#122 憔悴する優等生に差し伸べられた手
仕出かしてしまって以来、石荒さんの顔がまともに見れないままでした。
一瞬だけとは言え唇にキスして、挙句、無かったことにして欲しいとお願いしてしまい、どれだけ考えても石荒さんを納得させる言い訳は思い浮かばず、時間が経てば経つほど気不味い空気は濃厚になって、私は石荒さんと向き合うことから逃げ続けた。
教室では石荒さんは「おはよ」と最低限の朝の挨拶だけはしてくれてたのに、それにすら返事が出来ず、隣同士の席でも目を合わせず、いつも一緒に昼食を食べてた美術準備室には行かず、放課後は部活もサボっていた。
そんな私の様子に、石荒さんだけでなく六栗さんも気付いた様で、1度だけ「ケンくんとなんかあった?」と聞かれた。
六栗さんにはある意味、石荒さん以上に私の本心を知られる訳にはいかない。
でも、六栗さんに対して下手な誤魔化しは効かない。
彼女は、鋭い洞察力の持ち主で押しの強い人間なので、もし私が誤魔化そうとするものなら、却って怪しんで追及してくるでしょう。
なので私は「六栗さんとのデートのことで反省会をしてて、意見の相違がありまして・・・すみません。詳しいことは六栗さんでも言えません」と嘘は言わずに、でも一番大事な部分を隠して話した。
六栗さんはそんな私の精神状態を察してくれたのか、「ふーん、ツバキたちでも喧嘩することあるんだ。まぁ、私もケンくんと何回も喧嘩したけど、毎回ケンくんから仲直りする切っ掛け作ってくれたしね。その内ケンくんの方からなんとかしてくれるでしょ」と、このことでそれ以上追及することはしないでくれました。
でも、六栗さんが言うそれはきっと、石荒さんにとって六栗さんは好意を寄せる相手であり、罪悪感を抱き続けた相手だから、石荒さんも自分から何とかしようとするのであって、普段から口喧嘩が日常茶飯事の私に対して、そんな風にしてくれるとは思えません。
それに今回の件は、石荒さんは何も悪く無くて全て私が悪いんです。
私が何とかしなくてはいけない話です。
でも、どれだけ考えても、解決の糸口が見えません。
どんな言い訳をしたところで誤魔化せるとは思えないし、正直に本心を打ち明けてしまえば、それこそ石荒さんとの仲は破綻してしまうでしょうし、六栗さんを怒らせてしまうでしょう。
このままではイケナイと焦燥感ばかりが募り、でも意識すればするほど手が震え、挨拶されて返事をしようとしても喉が張り付いた様に声が出せず、胃まで痛くなってきました。
石荒さんの前で泣いてしまった日、あれだけ自制しなくてはと自分に言い聞かせてたのに、石荒さんと二人で居ると浮かれてしまい、直ぐに調子に乗って失敗を繰り返すだなんて、中学時代までの私では有り得なかったこと。
恋というのは、それほど人を惑わせ苦しめるものなのですね。
それに、人間関係のことでこれほど悩んだこともありませんでした。
相手に合わせて微笑んでいれば万事上手くいってたのに、それをしない相手(もしくは、それが通用しない相手)だと、やる事なすこと失敗ばかり。自分が如何に人付き合いが下手で、他人とのコミュニケーションを疎かにしてたのか、今は痛感しています。
火曜日、水曜日と何も出来ないまま、木曜日。
朝、起きた時から気持ちは憂鬱で、今日も部活がありますが、またサボるしかないでしょうね。
でももうすぐ週末で、そして夏休みに入るのに、このままだと石荒さんのお家にも遊びに行けません。
やっぱり部活には出て、頭を下げて言い訳せずに謝罪だけで押し通すしかないのでしょうか。
でも、許してくれたとしても、どういうつもりでキスしたかは聞かれますよね・・・やっぱり部活に行くのは怖いです・・・
と、洗面台の鏡に向かってグルグル考えながら、石荒さんからプレゼントして頂いたシルバーの髪飾りを後頭部に付けた。
はぁ・・・
あれ以来、髪飾りを付ける度、そして外す度に溜め息が出てしまう。
石荒さんと以前の様に、二人で一緒にお弁当を食べて、部活して、帰りにラーメン屋さんに寄り道して、お休みの日にはあの部屋でゴロゴロしながら一緒に勉強して、また沢山お喋りして、楽しい時間を過ごしたい。
そんな時間はもうやって来ないのでしょうか。
考えれば考える程、諦めてしまいそうで更に落ち込みます。
憂鬱な気分を引き摺りながら登校して、教室に入れば中学時代の様に優等生の仮面を貼り付けて、自分の席に座って授業が始まるのを待ちます。
そして、石荒さんが登校してくると途端に心臓が早鳴りし始めた。
でも顔には出さないように仮面を外さない。
ここ数日、こんな毎日。
いい加減に自分で嫌になりますが、どうしてもそうしてしまう。
長年染み付いた私の性なんでしょう。
そんなどうしようもない私に、この日の石荒さんは「おはよ」と挨拶してくれた後、一通のメッセージを私に送ってくれた。
『本当は色々と聞きたいこととか思うところはあるけど、何も聞かないから、部活くらいは顔出せ。菱池部長も心配してるし、俺も桐山の居ない部活は寂しい』
目の前に居るのに、口では無くスマートフォンのメッセージというところが石荒さんらしい。
ああ、六栗さんが仰ってた通りだった。
石荒さんは私にも仲直りの切っ掛けを作ろうと、手を伸ばしてくれたんです。
いつもの口調なのに、私への気遣いが溢れてて、そして最後の言葉が何よりも嬉しい。
私こそ、石荒さんとお喋り出来なかったこの数日は、ずっと寂しかった。
今すぐ抱き着きたくなるほど、胸が熱くなります。
でも、ここは教室だし、もしそんなことをしたら、私はまた泣いてしまうでしょう。
そんなことになれば、折角石荒さんが作ってくれた切っ掛けを台無しにしてしまいます。
だから、メッセージを読む前よりも更に気を引き締めて、『ニヤけるな!顔の筋肉を緩めたらダメ!』と自分に言い聞かせた。
部活に行こう。
そしていつも通り、石荒さんとお喋りして、楽しい時間を過ごしたい。
キスのことは、石荒さんが何も聞かないと仰ってくれてるんだから、その言葉に甘えましょう。
このことは、いつか石荒さんが六栗さんと結ばれた時にでも、『実はあの時・・・』と思い出話にすれば、きっと石荒さんも笑って許してくれるはずです。
放課後、急いで美術準備室に向かうと閉めきった窓を開け放ち、蝉の鳴き声が聞こえる中、石荒さんが来るのを待っていると石荒さんよりも先に菱池部長がやってきた。
「あー!今日はちゃんと来たんだね!火曜日は心配したよ~!」
この人の事を失念していました。
そうでした。美術部にはこの人が居ました。
折角久しぶりに石荒さんと二人きりで楽しい時間を過ごすつもりだったのに、邪魔ですね。
「何回もメッセージ送ったのに、既読スルーするとか酷いよぉ~」シクシク
「すみません。でも体調を心配するのに『お腹でも痛いの?お昼食べ過ぎちゃったかな?おトイレは我慢せずにちゃんと行かないとダメだよ?』とか『便秘に悩んでるならお野菜もちゃんと食べないとダメなんだよぉ』って送られてきて、返事する訳ありませんよね?」
「先輩として和ませようと気を遣ったんだよぉ」
「本当に気遣いが出来る人は、そっとしておいてくれると思いますけど?」
「まぁまぁ、それだけカワイイ後輩のことが心配なんだよ。 美術部にとって桐山さんも石荒くんも大事な後輩だからねぇ」
「菱池部長しか居ませんでしたからね。それは貴重ですよね」
「うん・・・ホント、一人ぼっちだったからね・・・以前はそんなこと無かったんだけどね」
「はぁ」
菱池部長、急に寂しそうな表情になって窓の外へ視線を向けて、話を聞いて欲しそうな雰囲気を醸し出し始めました。
面倒ですが、石荒さんが来るまで二人きりですから、一応先輩として接してあげませんといけないですよね。
「昔の美術部で、何かあったんですか?」
「・・・何があったか、聞きたい?」
「いえ、特には。聞いて欲しそうな雰囲気を醸し出してたので、気を遣っただけです」
「ええ!?石荒くんと同じこと言ってるよ!?石荒くんも『いや、特には』とか言って、クールに格好つけた顔でサラっと流そうとしてたんだよ!」ぷんぷん
その時の石荒さんの様子が、実際に見てないのに手に取る様に思い浮かびます。
ああ、早く石荒さん、来てくれないかな。
いつもの様に、ここで楽しくお喋りしたい。
けど、石荒さんは全然来なくて、そこから30分もの間、興味の無い菱池部長の幼馴染や美術部の過去の出来事を聞かされました。
◇
この日の帰り、久しぶりに石荒さんに自宅まで送って頂いて、ようやく二人きりになれたのに、お喋りを楽しむ余裕が無くなってました。
何度も恋心に翻弄されて失態を繰り返して、私は1つの確信を持つに至ったから。
やっぱり私には恋愛は不要なんです。
恋心なんて抱いているから、浮かれて舞い上がって調子に乗って、失態を繰り返すんです。
だから、石荒さんや六栗さんと良好な関係を続けるのなら、私は恋心を捨て去り、二人の恋を応援して成就させるべきだと確信しました。
そう思い至って、心の奥底で気持ちを引き締めたところで、自宅のマンション前に到着。
明日からは今まで通りの生活に戻れるでしょう。
それもこれも、石荒さんの気遣いと思いやりのお陰でした。
やっぱり石荒さんのそういう所は尊敬するし、好きです。
だから、気持ちを引き締めたばかりだと言うのに思わず石荒さんの手を握ってしまい、気持ちが溢れそうに。
ダメ!
手を握ってから我に返り、また仕出かす前にメッセージのお礼を言って誤魔化します。
幸い、石荒さんも普段通りに会話を続けてくれて、何とか取り繕うことが出来ました。
なのに、その手が離せない。
離したくない。
このままずっと石荒さんの体温を感じていたい・・・
恋心を捨てると決めたのに、体は言う事を聞いてくれないんです。
って、不意打ちで女性の脇腹をモミモミ掴むだなんて!
セクハラですよね!
と抗議する前に、石荒さんは走って帰ってしまった。
でもこれで、キスの件とお相子でしょうか。
こんな風に思わせてくれた石荒さんには感謝ですね。
走って帰る石荒さんの後ろ姿を眺めながら、自然と頬が緩みます。
さて、次は六栗さんに連絡して、お礼と明日のお誘いをしなくてはいけません。
今夜は遅くまで寝れそうにありませんね。
ふふふ。
第21章、完。
次回、第22章 夏休、スタートの予定。
_____________
いつもご贔屓にして頂きまして、ありがとうございます。
1章分書き上げて連載再開しましたが、また暫くお休みします。すみません。
次回の再開を気長にお待ちいただけると幸いです。
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