第5話 推しの助けは唐突に

ドアの前に立つ侍従に来訪を伝え、すぐに通された俺の前に広がったのは素晴らしい光景だった。


きめ細かい模様とマホガニー製のテーブルにチェア。


深みのある艶が素晴らしいチェスナットの床。


硝子製の窓には金糸の織り込まれた錦織の重厚なカーテン。


床には深紅の絹の生地に金糸で精緻な模様が施された絨毯が敷かれている。


まさかと思うが、これペルシャ絨毯じゃないよな……。


天井にかけられた硝子製の豪華なシャンデリアを見るに、この国の文化水準は地球で言う17~18世紀のヨーロッパに近いようだ。


元暴走族のくせに心はお姫様なお袋が大のアンティーク好きだったため、自然と俺の頭に入っていた雑学だったが、まさかゲーム世界に転生して役に立つ知識とは思わなかったな。


さすがに照明は蝋燭だから、ガス灯や電球はなさそうだ。


質の良い調度品に囲まれた、壮麗であるものの華美になりすぎない絶妙なバランスが図られた王家専用の休憩室。


大理石でできた、こちらも精緻な彫刻が施されている、巨大なマントルピースには薪が焚べられ暖かな火が灯されている。


そして、その前には二人の王侯貴族が立っていた。


「ジークハルト、これは一体どういうことか」


口調は穏やかだが有無を言わさぬ圧をかけて俺を詰問してくるのは、ジークハルトの父親国王ハインリヒ六世その人である。


ロマンスグレーの長い髪に渋い口髭を生やした、イケオジと言われる人種を体現したかのような人物。


予想はできていたシーンだったが、さすがに本物の存在感は半端ない。


「陛下……」


「陛下はよせ。ここには我ら以外におらぬ」


「では父上。エルフリーデ嬢とは婚約破棄ではなく、婚約解消という形で関係を終わらせたいと考えております」


婚約破棄と婚約解消は、大きく意味が違う。


破棄は当事者が一方的な事情で婚約を解消することを意味する。


俺の想定からすると、現在エルフリーデ側に不利な情報がアンナ側から一方的に寄せられており、このままでは婚約を履行することはできないという状況になっているはずだ。


「解消か……。だがエルフリーデ嬢の素行は極めて問題が多く、婚約に問題があるとお前は言っていなかったか?」


「左様。愚女がアンナ嬢に対して行ったとされる数々の悪行については、多くの目撃者の証言が得られております。これは流石に無視するわけにはいかないかと……」


したり顔で頷くのは、狐のような顔をした細身の男。


エルフリーデの父親であるブラウンシュバイク侯爵オットーだ。


こいつが曲者で、一言で言えば蝙蝠みたいな男である。


そちらが優勢と思えればそちらにすり寄り、こちらが伸びてきたと見ればそちらにも唾をつけておくような、狡猾な貴族。


貴族といえばそんなものなのかもしれないが、我が子すら権謀術数の道具にするような最低の人種というのが俺の印象だ。


エルフリーデは幼少期この父親から折檻まがいの教育をほどこされ、完璧な淑女になることを求められ続けられた。


侯爵にとって自分の娘は自分の血筋を王家に入れるための道具でしかないのだ。


真面目で努力家な彼女はその試練に打ち勝ち、厳しい妃候補戦を勝ち抜いた。

ここの部分はゲームの設定資料に詳しく記載されているのだが、全て語りだすと終わりがなくなってしまうので、今回はここで一端切り上げることにする。


とりあえず今は、ブラウンシュバイク侯が役に立たなくなった娘を切り捨てようとしているという事実だけ把握できていれば十分だ。


「侯はご息女の今後に差し障りがでる婚約破棄という形式になってしまうことが、構わないとおっしゃるのですか。私としましては、双方の意思による無難な婚約解消で済ませたいと考えているのですが」


「愚女の不始末に対する王太子殿下の寛大なるお考えに感謝いたします。されど私といたしましては、いかに可愛い我が娘といえど道を踏み外した者の罪を問わずして王家を支える貴族たり得ぬのではないかと愚行いたします」


口では立派なことを言っているが、エルフリーデのみをブラウンシュバイク家の生贄として処罰することで自身と家へのダメージを最小限にしたいという思惑が見え透いている。


そういえば、ゲームの設定ではエルフリーデには妹がおり、ブラウンシュバイク侯としてはそちらをジークハルトの弟である第二王子に嫁がせればよいと考えているという項目があったことを思い出した。


この狐が、という言葉を飲み込んで俺は話を続ける。


「よくよく考えてみますとアンナ嬢の告発における証拠は目撃者の証言だけであり、具体的な物的証拠に欠けていると思います。事を精査せずして決断を下すのは危険と判断いたしまして」


「ふむ……。しかし今から物的証拠を集めようにも、時が流れており難しかろう。アンナとやらが告発しているエルフリーデの所業については、目撃証言のみで判断を下しても十分であると余は思うがな」


「はっ。例え事実がどうであれ告発を受けるということだけでも己が身の不明と申せます。ここはやはり愚女にそれなりの処罰を与えるべきかと」


やはり難しいか。


ジークハルト翻訳機能(勝手に命名)のお陰で、自分の考えを貴族にも伝えやすいセリフに変換されるのは助かるが、説得するための材料があまりにも不足している。


なにせ俺がこの世界に呼ばれてまだ数時間しか経過していない。


現状を把握して行動するだけでも大変だというのに、推しのカップルを守るためとはいえ俺から見て真の悪役令嬢であるアンナが張り巡らせた蜘蛛の巣のごとき陰謀を覆す手は、この短時間でどうあっても見いだせない。


なんとか調査か何かの名目で時間を稼ぎたいところだが、それも現状厳しいようだ。


魅了されているかどうかはさておきとして国王と侯爵の話からは、エルフリーデを悪女役にしてこの事件を収める考えであることがはっきりと分かる。


一体どうすればよいのか。


完全な詰みゲーの状態に俺が内心頭を抱えたその時、窓から差し込む月光が一際強く室内に差し込んできた。


そして……。


「お困りのようじゃな」

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