第四章
第16話
「お前って馬鹿だったんだなぁ」
心の底から感心したように漏らさないで欲しい。そんなことは、他の誰よりも自分が分かっているからだ。
いや、軽い気持ちで了承したつもりはない。了承した時点で、迂闊ではあるが。だが、行けるのではという算段があったのだ。今だって、不可能と思っているわけではない。
一度も会っていなかったら、俺は間違いなく断った。だが、御影はハルキを前にしたうえで、気がつかないままにこの状況へ陥っている。ならば、女装しておけば誤魔化すのは難しくない。
聖地巡礼に釣られた。何より、肉声によるお誘いを断りきれない。ただでさえ、色々と考えている。その中でミスったプレイングを取り戻せるほど、俺は有能ではなかった。
だから、息を吐いた時点で、覚悟は決めたのだ。馬鹿と罵られるのも常道だろうし、否定するつもりもないが。
「もう行くって決めたんだろ? 約束した以上は、腹括れよ」
「括ってんだよ。括ってたって、考えないってわけにはいかないっていうか……」
「じゃあ、ここで暴露するしかないぞ。約束は夏休み?」
「ああ……そっちのほうが楽だろうって」
「晴明に合わせてくれたんだろ? 良い子じゃん。話したって、理解してくれるんじゃねぇの? 見た目の誤解はしょうがないってことで」
「騙してんのは一緒だろ」
「そこまで言うなら、さくっとゲロれ」
反論の余地がない。自分で自分の首を絞めただけだ。
そうは言っても、まさかこんなことになるとは到底思っていなかった。それを何度も繰り返している。
相互フォローになってしまったときも、メッセのやり取りをするようになってしまったときも、通話に頷いてしまったときも。そして、今回のお出かけを了承してしまったときも。
優柔不断というか、流れるままになり過ぎていた。いくら夏影の威勢が良いと詭弁を弄したところで、俺の落ち度であることは間違いない。
「ていうか、最初から性別を確認されたわけじゃないんだろ? だったら、今のうちに外出の確認ってことで言い出しとけばいいんじゃないか? 男だけどいいのかって」
「……まぁ、そうなんだけど」
御影と俺がクラスメイトでなければ、男だと打ち明けることもできただろうな、と遠い目になる。
夏影は、時々、俺のこと……晴明のことを話題にしていた。クラスにフラルトのファンがいるのだ、と言って。その感想を聞くにつけ、悪印象を持たれてはいない。
だからって、女装コスプレをひょいっと明かせるか。
男であることを伏せていた分には、まだ弁解できるかもしれない。だが、クラスメイトなのを伏せていたというのは、間が悪かった。
どういうつもりなのか分からない。御影をビビらせかねない。そんなことはさせたくなかった。期待に溢れた聖地巡礼に向けての準備で、爆弾を放り投げるのは躊躇われる。今しか引き返せないのも分かっていたが、それをするには近付き過ぎていた。
楽しくて仕方がない声音。こちらの予定を探るような気配。奢りを申し出てくるほどの一心っぷり。そうしたものをぶつけられて無視できるほど、不感症ではない。
押しに弱いだけだと言われれば、その通りだ。それ以外の何物でもない。よくないことだと。自分の立場にしても、御影のことを思うにしても、よくないことだと分かっている。不健全だ。誠実に吐露して、仲良くしたほうが理に適っている。
でも、だからって、この世の中すべてが理だけで丸く収まりはしない。今回は、俺が屁理屈を捏ねているだけに過ぎないわけだが。
「そうまでして仲良くなりたいほどに、可愛い女の子なわけ?」
「だから、そういうんじゃないって言ってるだろ」
通話するようになったときにも、徹平には同じようにボヤいている。そのときも、徹平は同じ方向へ舵を切って、面倒な持論を展開してきた。ブレないことはいいが、相手するには疲弊する。
「せっかくなんだから、さっさとバラして口説いとけ」
「俺はお前と違って、誰彼構わず口説くような性格じゃないんで」
「ほーう?」
知ったかぶった相槌は上から目線で、眉根を寄せた。徹平はわずかに顎を持ち上げて、こちらを見下ろしている。
「……なんだよ」
胸騒ぎしかしていなかった。不利になるのが目に見えている。けれど、不遜な態度でねめつけられ続けるのは寛げない。
喉奥から低く絞ると、徹平は目を細めた。不遜さが一層増して、どうしようもなく逃げ出したくなる。
「お前がそんなになってまで仲良くしたいなんて珍し過ぎ。流されがちなのもマジだけど、面倒くさがりでもあるだろ?」
「人がいいんだ」
「苦しいなぁ、晴明君よ」
口調までちゃっかり、上から目線だ。ここまで演技がかってくると、イラッとしてくる。なまじ顔が整っている分、堂に入っていて増幅された。
「俺は晴明が面倒を越えてまで楽しんでいることなんて、コスプレ以外知らない」
演出家なんだろうな。
そんな感想を漏らしたくなる。それくらい、指摘はぴしりと決まっていた。放たれた矢が、心の真ん中に突き刺さる。
いや、とすぐに否定しようと飛び出したもう一人の自分すら、すごすごと脳の奥へと退散していった。それでも、往生際悪く、いやいやいやと今度は自我そのものが否定を重ねようとする。
もっと他にもある。いいように曲解させられているだけだ。特別に持っていきたい男の話術に惑わされるな。そこまで飛び出してきて、少し冷静になる。自分の感性よりも、徹平の挙措のほうが当てになるのは形容しがたいものがあった。
俺は、そっと息を吐き出して我を強く持つ。
「だからって、口説くとか口説かないとかに直結する話じゃないだろうが」
「ちっ。そう簡単に乗せられてはくれないか」
「お前は俺をどうしたいんだ」
言いたくないセリフだ。徹平にどうにかしようとされていると思うと寒気がする。
「面白いことになるかな、と」
「おもちゃにするなよ」
「おもちゃにしようとまでは思ってないけど、晴明の人間関係が広がっていくの見てて面白いからな」
「面白がってることに変わりはねぇじゃねぇか」
「他人事だからな~」
言いたいことを先回りして零すものだから、呆れてため息しか出ない。
徹平の反応は分かる。俺だって、徹平の女性関係について他人事でいるのだから、こっちにだけ関心を持ってくれと言うのは傲慢だ。
それに、節度を越えて構われて、深々と引っ掻き回されるのは困る。直面しているものは、御影が関わっているのだ。ややこしいどころの騒ぎではない。
「まぁ、やれることは分かってるわけだから、後は晴明次第だろ」
「……正論やめろ」
行くも行かないも、明かすも明かさないも、俺が手綱を握っている。だが、握っている感覚がまったくない。腕が痺れているのか。それとも、違う何かを握ったつもりでいるだけなのか。もうさっぱり分からない。
この交流は、はたして何なのか。口説くだなんだ、などという戯れ言は横に置くとして、はたして友情とも呼べるかどうか。とても不健全だ。不透明に過ぎる。そんな状態で、何かを選べるわけもない。
未来は決まっているも同じだった。
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