第2話
「じゃ、休憩入ります」
人が減ってきて、二人に大丈夫ですよと言ってもらったのを合図に、二条にも促されてスペースから離れる。
今日の会場は、長物禁止だ。魔法使いの杖がないので、身軽だった。とはいえ、足下はブーツだ。エッジが高いので、歩き方は慎重になる。
俺はフィンをやり続けているが、それでもスニーカーで動くようにはいかない。女の子ってすげぇな、と思うことは、コスプレするようになって増えた。ブーツだって大変なのに、ヒールなんてとてもじゃないが上手く歩ける気がしない。
今もまた、ソールの高いサンダルで悠々と歩き回る女の子に感心する。軽やかな足取りは危なげない。俺はたまに二条に歩き方がおかしいと言われることがあった。
気を付けようとすると、歩幅が狭くなる。女の子の歩幅が小さいのはそういう面もあるのか。そんな考えに至りながらサンダル女子とすれ違う直前で、頬が引き攣った。
綺麗に巻かれたキャラメル色のセミロング。アイラインが整った猫目。その瞼を縁取る睫毛が自前だと知っているのは、うちのクラスの女の子だからだ。羨ましいと褒めたたえられているのを耳にしたことがある。
何がどうなればギャルと呼称するのかは分からないが、派手な女子には違いない。こんな会場ですれ違うような子ではなかった。じわりと変な汗が背中を伝うが、御影がこちらを気にする素振りはない。
化けた、と言われるほどのなりになっている。気がつけないようだ。と言うよりも、お目当てのスペースがあるのか。そちらへ向かって一直線だった。周りの様子に広く気を配っている余裕がなさそうだ。
つまり、おつかいだとか誰かのおともだとか、そういった連れでこの場にいるわけではない。マジか、というのは、趣味への意外性もあるが、隠している一面を見てしまった厄介さに及ぶものであった。
いや、御影が芯から隠しているのかは知らない。友だちには話してあって、別段気にしていない可能性もある。だが、少なくとも教室の中では見せていない。
ましてや、突撃しているスペースの同人誌はBL本だ。ジルカイ人気だもんな、なんて軽薄に見逃すには、頭が痛かった。
人の趣味をどうこう言うつもりは毛頭ない。俺だって人のことを言えた義理ではないし、人のことに文句をつけるほど落ちぶれたつもりはなかった。
だが、表面上には伏せているクラスメイトがオタク。しかも、腐女子。偏見がないといえど、性癖にも関わってくるところだ。繊細な面を知ってしまった後ろ暗さがある。
一緒のクラスでありながら、ほとんど口も利いたことのない相手だ。目が合って挨拶したり、事務的な会話をしたりしたくらいなものだった。そんな人間の趣味を知ってしまう居心地の悪さと言ったら他にない。
御影に気付かれずに済んで、胸を撫で下ろした。これで認識などされていようものならば、居たたまれないどころの話ではない。心底安堵しながら、BL本を買っているのを横目に退散した。
回る気が失せてくる。かといって、二条のスペースに戻るのも怖い。ジルカイ本を頒布しているのだ。すれ違ったのだから、御影は俺が来た方向へ移動している。遭遇しないとも言い切れない。忌避感が芽生えるのは当然だろう。
見て回るつもりだったのだ。ひとまず、と気持ちを強く待って、会場を一周した。
途中、話したことのあるコスプレ仲間と挨拶を交わしながら進む。いくつか戦利品も手に入れるころには、御影のことは薄らいでいた。
すれ違ったのも一度きり。どれだけ言っても自由に動くのを抑制できないし、認識し続けることも無理だ。さくっと忘れ去るに限る。
そう割り切ってはいたが、それでもスペースに戻ったときには、徒労が襲ってきた。長く息を吐いて、完売しているスペースの椅子に腰を下ろす。
御影に苦手意識があるわけでもなかった。けれど、派手な女子を見ると、勝手に腰が引ける。そういうものだ。相手がオタクだと分かったところで、その引け目がなくなるわけでもない。
「何? どうしたの?」
「いや、クラスメイトに会った」
「え、誰?」
二条は二年になってクラスこそ離れたが、同じ高校に通っている。俺のクラスメイトは、二条の同級生だ。興味を持つのは当然だろう。
そのおかげで、御影がこっちに来ていないことが分かってほっとした。捌けていなければ、まだ来る可能性に気を張りつめてならなかっただろうが、もうその心配はいらない。
俺は口を噤んだまま、肩を竦めた。話すつもりはない。
それで、大体のことを察したようだ。こういうのはよくある。現実にあるかどうかはさておき、アニメに造詣があれば想像することは簡単だ。
「人の秘密、知っちゃったってわけだ」
「そういうこと」
「じゃ、言わないでね。うちは巻き込まれたくないし」
「可能なら巻き込んでしまいたい」
「人の趣味を流布して回るなんて趣味悪いよ」
「だから、黙ってるんだろ」
御影とも去年も同じクラスだった。伝えれば、一発で俺の気苦労を押し付けることはできる。
だが、言った通り、悪趣味な真似はしたくなかった。そこまで善良でいるつもりもないし、義理もない。だが、面倒事に巻き込まれるのは勘弁だ。
俺だって、コスプレ趣味を無趣味なクラスメイトに言いふらして回りたくはなかった。いくら御影がこちらに気がついていないとしても、何を発端としてしっぺ返しに遭うか分かったもんじゃない。そんな危険な橋を渡るつもりはなかった。よく知らない相手のプライベートには、首を突っ込まないに限る。
「ハルキってそういうところ律儀だし、その人も安心だろうね」
「他人事だと思って茶化してるだろ?」
「半分くらい」
てへっと笑って許されるのは、二次元のキャラだけだ。三次元でそれを見ると、イラッとする。
二条相手に、しょうがないなと呆れて許すような心境にもならない。半眼を向けると、二条は肩を竦めて話を流す。何故、こちらが譲歩されているかのような態度なのか。
「でもまぁ、うちのこともよそで話さないし、信用はできるじゃん?」
「そりゃ、どうも。ていうか、お前だって、俺のことをよそで話さないだろ?」
「だって、ハルキのこと告発する理由なんてないし。
「
「バッドエンド厨は知らない」
「メリバとかだろ。胸クソエンドには普通に胸クソしてたぞ」
「でも、後味悪いくらいなら喜んで読むじゃん。心中をメリバと思ってるタイプ」
「二条が過剰なほどにハピエン厨なだけ」
「悪い?」
「そうはいってないだろ。俺だって、どちらかと言えばハピエンのほうが好きだし」
そもそも、他人の趣味趣向に口を出すものではない。犯罪行為に加担や助長をするというなら話は別だが、創作物の好みなど脳内に留まる。仲間同士では雑談に上るが、それはそれだ。
そして、解釈を競わせれば戦争が始まる。余計な口出しは不要というものだ。二条と徹平の口喧嘩にも付き合わないに限る。二人の趣味は相容れないので、尚のことだった。
「まぁ、それはいいけど。今日はありがとね、ハルキ」
「いいよ、別に。来たかったし」
「目的の同人誌買えたの?」
「大丈夫。絶対欲しいのは通販してある」
「なら、よかった……いる?」
口振りはたった今思いついたような粗雑さだが、ちゃんと残していたのだろう。二条はその辺り抜け目ない。同人誌の進捗も計画的だ。突然こちらに声をかけてきたのが異常なほどには。
まぁ、こればかりは頼んでいた相手ありきのことなので、二条が牛耳れるものでもない。頼んでいた相手も急病だったと言うし、俺自身さしたる問題もないし、気にしていないのは事実だった。
それでも、こうして気を遣って残してくれた現物を断ることはない。BL本であろうと、ありがたく頂戴する。俺は二次創作は幅広く頂けるタイプだ。
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