月風のディソナンス(8)

 ヴァーレリアの短い詠唱と共に、再び疾風の刃が放たれる。


 対する月成つきなり理瀬りぜは、華麗な身のこなしでひらりと避けつつ――その手から鎖を放した。


 重力などの物理法則を無視して、まるで鎖に意思が宿ったかのごとくひとりでに、相手の元へと一直線に向かっていく。


「……っ、吹き抜けよヴィシュトルムッ!」


 ヴァーレリアが後ろに下がりつつ、向かってくる金属製の鎖を詠唱で迎え撃つ。


 だが、その動きを見切ったかのように鎖はひらりと風の刃を避け――からからからっ! と金属同士が触れ合う音を鳴らしながら、ヴァーレリアの足元に絡みつく。


「ふんっ、こんな物……!」


 再び短い詠唱で、風の刃を足元に向けて放つ。刃は自分の足まで切断しかねなかったが、自らの魔術を、コントロールを信用しているからこそ成せる技だった。


 そして、過信できるほどの実力が彼女に備わっていたのもまた事実。


 風の刃は、スレスレのところで鎖だけを切断してから、さっと霧散する。


 鎖を断ち切られたことを確認した理瀬が、再びポケットに右手を突っ込んで、二つ目の発動体を取り出したが――その隙へ。


吹き抜けよヴィシュトルムッ!」


 速さに振りきった魔術が、理瀬の鎖が起動するよりも早く放たれて。慌てて横にそれた理瀬だったが、刃が左腕をかすめる。


 服が裂け、ぶわっと鮮血が舞い散った。


 ……ただ、だ。


 少し縫えばいいくらいの切り傷と引き換えに、鎖を取り出せるのならば――交換条件としては安いものだとさえ思ってしまう。まあこれは、あまりに多くの死を目の当たりにして、感覚がおかしくなっているのだろうが。


「はあああああああああああああああああああッ!」


 ごうっ! と、勢いに鎖が飛ばされて――今度は、詠唱で戦う魔女の弱点――言葉を紡ぐために必要な、口元へと向かっていく。


 鎖は速かった。だが、《疾風の魔女》に速さで挑んだ、その時点で――勝ち目など、最初から存在しなかったらしい。短い詠唱が、口元を縛ろうとする鎖に、速さで一瞬を上回る。


「……バカ正直に弱点を狙って、上手くいくと思っているの? もし、手を抜いているのなら――私は、あなたを殺すわよ」

「はあ、見ての通りよ、ヴァーレリア。はなから鎖を武器にしている時点で察してほしいんだけれど。……私は魅瀬みぜと違って戦闘向きじゃないの」

「だからといって、そんなに弱くはないでしょう? 私をナメるのも、大概にしてくれるかしら――吹き抜けよヴィシュトルムッ!」


 風の刃が、次に理瀬の左の太ももを切り裂いた。さっきよりも深く、一瞬でも意識が飛んでしまいそうなまでの激痛が走る。


「……次は、急所に当てる。死にたくないなら、本気で来なさい」

「それって、最初から私を殺せた……つまり、ヴァーレリアだって手を抜いているってことじゃない。私に本気で戦ってほしいなら、まずはそっちから本気で向かい合うのが礼儀じゃない?」


 言いながら、理瀬は発動体を二つ取り出して――二本の鎖を展開する。片方は一度相手を縛り付けた実績のある足元に、もう片方は弱点である口元へと再び、狙いを定めて飛んでいく。

 

吹き抜けヴィシュト分裂せよコピー――ッ!」


 本来は一発しか放てない風の刃。しかし、元の詠唱が短い分、同じ魔術を複製して別方向へと放つ余裕さえ残っている。……なんなら、複製したうえで《砲撃の魔女ベスティルング》エンデメルンや、母親であり、年季の違う《法則の魔女レーゲステレン》ゼラフィールが使う魔術よりも、遥かに速い。


 それだから、二つの鎖など、いとも容易く切断できてしまうのだ。


「……まさか、《緊縛の魔女フェストデージェ》がこの程度――だなんて言わないわよね? あなたが戦っている所を見たことはない。でも、月成家の魔女が、ここまで弱いなんて……流石にあり得ない」

「はあ、何度も言っているでしょ、私は戦闘向きじゃないって。お生憎さま、鎖は最後の一本になってしまったわ」


 普段持ち歩いている五つの鎖のうち、最後の一つとなった銀色の発動体を取り出すと、宙へと放り投げ――鎖へと変わったそれを、さっきと同じくヴァーレリアの足元へと飛ばしながら、半分諦めかけた風に言う。


「はあ、本当にそれしかできないのね、理瀬。残念だわ。吹き抜ヴィシュ――っんぶぐう!?」


 足元に向かっていた鎖に向けて、詠唱しようとしたところで。……飛んできたそれとはまた別の金属が、口へ強引に突っ込んできた。


「まあ、真っ当な戦闘は無理だけれど、拷問なら得意よ、私。相手を欺く悪知恵だけなら、多少の自信はあるもの」


 ヴァーレリアの口へと入ったのは、風の刃によって切断されて、すっかり動かなくなっていた――と思い込ませていた、鎖の端きれだった。


 所詮は端きれで、口の中に入っては完全に声が出せなくなるようなシロモノではないにせよ、口の中で軽く暴れさせれば言葉を紡げなくする程度は容易い。


「んぐっぼぼばあぐぐううあうう――っ、ぺえッ! はあ、……吹き抜けよヴィシュトルム!」


 鎖の切れ端を慌てて吐き出したヴァーレリアは、遅れて詠唱し、風の刃を一つ放つが……遅すぎるうえに、照準すらマトモに定まっていない。


 そんな攻撃に当たる訳もなく、理瀬は続けて、放った鎖を両足に巻きつける。


「くっ、そういうことね。――吹き抜けよヴィシュトルムッ!」


 風の刃が、足を縛り付けている鎖を切り裂く。だが、そもそも彼女には最初から、たった一本の鎖相手に、一口の詠唱を使うなんて悠長なことをしている猶予など残されていなかったのだ。


 ふと周りに視線を送ると、そこには。


 真っ二つに切断したはずの鎖が再び繋がったうえで、四本同時にヴァーレリアを拘束しようと飛び込んできていたのだ。


「ぐ、吹き抜けヴィシュト幾重に分メアレ――ごごぼおっ!?」


 四本の鎖はそれぞれ別方向にあるため、風の刃を二つに複製するだけでは対処できない。


 故に、四つに複製する必要があるのだが、一つの刃を二つに分裂させるのとは理由が違う。三つ以上となれば、また別の詠唱が必要となるし、その分時間もかかってしまう。


 そうなってしまうと、流石の《整理の魔女ソーティラウト》ヴァーレリアとて、速さでは勝てなかった。


 四つに分裂させた魔術が発動する前に、口元は塞がれ、手足は縛られ、抵抗どころか身動きさえ取れなくなってしまう。口を塞ぐ鎖を外すことさえ叶わない。


 そこへ、黒い長髪をおろした少女は、金色の瞳でヴァーレリアを見下ろしながら。


「私の勝ち、でいいわよね? ヴァーレリア」

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