第三章
第11話
いつ何を間違ったのだろう。
鉢合わせたのがすべての始まりだった。だが、その後のやり取りは、誰のせいにすることもできない。相手がいることであったとしても、自分のせいなのだ。
……御影こと、夏影とメッセをやり取りする仲になってしまっていた。きっかけは、写真を添付されたDMに返信したことだ。
比較的、業務的な内容で返した。しかし、書き出す話題に困窮して、フラルトについて、というよりもフィンについて触れてしまったのが間違いだったのだ。俺の中では終わるつもりだった往復に、返信があった。それを無視することはできなくて、辞めどきを失う。
そのままフラルトの話が弾んでしまって、やり取りが続いた。そのうちに、往復の頻度が増えたことを機会に、メッセージアプリに移行している。そうなると、引き際は段違いに分からなくなった。
優柔不断な態度を改めるべきだと身に沁みている。しているところで、どうにもできないから、何の反省にもなっていない。
メッセージアプリはリアルとネットの境にある。感覚が曖昧になっていけない。まんまと隙間に忍び込まれて、生活を蝕まれていた。
『ハルさん、コミカライズ連載読みましたか?』
フラルトのコミカライズは無料で連載最新話が読める。更新は零時。深夜であることも気にせずに、メッセが飛んできた。
今までも深夜にまで話が及んだこともあるし、お互い返信がないときはないときだと割り切っている。それでも、滞ることはあまりなかった。俺も豪胆ではないし、御影も気遣いができる。ハルキだから気を使っている線は拭えないけれど。
ただ、そうして滞りがないために、連絡が頻繁になってしまっているのだ。呼び方もこなれるほどに。
『フィン、いい場面だったね』
『ハルさんはリーゼ推しでしょう? 可愛い顔してるシーンありましたよ』
それは、カインのラッキースケベで赤面しているコマだろう。可愛い顔のシーンで間違ってはいない。
ただ、着替えにバッティングしたと描かれた巨乳のインパクトが強過ぎた。そういった部分にだけ着目しているわけでもないが、目を瞑れないものだ。裸体まで含めてリーゼ推しとしては美味しいコマであったが。
『リーゼが照れているのはいつだって可愛いから。でも、今回はフィンがカインの手助けをして大魔法を展開する見せ場だったんだから、そっちにも目がいくよ』
タメ口ではあるが、言葉遣いには気を付けている。男言葉にならないように。砕け過ぎないように。こんなことになっても騙ることは続けているのだから、世話はない。
『ハルさんがこんなにリーゼ推しなんて知りませんでしたよ。クラスにも好きな子いるんです。あれは絶対胸だと思うけど。
いいですよね! フィンちゃんの氷魔法は絵になります! キラキラしたトーンだけでも十二分に美しいですし、アニメのときの演出は息の白さまでも美しくて、フィンちゃんの魅力を存分に魅せられてますよね。キュンとしちゃいます』
おい、俺は胸に関して一度だって言及した覚えはないぞ。
何より、俺と御影はあれからまともに会話をしていない。あの日のあれは、気まぐれに過ぎなかったのだろう。俺の挙動不審が事の発端だった。
そうしてリアルで距離が測れているものだから、メッセでのやり取りへの危機感が薄れているのだ。何ひとつ解決していないと言うのに。
御影のメッセアプリの名前は、夏になっている。その季節に負けず劣らずの燦々としたフィンへの愛が滾っていた。
オタクとしては、そこまで度外れているわけではないだろう。ただ、どうしたって御影だという認識が消えない。そうなると、途端に熱量に驚いてしまうのだ。
好きな人について話していた際の照れくさそうな顔つきと、早口になっていそうな感想。過当にギャップを感じるのは、普段の御影がただのJKであるからだ。俺は自分がこんなにもカテゴリーで人を見ていたとは、思ってもいなかった。
よくはない。その偏向で毛嫌いするのならば、尚のこと。だが、そういうものでもない。一貫して違和感が拭えなくて、奇妙な感覚が付きまとう。気持ち悪いとまでは言わない。
ただ、いつ何を間違ったのだろうとは思う。
もたらされるフラルト話から脱却しない自分にも、どういうつもりか問い質したい。そろそろやめておけ、といくらでも思うが、こうも気軽に直近で語れる相手はいなかった。
二条とも徹平とも顔を合わせればという感じだ。同級生なのだから、顔を合わせればでも十分に近い。それが更に近い状態を手に入れてしまった。
一度、今期のアニメを一緒に観てしまったのがでかい。フラルト以外に何を見てる? という話の流れで、今から観ると送られてきたタイトルは俺もチェックしているものだった。
本編中はお互いにメッセを自重していたが、CMになるや一気に感想を送り合う。そんな楽しい経験をしてしまった。
そのときばかりは、御影がどうだなんてことはひとつも考えていなかった。そうして、御影のことを忘れた交流を持っては、御影のことを思い出して懊悩する。そんな反復をしていた。
いつ何を間違ったのだろうか。
「いいんじゃないか?」
けろっとした顔で言い放つ徹平にジト目を送った。俺が懸命に語った罪悪感の話など欠片も胸に響いていないらしい。耳の穴かっぽじってやろうかと思ったが、脳髄に直接注ぎ込んでも同じことを言われそうなので飲み込んだ。
「楽しく交流できてるんだろ? 相手だって、何か引っ掛かってるって感じもなく、同じアニメについて語る推し活をやれている、と。そんなにビクビクすることないだろ。晴明の偽装は完璧だし」
「偽装っつーなよ」
今、こだわっていることをわざわざ突いてくる言い回しには、眉を顰めてしまった。性質が悪い。
「でも、実際、晴明だってバレることそうないと思うぞ。俺だって遠目に見かけると可愛い子だなと思うし」
褒め言葉、だろう。
実際、フィンは可愛い女の子であるし、それをやっているのだから、賛辞だ。クオリティが高いというのは鼻高々だった。
だが、近しい男友達に言われるというのは、すわり心地の悪さが先に立つ。そのうえ、女癖が悪いやつに言われるとぞっとした。
よくない感想だろうが、如何せん徹平の行動はよくよく知っている。節操がなさ過ぎた。密かに腕を擦ると、徹平は面白そうに笑う。こっちの感情を読み透かしておきながら、難癖をつけるわけでもない。悪いやつではないのだ。ただ、癖があるというだけで。
「メッセのやり取りじゃ、その魔法もないんだよ」
「それこそ取り繕うのは対面より全然楽じゃん」
それはそうだ。
多少男っぽくなったとしても、そういうものだと貫き通せる。そんなものは、所詮印象によるものであるから、神経質になり過ぎずともよい。
そのうえ、精査する時間もある。取り繕おうと思えば、いくらだってこなせた。そして、今のところ危うい場面はない。だが、その行為そのものへの後ろ暗さがあるというところがミソだ。
黙ってしまった俺に、徹平が苦笑になる。
「じゃ、言っちゃえばいいだろ」
まったくもってその通りだ。
これが、御影でなければ、俺だって伝えていたかもしれない。
別に御影だからって、男暴露は問題がなかった。だが、あの純粋な目を向けられた瞬間を思うと躊躇が生まれる。ショックではないだろうか。
杞憂であったとしても、そんな行動力はない。
「自業自得」
責め立てようって気はないのだろう。だが、十分心に来る。そうでなくとも、自覚はあった。
「それはそう。でも、相手女子高生なんだよ。なんか、怖いじゃん。キモいとか言われたくないし」
口走って、背筋が凍る。なまじ、交流が穏やかなだけに、傷つきそうだ。騙そうとしておらずとも、黙る選択をしたこっちに落ち度があったとしても傷つかないわけではない。誰かにぶつけるつもりはないが、人知れずちょっと泣きそうだ。
しかも、相手は見知らぬ女子じゃない。
ネットで知り合って、暴露する間もなく交友を深めた。それなら、言われたところで、匿名性はある。傷つきはするだろうが、割り切ることも容易い。
だが、相手は御影なのだ。どんな声のトーンで、どんな表情で。そう言ったものがリアルに想像しえてしまう。
それだって想像にしか過ぎないのだが、それ以降、御影と平然と話せる気がしない。話す交友があるわけではないが、委員会のこともある。たどたどしさを見せないなんて不可能だ。
……元々、挙動不審めなのは、今は置いておこう。
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