第四章 編者のアルフィーネ

編者のアルフィーネ(1)

『まさか、形勢逆転して、アンネリリィが優位に立ってしまうとはー。流石に予想外でしたよ』


 侮辱とも取れるその言葉に、アンネリリィは激昂する暇もなく――ただ、呆然と。


 圧倒的な破壊、緑色の砲撃が放たれた方向を、ただ見つめることしかできなかった。


 それもそのはず、その声の主は――自らの手で幽閉したはずの――母親、《撰述の魔女ベルファッサー》、シュティーレン・ツァウバティカー――その人だったからだ。


「……どう、やって……」

「あら、アンネリリィ。何か言いましたー?」

「どうやって……ッ、どうやって、どうやってどうやってッ!! 鏡のッ! 世界からッ! 抜け出したア――ッ!?」

「どうやって、と言われましてもねぇ。だって、あの部屋には鏡がもう一つ、あったじゃありませんかー?」


 思い返してみれば――確かにあった。鏡の世界と現実世界を出入りするための姿見とは別に、もう一つ、現実世界の様子を見るために、水面や手鏡が。


 だが、そもそも、鏡の世界を行き来するには、対象の全身を映さなければならない。鏡に全身を映すには、少なくとも身長の半分の高さが必要なのだ。


 多少縮こまって無理やり収めてみるにせよ、人の身体を手鏡一つ分に映しきるなんて、不可能では――そこまで考えたアンネリリィに、シュティーレンは淡々と、容易く答えてしまう。


「えぇ? とても簡単な話ですよー? ただ、自分を上から映せばいいだけですしね?」


 言いながらシュティーレンは、右手を上に伸ばし、手鏡を自分に向ける真似をする。


 ちょっと頭をひねれば思い至る――そんな簡単なことにも気がつけなかった。自らの、完璧だと思えた策に浮かれ、抜け道のことを考えすらしなかった。


 アンネリリィは、あっさりと認める。


「はあ、あたしの完敗だよ。……でも」


 完全に、勝利を確信していたにも関わらず。それをものの見事に打ち砕かれて。こんなの、完全に……自分の敗北である、と。


 ――それでも。


「でも、あたしは絶対に《焦煙の魔女スクルペロスケルン》の魔力を手に入れる。世界を――変えてやるんだッ!」


 それでもなお、彼女から戦意は消えない。それどころか、より滾り、明確な殺意がグンと増していく。


 刃を突き立てるように、アンネリリィは短く詠唱する。


 放たれたのは、燃え盛るだけの火球。しかし、整理された詠唱より放たれる攻撃、その速さはまさに異次元だった。


 しかしシュティーレンは、口を開くこともなく。緑光を不気味に放つ、右眼で軽く睨むだけで。


 ――ギュゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォォォォ――――ッッ!!


 空気を震わす轟音と共に、向かい合った火球を軽々と消し飛ばしたうえで、その先の。


 紛れのない、自分の子供であるはずの――アンネリリィ・ツァウバティカーを、一切の躊躇いもなく撃ち抜いた。


 ほろりと落ちた黒い焦げが、もともと一体何であったかは――傍から、その一部始終を見てしまった月成つきなり理瀬りぜには、とても考えたくもない事だった。


 考えなくとも、分かって、しまうのだが……。


「親を越えられると、本気で思っていたのなら、アンネリリィ――あなたは甘すぎましたね? 少なくとも、自分が現役の魔女である間は、自分の子供なんかに遅れを取るなどあり得ないというのに」

「狂ってる……。自分の手で、自分の子供を、殺す、なんて……」


 思わず理瀬は、率直な感想を漏らしてしまう。


 だが、狂っていたのは親だけではない。子――親を本気で鏡の世界に幽閉しようとした、アンネリリィまでもが、彼女と同じだけ狂っていたといえるだろう。


 『物語の執筆』と『莫大な魔力』、目的は違えど、それらを遂行するのに、血の繋がった相手だろうと容赦なく切り捨てられる時点で、二人には大差はなかったのだ。


 母と子。揃って、この相続争いを生き残れるシナリオは、どうやら初めから用意されていなかったらしい。


「物語を綴るためだけに人を操って、殺し合いをさせて――そんな悪意から生まれた物語が、本当に面白いと思っているの?」

「ふう、野暮な質問ですね、月成理瀬。……もちろん、面白いに決まっているじゃないですかー? 少なくとも、自分にとっては」

「……そう」


 屈託のない笑顔で、そこまで言い切ったシュティーレンを前にして。理瀬は、むしろ――心の中が、スッキリしたように感じられてしまった。


 だって。


「そこまでのクズなら、殺しても逆に胸が傷まないから助かるわ。アンネリリィも、やろうとしていたことは大概だけれど、あれは彼女の強い意思から来るものだった。端的に言うなら、まだ『人間』だった」

「……へえ? それで、あの子が人間なら、自分はどのような評価を下されるのか、気になりますねー?」

「そうね。人間を殺し合わせて、それを見て愉しんでいる――手遅れの『バケモノ』よ、あなたは」

「はあ。あまりに興醒めです。一応自分は小説家をやっていて、つまりは言葉のプロでして。そんな自分を前にして、どんな比喩表現を重ねてくるかと思えば……」

「良いことを教えてあげる。とはいえ、小説なんて書いたことのない、一読者としての意見でしかないけれど。無理に難しい表現を並べられても、最近の読者って雰囲気だけ感じ取って、あとは流し読みする人も、案外多いわよ?」


 素人ではあるものの、そもそも読者はそのほとんどが素人なのだから、理瀬にも口を出す権利くらいはあるだろう。


 同族。人間を殺すのにはどうしても躊躇してしまうが、相手が猛獣などであれば、多少同じ気持ちは湧いても、人間相手ほどではない。


 下手に回りくどく言うよりも、人間と化物という例えの方が数段と分かりやすいのはまた事実だった。


「まあ、表現がどうはひとまず置いておいて。月成理瀬。殺してしまっても問題はないのですか? アンネリリィが死んだ今、自分まで死んでしまったら、《魔法図書館グリムアルテン》の当主を務められる人がいなくなり、自然消滅となってしまいますけど」

「……構わない」


 《焦煙の魔女》の遺言書に書かれていた、この相続争いを起こした真意――派閥を一つに絞ること――に対抗するために。理瀬は逆転の発想で、三つの派閥、全てを後世にまで残そうとしていた。


 どこで見ていたかは定かではないし、興味もないが、それを知ったうえで、《魔法図書館》という派閥の消滅を脅し文句にしたのだろう。しかし、理瀬には響かない。


「当主に据えるべき人間のいない派閥なら、消えて当然。脅しのつもりなのだろうけれど、私がその程度で動じるとでも?」


 シュティーレン、一人だけが残り、全てを取り仕切る派閥など、まずマトモにはなり得ない。そんな不安定な組織を残すくらいなら、跡形もなく霧散してくれた方が幾分かは安心できる。


「それに《祈りの顕現アウスヴェーテン》には、ヴァーレリアという次期当主に相応しい魔女もいる。完璧に《焦炎の魔女》の野望を打ち砕いたとは言い難いけれど、二つの派閥が残っていれば、必要十分」


 確かに最初はシュティーレンの言う通り、三つの派閥を残すことで《焦炎の魔女》の目的とは正反対の結果で終わらせ、対抗しようと考えていた。


 だが、別に残った派閥が二つであっても、特に問題はないのだ。《祈りの顕現》と《月光の工房モンドシュテン》、その二つだけであっても、『派閥を一つに絞る』という《焦炎の魔女》の目的は潰すことができる。


 《魔法図書館》なんて、彼女にとっては、跡形もなく消え去ったところで、困る事なんてないのだ。


「……そうですか。それなら残念ではありますけど――こちらも本気でいかせてもらいますね? 自分も、この物語を最後まで執筆するために、こんなところで死ぬ訳にもいかないので」

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