相槌を寄越す。場面が場面なら気がないとも取れるだろうが、今の俺には都合が良かったくらいだ。

 それから、俺たちは歩きを再開させて写真を撮って回った。

 お昼はファミレスという良心的なチョイスになっている。普遍的ではあるが、作中で登場する店舗だ。御影には充分楽しいテーマパークだったらしい。

 それは歩き回って写真を撮るだけでも同じことだ。御影は真剣に写真を撮っていて、自分の体勢に無頓着だった。お尻を突き出して体勢を保つためにふるふるしていたときには、周囲の目が怪しかった。

 単純な疑問としてのものもあっただろう。だが、ハイウエストのショートパンツは、思った以上に丈がショートで、際どい太腿部分が晒されていた。白くて柔らかで、つるんとしている。そこに吸い寄せられている邪念を前に、俺は身体を盾にして、周囲を顔面で威嚇しまくっていた。

 女装状態なので、ブチ切れ感は通常よりあったかもしれない。JKの地獄のように冷たい視線というのは、人目を散らすには効果的だった。そんなふうに、ガード役をこなして、巡礼していく。

 無邪気な御影は無邪気なままで、何よりだった。この世話の焼き方は、庇護欲云々と呼ぶのだろうか。友情と呼ぶのだろうか。本当にそんなものはあるのだろうか。

 ……友情の範疇を越えてはいないだろうか。

 思い至りたくなかった部分へ到達したときに、脳内で笑っていたのは徹平だ。頭を振ったのが見咎められなかったのは幸いだっただろう。


「この辺でクレープ食べてたよね」

「そうだね」


 多くはないが食事処が並んでいる。生憎、クレープ店はないが、季節柄か。アイスクリームのキッチンカーが来ていた。


「クレープはないけどアイス、食べない?」

「ふふ、いいね。暑いし。奢らせて」

「それ、生きてたの?」


 しっかり拒絶したはずだ。それを否定したがゆえに、外出を断り損ねてこうなっている。ちょっとだけ下にある顔を見下ろすと、御影は斜に構えていた。


「だって、やっぱり、私が付き合ってもらってるって感じじゃん? ハルさん、一歩引いてるし」

「そんなことはないよ」


 十分、テンションは上がっていた。楽しい。ただ、どうしたって、言葉や仕草に気を回してしまう。ガチテンションというわけにもいかない。というか、俺が引いていると言うよりも、御影が前傾姿勢なだけだ。


「そんなもの? でも、ありがたいんだけどなぁ」

「遊びに来てんじゃないの?」

「? それはそうだけど」

「じゃあ、どっちがどっちにお礼とか奢るとかそういうのはいいよ。もし、奢ってくれるなら、こっちも何か返すってことになるけど」

「え、それは困る」

「じゃあ、そういうのはナシで」


 取りまとめると、御影は不服そうな顔を続けた。けれど、旗色が悪いのも分かっているのだろう。拗ねているポーズのようで、微笑ましくて気が抜けた。

 ふっと笑うと、ますます不貞腐れた顔になる。その肩を緩く叩いた。こうしたスキンシップが取れるなんて、自分でも意外だ。

 徹平相手でも、そんなふうにすることは珍しい。ましてや、女の子に手を出す。自分ができるようになるとは思えないことだった。

 いや、コスプレのときはできているかもしれない。でも、あれはイレギュラーもいいところだ。引いていてはどうしようもないから、という前提がある。今だって、ハルキという点ではその延長ではあるのかもしれない。

 けれど、ハルキとして日常を過ごすというのは、コスプレ中とはモードが違う。不思議な感覚だけが、手のひらに残っていた。


「ほら、食べよう」


 誘って列へと並ぶ。列に並んでいるのは、俺たちの他に二人。順番はすぐに回ってきて、俺はバニラ。御影はストロベリーを選んだ。

 カップでスプーンにしたのは、化粧をした状態で食事するのに慣れないからだった。後は、過剰に男女差を考え過ぎたこともある。

 普段はそんな偏見はない。けれど、自分をそれっぽく見せようとすれば、肩肘を張ってしまう。まさに過剰だった。御影はコーンに思いきりかぶりついていたので。

 リップとか、どういうふうにやってんだ? 直すってことか。と疑問は次々出てくる。こうして過ごしてみると、女装していると言っても一時的でしかないことをしみじみ実感した。

 女性っぽい振る舞いなど、おおよそ身についていないし、知識もない。一人で出かける趣味になっていたとしても、ここまで自覚することはなかっただろう。隣に見事なまでの女子高生がいる。

 こんなものか、と御影を観察してしまっている自分がいた。参考にしようとしているわけではない。何にしても、見過ぎだったと気がついたのは、その日帰ってからのことだった。

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