第4話
俺はその心情に従って、コスプレ会場へ移動する。人はかなり捌け始めていたが、まだ輪になって挨拶しているものもいた。
ただ、見かけたことのある大手レイヤーはいたが、知り合いは見かけない。やはり、もう引き上げているか。残念な気持ちになるが、今日は二条からお宝を頂戴している。対価は十分だ。
お宝もあるし、長くうろつくのはやめておこう。折れたりしたら、立ち直れる気がしない。ロッカールームへ戻ろう。
そう踵を返したところで、
「あの」
と後方から声をかけられた。二人の青年……大学生くらいだろうか。
片方は首から一眼レフがかかっている。大物ではあるが、コスプレ現場ではよく見るものだ。そして、その現場でコスプレしている以上、こうして声をかけられることもある。
特に、フラルトは二期が決まったばかりだ。一期の完成度が高かったこともあって、期待値で盛り上がりも急上昇している。
「はい」
「ハルキさんですよね? 写真撮ってもらってもいいですか?」
「ツーショ、いいですか?」
カメラを持っていないほうの男が続けて首を傾げてきた。
「構いませんよ」
ここはスペースが確保されているので、写真OKだ。そういう場での声かけに応えるくらいの心積もりはできている。
イベントに顔を出すようになって一年。俺だって、多少はコミュニケーション能力が上がっていた。だから、女の子に慣れていないってこともないのだ。
「ありがとうございます」
破顔する大学生は、ちょっとばかり胡散臭い。
概ね、倫理観も常識も備わっている。良識的な人ばかりだ。だが、どうしたって面倒事を引き連れてくるものはいる。人が多くなれば、確率も上がるものだ。そして、おおよそ嫌な予感というのは、肌感覚を信じていい。
案の定、隣に並んだ男の手が肩に回ってくる。
おさわりはアウト。良識云々を抜きにしても、赤の他人にこうも近付ける人間は少ない。顰めそうになる眉を気迫で引き延ばして笑顔を作る。
「すみません。こういうのは」
こちらから触れるのは憚られるので、笑顔で押し切ろうとした。しかし、そんなもので引いてくれるなら、そもそも触れてもきていないだろう。
というか、触れれば現実に気がつくものだろうに。苦い感情が湧き上がるが、隣で微笑んでくる顔はゲスい。
「すみませんが」
断っている最中に、シャッター音が鳴った。かしゃりという音に紛れて、零しそうになった舌打ちを飲み込む。
「あのな」
声を上げた途端に、あちらの笑顔も消えた。
あ、これ。鬱陶しいやつだな。
逆ギレしてくるやつはいる。男尊女卑なんて誇張なものでもない。ただ、自己が肥大しているだけだ。差別事にしてやるのすらおこがましい。
眉間に皺を寄せて睨み上げる。こうなったら、嫌だの何だのと言ってられない。肩に回された手のひらに触れて、そのまま捻り上げる。
つもりだった。
「ねぇ、何やってんの?」
少し気怠げな。威嚇するような。険のある冷たい声で、片腕を腰に当て、巻いた毛先を手で弄っている。いかにも空気を読まないギャルのような態度が絵になっている姿に、頬を引き攣らせたのは俺だ。
現れた御影は、冷厳な視線を大学生たちに向けている。たちの悪いものも、ギャルには弱いらしい。何より、こういう場に来るものは、いくら調子に乗っていても、カースト上位と思わしきものには弱いようだ。
陽キャやギャルで分類しないとしても、泰然とした人間に怯むものは多い。大学生もその例には漏れなかったのか。それとも、絡んでいる状況を他人に見られるのは悪手と踏んだのか。
手のひらは離れ、ぱっと距離を取られた。俺が足を引いた分だけ、御影がこちらに近付いてくる。肩口にかけているトートバッグがぱんぱんに膨れ上がっているのは、見て見ぬ振りをした。そんな場合でもない。
「お兄さんたち、ダメだよ。その子、困ってるじゃん」
「……俺たちは、別に」
別に、何だと言うのか。男たちの語尾は、そこで立ち消えた。
その逡巡の間に、御影はさくさくとこちらに近付いてくる。俺と男の間に身を滑り込ませた御影は、腕を組んで男たちを見上げた。男たちのほうが背は高いが、御影のほうが睥睨しているような迫力がある。
斜め後ろ。庇われている側ですら思うのだから、真正面から見据えられた男にしてみればたまったものではないだろう。女子の冷たい眼差しには敵わない。
「じゃあ、もういいよね? 私、用事があるんだけど」
「いや、その」
「ねぇ、ハルキさん。行こう?」
何で、と浮かんだ疑問は、手首を掴まれて吹っ飛んだ。当惑する俺をお構いなしに、御影の細い指が腕を引く。銀色のブレスレットが揺れていた。
「ハルキさん?」
「あ、ああ、うん、はい」
まともな返答ではなかったが、頷いたことで弾みがつく。御影の引力に従って、一歩を踏み出せば、後は自然についてきた。
男たちは追いすがる術を持たない。強引に見えていた言動も、御影に上書きされていた。その空気に溺れて動く。助けられるにしたって、他人任せ甚だしかった。
やたらと手首が熱い。体感があるのはそればかりで、男たちの嫌な態度はあっという間に遠のいていた。御影は早足で進んでいく。
少し進むと、ぽつりぽつりと人影が現れた。そこまで来てから、御影が後ろを振り返る。男たちの姿はない。肩の力を抜いた御影が、こちらを仰ぎ見て手を離した。
「大丈夫でしたか? 急に手を出してすみませんでした」
途端に、強気で押し通した姿を消す。ここまで折り目正しい態度は、教師相手でも見たことがない。
「いえ、大丈夫です。こちらこそ、助けてもらって……ありがとうございます」
緊張感が胸の辺りに巣くって、もやもやする。それを飲み込んで、どうにか体裁を保った。はたして保てているのか。その自信はまったくない。
あちらは見知らぬ誰かに礼儀正しくしているだけに過ぎないだろうが、俺にしてみれば知り合いと他人行儀な振る舞いをしている。実際、他人のような距離感であるから、間違ってもいない。
ただ、クラスメイトを騙しているという後ろ暗さは消えなかった。
「ひどいですよね。どれだけ完璧なフィンちゃんだとしても、あんなふうにしていいわけないのに。女子がどんな気持ちになるか想像できないんですかね。大丈夫でしたか? 怖かったですよね?」
頬が痙攣しそうになるのを、どう制御すればいいのか。とにかく笑顔を保っている他なかった。
俺が御影との遭遇にぎょっとしたのも、後ろ暗さがあるのも、一番はここだ。女子、と勘違いされる部分にある。
フィンは魔術師の女の子だ。すらりとした体型で、マントでシルエットが隠れている。黒髪のロングヘアーをハーフアップにしている外見も、ウィッグで作りやすい。メイクも派手ではなく、青色のカラコンとつけまで顔つきは作れる。俺がやっても見られる女装だった。
これに引き込んだのは従姉で、最初は勢いに飲まれただけだったが、今となっては楽しんでいる。だから、女装コスプレ自体に気後れはないし、趣味を恥ずかしいものだと思っているわけではない。
だが、これが広く公にする趣味かどうかについては、一考の余地がある。邪推やら噂やらはいらない。だからこそ、必要以上に赤裸々にしていなかった。
ハルキとして活動しているSNSのアカウントでも、性別に関することはどっちつかずにしている。イベント参加した際の写真をアップしたり、フラルトを中心とした作品への感想を呟いていたりするばかりだ。趣味垢はプライベートなことに触れなくても、不自然さはない。
挨拶するような人たちには、ちゃんと挨拶しているが、その一瞬。一度きりの相手。声をかけられるだけ。そんな間柄に、逐一明かしはしない。合わせをするようになれば別だが。
そして、フィンでいる以上、下手なことをしでかさなければ女だと勘違いされるほどには、俺の完成度は悪くなかった。だからこそ、男に絡まれるような面倒くさいスチルが発生したりするが。
そんなふうにコスプレが成功しているから、御影が俺に気がつくこともない。
勘違いされているだけで、俺が能動的に嘘をついているわけではないのだから、後ろめたく思うことはないだろう。けれど、どうしたって、気まずさが燻っていた。
その曖昧な笑みを、御影は恐怖と呼んでくれたらしい。勘違いが加速している。かといって、実は同じクラスの
それは、御影の趣味を知ってしまったということもあった。
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