崩悔のプレリュード(3)

「さっきから黙って聞いてりゃ、このアタシを苦しめようだって? ハッ、ガキが大人にかなうとでも思っちゃってんのかねぇ?」

「うるさいなあ、オバサン。こういう頭の悪い大人って、年季でしか語れないよね。そういう所……ミゼは大ッ嫌い」

「ばっ……、ふッ、ハハハハハハハ! ああ、ああ、全くもって教育がなってねえじゃねえかよ、《虐槍の魔女シュペルヴァルト》。いいぜ、もう死んじまったテメエの代わりに、このクソガキに、アタシが再教育を施してやんよ――歪曲しろフェア数多なる法則よノイエンシュテルクッ!」


 ゼラフィールの詠唱が響くとともに、気圧を急激に変化させた一撃が放たれる。決して、ゼラフィールは手心を加えたつもりもない。だが、しかし。


「――


 よく使われるものとは少し違って、ドイツ語ではなく、日本語ベースではあるが……それは、道具を媒介として魔術を扱う派閥|月光の工房《モンドシュテン》の魔女にあるまじき『詠唱』だった。


 その一言だけで、ゼラフィールの十八番おはこである、気圧による一撃でさえ――まるで紐がほどけるように霧散した。


 それは『万物を崩す』力。月成つきなり魅瀬みぜという魔女が、普段は所属する派閥もあってか、ハンマーを媒介にすることで発現させている魔術。


 だが、もはや派閥など、どうでもよくなってしまって。そのうえで、ハンマーを媒介にせずとも、その力が振るえるのなら――ただ、その場で最善の使い方をするだけの事。


 唐突な詠唱に、思わず呆気にとられるゼラフィールだったが、すぐに気を取り直して。


「チッ、何だ? 《月光の工房》のガキが詠唱だと?」

「未だにガキ呼ばわりとは、まだ自分の置かれた立場を理解できていないみたいだね? 今のおまえは狩られる側なんだ、身の程をわきまえなよ――《法則の魔女レーゲステレン》」

「ハッ、威勢だけは一人前なガキだこと。歪曲しろフェア数多なる法則よノイエンシュテルクッ!」

「――


 バラバラになった木製チェアの部品を、それぞれ一気に加速させて、弾丸のように発射する。


 しかし、雨のように降り注いだそれさえも、魅瀬に触れる寸前で――バリバリバリバリイッ!!


 ただでさえバラバラだった部品が、さらに細かく切り刻まれ、端材となって床に転がり落ちる。


(……間違いない。これは、魅瀬の……)


 ゼラフィールに対して、『詠唱』をして、互角の争いを繰り広げる――そんな妹を眺めている理瀬りぜは、確信していた。


 これは、彼女も一度だけ目にしたことのある――月成魅瀬の『本気』だ。


 ……だと、するならば。


「魅瀬ちゃんが一度こうなってしまったら、私でも手がつけられない。正気へと戻すには、あの子にかかった、過度なストレスを発散させる必要がある。今回でいえば、母親を殺した張本人である、……かしら」


 当然、理瀬には《法則の魔女》ゼラフィール・クラウノウトの行いを庇うつもりは毛頭ない。複雑な家庭環境だとか、そういったイレギュラーでもない限りは、母を殺されて怒りや恨みはあれど、喜びや感謝などあり得ない。


 だが、このまま魅瀬の手によって、一方的に殺されるのは――困る。


 ここ、円卓の会議室で、一体何があったのか。聞き出す相手を失ってしまうのだ。


 状況からして、ゼラフィールが母、月成来瀬くるせを殺したか、最低限それに関わったのは間違いない。そんな相手がどうなろうと、理瀬の知ったことではない。


 だが、死ぬ前に、その記憶に残る情報だけは、何としても引き出しておく必要がある。


 あの場には、もう一人のトップ――《撰述の魔女ベルファッサー》シュティーレン・ツァウバティカーの姿がなかった以上、確実に聞き出せるのは、明らかに母親の死に関わっているゼラフィールしかいないのだ。


 ……だが、理瀬にはもう手遅れだった。


「――歪曲しろフェア数多なる法則よノイエンシュテルクッ!」

「――ッ!」


 次々と発射される、落ちた家具や端材。魅瀬は、その全てを崩してやり過ごす。……それどころか。


「チッ、なんでこのアタシが……防戦一方になっちまってんだよ!?」


 あり得ない。ゼラフィールは、そう言わんばかりに吐き捨てる。


 ゼラフィールは、ギリギリの間合いで牽制しつつも、頭上から降り注ぐ――崩れた瓦礫を避けつづけることを余儀なくされていた。


 つまり、月成魅瀬は、ゼラフィールの《法則歪曲》に対処したうえで、さらに追撃をする余力を残しているのだ。


 確かにゼラフィールは、深手を負っていて本調子ではないにせよ。『詠唱』を用いた魔術を扱う派閥のトップである彼女が、年端のいかない、それも別の派閥の魔女に、自分が得意とする土俵で押し負けるなど――あってはならないはずだった。


「言ったでしょ、おまえは狩られる側なんだって。さあ《法則の魔女》、もっと見せてよ。自分の力を過信した魔女の、無様に、必死に逃げ惑う姿をさあ? ――

「チッ、調子に乗りやがって――歪曲しろフェア数多なる法則よノイエンシュテルクッ!」


(……私なんかじゃ、止めるどころか割り込む余地すら……)


 《祈りの顕現アウスヴェーテン》のトップと、互角かそれ以上に戦える『本気』の少女。言わずもがなハイレベルな戦いに、所詮は次期当主というだけの彼女にどうこうできる問題ではなかった。


 理瀬では、ほんの数ミリさえ動かせるかどうかの戦局が、大きく動いたのは――ゼラフィールの方針転換によるものだった。


歪曲しろフェア数多なる法則よノイエンシュテルクッ!」


 次の詠唱を反撃ではなく、爆発的な気圧の一撃によって壁を壊すために利用した。


 ゼラフィールは、魅瀬を倒すのではなく、退路を確保して、ひとまずこの場から逃げるよう方針を切り替えた。


 彼女の狙い通り、壁には人が余裕を持って通れる程度の大穴が開き、いくつもの部屋や通路を経由して、一直線に外へと繋がっている。


 だが、通路の確保はできても、あの少女が簡単に逃がしてくれるはずがない。しかし、そこはやはり《祈りの顕現》のトップだけあって、しっかりと考えていた。


 ゼラフィールは続けて詠唱し、次は右足で床を強く踏んだ威力を増幅させる。勢いのままに体ごと投げ出され、頭からロケットのように飛んでいく。


 絶妙な方向調整もあってか、ゼラフィールは次々と、いくつも開いた大穴をくぐり抜けていく。少しでも調整に失敗すれば、壁にぶつかり、頭が見るも無惨な事となってしまうのは違いない。


「……このミゼを本気にさせておいて、逃げられると思っているのかな。甘い、甘すぎるよ、《法則の魔女》」


 逃げたゼラフィールを追いかけるように、魅瀬もまた、大穴から外へと走るように飛び出した。



 ***



 一人、ボロボロの部屋に残された理瀬は思い出す。過去に、たった一度だけ目にした、月成魅瀬の『本気』――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る