第18話
といっても、二駅先。街中の様子が様変わりするわけでもなかった。日常ラブコメの聖地はそれなりに栄えている街ではあるが、大きなテーマパークがあったりするわけでもない。
俺たちはスマホを片手に、辺りを歩き回ることにした。
「ここだ」
「どこ?」
「ここ。ここの橋の下。あの辺」
目の前にある橋の欄干へぱたぱたと駆けていく。それから、河川敷を見下ろしてあの辺りだと指を差していた。俺がそこに並ぶころには、御影はこっちへ視線を投げてから、橋の下をちらちらと見下ろし始めている。
元気だ。そして、無邪気で一途で愉快だった。
「下りてみようか?」
河川敷は原っぱでもあるが、サイクリングロードがあるしベンチも用意されていて下りられる。
御影が差している場所は、そのベンチだ。主人公とヒロインが、缶コーヒーとココアを片手に星空の下で話すシーンで使われていた。
「やった! 行こう!」
表情を輝かせた御影が俺の腕を取って、進んでいく。歩幅を考えずに済むのはいいが、他の問題が浮上した。
衣服で誤魔化してはいるし、男にしてはいくらか華奢かもしれない。だが、触れられてしまえば違いに気付かれるのではないか。
そして、ぎゅうぎゅう引っ張ってくるために、横乳が触れている。柔らかい。
いや、そうじゃねぇよ。
最悪というか、実直な感想であるけど、それにしてもそんなことを感じている場合ではない。これセクハラじゃ……。どっちがどっちにかは知ったことじゃないが、とにかくよくなかった。
「ナツ。ちょっと落ち着いて。ちゃんと進むから。そんなに急がなくても大丈夫だし、自販機に寄って飲み物買ってゆっくり下りよう。せっかくだよ」
瞬間、腕が解放される。ほっと一息ついたこちらの心情など欠片も気がついていない御影は、キラキラした顔をしていた。こうも輝度が上がるものか。
イベントのときはイベントフィルターだとか、初対面のテンションだとか、そういうものが含まれていると思っていた。今も、聖地巡礼のフィルターが入っていると言えばそれまでだろう。
それにしたって、こんなにキラキラされると目が焼けそうだった。サングラスでもしてくればよかったかもしれない。
「ハルさん、素敵! ブラックコーヒーとココア買って、写真も撮ろう? あ、」
「あ?」
「……ハルさん、ブラック飲める?」
跳ね上がったテンションががらりと落ち着いた。そろそろと上目に窺ってくるのが微笑ましい。聖地巡礼を発案したときも、同じような顔をしていたのだろうか。
「飲めるよ。ナツはココアにすればいい」
「ありがとう」
へにゃっと笑う御影に、心臓がどきりとした。
俺たちはそのまま、自販機へ寄ってベンチへ移動する。河川敷に下りてきている人はほぼおらず、のんびりと場所を堪能しているものに至っては絶無だ。
いくら深夜アニメであったって、今や配信の時代で、人気なら聖地巡礼なんて普通にある。今回のアニメは始まったばかりであるし、そんな観光客がいないのは僥倖だった。
別にいたって構わないが、気を回さなくて済むのは楽だ。ただでさえ、御影と二人きりの外出に気を遣う。
俺が晴明だと身を明かしていたとしたって、緊張していたはずだ。今はそこにプラスして、ハルキとしての皮を被っている。色んなものを重ね過ぎていて、御影以外に思考を割く余裕なんてない。
「夜に来られたら、月や星が綺麗かな?」
隣に並んで座った御影が、背もたれのないベンチの背中側へ手を突いて空を見上げている。同じように見上げると、もこもこと厚い入道雲が重なっていた。
「よく見えるかもね」
この辺りは繁華街じゃない。夜はそれなりに暗いだろう。想像してみると、アニメの映像が脳内に広がった。
「ハルさん、ブラックコーヒー」
「はいはい。どうやって撮るの?」
「うーん。開けてる缶とベンチを入れたいかも」
「人はいる?」
「手元くらいなら、入れてもいいかなって。それとは別に、ベンチと一緒に映りたい」
いつもは撮られるほうが多いが、合わせをすればカメラに回ることもある。スマホで記念撮影することもあるので、アングルにこだわるシチュに遭遇する率は、御影よりも多かった。
「じゃあ、まずはナツを撮るよ」
「一人なの?」
「……ツーショにしたら、ベンチってほとんど映らないんじゃないの」
「上から撮ればよくない? せっかく、ハルさんと一緒に来たんだから、一緒に撮りたいよ。ダメ?」
俺はこのそろそろとした確認にすこぶる弱い。
我ながら、どうかと思う。
写真を後で観察されれば、バレるかもしれない。そんな危惧だってある。マイナス思考は存分に発揮されていた。
それでも、否定はできないのだから、弱いとしかいいようがない。
「ダメじゃないよ。じゃ、まずはそれから撮る?」
「うん」
ぱぁっと笑顔が広がる。
教室の御影を思うと、随分機嫌がいい。いや、普段だって明るいほうだ。でも、こうもニコニコしているわけではない。
自分だけが知っている。
などと、尊大になるつもりはないが、不特定多数には見せない表情に気がついてしまうとぎこちなくなった。
とはいえ、頷いてしまったものを取り消す勇敢さはない。ツーショットを撮って、それから、御影単体を撮った。缶とベンチだけを被写体にしたり、手元を含めた写真も撮ったりした。
それから、御影は周囲の風景もぱしゃぱしゃと撮り始める。俺には休んでていい、とだけ告げて、一人でフラフラ撮影を続けていた。軽快な動作は見ていて飽きないが、転んだりしそうで心配になる。
女子高生に抱く不安ではない。小学生じゃないんだから。
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