#53 優等生の感涙
6月中旬の土曜日。
学校はお休みですが、早起きして食事を済ませると、シャワーを浴びて手早く髪を乾かして、出かける為に着替えてからいつもの様に勉強道具一式を詰めたバッグと、念のために傘も持って家を出た。
昨日までと打って変わって空は分厚い雲に覆われて、湿り気を含んだ風は生暖かい。まだ雨は降ってはいないですが、スマートフォンで昨夜確認した天気予報によると、この地方も日曜日には梅雨入りするそうです。
今週、石荒さんのお母様から直接連絡があって、『大事な用事があるから、今度の土曜日必ず来て頂戴ね』と言われていた。
お母様からお呼び出しがあるのは初めてのことですが、そもそもお呼び出しなど無くてもお邪魔するつもりだったんですよね。
それにしても、大事な用事とは何でしょうか。
GW以降毎週末お邪魔してるから、『あんまり来られると迷惑だからもう来ないで』と言われてしまうのでしょうか。
普段からお母様は「遠慮せずにまたおいで」と仰ってくれてますし、お父様の様子からもそんなことは言わないと思いますが・・・
でも、もし『もう来ないで』と言われてしまうと、困ります。
特に今日の様なお休みの日は、家には居たくないので。
中学生の頃は、まだそんなことは無かったんです。
母の期待に応え、学校でも模範生であろうと日々過ごし、そんな生活を当たり前のことだと受け入れていました。今思えば、母の言うことを無条件に信じて受け入れていたんですね。
でも、豊坂高校で石荒さんと出会い、気付かされたんです。
自分はずっと我慢してたんだと。
優等生なんかじゃない本当の自分を出してもいいんだと。
友達や異性と楽しくお喋りしたり、学校帰りに寄り道したり、人並みの青春を謳歌してもいいんだと。
何よりも、その石荒さんや石荒さんのご家族と過ごす時間が、とても楽しかった。
こんな幸せな時間を知ってしまったら、家の中で一日中過ごすだなんて息が詰まります。母のお説教を聞く時間ほど、人生に於いて無駄な時間は無いとすら思えてくるんです。
15歳の私にとって、石荒さんやご家族との出会いは人生観を変える程の運命的な出会いと言っても、決して大袈裟だとは思いません。
もう石荒家の子になりたいくらいなんですから。
と、欲求は尽きませんが、流石にそれは無理だと分かってます。
だから、図々しいことは分ってますが、せめて少しでも多くの時間を過ごしたいんです。
こんな私の想いは、石荒さんには絶対に言えませんけど。
一人物思いにふけながら通い慣れた道を歩くと、20分程で石荒さんのお家に到着。
いつもの様にインターホンをピンコーンと鳴らすと、直ぐに『はーい』とお母様の応答が聞こえた。
「おはようございます。桐山です」と挨拶すると『ハイハイ、どうぞ』と返事があったので、いつもの様に自分で玄関扉を開けて、靴を脱いで揃えてから「お邪魔します」と上がらせて貰う。
いつもならリビングに顔を出してお母様とお父様に一言挨拶をしてから3階の石荒さんの部屋へ向かうのですが、今日は直ぐにお母様の方からリビングから出て来て、出迎えてくれた。
「ツバキちゃん、待ってたの!コッチに来て頂戴!」
「はい。今日はどうされたんですか?」
「それはお楽しみよ♬うふふ」
今朝のお母様はすこぶる機嫌が良いようです。
この様子なら『もう来ないで』とは言われないでしょう。無意識に緊張してたのか、肩の力が抜けてホッとしてるのが自分でも分った。
お母様は階段を上がって行くので後ろについて行くと、2階の作業部屋に案内された。
この部屋に入るのは初めてのことで、六畳ほどの広さの室内には箪笥や作業用の机とテーブルがあり、机にはミシン、テーブルにはスカートなどが幾つも広げられていた。
「前に約束してたでしょ?ツバキちゃんのスカート、おばさんが作るって。ケンサクから明日ツバキちゃんの誕生日だって聞いて、大急ぎで仕上げたんだけどね、最後にサイズの微調整しておきたくて、今日は来てもらったのよ。うふふ」
お母様はそう言って、テーブルに広げられてたペパーミントグリーンのフレアスカートを手に取って私に見せてくれた。
確かに先日、スカートを作るからと言われサイズを測って貰ってましたが、まだ十日も経ってません。
「え!?そんなに無理して頂かなくても」
「いいのよ、好きでしてることだからね。お洋服作るの久しぶりだったんだけど、ついつい楽しくなっちゃって、スカートだけじゃなくてワンピースも作ってみたのよ?コレもサイズ合わせしましょ」
今度は、ネイビーブルーに白の襟のワンピースを手に取って広げてみせてくれた。
スカートもワンピースも凄く可愛い。
以前、少しだけお母様から手芸を嗜んでいることを聞いてはいましたが、既製品と比べても遜色ないほどのクオリティです。
「そんな、頂けません。スカートだけでも凄く嬉しいです」
「もう、気にしないで頂戴。ケンサクが小さい頃はいつも私が作った服着せてたんだけどね、あの子嫌がって全然着てくれなくなっちゃったから最近は作って無かったのよ。男の子はダメよね。母親の作った服なんて全然興味示さないもの。だからツバキちゃんみたいな女の子に私の作った服を着てもらいたいってずっと思ってたの」
「そうだったんですか・・・」
「ね?だから一度着て欲しいの。もし好みに合わないようなら後はタンスの肥やしにして貰っても良いからね?」
ウチの母は、一度だって私の為にハンドメイドで何かを作ってくれたことは無かった。寧ろ、手作りの手芸品などは安物だと言って、私に持たせることは無かった。
でも今、強く実感した。
既製品よりも、私の為に作ってくれた手作りの方が、何十倍何百倍も嬉しい。
こんなに嬉しく思える様な物、母からは与えられたことは無かった。
目頭が熱くなってきた。
お母様の顔がまともに見れません。
こんなの無理です。
嬉しくて、涙が溢れてくるのを止められません。
「あり、あり、ありがどうございまじゅ」
掌で涙を拭いながら声を振り絞った。
私がお礼を伝えると、お母様は私を抱きしめてくれて、髪を優しく撫でてくれた。
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