焦炎の魔女は死んだ(4)

「――歪曲しろフェア数多なる法則よノイエンシュテルク!」

「――はああああああああああッ!」


 ゼラフィールが得意とする、法則を歪める魔術によって空気のバランスが捻じ曲げられ、放たれた――空気砲を数千倍にまで威力を高めたかのような、圧倒的な破壊。


 しかし、それさえも《虐槍の魔女》の槍から放たれた一直線の光は容易く貫いた。


 それを予見していたゼラフィールが、ほぼ同時に回避行動を取ったおかげでなんとか命拾いしたが……あの光に少しでも触れていればもれなく、その箇所が跡形もなく消し飛んでいただろう。


 ついさっき、《撰述の魔女》シュティーレンには通じなかったものの――彼女を通り過ぎた先の壁が、何枚も焼けて小窓みたいになっている時点で、彼女の振るう金色の|月穿槍《げっかそう》の超火力を証明しているのだから。


「くっ、ハハハハハハハッ! 分家の、道具なんかに頼る異端者にしちゃあ中々やるじゃねえかよ!」

「はあ、下らないですね。戦いにおいては、分家だろうと本家だろうと、道具に頼ろうと自ら詠唱しようと、等しく平等に勝者こそが正義なのですから。――だからこそ、《焦煙の魔女》様も、このような方法で魔力の相続先を決めるよう、望んだのでしょうが」

「ああ、たしかに戦いは等しく、平等だな。……それはつまり実力差だって、残酷なくらいに、如実に現れるってコトだろうが――歪曲しろフェア数多なる法則よノイエンシュテルクッ!」


 ゼラフィールが詠唱しながら、その右手を向けたのは、ほんの少し前までは三人が囲んでいたはずの円卓。


 やけに凝った木材と装飾を施されているせいか、見るからに重そうなチョコレート色の円卓が、触れてさえいないにもかかわらずひとりでに、砲弾のように放たれた。


 《法則の魔女》が一体何をしたのかと聞かれれば、それはあまりに簡単で――静止している、つまりはゼロであるはずの『加速度』を、外界からの力がなくとも勝手に増大していくように『法則』を捻じ曲げただけだ。


 彼女の魔術で歪められるのはもちろん、空気だけではない。物体の加速度でさえも操れる。


 ……ただし、ゼロから強引に加速させた以上、初速はそうでもない。


 それでも十分、野球選手の豪速球くらいのスピードを誇るはずではあるのだが……月成来瀬は、軽々とした身のこなしで飛んでくる円卓を避けると――ざっ! と一歩前に出て、金色の槍、その先端を向ける。


 ――キイイイイイイイイイイッッ!!


 矛先は当然、真紅と純白で彩られた魔女。直線上を例外なく消し飛ばす光槍が、一切の躊躇ためらう間もなく放たれた。


 とっさに回避行動へと移ったゼラフィールだったが、コンマ一秒遅かったか。放たれた光槍が彼女の右腕を掠める。


 ドレスごと表面を削り取ったそこから、どばあっ――と鮮血がこぼれ散った。


 しかし、ゼラフィールは痛みにもだえたりするでもなく、なぜだか


歪曲しろフェア数多なる法則よノイエンシュテルク

「――ッ!?」


 言い終えると同時。宙に舞った鮮血が、軌道を変えて――音速をも超える勢いで、飛礫つぶてのごとく飛ばされた。


 やっていること自体は、さっき円卓を飛ばした時と変わらない。物体の加速度を捻じ曲げ、増大させただけだった。


 ただし、舞い散る鮮血は当然、重力にしたがい落下しているし、横方向にも飛び散る力が働いている。つまり、鮮血には元々『加速度』が存在している。


 さっきの円卓を飛ばした際は、一切の静止からだったのに比べて、こちらは方向を調整する必要はあれど、今ある加速度をさらに上乗せするだけで良い。


 鮮血の質量からして、決定打にはなり得ないが、意表を突く程度の役割は果たせるだろう。まさか自分の血液を弾丸にするなど、いったい誰が思い至るものか。


 そして、予想外の出来事が起これば、つい反射的に身構えてしまうのが生き物としての本能だ。それは魔女だろうと誰だろうと、例外はない。


「――終わりだ、《虐槍の魔女》。歪曲しろフェア数多なる法則よノイエンシュテルク


 身構えた月成来瀬、その背後から。激しい戦闘の衝撃で、床に転がり落ちていた木製チェアが一つ、ひとりでに加速する。


 ゼラフィールの放った『本命』は、確かに月成へと命中した。


 血液なんかとは比べ物にならない、圧倒的な質量を直に受けて、マトモに立っていられるはずもなく。バタ、バタン――と、転がるように部屋の隅へとそのチェアごと吹き飛ばされる。


 ……しかし、とっさに受け身を取りながらも。彼女の右手へと握られた、月光よりも強く煌めく金色の槍は――戦いに興じる目からすっかり相手を見下す双眸そうぼうへと変わった、元々の真紅に血液も塗られたドレスをまとい、法則を従える――魔女をとらえていた。

 

「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ――!!」

 

 ――キイイイイイイイイイイイイイッッ!! 耳をつんざく高音とともに、光槍が一直線に放たれる。


 一方、勝利を確信していたであろう《法則の魔女》ゼラフィールは、完全に油断していたせいか。『重力』というこの地球上において絶対的な法則をも捻じ曲げるべく、とっさに詠唱を始めるものの。


歪曲しろフェア数多なるノイエン――ッ、がああああああああああああああああああああああ!?」


 槍を向けられてから動くのでは、あまりに遅すぎた。一直線に走り抜けた光槍が、《法則の魔女》の腹部へと大きな風穴をあける。


「……時代遅れ、なのですよ。古いやり方に固執して、『道具に頼る弱き者』と私たちを否定し続けてきた貴方には、永遠に理解できない感覚でしょうけれど」


 ゼラフィールの魔術は、見ての通り、クラウノウトの血筋を引いた魔女たちが扱う魔術の中でもトップクラスの理不尽さと汎用性をあわせ持っている。


 だが、最大の弱点はやはり、詠唱が必要という点だろう。一方の月成来瀬はといえば――ひいては《月光の工房》という派閥は――詠唱ではなく『魔道具』を媒介とすることで、その弱点を克服している。


 《法則の魔女》の攻撃を受けながら、不利な状況下においても反撃できたのはそのためだった。


 ただし、『詠唱』とは魔術を発動させる媒介としては、最もスタンダードであり原始的かつバランスの取れた万能の媒介であるのは違いない。


「舐めてン、じゃねェぞ分家の異端者がアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ――!!」

「くっ、ふふ、あははははははははっ!! 何度でも言って差し上げますよ。前時代的で古臭い。変化を受け入れられない、その腐り切ったプライドが――んぐああああッ!?」


 たしかに詠唱はなかった。それにもかかわらず、月成来瀬の腹部一つ、致命傷となりえる風穴が開いていた。

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