第5話

「あ、ごめんなさい。そもそも、私も勝手にハルキさんって声かけて怖いですよね。えっと、SNSでフィンちゃんを見て知ってたっていうか。後、あの人たちも呼んでたし、声をかけようかどうか迷ってたんですよね」


 一息に捲し立てる。

 オタクだな、と思うのはオタクだから思う偏見でしかないのかもしれない。それでも、このテンションに任せて喋り立てるやり方は、こちら側の領分だ。少なくとも、いつもの御影とは違う。

 ……と言っても、教室で同じような女子と話しているのを見たことがある程度の情報しか持っていないけれど。


「いえ。褒めてもらえるのは、嬉しいです。ありがとうございます」

「とんでもないです! 生でもめっちゃフィンちゃんで感動してます。めっちゃくちゃ可愛くってキュンです」


 微妙に語彙力が怪しかった。だが、こっちだって人の語彙力に文句を言えたものではない。

 俺から出るのは


「ありがとうございます」


 と、いっそ情がないのではないかと思われても仕方がない定型句だけだった。

 情けないことこの上ないが、面と向かってここまで言われたのは初めてだ。まさかそれがクラスメイトになるとは思いもしていない。それも、他人を装った状態で。


「ご、ごごめんなさい。私、鬱陶しいですね。ごめん」


 俺の反応の鈍さに気がついた御影は身を引く。勢いは削げていないが、俺が鈍いのは御影の態度にではないので、その勢いには不快感を抱いたりはしていなかった。首を左右に振る。


「そんなことないですよ。こんなふうに声を掛けてもらったことが初めてだったから、ビックリしただけです」

「ハルキさん、今声かけられてませんでした?」

「ああいうのはカウント外でしょう。フィンとして声をかけられることはあるけど、ハルキとして声をかけられることはほとんどありませんよ。知り合いでもなければ」


 それこそ二条ならば、澄ました顔で声をかけてくるだろう。俺だって、余計なことを考えずに済むので、こんなふうにキョドることはない。心安い分、雑な語彙力になるだろうが、それはそれだ。

 御影に声をかけられるのは、特例中の特例のハプニングだった。


「知り合いでもないのに、馴れ馴れしくしてしまってごめんなさい」

「そんなふうには思ってないですよ! そんなに謝らないでください。君には助けられたわけだし」


 君、と口慣れない呼びかけに、口元が強ばる。元より機能不全に陥っているので、あまり関係がなかったが。


「あ、私、み……こういうときって、なんか、ニックネーム? とか、そういうの使います?」


 はっとしたように名を引っ込めた御影が、そろそろとこちらを窺ってくる。

 俺と御影の身長差はそこまでないはずだが、こちらはブーツだ。いつもより身長差があって、上目な睫毛の長さが目に留まった。


「そうですね。君にそういう名前があるなら、そっちのほうがいいんじゃないですかね」


 そっと目を逸らして、素知らぬ振りで呟く。自己紹介されてしまったら、本格的に逃げられなくなるような気がした。


「えっと、じゃあ夏影で」

「夏影さん」

「な、ナツでいいですよ!」


 御影和夏。分かりやすい略称と入れ替えだ。

 ニックネームとしては飛び抜けて呼びづらくもなく、分かりやすくて助かった。中にはとんでもない事故みたいな口にしづらいペンネームを使っている人もいる。


「じゃあ、ナツさん。本当にありがとう。助かりました」

「いえ! ハルキさんが無事で良かったです。あ、あの……図々しいかもしれないんですけど、よかったら…よかったらでいいので! ツーショ、撮ってもらえませんか?」


 見返りと言うより、ここで縁が切れることを厭うた発言のようだった。

 慌てふためいた口調は意外だ。それほど御影を知っているわけではない。だが、誰が相手であってもどもったり慌てふためいたり、そんな喋り方をするほど落ち着きのない様子は見たことがなかった。

 助けてくれたときのような堂々とした立ち居振る舞いのほうが、普段のイメージに近い。その変化に戸惑いを隠せずにいるのを、御影はしょぼんと肩を落とす。

 実に分かりやすい。こんなに素直な子であるとは、接触がないので知らなくて当然だろう。


「構わないですよ」

「っ! ありがとうございます!」

「でも……」


 撮ってくれる人はいない。それを伝えようとしたが、御影は素早くスマホを取り出してそばに寄ってきた。何の躊躇もない動きに、身を固めてしまう。

 気心の知れた仲であれば、そういうこともするだろう。だが、俺は男であるし、仲が良いからこそこうした距離感には気を付けていた。セクハラするつもりがなくても、セクハラになりかねない。

 女装コスプレをするだけであって、俺は異性愛者だ。だからって、それでビビられるのはごめん被るし、俺だってそんな獣めいた感情でいるわけじゃない。だからこそ、慮っていて、こんなふうにツーショットを撮ったことはなかった。

 御影は俺の石化を前にして、軽々とそばでスマホを構えている。


「ハルキさん、目線お願いします」

「あ、うん」


 距離感は慣れないし、御影が相手なんて緊張しかない。

 だが、かけられた声は聞き馴染みのあるものだ。俺は反射のように、カメラに目を向けた。二人がちゃんと入るように、御影が肩を寄せてくる。

 多分、女子同士なら……普段、御影が仲良くしている女子。あずまあたりなら、これは普通なのだろう。

 だが、とそばにある頭頂部の近さに慄いた。

 良い香りがするのはシャンプーか柔軟剤か香水か。それとも、女子だからか。だとすると、俺は早晩女でないのがバレるのではないか。こんな華やかな香りをさせた男は知らない。

 制汗剤や汗拭きシートでにおいを抑えるエチケットはあるが、良い香りをさせようだなんて考えたこともなかった。


「いきまーす」


 タイミングを伝えられれば、すっと微笑みを浮かべられる。習い癖はどうにかなるものらしい。

 御影はこちらが緊張していることなど、ひとつも気がついていない笑顔を咲かせている。どこまでも眩しい。

 かしゃかしゃと何度かシャッターを押すと、御影はさっと離れて写真を確認する。その瞳は恒星のようだった。


「素敵ですね。フィンちゃん」

「ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございます! SNSに上げてもいいですか?」

「いいけど……ナツさんはいいの?」


 あ、タメ口になったな、と思ったが、御影はさして気にしている様子もない。

 こっちは相手をクラスメイトと認識しているものだから、油断すると口調が崩れる。これでは早々、身バレするのではないか。薄氷を踏んでいるようだった。


「趣味アカウントは鍵なんで!」

「じゃあ、フォローしてもいいですか?」


 確認したいってわけでもない。だが、流れってものはある。コスプレイヤーと交流を持つようになっているのが災いした。不注意極まりない。

 御影は顔色を明るくした。

 今までも十分眩しい笑顔だったというのに、どこまで輝度が上がるのか。感服してしまうほどだ。他人事ならそれで済んだだろうが、その光に照らされている当事者としては、そうもいかない。その発光の心境が掴めないのだから、尚更だ。


「いいんですか!?」


 ……御影の中で、ハルキという存在がどれほどの地位にあるのか。確認しておくべきなのかもしれない。

 俺だって、ファンとして追っているコスプレイヤーも同人作家もいた。その人たちにフォロバしてもらえると分かったら、こんなテンションになる。理解はできたが、自分が尊敬される側に立っていることには実感がなかった。


「まぁ……見たいですし」

「ありがとうございます!」


 勢いに押されながら何とか会話をこなす。

 ただでさえ、クラスメイトの趣味に困惑していた。その中で自分が存在感を放っているらしいと気がついて、まごつくばかりだ。諸手を挙げて喜ぶにしては、物事が絡みつき過ぎている。

 俺は苦笑いでいなして、自分のスマホでフォロバ作業を開始することにした。フォローしていると言っていたから、一覧から夏影の名前を探す。


「……アイコンは?」

「公式配布されているフィンちゃんです!」

「フィンが好きなんですか?」

「はい。個人推しはフィンちゃん。クールで冷静なのに、カインの発言に目を逸らしながらふんわり頬を染めるいじらしさが可愛くって可愛くって。リーゼたち女の子からの褒め言葉でも、時々ふにゃっとするじゃないですか。もう、胸がぎゅうううって」


 感情を表すように、拳を胸元に押し当ていた。胸がぎゅうううと腕で押し付けられて、膨らみが際立っている。

 目を逸らして、アカウント探しに集中することにした。


「可愛いよね」

「ですよね。ふふっ、ハルキさんは完璧でとっても可愛いです」


 蕩けるような笑みを向けられているのが、視界の端から忍び込んできて、胸がいっぱいになる。

 そもそも、男だ。可愛いという褒め言葉は頻繁に聞くものでもない。SNSでコメントをもらうことはあるが、顔色付きの肉声で聞くのでは、衝撃度がまるで違った。

 照れくさくて、ウィッグの毛を弄ってしまいそうになるのを堪えて、アカウント探しを続ける。


「どうも」


 と、素っ気ない相槌を打つことしかできなかった俺にも、御影はニコニコしていた。こんな顔を教室で見せられたことは一度もない。レア過ぎてむず痒かった。

 それから逃れるように、目を皿のようにして画面を見つめる。それで何が解決するわけではないが、事態は進んだ。


「……これで間違いないか、な?」


 あえて自分が男でないように振る舞おうとしているわけではない。愛想良くしようとすれば、口調はいくらか控えめになる。

 俺は中性的な声なので、外見が女のなりになっていれば、判別はつきづらくなるらしい。それにプラスして、御影に正体がバレたくないという精神も作用していた。

 だが、動揺した口からは普段の口調が零れそうになる。たったそれだけで、身バレするとは思わない。しかし、バレる要素は減らしたかった。

 男だとバレたって問題はないのだが、それは即ち俺だとバレることに繋がっている。だから、口調を取り繕った。異変と取られなかったのは、不幸中の幸いだっただろう。


「うん! それが、私。わー。本当にフォロバしてもらえるなんて、夢みたい。嬉しいです。ありがとうございます!」


 何回お礼を言うんだこの子は。俺はそんな大層なものではない。尻こそばゆいというか、なんというか。気まずさが増加の一途だ。


「どう致しまして。よろしく」


 俺は迂闊だった。

 というより、経験不足だったのだ。こんなとき、どんな挨拶をするのが正しいのか分からない。いわんや、相手がこちらのことに一切気がついておらず、こちらからも正体を明かしたくないという事情が絡み合った場面なんて、初体験だ。

 そうなると、定型的な挨拶を漏らしてしまう。よろしくするつもりなんて欠片もなかったというのに。いくら同じ界隈の趣味を持つからと言って、御影と仲良くやれる自信もなかった。

 だが、そんな社交辞令を前にして、御影は顔を綻ばせる。美少女の迫力とは計り知れないものだ。


「こちらこそ、よろしくお願いします!」


 ぺこんと勢い良く頭を下げられて、身を引く。

 鼻先を掠めたシャンプーの香りを拾いながら、とんでもないことをやらかしたのでは、とから笑いが零れた。

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