第5話 日本国家の危機
完全にデマだと分かってはいたが、ちょうど、新興宗教団体が、鉄道の中で、毒ガスを撒くというテロ集団と化した時、実はその数か月前に、未曽有の大地震が、大都会と襲うということがあったのだ。
その時に、
「今回の地震は、○○真理教がやったのではないか?」
という噂まで流れたのだ。
というのも、そもそも、そのテロ組織というものが、どうも、
「ナチスのようなことを企んでいる」
というウワサが流れたことがあった。
このウワサというのは、本来なら、
「そんなバカな」
といって、一蹴すれば済むことなのだろうが、何しろ、この事件が起こる2年前くらいであろうか、やつらが、画策した事件があり、その時にも毒ガスが使われたのだが、それが、
「ナチスの残党によるもの」
というウワサがあったのだ。
ナチスの残党が、今の時代、まだ生存しているわけはない、生きていたとしても、100歳を超えているだろうということであった。
しかし、ナチスに対しての妄想は留まるところを知らず、
「不老不死の薬を実は開発していた」
などという話もあったのだ。
しかし、考えてみれば、ナチスの残党と呼ばれる連中は、当時の二大超大国と呼ばれた、
「アメリカとソ連」
に取り込まれ、それぞれの国の科学技術の発展に寄与したと言われている。
「科学技術の発展」
というのは、表向きの表現で、実は、
「核開発競争」
であったり、
「宇宙開発競争」
などというものに、参画させられることになったのだろう。
そうでもなければ、即刻死刑判決を受けるか、その前に、自決しているかのどちらかであっただろうから、罪にも問われず、科学者として君臨しているのだから、超大国は、利用しようと最初から考えていたのだろう。
これに関しては日本に対しても同じだった。
ナチスと違って、日本軍は、満州国のハルビンに、
「731部隊」
と呼ばれる、秘密部隊を組織していたという。
毒ガス実験や、気圧調整の実験、さらには、
「生きたままでの解剖」
などという恐ろしいことを、捕虜であったり、現地民に行っていたということになっている。
なっているというのは、戦争敗北が決定的となった時、本土の軍から、
「徹底的に破壊せよ」
という命令が出た。
そんなものが残っていれば、完全に日本はテロ国家だということになり、敗戦後は、立ち直れないということだったからだ。実際に破壊が行われたのは、原爆投下前後ということで、まだ、ソ連が戦争に介入する前だった。陸軍としては、もうそのあたりで、戦争継続は真剣に無理だと気づいたのだろう。
「あまりにも遅き」
ということであろうが、
「そんな遅い中でも、日本というのは、どうにもならないところまできているということがやっとわかった」
ということであろう。
「日本軍の残した証拠は一切なく、捕虜も全員抹殺した。焼いたか埋めたか、掘り起こされれば終わりなので、捕虜の焼却は間違いないことだったに違いない」
というのが、蓋を開けて分かったことだった。
だが、本当に何もないので、証拠としては一切何も残らなかった。そういう意味では、ナチスよりも、たちが悪いといっても過言ではないだろう。
そんな部隊であったが、そもそもは、そんな、
「人体実験」
というようなものではなかったのだ。
当時の日本が、日清戦争から、明治の戦争を行ってきた中で、ほとんどが、朝鮮半島であったり、満州であったりしたことで、特に、水というものが、大きな問題だったりした。
水というものの水質を調べたりしておかないと、実際の戦闘で戦死をするというよりも、現地の疫病に罹ってしまい、命を落とすという方が、実は結構多かったりした。
特に日露戦争などは、そうだったかも知れない。そういう意味で、食事という意味も含めて、
「水の確保というのが、急務になった」
そのため、
「関東軍防疫給水部」
という舞台が、正式名称だったようだ。
そもそも、関東軍というのは、
「日露戦争の際に、戦利品として得た満州鉄道の権益を守る」
という名目で、軍を、満鉄敷設地域に配置した。
それが、
「関東軍」
という部隊であった。
関東軍が、一番力を発揮したのは、満州事変の時であっただろうか。
「天下無敵の関東軍」
と呼ばれた時代だった。
1931年の9月18日、奉天郊外の、柳条湖というところで、夜の10時頃、満州鉄道が爆破された。
それを関東軍は、張学良率いる、中国軍による仕業ということで、軍事行動に出て、そのまま奉天を占拠。さらに、陸軍本部や政府の制止も聞かずに、
「すでに作戦は続行中」
ということで、関東軍の行動は、結局、
「日本政府の事後承諾」
ということで、どんどん作戦は成功を重ね、半年ほどで、満州全土を制圧した。
というのが、満州事変のあらましだといえるだろう。
この事件を中国側が、国際連盟に提訴し、国際連盟から、調査団である、
「リットン調査団」
が、満州で調査を開始し、結果、
「日本軍の自作自演」
ということが、調査報告として挙がり、すでにできていた、
「満州国の承認」
と決議したのだが、日本だけが、承認に賛成し、棄権数件以外は、すべて、反対に回ったということで、日本は孤立してしまった。
当時の全権大使として国際連盟に参加していた、外務大臣の松岡洋右は、それを不服として、
「国際連盟脱退」
を表明し、その会議場を、出て行ってしまったというのは、あまりにも有名な話だった。
そこから、日本軍による、
「独断専行が始まり、いわゆる、泥沼の戦争に入り込んでいった」
というのが、
「当時の歴史」
というものの大まかな流れだったのだ。
細かいことを言えばいっぱいあるのだが、本当に、日本軍の自作自演だったのかも知れないが、本当の理由としては、中国側の、
「抗日運動」
というものの、行き過ぎが背景にあったというのも、仕方のない部分でもあったのだ。
理由の一つが、いわゆる、
「安全保障」
の問題であった。
安全保障というのは、当時の仮想敵である、
「ソ連邦」
であった。
ただ、ソ連との問題には、満州鉄道を巡るあたりの防衛は必須であった。しかし、当時の中華民国の張学良は、日本の権益を持っている満州鉄道に並行して、支線をつくろうとしたのだ。
そのせいで、満鉄は赤字となり、そのため、かなりの失業者を出した。
さらに、中国側は、抗日対策ということで、
「日本人としての、実際の日本人や朝鮮人に対して、中国の土地を貸したり、売ったりすることは、売奴国ということで、厳しい処分を受ける」
という法律が成立したことで、さらに日本人は、満鉄付近で、窮地に追い込まれる形になった。
しかも、当時の満州は治安が悪く、毎月のように、日本人の暗殺、誘拐、強姦などの凶悪事件が起こっていたのだ。
それらの問題を解決しないといけないということが一つ。
そして、もう一つの理由が、日本本土にあったのだ。
意外とこちらの方がもっと切羽詰まっていることだったかも知れない。
というのは、
「当時の日本は、昭和恐慌であったり、東北地方の凶作というものが、農家を中心に、大きな問題となっていた」
というのだ。
さらに、当時の農家では、
「娘を売らないと、一家全員が飢え死にしてしまう」
というほとだったのだ。
要するに、当時の日本は、人口がどんどん増えていて、日本本土だけでは、国民を養えなくなっていた。
そのため、満州という土地を手に入れて、そこに、移民を送り込むことで、
「国内の食糧問題を一気に解決させなければいけない」
ということが、急務になったのだ。
だから、当時の関東軍は、
「満蒙問題と、国内の問題を一気に解決するには、軍事行動に出るしかない」
ということになったのだ。
自作自演であっても、軍事行動を先に起こしてしまえば、いいというもので、その軍事行動の大義名分としては、
「居留民の保護」
ということになるのだった。
「中国側から攻撃を受けたので、我々関東軍は、居留民の要請と、その保護のために、軍事行動を展開する」
というものであった。
相手が攻撃してきたから、攻撃するというのは、立派な防衛手段であり、居留民の保護も、立派な大義名分である。
まんまと成功し、半年の間に満州全土を攻略し、さらに、諜略によって、上海から溥儀を擁立し、満州国を建国させる。
つまりは、
「満州国は、立派な独立国家であり、皇帝を溥儀に据えることで、帝国ということになる」
ということであった。
だが、満州国というところは、独立国家の体裁は整っているが、あくまでも、
「大日本帝国の傀儡国家」
だったのである。
ただ、あくまでも独立国であるということは、国交という形でもできていた。公使館や大使館ができて、外交も行われていたのだ。
特務総理であったりも、満州人が就任し、体裁は完全に、
「満州国の国」
であった。
しかし、閣議が行われても、特務総理には発言権がなく、初代の特務総理は、まったく発言をしたことがないということだったようだ。
しかも、関東軍に少しでも逆らうと、すぐに更迭され、追放されるか、処刑されるということがあったようで、それが、
「傀儡国家」
の正体でもあった。
そういう意味では、傀儡国家の存在のいい悪いは別にすると、
「満州国建国が、本当に日本の自作自演で、他国から承認されない」
ということになるのか?
ということである。
満州国というのは。確かに傀儡国家で、彼らに自由はないが、しかし、日本としても、あの土地を手に入れないと、食糧問題などを解決できず、しかも、中国政府の、明らかな、
「営業妨害」
さらには、居留民に対しての、極悪非道な態度、そして、抗日運動としての、現地居留民に対しての土地を売らないなどの、悪法の制定を考えれば、
「果たして、満州国というものを成立させて、日本の権益や、居留民の安全を考えれば、これらの満州事変における行動は、本当に承認されないものだというのだろうか?」
ということは言えるだろう。
しかも、棄権をする国が少しあっただけで、承認に賛成する国が日本だけだったというのは、完全に日本が孤立してしまったことを示していた。
ただ、それくらいのことは、日本も分かっていたのだろう。
そうでもなければ、あそこまで堂々と、
「国際連盟の脱退」
ということを、日本政府の全権である、松岡洋右が言えるということもなかっただろう。
「もし、諸外国の反対にあって、非承認ということになれば、国際連盟を抜けても構わない」
という話になっていたであろう。
ただ、話としては、
「日本は、国際連盟を脱退することを、最初から考えていた」
という話もある。
かつての、ワシントンや、ロンドンでの、
「軍縮会議」
において、日本は圧倒的に不利な条約を結ばされたことで、
「何かあればm国際連盟を脱退する」
ということを考えていたというのだ。
そういう意味で、リットン調査団の報告や、閣議での投票において、日本の言い分が認められなかったということだけで、脱退という口実を、国際連盟は日本に与えてしまったのだといってもいいだろう。
そんなことを日本が考えていたなど、誰も知らなかっただろう。
だから、日本国民も、
「国際連盟は日本に喧嘩を売った」
ということになり、そのことで国民も、
「英米許すまじ」
とばかりに、国際連盟を牛耳っている超大国に対し、怒りをあらわにしたことだろう。
それによって、さらに、中国に対しての不信感、何といっても、居留民に対しての極悪非道なやり方をただすために行った、最終的には、
「満州国建国」
というものを、諸外国が認めないということは、
「日本という国を認めない」
ということに繋がるのではないだろうか?
ということであった。
日本という国は、ここから、
「軍部による独断専行」
さらには、
「中国本土への野心」
というものが生まれてくるのだった。
ある意味、満州事変の画策がそうなるのだが、実際に画策した石原莞爾は、このような展開を望んではいなかった。
あくまでも、満蒙問題を解決し、あとは、満州国を守るということをして、
「対外進出をする時期ではない」
ということを考えなければいけないと思っていたのだ。
だから、中国進出をしようとする、陸軍将校に、辞めるように進言すると、
「満州に入る時のあなたのマネをしているだけです」
と言われて、何も言えなくなったのだというのだ。
元々この石原莞爾という人物には、その思想として、根源に日蓮宗があった。そして、そこから派生した考え方として、
「世界最終戦争論」
というものがあったのだ。
これはいわゆる、
「トーナメント戦」
のようなもので、各大陸における代表国が、対戦し、最終的に残った2国にて、
「世界最終戦争」
を行い、そこで、最後に勝ち残った国によって、最後には、恒久平和が訪れるという考えだというのだ。
石原莞爾の構想としては、
「ヨーロッパは、それぞれの国が潰し合うことで、国土も国家も疲弊している。アジアは、中国などの植民地だらけで、そもそも、国力がない。ソ連も革命や粛清によって、国力は低下しているので、最終的に、残るのは、アメリカと日本だ」
という考えだった。
そこで、日本としては、まず、ソ連をけん制し、最終戦争までに、ソ連を仮想敵としてやっつける必要があることから、満蒙問題の解決は、不可欠だということなのだ。
そういう意味で、満州国がワンクッションとなるわけだが、そこから、南下して、中国に行くというのは、不必要な侵略で、
「列強を刺激することになる」
と思っていたのだが、まさか、満蒙問題解決のために起こした満州事変が、このような形となるとは、想像もしていなかったことだろう。
結果、北京にて、軍事衝突が起こり、そのまま、中国側の挑発に乗って、全面戦争に突入することになる。
さらにアメリカとしては、2つの理由から、世界大戦に日本を引き釣り出すことで、自分たちが、参戦する口実を作りたかったのだ。
一つは、イギリスからの要請で、
「ドイツ軍との戦いのために、アメリカの参戦を望む」
というもの。
そして、もう一つは、
「列強に乗り遅れてしまった中国への進出のため、日本と一戦交える必要がある」
というものであった。
この二つの理由で、参戦したかったのだが、いかんせん、アメリカ国民や、議会が、
「攻撃もされておらず、主戦場はヨーロッパと、わが国には関係のないことで、参戦する意義がどこにある」
という理由で反対が多かった。
アメリカという国が、宣戦布告を行うには、いくら大統領の力が強くても、議会の承認が得られなければ戦争を行うことができない。
そのために、あの日本具による、
「真珠湾攻撃」
を起こさせて、アメリカ参戦の機運を高めるということを考えたのだ。
その考えが功を奏し、
「リメンバーパールハーバー」
という言葉の下、アメリカ国民や世論は一気に、開戦に傾いたのだった。
そういう意味で、今戦争を行っている片方の国のダイトウリョウが、アメリカに対して、
「真珠湾攻撃」
という言葉を使って、自分たちが攻撃されていることに対する支援を要請するというのは、
「歴史的に微妙なことだ」
といえるのではないだろうか?
つまり、それだけこのダイトウリョウは、
「歴史を知らない無知なダイトウリョウだ」
ということである。
「さすがは、元コメディアンだ」
といえるのではないだろうか。
しょせんは、ダイトウリョウの器ではないそんな男に、国民は戦争を起こされて、どんどん殺されることになっているのだ。
もっとも、他国のことだけではなかった。今の日本のソーリも人のことは言えない。
そんなバカなダイトウリョウがアメリカ議会の前で、
「真珠湾攻撃」
を口にして、日本をこけ下ろすかのような発言をしているのに、日本に援助のためのビデオ出演をした時、こともあろうに、国会議員のほとんどが立ち上がっての、
「スタンディングオベーション」
であった。
思わず、
「ナチスドイツかよ」
といってしまった人がどれくらいいるだろう。
日本という国は、それだけ舐められているということで、そんな国に対して、大切な血税をまるで、
「自分の金」
であるかのように、湯水のごとく渡しているというのは、どういうことなのだろうか?
しかも、数年前からの、
「世界的なパンデミック」
あるいは、物価高騰、そして、円安などという問題から、国内に、本当に困っている人がたくさんいるのに、それを放っておいて、何の見返りもない国に対して援助するなどというのは、
「一体、何様だと思っている」
といってもいいだろう。
そもそも、円安になった理由として、
「そんなソーリがいる日本という国」
という見方をされ、
「もう、日本も終わりだ」
と投資家が思ったことから、円が売られ、どんどん、円の価値が下がっていったのだ。
円の価値が下がるということは、同時に日本の価値が下がるということで、日本の価値を、そんなバカなソーリ一人のために、操作されてしまっては、どうなるものでもない。
かといって、
「他に誰が首相にふさわしいというのか?」
ということになれば、見当たらない。
与党であれば、今のところ、あのソーリしかいない。
かといって、野党はさらに輪をかけて、情けない集団の集まりだった。
今だったら、簡単に政権奪取できるのだろうが、野党というと、与党の批判ばかりするが、肝心の政策が見えてこない。
しょせん、野党は野党。批判も確かに野党の存在価値ではあるが、それでは、永遠に野党のままである。
まさかその地位に甘んじているのであろうか?
野党であっても、政党助成金というのはもらえる。いきり立って、攻撃を受ける与党になって、政権奪取などしようとは思っていないのかも知れない。
十年ちょっと前、与党が、
「消えた年金問題」
として、我々の年金を消してしまったことで、国民から愛想を尽かされて、当時勢いだけはあった野党第一党が政権の座についたが、結果は、悲惨なものだった。
それだけに、今回は、
「政権奪取を目指す」
というのは、あくまでもポーズで、本当は、
「批判だけをしていれば金がもらえる」
という、ぬるま湯にどっぷり浸かろうという意識で、最初から、政権につこうなどと、思わない、
「腰抜け政党」
なのかも知れない。
そんな連中に政権がいけば、今のソーリも最悪だが、それ以上の、想像を絶する国家となり、それこそ、
「国の破滅がハッキリと見えてくるのではないだろうか?」
ということになるであろう。
今の国家は、政治的に、ひょっとすると、
「国の滅亡」
が見えてきていて、その階段に、一歩ずつ足を踏み入れている状態なのかも知れない。
それを思うと、今の日本国家というのは、
「どうあがいても、破滅から逃れることはできない。あとは時間の問題なのではないだろうか?」
といえるのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます