第2話 馴染みのカフェ
そんな時に、出てきたのが、
「自費出版社系」
という、一種の、
「詐欺商法」
だったのだ。
やつらのやり方は実に巧みだった。
「小説家になりたい」
「自分の本を出したい」
という気持ちを巧みに利用していた。
小説家になりたいという気持ちを揺さぶるというよりも、まずは、本を出すことを前面に押し出していた。
原稿を送ってこさせ、その内容を吟味して、批評をつけて、送付者に返すのだ。
その批評も、最初に欠点を挙げて、少し残念であることを書いたうえで、
「そういう欠点を補ってあまりあるあなたの長所」
ということで、
「まるで重箱の隅をつつくような、いや、すべての痒いところに届くような手を用いて、相手のいいところを、どんなに小さなことでも、破裂寸前になるくらいにまで膨らませて、褒めちぎる」
というやり方で、相手をその気にさせるのだ。
そこに持ってきて、
「出版社も金を出すので、筆者側にも一部の出費を」
という形の甘い罠を仕掛けるのだ。
しかし、
「定価1,000円の本を、1,000部作るというのに、筆者に150万円をふっかける」
という、経済学をまったく無視したやり方で言ってくるのだ。
普通に考えれば、
「そんな詐欺にひっかかるバカがいるのか?」
と思ってしかるべきだろうが、なぜか、これで本を出す人がいるということにビックリさせられる。
自費出版社系の会社が注目されるようになった。2,3年で、何と、国内の年間出版さ数1位を、これらの出版社がダントツの勢いで奪取したという事実、
「一体、どういうことなのだ?」
と、驚かされたが、
「要するに、それだけ金を持っている人が多い」
ということなのだろうか?
ただ、実際には、
「借金をしてでも、本を出すための費用をねん出した」
ということなのだろうが、そうなると考えられるのは、
「本を出しさえすれば、将来元が取れるとでも思ったのか?」
ということか、あるいは、
「本を出しさえすれば、プロにグッと近づける」
とでも思ったのかということである。
だったら、
「普通の自費出版でいいのではないか?」
と思うのだが、実際に、あいつらの言い分の中にある、
「有名書店に一定期間並ぶ」
という甘い言葉に皆引っかかったのではないかと思えるのだ。
その証拠に、詐欺集団が、実際に詐欺として、表に出てきたのは、本を出した人たちが起こした数件の訴訟であった、
その内容は、
「一定期間、有名本屋に並ぶ」
といううたい文句が実証されていない。
ということからだった。
読者も独自の手法で調べたのだろう。自分の本が並んでいないことをである。それを弁護士に相談して、訴訟を起こしたのだろうから、その掴んだ証拠は、信憑性があるというものなのだろう。
なぜなら、
「弁護士というところは、勝てる見込みのないものを、引き受けることはしない」
からである。
その代わり、引き受ければ、弁護士は、依頼人の利益を守るためには、何だって行う。
もし、残虐な殺人犯だということが分かっていたとしても、無罪に持ち込もうと暗躍したりするからだ。
弁護士は、聖人君子でも何でもない。倫理やモラルなどよりも、金なのだ。だから、弁護士が引き受けたということは、裁判をやって勝てる見込みがない限り、引き受けたりなどするわけはないのである。
この場合は、当然のことながら、筆者側が強いだろう。実際に、裁判をやっているうちに、出版社側は、マスゴミから今度は、
「被告」
として、騒がれることになる。
すると、他の作者も、どんどん裁判を起こすようになり、数十件にまで訴訟が広がったりしていた。
完全に虫の息という感じになってしまったが、さらに問題なのは、奴らの経営方式というものが、
「自転車操業だった」
ということである。
つまり、
「本を出したい」
という人が増えて、なんぼということである。
彼らの支出というのは、一番大きなものから、まず、宣伝広告費であろう。新聞、雑誌、CMなどを使って、
「小説家になりたい」
という最終目標を持っている人を煽る。
そして、原稿を遅らせると、安心させるためもあって、歯の浮くようなセリフの並ぶ批評をするそんな社員も抱えることでの人件費というものも必要である。
その人たちは、ひょっとすると、一度は新人賞に入賞し、次のステップに向かうことができたが、やってみると、
「まったくそこから先、限界を抱えてしまった作家くずれ」
のような人が、世に溢れているのを、採用したという可能性もあるだろう。
いわゆる、
「売れない作家」
というわけだ。
プロ野球の世界などでも、アマチュア時代には、それなりに有名な選手で、ドラフトでプロから指名され、鳴り物入りで入団したはいいが、結局、万年二軍くらしで、最後には、球団から、
「再契約打ち切り」
を言われ、さらには、トライアウトにも挑戦したが、どこからも誘いが来ずに、野球界から引退するというそんな人と同じだといってもいいだろう。
しかし、作家としてのプライドもあるのか、
「文筆業に関わる仕事」
ということで、
いわゆる、
「下読みのプロ」
と呼ばれる人になったりする人もいるだろう。
下読みのプロというのは、新人賞や文学賞というものがあれば、一次審査から、二次と経て、最終審査になる。
実際に、募集要項に並んでいる審査員である作家の先生というのは、最終審査でしか、その作品に目を通すことはない。
考えてみれば、当たり前のことで、それぞれの審査に同じ人というのであれば、本末転倒だということだ。
つまりは、一次審査というのは、作品の内容はまったく関係がなく、
「文章として体裁をなしているか?」
「小説としての内容になっているか?」
ということを見るだけで、そこに目を通すのが、
「下読みのプロ」
と呼ばれる人たちである。
彼らは、あくまでも、小説家である必要はない。
「質より量」
とはまさにこのことで、一人、数十人分を一定期間に読んで、点数をつけるというような感じなのだろう。
あくまでも、体裁だけしか見ないのだ。
だから、そんな連中に判断される一次審査は、ある意味、昔やっていたクイズ番組における、
「じゃんけん」
のような、運という意味の方が大きいだろう。
「どの下読みのプロに当たるか」
ということで左右されるだけである。
「ろくでもないやつに当たってしまえば、本当にロクなことにならない」
それだけのことである。
そんな連中に審査されて、一次審査を通過できなくても、別に自信を無くす必要もないだろう。
確かに、一度は新人賞を取ったかも知れない。
それよりも、そんな連中が、下読みのプロに成り下がってしまったことの方が大きな問題で、
「まるで、自分の将来を見ているようだ」
といって情けなくなるだろう。
いや、それ以上に、
「そんな下読みのプロが入選した賞に、入選もできないでいる自分がどれだけ情けないということか?」
ということの方が、正直情けないといってもいいだろう。
そんなことを思っていると、
「プロ作家」
というものが、
「どれほどの檀家をふまないといけないか?」
ということであり、さらに、
「そこに行くまでに、いくつの運が必要なのか?」
ということを考えると、次第にバカバカしくなってきた。
「そもそも、小説というのは、自由なものだ」
と思うと、
「プロになると、書きたいものが書けなくなる」
と言われていることも気になってきたのだった。
確かにプロになると、
「出版社が、主導権を握り、企画を出しても、何度もダメだしされ、結局、自分の書きたいものがすべてなくなった時点で、やっと書きたくもないものを出して、OKが出る」
というようなことになってしまうのである。
何とも皮肉なことであるが、それが、
「作家というものだ」
ということになると、本当に情けなさを感じるだろう。
「プロ作家」
ということになると、当然、その忙しさは仕事をしていてできるのもではない。
それまでしていた仕事を辞めて、プロ作家一本で、普通だったら、するだろう。
昔であれば、
「ホテルマン」
などを続けながら、作家をしている人もいたが、それはきっと、
「小説を書く上での、自分の小説に、ホテルマンという職業が役になっている」
ということか、あるいは。
「出版社の意向」
というものが、ホテルマンという職業にあるからではないだろうか?
あくまでも、作家本人というものとは関係なくである。
そう思うと、
「作家というものの人権は、プロ作家になった時点で、存在するのだろうか?」
ということである。
プロ作家が、その出版社専属ということになると、社員としての待遇よりもさらにひどいものである。
そう、一種の、
「下請け」
というものであろうか。
親会社が、面倒なことを、子会社に、さらに孫請けに回すというのはよくあること。相手が企業であればまだしも、個人という生身のものであれば、まるで、作家というのは、
「出版社の奴隷同然」
ということにならないだろうか。
そういえば、締め切りが近くなると、
「出版社から監禁状態にされ、担当者が見張り役として、身構えている」
という、作家の悲哀としてよく言われていることだろうが、ほとんど皆にとっては、
「自分には関係ない」
ということになり、あまり気にすることはないのだろうが、
「これこそが奴隷だ」
と思うと、背筋が寒くなってくる人も少なくはないだろう。
そんなこともあって、プロ作家への道は、早々と諦めた、吉松恭吾だった。
吉松は、中学の時に、
「小説家になりたい」
という思いを持っていたが、その気持ちを断念したのは、30歳の時だった。
今は、45歳になっているが、30歳というと、ちょうど、例の、詐欺商法事件のあった、
「自費出版社」
が、軒並み倒産していった時期だった。
その時に、
「小説家というのは、自分が好きなことをできるものではなく、金を貰うということで、完全に仕事なんだ」
ということを思い知ったからである。
自分が好きなように書いたり本を出したりできるのは、しょせん、自分のお金でしかないということに気づくと、
「作家として売れるから、本を書く」
ということが一般的であるが、
「本を、どういう形でも出した後、その本を見た人がどのように評価してくれるか?」
という方が、自分で好きなように書けるし、実際に、
「一冊でもいいから、本を出したい」
という思いと、
「あわやくば、たくさんの人に見てもらいたい」
という思いとが、折衷案という形であるが、バランスという意味では、一番いいのではないだろうか?
「なんといっても、自分の好きなようにできる」
という意味でも、言えることであり、そのことが、出版社の意向とは関係ないということで、気楽にできることだと思ったのだ。
だから、
「仕事をしながらの執筆」
という方が気が楽だし、何も、自分の信念を曲げてでも、小説家になりたいとは、思わないのだ。
そんなことをいえば、
「小説家になることから逃げる言い訳をしているだけだ」
と言われるかも知れないが、それでもいい。
何を意地になるというのか、小説家になるということは、
「自分の本が売れて、自分が小説家だということで、世間や出版社からちやほやされる」
ということを、望んでいるのだとすれば、大きな間違いだ。
プロになれば、なるほど、出版社の人は、作家を、
「先生」
といって、持ち上げてはくれるだろう。
それはあくまでも、小説を生み出すというだけのことであり、別に人間性を慕ってくれるわけでもない。下手をすれば、
「作家などという人種は、我々とは違うんだ」
ということだ。
そういう意味では、医者が相手のプロパーとは、かなり違っている。
医者が相手のプロパーは、半分、
「医者の奴隷」
という雰囲気があった。
今はどこまでか分からないが、
「医者のいうことは絶対」
であり、医者が、今すぐに来いといえば、飛んでいかなければいけない。
ゴルフの付き合いや運転手など当たり前、小間使いか、お手伝いさんと同じ扱いであった。
そんなプロパーと違い、作家相手の担当は立場が強い。締め切りのために、作家を見張っていて、逃げられないように監禁するのだ。
もちろん、担当もそれなりに気を遣って大変だろうが、見る限り、プロパーとは、随分と趣が違っているものだ。
それを考えると。
「作家というものは、本当に情けない人種だ」
と思わないでもない。
やはり、国家資格や、人の命を預かるという仕事上の立場の違いが大きいのだろうか?
あれはいつのことだったか、実に最近のことだったように思う。
吉松が、いつものように、小説を書こうと、馴染みの店に顔を出したことだった。
数年前くらいのことだっただろうから、集中力もしっかりしてきて、小説を書くということが、苦痛ではなくなっていた。
では、
「それまでは苦痛だったのか?」
と聞かれれば、答えは、
「イエス」
であった。
毎回毎回、小説のネタが浮かんでくるわけでもないし、同じスピードで、スラスラ書けるわけではない。
実際に小説を書いていると、詰まってしまったりなどということは、しょっちゅうだった。
それでも、小説を毎日のように、ルーティンとして書いていると、パターンのようなものが出来上がり、そのパターンに沿って、小説を書けるようになるというものであった。
小説を書くということは、そういうことであり、頭で考えていると、急に我に返ってしまうことで、そこまでいいリズムで書けていたことが、一気に冷めてしまい、続かなくなってしまう。
だから、
「スピードは重要だ」
と、思うようになってきた。
そうなると、次に考えるのが、
「質より量だよな」
ということであった。
量をこなしているうちに、書くことにも慣れてくるし、集中力の持続にもつながってくる。
だから、途中から、時間とスピードを意識するようになった。
「一時間に、何文字」
といった感覚で、スピードがある程度まで上がってくることを目指したのだ。
小説というものは、
「感性というものが必要だ」
と言われるが、それは、
「思考を超越したものではないか」
と思うのだった。
書いている最中、つまり集中している間に、気が散ってくると、我に返ってしまい、何を書こうと思っていたのか、さらに、そこまでうまくつないできたリズムを自らで崩してしまうことになる。
だから、
「集中力というものが、大切だ」
ということになるのだ。
だから、まわりで騒がれたり、うるさくされると溜まったものではなく、そんな思いをしたのが、
「数年前の出来事」
だったのだ。
その時は、馴染みのコンセプトカフェがあるのだが、よく吉松は、執筆に出かけていた。店は、
「1時間ワンオーダー制」
だったので、一時間で再注文すれば、いつまでもいてもよく、
「粘る客がいる」
ということで、鬱陶しがられることはなかった。
むしろ、客の少ない時などは、半分はサクラという意識と、店の人も。客がいる方が、気分的にも、
「寂しくない」
ということで、利害が一致していたのだ。
集中しているところ、一時間でコロコロ店を変えるなど論外で、集中していると、
「1時間が経っているのに、感覚的には、まだ5分くらいしか経っていない」
というのと同じで、集中力というのは、それだけ、
「時間の進みを感じさせない」
というものだったのだ。
その店では、お気に入りの女の子がいるのも、実は、入り浸っている理由の一つでもあったのだ。
そのお店は、コンセプトとして、
「医療関係」
というものであった。
ソフトドリンクは、ビーカーに載ってきたり、デザートなどは、ちょっとオカルトチックなタイトルであったりと、オーナーは店長の意向が結構入ったお店であった。
そんな店を気に入ったのは、オーナーも、芸術家で、本来は、
「工芸作家だ」
ということであった。
結構気さくなおじさんで、吉松のことを、
「先生」
と呼んでくれた。
「どうして、そういう呼び方をしてくれたんですか? 普通に嬉しいんですけど」
というと、オーナーは、苦笑いをしながら、
「だって、名前を聞いてないからね。作家の先生ということで、先生って呼ばしてもらったんだよ」
と言われたのを聴いて、それで、一気に距離が縮まったといってもいいだろう。
正直、先生と呼ばれることが嬉しくて仕方がない。
先生というのは、憧れであり、ありがたさが、身に染みる思いだった。
だから、最初の常連になるきっかけがそれだったのだ。
そのお店は、
「病院がコンセプト」
ということで、医療関係のものが結構あった。話を聴いてみると、
「ネットオークションで購入した」
というものがほとんどだった。
人体模型の人形であったり、大きな手術室にあるような丸い照明であったり、食器類も、前述のビーカーや、膿盆、医療関係のものも多かった。
話を聴くと、
「薬事法に違反しないかどうかも、入念に調べて、営業しているんですよ」
と、当たり前のことではあるが、そこまでしてコンカフェの営業をしたいと思うのは、第一には、
「オーナーの個人的な趣味」
であり、
「遊び心が満載な人だ」
ということになるのだろうが、それだけではなく、実際に、それだけの努力を絶えず考えている人だということであろう。
そんな努力に塗れた店は、フォローに値するだけのことはある。
しかも、店の半分を、
「個展を開きたいが、お金がない」
あるいは、大きな会場しか借りられない」
と、素人のこじんまりとして個展であっても、ここであれば、格安でできるのである。
搬入も、自分が手伝えば、割引もしてくれるというような、アットホームな環境で、
「こういう店を常連にしているというだけで、自分のステータスになるような気がするよな」
と、吉松は、そう感じていたのだった。
吉松にとって、このお店は、そういう意味で、
「芸術家の集まり」
といえるだろう。
自分の作品は、文学作品なので、絵画や彫刻のように、展示作品というわけではない。それでも、他の芸術家の人たちと、
「芸術家仲間」
として、その輪の中にいられるというのは、
「ありがたいことだ」
という意味で、この店の空間にいることで、
「何か有頂天になれるような雰囲気を与えてくれる」
と感じていたのだ。
店の女の子も、密かにお気に入りで、普段から、気さくに話ができるのもありがたかった。
「常連になれるようなお店ができて、実に嬉しい限りです」
というと、
「そういってくださるとうれしいです」
という言葉が返ってきた。
本当にありがたいことであった。
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