崩悔のプレリュード(5)

「……何なんだ、アレは」


 追いかけてくる月成つきなり魅瀬みぜをなんとか撒いた先、森の中でぐったりと倒れながら、ゼラフィールは呟いた。


 こちらは腹部に風穴を開けられた後とはいえ、決して手を抜いた訳ではない。……にも関わらず、あの月成家の少女は、ゼラフィールの動きに付いていくどころか、まだ余力を残していたかのように見えた。


 しかも、本来は『魔道具』を使った戦闘を得意としているはずの、《月光の工房モンドシュテン》の土俵ではない――『詠唱』を媒介とする魔術戦闘で。その土俵に立つ《祈りの顕現アウスヴェーテン》の頂点に君臨する彼女が――


 《崩悔の魔女ツーザンロイエン》……とんだ隠し玉が潜んでいたものだ。ふと、あの円卓の会議室で、月成来瀬くるせが最後に、こちらへ放った言葉を思い出す。


『貴方には手に負えないかもしれない』――聞いた時は、馬鹿らしいとさえ思ったが、今ではそう言ったのも頷ける。


 実際、手に負えなかったし、仮にゼラフィールが万全の状態だったとしても、結果は変わらなかっただろう。


 だが、その程度で彼女の心が折れるはずもない。ゼラフィールが考えているのは、ずっと先の事。


「……さて、これからどうするかねえ?」


 ひとまず、今も体力を奪われつつある、光の槍で貫かれたケガを塞ぎたい。


 応急処置に必要な医療具が、ひと通り揃っている場所で一度落ち着きたいが、魔女しかいない、建物も一つしかない最果ての島では、そんな場所も限られる。


 まず真っ先に思い浮かんだのは、あの屋敷。あれだけ大きなお屋敷なのだから、流石に傷を塞ぐ包帯くらいは常備されているだろう。


 次に、この島まで乗ってきた自分の船。海を越える長旅に備えて、どんなハプニングがあっても対応できるよう、そこにも医療セットが常備されている。


 ただ、どちらも選択肢としては最悪だった。この状況で、逃げる先としては――追いかける側、月成魅瀬にとってはどちらも読みやすく、再びの衝突は避けられない。


 屋敷が今、どのような状況かは知らないものの、誰かしらと鉢合わせることになるのは間違いない。ヴァーレリアやエンデメルンならともかく、他の派閥の面々に出くわしたくはない。


 月成姉妹は当然として、《魔法図書館グリムアルテン》ツァウバティカー家の親子も、どう動いてくるかは全く読めないので、月成魅瀬と同等に警戒しておくべきだろう。特に、あの母親の方は。


 ……かといって船に向かうとしても、追う側にとって読みやすいルートであることには間違いない。ここまで何もない島だ。


 追われているのが子供相手とはいえ、ここまで安直な逃げ方をすれば、簡単に見つかってしまうだろう。


「どっちにしろ面倒だな……。んなら、後のことも見据えて、屋敷に一度戻るべきか?」


 月成姉妹があの場にいた、となれば、ヴァーレリアとエンデメルンも同様に戻ってきているはず。そうであれば今も、二人を屋敷にを残したままだ。


 月成魅瀬から逃げるにせよ、戦うにせよ、二人に今の状況を伝えておくに越したことはない。子供である二人にも、怒りの矛先が向けられる可能性だって否定できないからだ。


 ゼラフィールと月成来瀬、親や派閥同士の関係性はともかくとして、その子共たちの間はそこまで険悪ではないと聞いているので、余計な心配かもしれないが……。


 ただし、月成魅瀬。あの少女だけは例外として考えるべきだ。少し相対しただけでも、その異様な雰囲気が伝わってきた。


 まるで、わずか十一歳の少女ではない、全く別の人格が乗り移ったような……得体の知れない誰かを相手にしている感覚。とにかく、あの状態の少女だけは、子供だとか大人だとか、そういった括りでひとまとめにしてはいけない部類だろう。


 ついでに、月成魅瀬に出会う可能性がどちらかと言えば低い、と見ているのもまた、屋敷へと向かうという選択肢だ。


 確かに、今の状態で一対一となれば、敵う相手ではない。……が、感情のままに力を振るう。ゼラフィールが逃げればそれを追いかける。その思考回路はあまりにも単純で――そんな少女では、あえて屋敷に戻っているという考えまでには至らないと考えた。


 もっともこれは、確実性のない、少しだけ天秤に傾きがあるだけのギャンブルでしかない。だが、当然、期待値の高い方にベットするのが、ギャンブルの攻略法でもある。


「そうと決まれば、先を急ぐとするか。こんな状態で、またあんなバケモンと出会ったら次こそ終わっちまうしな……」


 自嘲気味に言いながら、ゼラフィールは逃げてきた道を反対へと引き返す。

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