一蓮托生の息子
森本 晃次
第1話 目の錯覚
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年11月時点のものです。途中で、馴染みの店が出てきますが、本当にあるお店かどうかは、ご想像にお任せします。
「錯視」
という言葉があるが、いわゆる、
「目の錯覚」
というものだった。
その目の錯覚というのは、
「人間が感じる、誰もが見誤ることを認めているようなもの」
を錯覚と呼ぶ場合もあれば、
「最初に見たものを、思い込むということを、当たり前のこととして捉えていて、次第に年を重ねることで、視力や見え方の感覚から起こる、今までの年齢によるものとのギャップとが、錯覚として認識される」
というものがある。
実際に、錯覚を感じることができれば、
「少しは、交通事故などの、過失と呼ばれる事件、事故は、減るのではないか?」
といえるだろう。
実際に、肉体の衰えというのは、目に見えないものであり、意識もなければ、特に、
「老い」
というものは、静かに忍び寄ってきたとしても、なかなか気づくものではないだろう。
それだけではなく、大人であっても、若者であっても、平等に起こる錯覚というものもある。
例えば、
「蜃気楼のようなもの」
であったり、
「光の加減によっての錯覚なども少なくはない」
であろう。
光の加減としてよく言われるのは、
「夕凪」
と呼ばれる時間帯のことである。
同じような時間帯を、
「逢魔が時」
というそうだが、それは、昔から。
「魔物に出会う時間帯」
という意味で、
「逢魔が時」
と言われるのだが、この時間帯は、現在でも、恐れられていたりする。
統計的にも、この時間、交通事故が起こりやすい時間として、認識されていたりする。
というのも、この時間に交通事故が多いという理由は分かっていたりする。
その理由というのが、
「まわりの光景が、モノクロに見える時間帯だ」
ということだからである。
光の加減の関係で、色の関係なのか、それとも、光の強さ、あるいは角度なのか。それぞれが絡み合って、そういう偶然を作り出しているのか、実際に、証明もされているという。
「テレビなどでもモノクロは、仕方のないものだが、人間の目というのは、色を認識できる力があるのだから、
「錯覚」
という外的要因がなければ、モノクロに見えたりなどするわけはないということであろう。
問題は、
「モノクロに見える」
ということではない。
「モノクロに見えるということを、本人が意識していないことだ」
ということであった。
もし、モノクロに見えるものだということが分かれば、人間は、用心するであろう。錯覚ということを認識していないから、普段と同じ見え方をしているつもりで運転をすれば、「誰もいないはずだと思っていました」
という言い訳が、言い訳にならないのかも知れない。
しかし、そんな錯覚を無理にさせるものもある。
特に、精神疾患のある人の治療に使ってみたり、病気の発見に使うという方法もあるようで、そんな錯覚を、医学の方では、どういう認識で使っているかということを、知らなかったりするのだ。
そんな錯覚に対して、
「実際に、綺麗に見えたものであっても、見え方によって、おぞましいものに見えたりする」
という場合もあったりする。
普通に赤い色であっても、見え方が鮮やかであったり、ドロドロしたものであったりするので、面白いものである。
それは、光の加減というものが、関わってくるというもので、
「何か、他にイメージできるものがあった」
という意識があったのだ。
それが何だったのか、すぐに思い出せなかったが、思い出すと、
「あっ、そうだった」
と気が付いたのだ。
そう、それは、
「信号機」
であった。
昼に見た信号機の青と赤の色が、夜になると、原色に違い形の色に変わってくる。
角度よるというのもあるだろうが、それよりも、LED電球というのも、さらに、色の変化を演出するものだと言えるのではないだろう。
昼間見た信号機は、
「青い色は緑に、赤い色は逆にどす黒さが見えてくる」
のだった。
ただ、夜になると、青い色は、真っ青になっていて、赤い色はドロドロというよりも、ピンクに近いような色で、おとなしく加持させる。
つまり、夜の信号は、
「青い色が少し強く感じられ、赤い色は鮮やかで、それぞれに、特徴を打ち消していて、意外ときれいに映し出されている」
ということで、
「夜というのは、平均的にすべてが近寄ってくるような気がするのだ」
といえるのではないだろうか?
夜は、そもそも真っ暗であるだけに、目立つ必要はないのだった。
しかし、昼間は、まわりが明るいので、目立つということは、却って、太陽の明かりに追いつけるものではない。
つまり、明るさに勝てない分、
「光以外の何か?」
ということで、ドロドロした、血の色のようなドロドロした色が印象深く映っているのだった。
また光があると、角度によって、見えるものの色が微妙に違っている。
もっと言えば、
「プリズムのような、角度と、通り抜けるような光と、反射とが、どのような影響を与えているのか?」
ということになる。
プリズムになっていなくても、自然の氷や、水面の乱反射などが、微妙なコントラストを醸し出しているのであった。
光線の加減は、強弱が影響してくることもあるので、昼と夜とで、まったく違って見えるのも、当たり前のことだ。
そうなると、朝から昼に向けてと、昼から夜に向けてとの狭間において、
「いかに光を反射したり、屈折や吸収するか」
ということになるのだから、錯覚という問題も大きくなるか、小さくなるかという問題になるのだが、実際に見える錯覚は、意外とたいしたことがないのかも知れない。
前述の夕凪の時間であるが、昔から、
「逢魔が時と呼ばれている」
という話をしたが、その時間、もう一つ言われていることとして、
「無風にある」
ということであった。
夕方の時間というと、比較的、風が吹いているものだと感じている人が多いかも知れないが、本当に短い時間であるが、本当に無風になるのだという。
一つどこかが無風になると、その部分から、風は一切動かなくなる、
これは波にも言えることではないのかと思うのだが、水面が、さざ波の時というのは、どこまで言ってもさざ波だ。だが、考えてみれば、面白いもので、海などの場合、果てしなく、どこまでも続いているものを海だという。途中で途切れたりすれば、そこまでは大きな湖ということになり、カスピ海のような、大きな塩湖ということになるだろう。
だが、いわゆる、
「七つの海」
は広がっているのであるが、まあ、そこまで大きな範囲を考えるまでもなく、日本を考えてみても、わかるだろう。
例えば、瀬戸内海と、玄界灘や、太平洋などである。
瀬戸内海から、玄界灘に抜けるには、狭い範囲であるが、関門海峡というものを抜けることになるが、玄界灘のように、九州と朝鮮半島の間の海と、瀬戸内海の本州と四国との間であれば、当然のように、幅が誓うことで、海における、波の勢いは、いかにも違っているというものである。
しかし、海は繋がっているもので、関門海峡という狭いところを隔てているといっても、玄界灘の勢いが、瀬戸内海に、影響しないわけではないだろう。
やはり力が作用するには、関門海峡というのは狭すぎるというものだというのであろうか?
ただ、空気には、そういう作用はない。よほど、建物が密集している大都会でもなければ、夕凪の、
「無風になる」
という影響を妨げることはできないだろう。
逆にいえば、
「大都会のような、ビルの谷間のようなものさえ作れば、無風を遮ることができち」
ということになる。
ただ、実際には、
「沈みゆく日の光」
というものの影響から、
「モノクロに見える」
ということになるのだから、果たして、
「無風と言われるものと、光の加減における、目の錯覚によるモノクロに見えるという感覚と緒間に、何かの因果関係があるのか?」
ということになる。
もし、因果関係が認められれば、目の錯覚というものを、どうにかできるものとなるのだろうが、今のところ、それを研究しているところがあるとは聞いたことはなかった。
だが、科学者の中には、この因果関係を、実しやかな都市伝説のようなものとして受け止め、
「いずれ、どこかで研究してみたい」
と思っている人もいるかも知れない。
いまでこそ、あまりにも、因果関係の証明の難しさと、因果関係が認められても、それが、事故との関係、つまりは、目の錯覚への証明となるのかは、未知数であった。
ただ、目標はそこではない。先に進むことで。
「では、その証明されたことに対して、どのように対処すればいいかのか?」
という傾向と対策であったり。危険を回避するための、何かのアイテムというものを開発しなければならないということであろう。
そういう意味で、今のところ、
「夕凪に逢魔が時と呼ばれ、事故が多いのは、光の角度なのか、沈んでしまう際の弱さの微妙なコントラストなのかの影響で、ものが、モノクロに見えてしまう」
ということが影響していると言われている。
そのことが、まずは、証明されることから、
「無風となる」
ということへの影響と、問題に影響してくるのだろうということであった。
錯覚というのとは少し違っているかも知れないが、あるアマチュア作家が、毎日のように、小説を書いている。
その人は、ずっと、パソコンを持ち歩いていて、ずっと喫茶店やカフェを使って、そこで執筆をしていたのだ。
最初の頃、つまり、まだ小説を書くということができなかった時、まだ、パソコンもまともに普及していなかった時代のことであるが、
「執筆はなかなかうまくいかない」
と、思ったので、元々、自分の部屋の机の上で、原稿用紙を広げて、普通の人がしている体勢で執筆をしてみたが、全然進まない。
そこで考えたのが、
「環境を変えてみよう」
ということであった。
まず考えたのが、
「図書館でやろう」
と思ったのだが、静かではあるが、その静けさが逆に苛立ちとなって、落ち着かないのだった。
そして今度は、
「原稿用紙が悪いのだろう」
と考え、原稿用紙をやめて、ルーズリーフやノートで書くことにした。
この利点は、横書きというところにあった。横書きにすることで、それまでと違い、少しは筆が進むようになったので、自分の中で、
「もう一息だ」
と考えるようになった。
実際に、筆が進んでいくと、毎日少しずつではあるが、書ける時間が長くなっていた。
しかし、そこに限界があり、15分以上は、どうしても、書けなかったのだ。
「もう一つ何かが必要だ」
と考え、やってみたのが、
「場所を、ファミレスや、喫茶店のようなところに変えてみよう」
と思ったことだった。
すると、急にそれまでは
「俺には書けないんだ」
と思っていたことが、急に、
「俺にもできるかも知れない」
と感じるようになった。
というのも、まわりの人の動きというものを、今までは紛らわしいもので、
「気が散る」
と考えていたのだった。
しかし、気が散るわけではなく、逆に、
「動きというのはあって当たり前であり、その動きが、自分の感性と結びついたりして、流動的な意識が、執筆のアイデアに火をつけるというものではないか」
と考えるようになった。
夕凪の無風状態に、新しい風が吹き込んできたかのようなものだった。
しかも、皆が動いているのを見ていると、
「何か、パターンがあるような気がする」
と感じたことで、人の動きを観察することが、
「執筆のための、文章能力の進歩に繋がる」
と考えた。
要するに、
「執筆、つまりは、小説というものは、人間物語であり、人間の動きを観察することである」
と考えることから始まるというものであった。
おかげで、次第に小説を書くことを続けられるようになった。
その頃から、一日1時間ずつでも毎日書けるようになり、今では、一日に数時間書いても、苦痛ではなくなった。
ただ、一つ苦言を呈するとすれば、
「充実感が薄れたことかも知れない」
というものであった。
ただ、執筆に一番大切なものが何かということが分かったのはよかった。
「集中力」
この一言に尽きるかも知れない。
そのアマチュア小説家は、そのことを今、ひしひしと感じているのだった。
そのアマチュア小説家であったが、それから少しして、自分のペースで書けるようになってきた。
そして、次の目標としたものが、
「書き上げること」
だったのだ。
これは、小説家として、プロであろうが、アマチュアであろうが、
「避けて通ることができない」
という、一種の関所のようなもので、皆が目指すものだった。
逆にいえば、
「書き上げることができれば、これからも小説を書き続けていけるということへの、一種の登竜門のようなものであり、逆に、それができなければ、永遠にその登竜門すら見えてこない」
ということになり、
「最初の関門だ」
といってもいいだろう。
できなければ、そこで終わり、しかし、できたとしても、あくまでも、最初の峠なので、先はまだまだ長いということで、厳しい道であることは、当たり前のことだといえるのだろう。
もちろん、小説に限ったことではなく、何かを目指すというのは、似たようなものである。
いくつも存在する関門の最初というのは、一番苦しいものであり、ハウツー本には書かれていることであるが、それはあくまでも一般論であり、少なくとも、本人による創意工夫ができていなければ、通過することはできない。人から、差し伸べられる手があったとしても、最後には自分だけの力となる。それだけ、突破には本人の意志と、発想力が必要だということであった。
彼も、最初は、
「プロの小説家になりたい」
という意思を持っていて、ハウツー本を読んだり、自分の得意とするジャンルの、販売されている本などを読んで勉強したりしていたが、そのうちに、それらのものを読むのもやめたのだ。
自分の目指すジャンルであっても、作家にあるには、
「自分のオリジナリティ」
というものを持っていなければ、先に進むことはできない。
実際に、小説を書いていると、気付かない間に、自分のオリジナリティが出てきていることが分かるのだ。
それが、くせであり、特徴ということでもあるだろう。
小説を書けなくなる時期もあった。それは、自分が目指しているものが書けなくなるというよりも、どうしても、今まで他の人の小説を読んできた中で、
「こういう書き方をしないといけないんだ」
という自分の中で意識のようなものがあったのだ。
その意識を、
「間違ってはいない」
と思って、そこを目指していたのは事実だったが、そもそも、人の作品が正しいというわけではない。
小説というのは、元来自由なものであり、自分が目指す小説が、
「絶対に正しい」
というわけではなく、他の小説が、
「すべて、間違いだ」
などと、そこまで考えていたわけではないが、一つの目標として進んでいくことは事実だった。
小説というものをいかに自分のものとして書いていくというのかということは分かっているはずなのに、
「人を意識してしまう」
さらには、
「売れている本は、いい本だ」
などという、どこか偏見に近い見方をしているというのは、
「小説というのは、売れなければいけないんだ」
という、プロ作家というものを、必要以上に意識しているのではないだろうか。
そもそも、
「小説は書き上げることができるだけで、すごいことなんだ」
と思っていたはずではないか。
確かに最終目標のために通る最初ということではあるが、あくまでも、そこが、将来への分岐点であり、すべては、そこに返ってくることであり、本当の意味での、
「登竜門の、最初で最後」
だといえるのではないだろうか?
だが、あくまでも、
「小説は自由だ」
という意識を持って書いているくせに、いい小説というものを、
「売れる小説」
という、それこそ、
「プロ作家が考える」
というような発想を、素人の分際で考えているというのは、ある意味、おこがましいといえるのではないだろうか。
実際に、小説を書いては添削し、新人賞などに応募したりした。
今では、毎月のように、いくつかの新人賞や文学賞の締め切りがあるというような時代である。昔のように、
「年間で、10くらいしか締め切りがない」
というような時代ではなかった。
最初に小説を書き上げられるようになってから、十年以上が経っていた。
「小説を書けるようになりたい」
と思い、試行錯誤を重ね、書き上げられるようになるまでに、数年。
もちろん、途中で挫折して、何度もやめてしまった経緯があったが、結局また戻ってきた。
最初は、何度も何度も諦める自分に、
「俺は芸術的なことには向いていないのか?」
と思ったが、書き上げられるようになると、今度は、
「どんなに途中で投げ出す結果になっても、また始めようと思い、結果的に書き上げられるようになったのだから、これからも、小説を書いてもいいんだというお墨付きをもらったのだ」
ということだと理解するようになった。
やはり、そういう謙虚さがあってしかるべきで、その謙虚さは、登竜門というものを抜けたことで、初めて感じられるというものであろう。
それが、自分に対しての自信にもつながり、書いていてもいいという感情は、検挙さに繋がるのだろう。
そんなことを考えると、登竜門を乗り越えた自分に、
「これで、よほどのことがなければ、辞めてしまうようなことはないだろうな」
と感じたのだ。
それは、あくまでも、
「プロ作家になれる、なれない」
ということとは切り離してのことである。
「プロになれなくても、小説は自由なんだ」
と思っていると、
「俺は別にプロになりたい」
と真剣に思っているわけではないということに気づいた気がした。
「小説を書き続けられればいい」
という思いと、
「小説家としてではなく、アマチュアでもいいから、自分の本を出せるだけで、それでいいんだ」
とも思ったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます