第6話 月の女神は唐突に
一人の少女が俺の前に立っていた。
長い黒髪に黒い瞳をした十歳くらいの体形の少女。
おかしいな、こんなキャラクターは記憶にないんだが……。
「そなたに会うのは初めてじゃから、記憶にないのは当然じゃろう」
少女はまるで俺の思考を読んでいるかのような答えを口にする。
ますます正体がわからず困惑する俺に対して、彼女は優雅な身振りでお辞儀をした。
「お初にお目にかかる。妾は月と夜の女神ヘカーテ。……というても、今ではこの世界で妾のことを覚えているものはほとんどおるまいがな」
「女神ヘカーテ……やはり聞いた覚えがありませんね」
「で、あろうな。それよりお主、心の言葉と口にする言葉に随分隔たりがあるのう」
ヘカーテと名乗った少女はまじまじと俺の顔を見上げると、なるほどなるほどと何度も頷いた。
「これは珍妙なこと……。お主、その体の持ち主とは別の者の魂が入り込んでいるようじゃな。なるほど、我が愛し子の願いはこのような形で叶えられたわけか」
「あのう……おっしゃっている意味がよくわからないのですが、そもそもあなたは一体どうやってこの休憩室へ?」
「月の魔力が満ちる満月と新月の晩であれば、妾にできぬことなどほとんどない。しかしそなたのそのちぐはぐなやり取りは些か滑稽じゃのう。ふむ、どうしたものか」
ヘカーテは俺の周りを二週ほど回り、指をパチンと鳴らした。
「よし、これでそなたにかけられている魔法を自分の意思で制御できるように改変できたはずじゃ。お主、なんか話してみよ」
「はぁ?一体何を言って……あれ、俺今普通に話せてる?」
ジークハルト翻訳機能のお陰で、俺の会話と行動がゲーム内のジークハルトらしいものに切り替えられていたが、その機能が解除されたことで元の俺黒木司の会話を取り戻すことができた。
「うむ、うまくいったようじゃな。なるほど翻訳機能とはよくいったもの、お主の体にかけられているのはその体の持ち主のように振る舞うことができる特殊な変身術の魔法じゃ。妾が改良したのでな、今後は心の中でスイッチと念じれば、自由に入れ替えることができるようになっておる」
「お、マジだ。これは便利ですね」
「上手に使いこなすが良い。さて慌てる必要はないが、時はそなたら人間にとって有限なもの。そろそろ本題に入ろうとしようかの」
「本題って……そもそもアンタは何者なんだよ、コレもアンタの仕業なんだろ?」
ヘカーテがこの部屋に現れた時からピクリとも動かなくなってしまった国王と侯爵を指さした俺に、ヘカーテは頷いて見せる。
「いかにも。我々以外の時の流れを極限まで遅くなる魔法をかけておる。定命の存在であれば魔法を解くまでの時間は、一瞬にしか感じられぬであろう。さて、そなたは今の事態をどこまで理解しておるかの?」
「この世界が俺たちの世界では出逢いは異世界と呼ばれる乙女ゲームの世界であることと、俺がリューネブルク王国第一王子ジークハルトに恐らく転生したらしいことぐらいだな」
「ふむ……。そのおとめげぇむなるものがなんであるのか些か分かりにくいが、そなたはこの世界における稀人のようなものじゃな」
「神様だったら、そこらへんぱぱっとわかるもんじゃねぇの?」
「本来の妾であれば簡単に分かることじゃが、この可愛らしい見た目が示すように妾の力は現在大半が失われておる。この世界の者が妾の存在を忘れ、ほとんど祈ることをしなくなってしまったためじゃな」
自分で自分を可愛らしいというのはどうかと思うが……。
「なんかいったかの?」
満面の笑みを浮かべてヘカーテが俺に迫ってきた。
「いや、人の心を勝手に覗くのはやめろよ」
「とまれ、妾ができることはかなり限られておる。今宵妾がこの地に降り立つことができたのは、我が愛し子が月に奇跡を願ったためじゃ。願いが魔法として形取り、そなたを救世主としてこの世界に呼び寄せた。そして妾はその魔法の痕跡を辿ることでここにたどり着くことができたのじゃよ」
「そりゃまたなんども壮大な話だぜ……。ところでアンタの話に出てくる愛し子ってのは一体誰なんだよ」
「この世界では黒髪、黒い瞳の妾に似た超美人の姿をしているはずじゃ」
「だから自分の事を美人っていうのは……いや、待てよ。アンタの話す特徴に一致する人がいることはいるが」
俺がエルフリーデの事を心に思い浮かべると、ヘカーテが思考を読んだようでウンウンと頷く。
「うむ、この可憐な美少女が妾の愛しい子じ。そなたに分かるような言葉で表現するのであれば、そう巫女、のようなものじゃな」
「そんな設定はゲームになかったはずだぞ。そもそもアンタの存在自体もゲームになかったわけで……ああ、くそったれ。何がなんだか訳が分からなくなってきたぞ」
「残念なオツムしとるのう」
「うっせぇわ!憐れみを込めた目で俺を見つめるんじゃねぇよ!……しかし、ゲームについてこちらからだと一切調べることができねぇのは痛いな……。そもそも俺はそこまでゲームにドハマリしてたわけでもねぇしそもそもゲーマーじゃねぇ……。せめて亜依に相談できたらなぁ」
この世界にはスマホもゲームもない。
データを参照することができれば、もしくはこのゲームのオタクプレイヤーである妹の亜依と連絡が取れれば、今の状況を整理して打開する手段を考えることもできるかもしれないがそれも現在は不可能だろう。
そもそもこういう転生モノは、主人公がチート能力とかいうご都合主義的な力を持ってるものなんじゃねぇのか。
俺が主人公枠だとするなら、そのあたりの能力をほとんどもたせずにほっぽり出すとかどういうことよと心の中で俺を召喚した奴に文句を言っていると、ヘカーテが意外なことを口にした。
「お主のいた世界と連絡をとるだけなら、そう難しいことでもないぞ?」
「へ?」
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