第6話 博士の新発見
そんな日本国家で、今、一つの病気が蔓延しようとしている。
この病気の存在は、一部医療関係者か、国家の第三者委員会で、その存在が確認されるようになっていた。
しかし、時代は、
「世界的なパンデミック」
が襲い掛かってきた時で、
「未知のウイルス」
が、世界を震撼させているということが、大きな問題となっていた。
未知のウイルスは、世界で流行し始めたのだが、元々は、某国のある都市からの流行であった。
いろいろなきな臭いウワサがあったが、今のところ、その発生鯨飲は特定されていない。
最悪、
「バイオテロの可能性」
も捨てきれないが、それを証明するものは、何もなかった。
そんなこともあって、その正体が分からないまま、世界で大流行し、ほとんどの国が鎖国状態となり、国によっては、
「ロックダウン」
という、わが国でいえば、大日本帝国における、
「戒厳令」
と同じものだった。
戒厳令というのは、
「有事において、治安維持を目的に、市民の行動や権利を極度に制限し、設立された、戒厳司令部が、全権を握り、制限に違反した者への罰則を実行する」
なとというものであった。
ここでいう、
「有事」
というのは、
「戦時下」
「行政がマヒするほどの大災害」
「軍事クーデター」
などがアリエルことであった。
かつて日本も大日本帝国下において、憲法に明記された条文によって、戒厳令が施行されたことが、過去に3度あったのだ。
一度目は、日露戦争に勝利した際の、講和条約であった、
「ポーツマス条約」
において、日本が賠償金を得られなかった時、市民が起こって、日比谷公会堂を焼き討ちしたという、
「日比谷公会堂焼き討ち事件」
の時だったのだ。
戦争に勝ったといっても、どちらの国も瀕死の重傷で、これ以上の戦争継続がどちらの国も難しく、第三国であるアメリカに和平交渉をお願いしたことで実現した休戦と、和平交渉の場だったのだ。
「今であれば、ロシア陸軍も、海軍も打ち負かしたという最高の講和の席だ」
と日本は考え、満州鉄道の権益や、旅順、大連などの遼東半島の割譲を認めさせただけでも、よかったのだが、賠償金の問題となると、ロシアが拒んだのだ。
「だったら、戦争継続」
などということはできるはずもなく、渋々合意したのだが、そんな政府や軍の事情を知らない国民は、交渉団を、
「腰抜け」
として批判し、その腹の虫を、
「日比谷公会堂焼き討ち」
という形で、晴らしたのだった。
その時に発令されたのが、一回目の戒厳令であり、第二回目は、未曽有の大災害であった。
大正12年9月1日に帝都を襲った、
「関東大震災:
がそれであった。
インフラは壊滅し、一面が焼け野原になった帝都において、情報も皆無、どうしていいか分からない状態で、帝都は、法令にしたがって、
「戒厳令の発令」
を行うしかなかったのだ。
そして、3回目としては、今度は、軍事クーデターであった。
昭和9年の2月26日、陸軍の青年将校が、部隊を率いて、政府高官を次々に暗殺、そして、新政府樹立をもくろむという、
「226事件」
が勃発したのだった。
彼らは、
「天皇中心の国家に戻す」
というのがスローガンであった。
ちょうど、経済的に壊滅していた日本で、
「特権階級の一部の人間だけが、得をして、一般市民は、娘を売らないと生活ができないほどに困窮していた」
という状況に、青年将校たちが立ち上がったという構図であったが、冷静に見ると、
「陸軍内部の派閥争い」
というのが真相だった。
皇道派と呼ばれる連中と、統制派という連中がいたのだが、当時は、統制派が優勢で、皇道派は、迫害されていたことで、軍事クーデターを起こすことで、また皇道派を軍の中心に据えようとしたもので、政府要人、特に首相を暗殺することで、すみやかに、皇道派の人間を、総理に据えようということだったのだ。
しかし、天皇にはその思惑は分かっていたようで、本来であれば、
「天皇のためのクーデターだったはずなのに、天皇は、派閥争いであるということを分かったうえで、しかも、暗殺された面々は、天皇が信頼を寄せる人物だったことで、決起軍に対して、すぐに鎮圧を命じた」
ということであった。
さすがに、専念将校たちに対して同情的だった軍も、天皇がここまで怒っているのを見ると、反乱軍として、鎮圧しないといけない。
躊躇っていると、
「私が無図から軍を率いて、反乱を鎮圧する」
とまで言い出したのだから、さしがに軍も鎮圧に動くしかない。
そして、反乱軍ということで、
「クーデターを辞めて、原隊に服する」
ということを、
「奉直命令」
として出したのだった。
要するに当たり前のことを言っているのであって、明治憲法には、天皇大権というものがあり、その中に、
「統帥権」
というものがある。
「天皇は、陸海軍を統帥す」
ということである。
つまり、陸海軍は、天皇直轄であり、
「天皇の命令なくして、何人とも軍を動かすことはできない」
というものだった。
だから、天皇の軍隊を勝手に動かした青年将校たちは、
「憲法違反」
ということになるのだ。
特に天皇がハッキリと、
「反乱軍」
といい、奉直命令を出したのだから、もう青年将校たちに道はなかったのだ。
ほとんど皆原隊に帰り、青年将校はその場で自決するか、投降し、最終的に、弁護人なし、非公開において、全員銃殺刑ということになったのだ。
その時、当然発令されたのが、
「戒厳令」
であり、結果、大日本帝国がなくなり、新憲法の中に、戒厳令が削除されたことで、
「日本に有事という考えは存在しない」
ということで、戒厳令というものは、なくなってしまったのだった。
そんな時代において、いきなり襲ってきた、
「世界的なパンデミック」
というものは、
「第二次世界大戦後、最大級の世界を襲う災害だ」
とまで言われるようになった。
日本という国は、完全に、
「平和ボケ」
をしているので、そんなことを言われてもピンとこないという発想と、逆に、慣れていないだけに、無性に不安を掻き立てられ、何をどうしていいのかが分からずに困っている人が多いだろう。
そんな時に、一番、気を付ければいけないのは、
「デマ」
と、
「詐欺」
ではないだろうか?
クーデターや、災害時などの緊急事態においては、情報が遮断されたり、操作されたりするので、デマが横行したり、詐欺まがいのことが多くなったりする。
特に緊急時にデマなどが飛ぶと、精神状態が攻撃的になっていたりするので、デマを信じて、集団意識からか、
「虐殺行為」
などが、あちこちで起こったりする。
かつての、関東大震災では、
「地震に乗じて、朝鮮人が、日本人を虐殺する」
あるおは、
「日本を蹂躙しようとする」
などという、根も葉もないうわさが広がり、狂暴化した一部の暴徒が、
「朝鮮人を虐殺する」
などということが、平気で起こったりしていたのだ。
「まったくのデマかどうか」
というのは分からないが、パニックになると、どうしても集団意識からか、狂暴性が出てくるのが、人間というものである。
しかも当時は、世界大戦などがあった時代でもあり、ひょっとすると、庶民も、そんな潜んでいた、誰にでもある残虐性が、集団意識とともに、顔を出したのかも知れない。
そんなデマをどのように信じるかということは、その時の精神状態にならないと分からない。ただ、不安が集団心理を掻き立てるということにもなるであろうから、デマにしても、詐欺にしても、気を付けなければいけないことには、変わりないだろう。
そんなデマにしても詐欺にしても、今の時代は、昔よりも、もっと陥りやすい立場にいることは、明白である。
特に今の時代、
「平和ボケ」
ということで、パニックに対しては、免疫ができていないことから、何かあれば、疑心暗鬼が激しくなり、
「他人は、誰も信用できない」
という精神的なシックに陥っても、無理もないころだ。
さらには、今の時代は、
「何でも揃う」
という時代で、
「スマホ一台で何でもできる」
という便利さがあるわけだが、しかし、インフラがマヒし、
「電気が来ていない」
ということになればどうなるだろう?
あっという間に充電が切れてしまい、情報はどこからも入ってこない。人と連絡が取れなくなった。待ち合わせをしようにも、どこにいけばいいかが分からない。下手をすると、避難所にいる場合に、自分がその場所を離れた瞬間、自分の居場所がなくなってしまうということだってないとは限らない。
それを思うと、
「充電が切れたことで、電気もつかない。連絡も取れない。情報も入ってこないと、今までは、普通に手に入ったものが、まったくなのだ」
ということになる。
「便利だと思っていたものでも、何か一つが欠けてしまうと、まったく機能しないことになってしまう」
ということを、その時になって、分かってはいたはずなのに、何をいまさらと、思い知らされるに違いない。
ただ、今回のパンデミックは、
「形に現れたものではない」
といえるだろう。
「世界的に、正体不明であるが、伝染病が流行ってきている」
という漠然としたものから、
「○○国で、感染急拡大によって、入国制限を行い、都市封鎖といわれる、ロックダウンを○○国政府は模索している」
などというニュースが入ってくると、いよいよ政府も考えるようになった。
そもそも、その伝染病が起こった国からの入国を制限することもなく、その国の国家元首を、
「特別招待」
などと計画していたのだ。
もっとも。特別招待というのは、
「世界的なパンデミックが起こる前に計画されたものであるから、パンデミックが言われるようになってから、国賓としての招待どころか、入国制限を、その国からのすべてを遮断してしかるべきだった」
しかし、実際に入国制限をした時は、
「全国学校閉鎖」
という、いきなりの措置を行った後だったのだ。
確かに学校閉鎖も重要だっただろうが、何よりも、
「ウイルスの侵入を水際で防ぐ」
という水際対策が一番の急務なのに、それをせずに、学校閉鎖を先にするというのは、普通に誰が考えても、
「本末転倒」
だといえるのではないだろうか?
そんな状態において、
「何を国賓というのか?」
ということで、
「まさか、国のトップの連中は、国賓として招くまでに、パンデミックが収まるとでも思っていたのだろうか?」
ということである。
こんなことは、子供だって分かることで、
「伝染病が流行るということは、波があるのは必定だ」
ということであった。
「第一波、第二波」
などと、ある程度までは、
「どんどんひどくなることは覚悟しなければいけない」
ということである。
少なくとも最低でも一年くらいは、用心が必要なのに、国賓をして招くまで、実際に、パンデミックと言われ始めてから、まだ半年も経っていない時だった。
だから、国民は、とっくにパンデミック体制に入っているのに、政府だけは、トンチンカンにも、
「国賓としての招待」
を棚上げしなかったのだ。
そもそもが、この事態を引き起こした国の国家元首である。ただでさえ招待などということが、国民に真意が得られるわけはないだろう。
案の定、マスゴミや世論から袋叩きのような目に遭っていた。それを思えば、
「政府は何にこだわっていたというのだろう?」
と思うのであった。
もし、これが、本当に、
「バイオテロ」
であったら、どうするというのか?
国賓として招いたとして、それが、国家を緊急事態に招いたとなれば、政府要人、さらには、ソーリの責任は、相当なものである。
「対応が後手後手に回っている」
などというだけで、済まされる問題なのだろうか?
それが、本当にこの地獄を見ることになるのだとすれば、その責任というのは、誰にあるというのだろう?
そんな時に、政府は、
「学校閉鎖」
というものの次に、
「緊急事態宣言」
というものを打ち出した。
その時は、各都道府県において、
「感染者が急増したことで、国に緊急事態宣言の発令を要請」
という報道が結構多かったのだ。
国の対応は、いつものごとく、かなり遅れた。報道が結構増えてから、国民も、
「どういう形になるか分かりませんが、やるなら徹底的に」
という答えをしていた人がいたのに、そこからまた2週間ほど経って、やっと宣言を出すというお粗末さであった。
「学校閉鎖の時は、いきなり出したくせに」
ということであった。
贔屓目に見れば、
「いきなりやると、それぞれの業界での混乱が大きい」
ということになるのだろうが、それだけではないようにしか思えなかった。
何といっても、
「国家として、混乱のないように」
と思ったのかも知れないが、一番、スピードを求められるといっている時に、政府自身が混乱していて、収めることができないというだけのことではないのだろうか?
ということであった。
しかし、実際には、確かに世間では混乱はあっただろうが、
「どうしようもないことで、後は政府に任せるだけだ」
という人も多かっただろう。
というよりも、何がどうなっても、それしか方法はないのだ。
国のやり方が気に入らないといって抵抗しても、まわりは従っているのだから、
「自分だけ」
というのは、自分で自分の首を絞めるようなものである、
それを思うと、
「最後には国家が決めるもの」
つまりは、それだけの責任を負える政府を作らなければいけないということになるのであって、
「すべての責任を負えるだけの政府でなければ、政府を名乗ってはいけない」
ということになるのだ。
しかし、
「この政府、本当に大丈夫なのだろうか?」
と考えた。
「政権は長期政権であるが、疑惑に塗れた政府であり、しかも、10年近く前に一度政権を投げ出したではないか。あの時は、確か、病気が悪化したので、病院に入院するという理由で」
と言ったが、何と、今回も、結果的に最後は、まったく同じように、病院に逃げ込んで、政権を投げ出すことになった。
しかも、
「最長の長期政権」
という称号ができた瞬間に、さっさと病院に逃げ込んでしまったではないか。
「また、同じことをするなんて」
と、よく国民もそれで許したというものだ。
しかも、退院してからは、今度は、
「派閥のドン」
として君臨し、まるで、大日本帝国における、
「元老」
のような形で、その地位で、大きな影響力を持っていたのだ。
ちょうど、そんな緊急事態宣言が出されたその頃に、
「皆、関心がそっちに行ってしまったので、地味に近づいていた新たなウイルスの存在に、気付く人は誰もいなかったのだ」
ということであった。
「本当に、誰も気づかなかったのだろうか?」
と感じたが、
「誰も気づかなかった」
という方が、もっともらしいことであった。
そのウイルスの存在に気づいた人が一人いた。その人は、鹿児島博士という人で、元々、小児科の先生であったが、最近では、他の専門にも、顔を出すようになった。
人の邪魔をするわけではなく、自分独自の研究ということなのだが、その研究の矛先が、今は、
「眼科」
というところに向いていて、小児科ということもあってか、本当は、そんなに長く研究をするつもりはないつもりだったようだ。
だが、下手に医療お現場に戻ると、
「医療従事者ということで、伝染病の治療をさせられる」
という懸念があった。
鹿児島博士は、年齢的には、もう70歳を超えていた。普通の会社であれば、とっくに定年を迎えていて、定年後の延長勤務でも、すでに引退していて不思議のない年齢だった。
鹿児島博士は、今回のパンデミックを、かなり用心して考えていた。
「たぶん、最低収まったという宣言を出せるまでには、5年はかかるだろう」
と思っていたし、実際に、その間に、十数回のピークはあるだろうと思っていた。
しかも、マジな話として、5年間で、十数回のピークとなると、正直、医療崩壊が何度起こるかということになるわけで、本来なら、
「国家の壊滅」
に近いものがあってしかるべきであろう。
そう考えると、一番怖いこととして、
「もし、その状態になったとしても、国家が持ちこたえているとすれば、勘違いする国民やマスゴミが出てくるのではないか?」
ということである。
つまり、
「俺たちが、ウイルスに勝った」
という勘違いである。
ただ、もし勝つとすれば、医療関係の開発者が、特効薬を開発するからであって、確かに、
「医療従事者や国民が耐えたから何とかなった」
ということも言えるだろう。
ただ、そうなると、国民は、次第に、ウイルスというものを舐めてくると言えないだろうか?
そうなってくると、問題としては、
「オオカミ少年」
という問題にならないかということである。
つまり、
「オオカミ少年」
というお話は、
「ある街で、少年が悪戯で、オオカミが来たといって、村人を脅かして、村人が慌てふためくのを見て喜ぶというものだった。しかし、そのうちに、誰もオオカミが来たと思わないようになったのだが、そのうちに本当にオオカミが来て……」
という話である。
ラストがどうだったのか、二つ考えられる。
「オオカミが来た」
ということを聞いて、
「村人は誰も気づかなかったので、オオカミに村全体が破壊された」
という結末と、
「オオカミ少年が、オオカミに襲われても、誰もウソだと思って少年の言葉を信じなかったので、少年が食い殺された」
という結末だ。
実際にはどっちだったのか忘れてしまったが、どちらであっても、教訓としては、大きなものである。
つまり、新しいウイルスが生まれても、
「俺たちなら普通に生活していても、ウイルスに負けることはない」
という、まるで、
「不敗神話」
のようなものがあったとすれば、それは、実に厄介な考え方であった。
それだけ、人間というのは、
「自惚れが激しい動物なんだ」
ということなのであろう。
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