第10話

 図書委員は中学のときからやっている。配架も慣れたものだった。場所さえ覚えてしまえば、分類を見ればいい。たったの数冊ではすぐに配架し終えてしまって、ため息が落ちる。

 この問題の複雑さは、すべてを明かしてしまえば、それでよしとならないところにある。ハルキへの御影の態度を思い返せば、逃してくれそうにはない。考えたくないことだが、それこそ趣味活動に同行するなんてことさえありえそうだ。あながち突飛な予測ではないような気がして、こめかみが痛む。

 カウンターに戻りたくないとはいえ、戻らないわけにもいかない。荷物は置いてあるし配架という理由で出てきてしまっている。戻るしかなかった。

 ナマケモノのようにカウンターのほうへ移動していると、声が聞こえてくる。


「だからね、わっちゃんも気になる人がいるなら押したほうがいいって。わっちゃんは美少女なんだしさぁ」

「そこはイコールじゃなくない?」

「そうかもしんないけど、受け身じゃダメくない? 進展しないじゃん」

「そうなんだけどさ〜。でも、緊張するじゃん」

「わっちゃんに声かけられて嬉しくない人なんていないよ」

「うー……珠莉は彼氏できたからって、他人事だと思ってるでしょ」

「だったら、アドバイスなんかしてないっての! 連絡手段あんでしょ?」

「一応?」

「だったら、送んのよ」


 東は背中を押すばかりだ。具体性が薄い。とはいえ、言っていることは真っ当だ。

 というか、御影、好きなやつがいるのか。

 またぞろ、要らぬ情報を手にしてしまった。御影は東の意見に流されずに、うーんと唸り続けている。本棚の影からそっと覗くと、分かりやすく頭を抱えていた。


「好きなんでしょ?」


 ひとつの躊躇もない。断言した東に、御影の顔が赤くなる。そうして不貞腐れるように唇を尖らせて、斜め下に視線を落とした。

 ……普通だ。

 いや、これは徹平に突かれると言い訳できない類の普遍化だが、とにかく普通の女子高生だった。

 夏影として俺の前にいたときとは、態度がまるきり違う。

 違う、と思った。

 だが、再度東へ視線を向けた御影の瞳を、遠く捉える。その瞬間、あの日俺に目を輝かせていた御影が重なった。

 どっと血液が爆発したように心臓が弾けて、慌てて本棚の陰に隠れる。

 馬鹿か? 馬鹿かよ。好きな人についての反応を、自分への態度と重ねるなど。自己肯定感が強いにもほどがある。

 血液が頭部に集まるようだ。ぐらぐらと煮詰まる。本棚に背を預けて、顔を手のひらで覆った。細く息を吐き出して熱を排出する。

 二人の会話を聞き続けていることはできずに、俺は図書室内を徘徊するものと成り果てた。会話に夢中になっていた御影が、俺の動きに注意していなかったことは、幸いだっただろう。




 帰るころには、すっかり消耗していた。

 あの後、御影と新たに何かがあったわけじゃない。差し障りなく委員を終えて別れている。だが、爆弾の導火線に火がついたような焦燥感はあったし、胸の中に鉛がぶち込まれたようでもあった。

 好きな人に見せる顔。

 まさか、想い人がハルキだとは思っちゃいない。だが、好きなキャラに対する興奮度合いと恋心がよく似ているのは知っている。そして、御影にとって、ハルキはそういうものなのだということを感じていた。

 いや、フィンありきのものだろう。ただ、どちらにしてもその熱量を浴びたのは事実だ。その正体が俺であることに、渋くなる。

 そりゃ、推しのことがすべて分かるなんてことはない。話さない形で隠されているものだろうし、下手すると裏だとファンをボロカスに言っているものもいるのかもしれない。

 だから、ハルキがハルキとして機能していれば問題はないのだろう。そういうものだ。偽っているだとか、隠しているだとか。そういう後ろめたさを過度に感じて、拘泥しなくてもいいはずだ。

 実際、俺はSNSで女だと思ってコメントしてくる人に、そんな感情を抱いたこともない。そう見えるのだな、と感謝こそすれ、淡々としていた。それが、クラスメイトとなるとそうはいかないってのは、都合が良すぎる。そんなものは偽善的な律儀さだ。

 身近な存在だから、奇妙な引っ掛かりをしてしまっているだけに過ぎない。徹平に言わせると、意識の意味を変えてきそうだが。

 深層心理で、そんなものがあっただろうか、と胸元を見下ろす。

 一年。同じクラスだった。御影を一度でもそんなふうに見たことがあって、自分のことを偽ってしまったことに思うところがあるのか。そんな詮無きことにすら思考が飛ぶ。

 そんなことはない。やはり、一番はこっちが相手のことを知ってしまったことにある気がする。

 ただのクラスメイト相手には明かすことのないこと。俺相手に伝えるつもりのない趣味。それを知ってしまっている。気になるという理由で、呟きを追う始末で。

 相互フォローなのだから、盗み見ているわけでもない。それでも公平でないような気がした。

 今まで自分を見られていたことに対しては何も思わない。世間は狭いし、面映ゆさはあるが、そんなものだ。

 これが、クラスでこのハルキってコスプレイヤー見てよ、などと会話しているだけなら、俺は多分そんなに気にしなかった。気を付けないといけないな、と思いこそすれ、それまでだ。

 今よりずっと瞬く間に感情を手放して、趣味に意識を飛ばしていただろう。こんなふうに苛まれてしまうのは、直火の熱に当てられてしまったことが大きい。もう、取り返しはつかない。一人で折り合いをつけるしかなかった。

 変化しているのも悶々としているのも、俺の心情だけと言っても過言ではないのだから。

 肺の中の空気を軒並み吐き出す。そのうち部屋の中の体積が変わりそうだ。ベッドの上に大の字になって身体を休めても、ちっとも休まらない。

 意図して隠しているのか。それにしては杜撰ではあったが。だが、ネット上でも閉じている。それを誰かに話す抵抗は、気遣いだけでなくあった。

 悪気なく零してしまっても咎められるものでもないのではないか。そう思う適当な自分もいた。

 ただし、それをするには自分の趣味が邪魔をする。自分だって、開けたアカウントでやっているからって、身バレを流布されたくはない。心理が分かってしまうからこそ、堂々巡りだった。

 同じ考えを半永久的に続けている。メリーゴーラウンドからの降りどきを見失っていた。脳内の想像にある無音の遊具に振り回されているうちに、現実の音楽が飛び込んできて心臓が飛び出る。

 一瞬の通知音に、俺はのそのそとスマホを手探りで探した。画面の通知欄には、SNSのアイコンが出ている。

 なんだ?

 いつもは通知を切っていて、相互のDMだけを表示するようにしていた。それは時々、二条がこっちを使ってコンタクトを取ってくるくらいのもので、使っていないからこそのものだ。確認の習慣もないので、通知にしておいている具合だった。

 怪訝を存分に刻みながら、ロックを解除して中身を開く。そうして出てきた夏影の文字に脳が滑った。

 誤認では。

 視覚がおかしくなったのでは。

 そんな逃避に傾く感情をどうにか引き止める。

 今日までひとつだってなかったアクションが、どうして今日に限って。もしや、バレたのでは。その不安が破裂しそうになる。

 心当たりはなかったが、バレるときってのは存外そんなものだったりしかねない。ポンコツだと思っていた会話で探りを入れられていたかもしれない。と、疑い出せばいくらでも疑えそうなタイミングはある。不安を抱かないほうがおかしいくらいだ。

 俺は呼吸を何度も整えて、一度画面がブラックアウトするまで経ってから、ようよう堪忍した。

 見ないでいるのも怖いのだから、さっさと爆弾は処理するに限る。解決のためには、動き出すしかない。放っておいてよくなるものでないことは、自分が一番よく分かっていた。

 震える指先でタップしていく。そうして開かれたDMに、唾を飲み込んだ。


『ハルキさん、こんばんは。夏影です。

 先日は、イベントでお写真を撮っていただきありがとうございます。覚えておられますでしょうか? ナンパらしき男たちに口を出して、割って入ったものです。

 その後、あの男たちからアクションがあったり、恐怖を思い出したり、問題は起こっていませんか? ハルキさんが心穏やかに過ごしておられることを願っております。

 突然のDMで大変失礼致しました。撮っていただいたツーショットですが、こちらで呟いただけで終わっておりましたので、遅ればせながら送らせていただきたく、ご連絡差し上げました。驚かせてしまって、申し訳ありません。

 それでは。ハルキさんのますますのご活躍をお祈りしております。 夏影』


 丁寧な業務連絡のような内容は、東相手のラフさとも、即売会で俺に突撃してきたときのハイテンションとも違う。噛み合わせの悪さはあったが、力が抜けたのも事実だった。

 とても冷静なコミュニケーションツールとしての使用だ。そこには何の雑念もなければ、余分な探りもない。俺が一方的に抱いているさまざまを軽くする。

 何も解決されたわけじゃない。爆弾を抱えていることには変わりがない。けれど、ひとまずの焦燥感は取り除かれた。はぁーっと零した長い息の意味合いが、先ほどまでとは違う。

 まぁ、すぐに返信について考えることになったが。それでも、多少は肩の荷が下りた。背負ってきたものが肥大し過ぎていて、少しでもかなり楽になる。

 実にチョロいというか、なんというか。たった今までの懊悩をわずかにでも手放せるのだから、チョロいと言わずしてなんと言うのか。

 まずは、返信だな。思いながらタップして、夏影のホーム画面に飛んでしまった。

 そういう不意はやるべきではない。


『リーゼファンのクラスの男子がイケメンと仲良いんだよね。尊い』


 という新たな問題発言は、見ていないことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る