第15話

 夏影に明かすことのできない奥の手を、口の端に乗せる。自分の図太さにはから笑いが零れそうだった。

 そして、夏影がそれに納得した気配はない。いくら俺がハルキだと分かっていたとしても、女子一人で男二人に突撃する子だ。見当も付かない奥の手を出すまで黙っていることに、不審を抱いてもおかしくはない。

 俺だって、気持ち悪いし、黙っているつもりはなかった。それより先に、御影が割ってくれたから、俺は自身の秘密を明かす必要はなかっただけだ。


「でも、本当に助かったよ。ナツさんのおかげで、大問題にせずに済んだしね」


 これは本心だった。

 自分でも対処する方法はあるが、男同士の衝突となると面倒事が持ち上がることもある。そんな真似を会場でしたくはなかったし、御影が平和に場を収めてくれたことはありがたかった。

 ただ、動乱がでか過ぎたという話だ。ただ、というには、連なる問題も多過ぎるが。


『大問題にならなくても、もっと早めに対処しないとダメですよ。ああいうのは先制パンチに限ります』


 何やらヒートアップしているらしい。フラルトの話でもそうだが、何かと火が付く性格のようだ。


「分かったよ。次からは、ないように気をつけるから。ていうか、ナツさん、イベント初参加だったの?」


 劣勢というわけでもない。男どもの話に留まっていたくはなかった。話を移すと、


『そうですよ?』


 と不思議そうな相槌が返ってくる。

 初参加を突っ込まれるとは、想定していないのだろう。

 俺だって、普段はそんなに気にしちゃいない。ただ、初回でナンパに遭遇して動けるのは感心する。

 そして、その一回でクラスメイトを引いている悪運の強さにも。それも女装コスプレに興じるオタクを引き当てている。挙げ句、前日に見てファンになりかけた相手を。ド級のミラクルを引き起こしている。

 そして、俺はそのミラクルに巧妙に組み込まれていた。


「変なやつを見て、嫌にならなかったんならいいんだけど」

『私にとってはハルさんに出会えた! ってほうが大きいですよ。こうして、話せるようになるなんて、ちっとも思わなかったもん』


 メッセのときから崩れるようになっていたミックスの喋り方は、口頭になっても変わりがない。これをやられると、やにわにクラスメイトなことを思い出すので、早く免疫をつけたいところだった。


「それはこっちも同じ」


 嘘は言っていない。今に限らず、あえて嘘をつくようなことはしていなかった。

 けれど、言葉でうやむやにしたり、答えを闇に葬ったりしていることはある。フラルトのことでは何も隠さなくていいので、オタク話に花を咲かせているのが平穏だった。

 だが、今ほど同意できるものはない。まさかの中身は違っても、まさかの思いは同等だ。ともすれば、思いの天秤はこちらへ傾くだろう。


『不思議だよね』


 それは会話というよりは独り言に近かった。それこそ、こっちのセリフだ。どれだけしみじみ零してみたところで足りないほどに。


『イベントに行ってみてよかったぁ』

「きっかけはあるの?」


 この文化に沼っていけば、おかしなことではない。だが、一人で初参加してくるほどのバイタリティは、きっかけがあるような気がした。


『高校生になって行動制限が緩くなったからですかね? バイトでお金も入りますし、自由度が増したんで。って言っても、一年くらいうだうだしてたんですけど』

「ナツさん、二年? 同い年だ」


 白々しいにもほどがある。

 だが、確認していないことだ。何をどこまで話しておいたか。どこから先を新たな情報とするか。よく考えて発しなくてはならない。

 会話は難しいし、そのうえ声音に留意しなくてはならない。中性的であるし女装姿で対面していれば押し切れるだろう。女性だってハスキーでイケボな方もいらっしゃるし。

 だが、バレたくないという背景を持つと、意識せざるを得なかった。こんな苦労をしながらも、交流を続けている自分が馬鹿らしい。


『え、そうなんですね。ハルさんって落ち着いているから、年上なのかもって思ってました』

「そんなことないと思うけど」


 気をつけることがたくさんあって、それがテンションをセーブしている。メッセのときはテンションをぶつけたこともあるが、通話となると話は別だ。


『そんなことありますよ。色々活動してるっていうのもあると思いますけど』

「いうほど経験を積んでないよ」


 従姉に巻き込まれなきゃ、受け手側でしかなかっただろう。

 夏影が俺をどの程度のものと認識しているのかは分からないが、経験値なんてごくごく知れていた。日常生活を含めば、御影のほうがよっぽど経験値は高いはずだ。それこそ、読モなんてものをやっているわけで、アクティブさはあちらのほうが上だろうに。


『そうですか? でも、私活動の仕方よく分からないし、結局何もかも後回しにしてるっていうか』

「何かやりたいことでもあるの?」


 口にした拍子に、失敗したような感覚があった。穴に落ちるほどではない。小さな段差に蹴躓いたようなものだ。


『やってみたいこといっぱいありますよ! イベントだって、夏冬の大きなのにも行ってみたいし、それこそコスプレもやってみたいですよ。アニメ店舗も大きなところに生きたいんですよね。ロードをうろうろしてみたいし……あと、聖地巡礼! 聖地巡礼したいんです』


 気がついた瞬間に、熱量と声量が一気に上がった。嫌な予感も一気に跳ね上がった。その予感を徐々に増大させるかのように、夏影は言葉を重ねていく。


『今やっているアニメの舞台、電車で行けるじゃないですか。行こうかなぁと思ってたんですけど、一緒に行ける人が……あ!』


 あ、じゃねぇよ、と内心の小言は胸の奥に仕舞い込んだ。ハルキはそんなことを口にしたりしない。間違いなく。


『ハルさん』


 ちょっとはゆとりを取り戻したらしい。窺うような声音ではあったが、発案を引っ込めるつもりはなさそうだ。

 嫌な予感は愚直に胸を貫いていて、腰が引ける。


『よ、よかったら、お会いしませんか』


 一応、ひとつ要求を落としたな。

 それは分かったが、それでもハードルは相当に高い。いや、多分、普通なら躊躇することではなかった。

 一度、イベントで会っている。それも、ナンパの件で人柄もある程度担保できる。それでなくとも、その後これだけ会話を重ねているのだ。

 もっといえば、御影だと分かっている、が。

 とにかく、相手を警戒する意味での躊躇はない。だが、だからこそ、俺には由々しき問題がある。


「バイトとか、忙しいんじゃないの?」


 どう聞いても、苦し紛れだった。

 しかし、興奮している夏影には届かなかったようだ。それはいいのだが、こうして悪足掻きすることで、逃げ道をなくしているような気もした。


『一日くらい大丈夫ですよ! 聖地巡礼しましょう。交通費や食事代はお支払いしますんで!』

「いや、それは申し訳なさ過ぎるでしょ」


 咄嗟に突っ込んだことは、為す術がない失態だ。奢りの部分を否定しただけにしかならなかった俺の意見は、明らかに齟齬を生んでいた。


『だって、私が誘っているんですから、それくらいはするべきじゃありませんか?』

「デートとか記念日とかじゃないんだから……」


 お祝いをしたいとか。相手にかっこをつけたいとか。

 そういうことがあれば奢りというのも納得する。まぁ、それでなくとも、夏影の意見も分からないでもない。だが、さすがに高校の同級生にそれを取り出されると日和る。


『でも、ハルさんと出歩けるんですよね? だったら、その分のお金は払わないと』

「やめ……それは、なんか違うじゃん。聖地巡礼だったら、こっちだって楽しめるし、そんなことされても困るよ」


 やめろ、と言いそうになって急ターンする。取り繕うほうに軌道修正してしまったせいで、行くこと前提になりかけていた。

 そうじゃない。自分で分かっているのに、転がり出たものを止めることはできなかった。


『じゃあ、行ってくれる?』


 そこでタメ口になるなよ、と文句しか出てこない。

 しかも、そろりと窺うような言いざまが、破壊力を追加する。片手で頭を抱えて、ぐしゃりと後頭部を掻き乱した。


『ハルさん……?』


 電話口から口を離して、そーっと息を吐き出す。聞こえているかいないかは、この際気にしなかった。多少は気を遣ったが、聞こえているのならば、それはそれ。そうでもして気を抜かなければ、とても精神状態を保っていられなかったのだ。


「分かったよ」


 馬鹿な選択をしたことなど、端から分かりきっていた。

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